第9話
しんっと、部屋に沈黙が落ちた。
戸惑った顔をして男はおばあさんと顔を見合わせている。
「あなたの望みを叶えるのなら、お孫さんの望みは叶わないことになります。どちらを選びますか?」
「……息子は、没落を望むほど、この家が嫌いなのですか……?」
「心の内まではわかりません。けれども、そうですねぇ……押し付けるだけの幸せを幸福と言うのなら、それはなんて独善的な幸福の海かしら? 手足をもいで沈めていたなら、あっという間に溺れて死んでしまいますよ。殺したいのでしたら、別ですが」
殿下はさっぱり意味が分からないと言う顔をしていたが、男には伝わったのかヒュッと、怯えるような呼吸が聞こえた。
そして男は唇と拳を震わせる。
「……っ、そんな……だって、私は……。私は、なんのために……」
顔を青くした男の人は、口元を片手で覆ったまま、魂が抜けたようにソファに腰掛けた。
「……少し、考える時間をいただけませんか……」
その選択が、もう答えになっているんだけどなぁと思いつつ、素直にうなずく。
「はい。では、少し家の中を見ても良いでしょうか?」
「もちろんです」
「ありがとうございます。殿下、行きましょう」
立ち上がると、殿下は我に返ったように私を見てうなずいた。
遅れて立ち上がった殿下を連れて、部屋を出る。項垂れている男の人たちを置いて、バタンと扉を閉めた。
廊下に飾られている数々の絵のうちのいくつかを、ジーッと眺める。
隣に立った殿下が、チラリと横目に私を見た。
「今のはどういう意味だ?」
能天気にそう問いかけてくる。なんと平和な頭だ。
「ようするに、跡継ぎ問題のようなものですよ。後はお金?」
「金?」
「この家を継げば、お金の心配はいらない。生活に困らないのですよ」
「まぁ、これだけ裕福ならばそうだろう」
「だから親は子どもにそれを押し付ける。これがお前の幸せだと」
殿下は首をかしげた。
「殿下、何が幸せかというのは人によって違うんですよ」
「そんなことくらい私だって知っている」
「本当ですか?」
「当然だ」
殿下は大真面目な顔でうなずいていたが、本当にわかっているんだか。
胡乱な目を向けると、殿下は再び首をかしげた。
「でもなぜそれとこの家の没落が関係ある」
「あのですね、殿下。呪いには、たいてい呪いをかけた人物がいます。人の想いというのは、それだけ強力で、凶悪なんですよ。まあ、たまに物だとか、変な女神とかありますけれど」
チラリと、殿下の背後を見る。
呪いの家にいようと、女神の求愛ならぬ呪いは健在だ。
「この家の呪いの主は、さっき部屋から出てきた男──お孫さんなんですよ」
「自分の家を呪ったのか?」
「ただの呪いなら、良かったんですけどね……」
苦笑して、肩をすくめる。
「この呪いは、愛があったから生まれてしまった呪いなんですよ。だから私は、あまり好きではないですし、苦手です」
「ほほぅ、おまえにも苦手なことがあるのか」
ニヤニヤするな。
弱点が見つかりそうだと喜んでいるなら、とんだお門違いだ。
苦手なだけで、弱点とは言っていない。
「愛とかそう言ったものには、答えがないですからね。明確な憎悪のほうが、私はよっぽど楽です。だって、その縁を切ってしまえば終わりますから。愛だと切って終わりというわけにもいかないんですよ」
「……おまえの言うことは難しいな」
殿下が遠い目をしながら呟いた。
予想通りの姿に小さく笑って、廊下に飾られているいくつかの絵の中でも、とびきり立派な額縁に飾られている絵を見た。
色は鮮やかだけれど、何かが足りない。
だけど、力強く、生きる意志を感じさせる絵だ。
殿下が隣からひょいと覗き込むようにして絵を眺めた。
「まぁまぁな絵だな。けれども、私ならば買わない」
自覚のない刃だな。
この絵を描いたのが誰かも知らないで。
まぁ、誰かわかったとしても、殿下は買わないだろうけど。
「殿下は絵の価値がわかりますからねぇ」
「私は王子だからな。審美眼はそれなりにある」
皮肉だったのだが、殿下には伝わらなかったらしい。
絵から伸びていた黒いモヤに触れる。
砂粒のように、ハラハラと崩れて消えていった。
「さて、じゃあさっさと片付けて帰りましょうか!」
手についたモヤを払って、ついでに殿下の背中もパッパッと払った。
「は? まだ答えは出ていないだろう?」
殿下はチラリと扉のほうを見た。
男が「しばらく考える」と言ったのをそのまんま受け取ったのだろう。本当に素直な頭だ。
チッチッチッ、と殿下の目の前で指を振る。
「やだなぁ、待つはずないでしょう。だって、答えはもう、決まっているんですから」
ぱちくりと、殿下は目を瞬いた。
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