第8話


 殿下にうっとり見惚れるお婆さんの案内で、問題の孫がいるという家にまでやって来る。


 庶民の家……ではないな。

 立派な門扉が付いている。見張りこそいないが、左右に大きく伸びている家は豪邸と言える佇まいだ。


「王子様、聖女様、みすぼらしい家で恐縮です……どうぞお上がりくださいませ」

「いえいえ、とても素敵なお家ですのね。それで、お孫さんはお部屋にいらっしゃるのですか?」


 足を踏み入れながら、キョロキョロと視線を飛ばす。

 長く広い廊下。お城のほうが広かったけれど、私の家と比べてしまうと月とすっぽんだ。この家がみすぼらしかったら私の家はなんだと言うんだ。ボロ屋か。


 豪邸の廊下には豪邸に似合う値が張りそうな壺や絵画が飾られている。

 掃除もしっかりされているし、一見すると快適な美しい家だ。

 ただ、残念なことに家中にどす黒い霧が立ち込めている。輝かしい壺やら装飾も濁って見えるくらいには、家全体を包み込んでいた。


「殿下、大丈夫ですかーって、大丈夫じゃないですね」


 殿下を振り返って、苦笑する。

 殿下は青い顔をしてぜいぜい喘いでいた。


「は、息が……っ」


 苦しそうに胸元を押さえる殿下に近づいて、ポンポンと背中を叩く。

 息を吹き返したように、殿下は大きく呼吸をした。


「はっ……楽になった……」

「殿下は強烈に呪われていますからね。呪いと呪いがぶつかって、体に負荷がかかったんですよ。だから待っていていいですよって言ったのに」

「なっ、おまえ、そんなことを言わなかっただろう!」

「察してくださいな」


 にこりと笑って、もう一度ポンポンと背中を叩く。殿下にまとわり付いていた霧が、砂のように崩れて消えた。


 何度か深く呼吸をした殿下は、落ち着いたのか、チラリと横目に私を見た。やけに真剣な顔をしていた。


「おまえは、やっぱり聖女だったのだな」

「……何を急に。頭にも変なのついてます?」

「そうじゃない。ただ……」


 殿下は気まずそうに視線を横にそらした。


「おまえと出逢ったのは12のときだろう」

「そうでした? 覚えてませんね」

「覚えてろ!」


 首をかしげると殿下が吠えた。

 まあまあ、と背中を叩いて落ち着かせる。


「それからずっと居たから、おまえのありがたみが、私はわからなくなっていたのかもしれない」


 殿下は視線をそらしたままボソボソとそう口にした。


「だから……すまなかった」


 情けなく眉を下げ、伺うようにチラリと殿下が見てくる。

 目を丸くして殿下をまじまじと眺めると、殿下は居心地悪そうにそわそわ体を動かした。うっすら頬が赤く染まっている。恥ずかしくなってきたらしい。


「な、何か言え!」


 羞恥に耐えられなくなった殿下が噛みついてくる。


「殿下」

「……なんだ」


 満面の笑みを浮かべると殿下は期待に目を輝かせた。そんな殿下の両肩にポンと手を置く。


「今さら持ち上げても、お城には帰りませんよ?」


 絶句したように、殿下が私を見た。


「なっ! そうじゃな……っ、もうよい!」


 顔を真っ赤にして怒りをあらわにした殿下は、プンプンと効果音が付きそうな勢いで先に家の奥へと入っていった。


「……私もずっと、手のかかる面倒な王子だと思っていたから、おあいこですね」


 なんだかんだ言って、誠実は誠実なのだ。私がこうやってずけずけ言えるのも、殿下がそれに対して本気で怒らないからだ。


 聖女撤廃の理由も、民の税を少しでも軽くするためなのだろう。無駄の削減というやつだ。

 馬鹿だけど国民を守るという意思が強いのは知っている。

 私はもう、5年も殿下のお守をしてきたのだから。


 まぁ、撤廃は暴動が起きそうだから頭が残念と言えば残念だけど、そこはそのうち経験がカバーするのだろう。きっと。

 だから別に、連れ戻さなくてもいいと言うのに。

 私は自由が手に入るし、民の税は軽くなる。

 撤廃こそしないでこのまま野ざらしにしてくれたなら、反乱も起きず、問題なく暮らしていけそうだし。


 まぁ、殿下は肩が重いとか頻繁に起こりそうだけど、そうしたら『元聖女の拝み屋』に客として来てくれればいい。

 殿下はすっきり、私はがっぽり。とてもいい関係だ。


 そうと決まれば殿下の呪いも確実に始末して、さっさとお帰りいただこう。

 決意を固め、殿下と、殿下と親しげに話しているお婆さんのあとを追った。



 孫の部屋は二階だとおっとり言うお婆さんの後に続いて、廊下を進んでいると、ダァン! っと、壊れそうな勢いで何かを叩きつけた音が聞こえた。

 ビクリと肩が跳ねて、足を止める。

 聞き耳を立てずとも、その怒号は聞こえてきた。


「だからっ、俺はこんな家、継がないって言ってんだろ!」

「ふざけるなっ! おまえは私の言うことだけ聞いていればいいんだ!」

「ざけんな! 俺はあんたの駒じゃないっ……何でも思い通りになると思うなよッ!」


 ガシャーンッ! と、ガラス製の物が割れた音が響いた。それに続くように、怒鳴り声と、苛立った足音。


 呆気に取られていると、すぐ先の扉が開いた。

 出てきたのは、まだ少し幼さを残してはいるが、子どもと言い切るには大人になってしまっている青年。顔色は、だいぶ悪く見える。


 身体中にどす黒ものをまとわりつかせて、その青年は睨むようにこちらを見た。


 客が来ていると思っていなかったのか、一瞬驚いたように目を見張って、気まずそうに視線を床に落とすとバタバタと駆け足で二階に続く階段を上っていった。


 チラリと、横目に殿下を見る。

 あっけに取られた顔をしていた。ポカリと空いた口から、魂が抜き取られているかのようだ。


「……すみませんのぉ。お恥ずかしいところをお見せしまして」


 前にいたお婆さんが、困ったように笑って振り返った。


「いえいえ。今のがお孫さんですね?」

「はい、まぁ……立ち話もなんですから、中にお入りくださいな」


 そう言って、お婆さんはさっきまで怒鳴り声が響いていた扉を開けた。


 あ、そこに入るのね、と悟った顔で微笑み、しかたなく足を進める。


 中には、苛立ったように葉巻を咥えている男がいた。威厳を感じる髭に、少し怖さを感じる凛々しい顔。

 眉間にシワを寄せたまま、凍えるような視線をこちらに向けて、目を見開く。男は飛び起きるように立ち上がった。


「で、殿下!? 聖女様まで……っ! な、何がっ、い、いえ。どうぞおかけください」


 まだ火がついたばかりの葉巻を灰皿に押し付けて、男は腰を低くして目の前のソファを示した。


「聖女様の拝み屋に行ってきてのぉ」


 お婆さんがのほほんと答えた。


「か、母さん、また勝手に……」


 始まった小さな親子喧嘩を無視して、部屋を簡単に見て回る。壺やら絵やらが廊下と同じように飾られていた。家具も豪華だし、裕福な商家とかだろうか。

 そして見て回ったあとに殿下と並んでソファに腰掛けた。


「結論から言いますね」


 誰も聞いちゃいなかったが、そう切り込む。

 小競り合いをしていたお婆さんと、その息子の男、さらには殿下がちらりと私を見た。


「この家は、没落します」


 キッパリハッキリ、断言した。


「は……? な、なぜわかるのですかっ? な、何か、解決策をお持ちなのですかっ!?」


 ギクリと顔を強ばらせたところを見ると、なかなかに大変な状況らしい。


「理由を、理由を教えてくださいっ……!」


 顔色を変えた男が、すがるように寄ってきた。


「理由ですか……。この家の没落が、お孫さんの望みだからです」


 口をつぐんだ男の人に、にこりと笑って救いの手を差し伸べる。


「没落を防ぐことも、もちろんできますよ」

「ほ、本当ですかっ!?」

「はい。ですから、選んでくださいな」


 笑ったまま、右手と左手を、順に差し出す。


「あなたの望みを叶えるか。お孫さんの望みを叶えるか」

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