第6話


 じっとりと張り付くような視線を殿下に向ける。


「城に帰ったら死にかけたのだ! 大臣たちにも聖女のぞばにいろと言われた」


 殿下は言い訳するように、早口にまくし立てた。悪いことがバレて誤魔化そうとする子どもみたいだ。


 殿下の話によると、城に帰るまでに何度も不運に見舞われたそうだ。

 馬車に轢かれそうになったり、突然強盗と鉢合わせしたり、突然街で乱闘が始まったのだとか。


 城に着いたら着いたで、兵士たちの訓練中の矢がなぜか吹っ飛んできたり、転んだ側近の剣がなぜか飛んできて首をかすめたり、馬が暴走して踏まれそうになったり。

 一日で波乱万丈な人生を体験したそうだ。


 よく生きてたなぁと思う。

 悪運の強さには感心だ。


「つまり、追い払われたんですね。呪いを持っているから」


 まあ、そりゃあ嫌だ。

 帰ってきた王子が、聖女に死ぬと言われたなどと口にしたなら、城は阿鼻叫喚だろう。


 まず、近づきたくない。

 呪いが移ったら嫌だからね。移らない呪いとも限らないし。


 ならば厄介事は聖女に回せと、殿下は体良く追っ払っわれたのだろう。ちょっと、哀れだ。王子なのに。


 哀れみの目を殿下に向ける。

 殿下は不機嫌そうに眉を寄せたまま、少しだけ居心地悪そうに突っ立っている。


 行き場のない子犬が迷い込んできたみたいで、無下にしにくい。


「まあ、いいですけど。うち、お城みたいな贅沢できませんよ。わかってます? そこのところ」


 釘をしっかり刺すと、殿下は小さくうなずいた。


「わかっている。こんな貧相な家なのだからな」

「今すぐ死にます?」


 サッと包丁を取り出すと、殿下は千切れそうな速さで首を横に振った。


「冗談に決まっているだろう!」


 やれやれ、なんてつまらない冗談だ。

 もう少しユーモアを学んだほうがいい。



「じゃあとりあえずご飯作ってください」

「は?」


 夕食の準備をしようと、鍋やフライパンを取り出す。

 殿下は突っ立ったまま台所を見た。戸惑っているような、嫌そうな微妙な顔をしながら。


「私に料理しろと言うのか?」

「嫌ならお帰りください」


 笑顔で出口を示す。


「……わかった。努力しよう」


 よほど帰りたくないらしい。殿下はしぶしぶうなずいた。


 一日で何度も死にかけると、人は丸くなるようだ。


 まな板の前に立つ殿下の前に、野菜をいくつか置く。洗ってくれと言えば、殿下はおっかなびっくり野菜を洗い出した。

 最初は不満そうにしていたけれど、やってみると楽しかったのか鼻歌を唄いながら野菜を洗っていた。単純な頭で平和だ。


 洗い終わった野菜を回収して、まな板の上に洗ったばかりの芋を置く。殿下と並んで立って、包丁を使って芋の皮をむいて見せる。


「こうやって、皮を剥いて」

「こうか?」


 殿下は私の手元をじっと見て、すぐに自分の芋をむき始めた。スルスルっと、皮が禿げていく。ツルツル頭の芋が顔を出した。


「えっ、殿下上手ですね。意外。てっきり指を切り落とすかと」


 血を出してうるさく騒ぐかと思っていたから、ちょっとびっくり。


「刃物の扱いは慣れている。剣を使うからな」

「そういえば王子でしたね」

「……そうだ」


 頭はやや残念だけれど、剣の扱いは一流だと聞いた。本当かどうかは見たことないから知らないけれども。


 王子じゃなくて騎士に生まれたほうが良かったんじゃない?

 でもよく考えてみれば、王族は戦では大将になるらしいし、強い王のほうが良いのかもしれない。

 政は大臣。戦は王。


 まあ、今の世の中、戦なんてそうそうないんだけどね。


「じゃあこれ全部剥いてください」


 何個かあった芋を全て殿下のほうに押しやる。

 ピタリと手を止めた殿下が、鼻の頭にシワを寄せながら私を見下ろした。


「おまえ、容赦がないな」


 そりゃあ、今さらだ。

 にこりと笑顔で、私は殿下がむいた芋を切り刻む。


「使えるものは使いますよ。私が楽ですから」

「……いい性格してるな」

「殿下には及びません」


 いらないと言ったり、戻って来いと言ったり、呪われたと突撃してきたり。

 はた迷惑なその性格には到底及ばない。


 拝み屋を始めて数日、一番厄介事を持ち込むのは、どう足掻いても殿下だというのは皮肉な話だ。


 城を出た意味がない。



 トントントン、と野菜を刻んでいると、皮をむいている殿下の手元に黒いモヤが伸びていた。

 面倒だなぁと思いながら片手でパッパッと払う。


「ん? どうした?」

「いえ、ちょっとゴミが」


 死への道連れ、というだいぶ面倒なゴミが。


「殿下、野菜むき終わったら休んでます?」


 なんか面倒事起こしそうだし、適当に座っててもらおう。

 内心そう思っていたが、殿下は考える素振りをして首を横に振った。ホクホク顔で笑っている。


「やってみると案外料理も楽しかった」


 あぁ、王子だもんねぇ。

 そりゃあ料理なんてしたことがない。

 王子だから知ってることも多いけど、王子だから知らないことも多い。


 王子が学ぶのは帝王学だとかで、学校ではなく国の雇った教師から勉強を教わっていた。

 まあ、私も聖女に祭り上げられてからは同じように学んでいたんだけど。


「殿下、今いくつでしたっけ」

「17だ。もうじき18になる」

「……子どもだなぁ」


 しみじみとうなずくと、殿下はムッとしたように機嫌を損ねた。


「おまえ……大人ぶってるが私より一つ下だろう」

「あれ、殿下、私の年齢知ってたんですね」

「一応な」


 そういえば、そういうとこマメなタイプだったか。側近やらの誕生日にはやたらと贈り物をしていた。

 私にも贈られてきていて、賄賂みたいだなぁと思いながらもしっかり受けとっていた。


「そんなことより殿下、オムレツ作るんで、卵を割ってください」

「卵を……割る?」


 首をかしげた殿下の視線が、作業台の上を滑って、卵を手にした。

 そして、ふむ、と軽くうなずくとバキンッと片手で卵を粉砕する。


「うわぁあああ!? ちょっ、何してるんですかっ!」

「何って卵を割っただけだ」

「いやっ、違うでしょう! どうしてそうやって割るかなぁ?!」

「割れと言われたから割った」


 殿下が唇を尖らせた。手を卵液でぐちゃぐちゃにさせながら。

 うわぁ、卵が壁にも床にも飛び散ってる。嘔吐物が散乱しているみたいで見た目最悪だ。

 殻も吹っ飛んでるし、掃除がめちゃくちゃ面倒くさそう。


 殿下に手を洗わせている間に、飛び散った卵の残骸を片付ける。なんか手間が増えたな。


「はぁ……。いいですか、殿下。卵を割ると言うのは、こう、ちょっとだけヒビを入れてですね。パカッとキレイに、いいですか、き、れ、いにっ、割ることを言うんです」


 卵の割り方をレクチャーしてみせる。

 ボールの中に産み落とされたツヤツヤの黄卵を見て、殿下は青のおめめを煌めかせる。


「おお」

「私が説明しなかったのが悪いので、卵代の請求はやめておきますね」

「請求する気だったのか」

「迷惑料込で」


 当然だろう、と笑顔に圧を込めて微笑む。

 黙って卵を割り出した殿下を置いて、パンを切り分けてオーブンに入れる。それからオムレツの中身をササッと炒めた。今日はベーコンとジャガイモのチーズオムレツだ。ベーコンのいい香りが食欲をそそる。


「割れたぞ」


 殿下の声に、火を止めて振り返る。


「本当に? ちゃんと綺麗に割りました?」

「ああ」

「卵の殻は入っていません?」

「……」


 あ、その顔は入ったんだな。


「ジャリジャリするんで、卵の殻はキレイに取り除いてくださいね」


 殿下は叱られた子犬のような顔をして、しょんぼりと肩を落としながら卵の殻と格闘していた。

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