第4話


 『元聖女の拝み屋』は、それなりに上手くいっていた。


 聖女様〜、なんて崇められてはいるが、実際はそんな崇められるようなことはしていない。

 傷を癒したり死者を生き帰らせたりしているわけではない。

 私はただ引っペがしているだけだ。やって来る人の後ろに付いている、ドロドロの、ぐちゃぐちゃの、ねっとりとした黒いものを。


 一応『解呪』と言われるらしいが、ただぺりっと引っぺがすだけで人々の顔色は良くなり、数日もすれば、なにやら幸運が舞い込んできたのだと泣きながら拝まれる。


 なかなかに楽な商売だ。

 インチキでぼったくりな気もするが、相手も喜んでいるならトントンだろう。



 のんびりと拝み屋を営業しつつ、殿下を追い出してから数日後。

 またけたたましいノックが響き渡った。


 この荒々しくせっかちなノックは、間違いなく殿下だろう。なぜまた来た。

 しかたなく、扉を開ける。


「はいはい、なんの用です……かっ!?」


 面倒だなぁと思いながら視線を上げて、ひっくり返りそうになった。


 扉を開けた先には、予想通り殿下が立っていた。

 子犬みたいな顔をして首をかしげている。

 それだけ見れば平和だ。平和すぎる一枚絵だ。なのに。殿下は背後にとんでもないどす黒いものを付けていた。

 目が合ったような気がする。どす黒いのと。にたァと笑った。間違いなく。


「なっ、殿下!? 何しました?!」

「何とは?」

「墓を荒らしたり人の家を壊したり盗みに入ったり」

「私はコソ泥か何かか」


 コソ泥なんて可愛らしいと断言できるくらい、なんかヤバいの付いてますけどぉ?!


 ひくりと頬が引きつった。

 できれば招きたくない。関わりたくない。とっととお帰りいただきたい、が。

 ほったらかすのも気が引ける。


「では、何もしていないんですか? そんなはずありません。よ〜〜っく、胸に手を当てて聞いてみてください。絶対何かしているはずです」


 殿下を睨みつけながら、尋問するように人差し指で殿下の胸を突く。

 ふむ、と考えるように口元に手を当てていた殿下が、思い出したように手のひらを打った。


「ああ、そういえば」

「やっぱりあるんですね?!」

「神域に入った」


 威張るように、殿下は胸を張る。どうだと言わんばかりの顔だ。


 神域に、入った……?

 神域とは入ってはならないから神域なのであって、そこにズカズカ入るなんて、たとえ王族でも許されない。

 バカなのか。バカなんだな。ああ、バカだった……この王子は……。


 私は遠い目をして、飛ばしたい意識を必死に繋ぎとめながら殿下に問いかける。


「なぜ、神域になんて入ったんですか……?」

「私にもおまえのような力があれば、おまえを頼らなくてもすむかと思ってな」


 得意気な顔をして、自慢げに胸をそらす殿下を、冷めた目で見つめる。


「……で?」

「何がだ」

「手に入ったんですか? 神域に足を踏み入れて」


 殿下は気まずそうに眉を寄せた。

 そして、たっぷりの間を置いて、絞り出すようにか細い声で否定する。


「……いや……」


 でしょうね。


 心の中で突っ込みを入れつつ、どうしたもんかと腕を組む。


 これはなかなかに面倒なことになった。

 この王子を大臣か誰か止めなかったのか。

 いや……力を手に入れて驚かせてやろうと一人で行ったんだろう。想像できる。


 あそこには決して入ってはいけないと、ちょっと勉強したらわかるはずなのに。

 もうちょっと王子の教育に力を入れるべきだ。頭をまるっと取り替えるくらいした方がいい。


 あれか。まつりごとは大臣たちが行うから王はバカでもいいという、典型的なあれか。

 むしろ頭がいいとちょっと困るというやつか。


 とりあえず一旦考えをまとめようと、殿下を扉付近に放置したまま、台所へと引っ込む。

 私のあとを追うようにくっついてきた殿下は、私の後ろで悔しそうに吠える。


「ぐぬぬ、なぜだ! なぜ私にはおまえのような力がない!」

「知りませんよ、そんなこと」


 とりあえず用心のために包丁を手にした。もしかしたら殿下が乗っ取られて攻撃を仕掛けてくることも考えられる。まぁ、そうなったら私なんて敵うはずもないのだけれど。


 チラリと、殿下の後ろ見る。

 幸い乗っ取られてることはなさそうだが、どす黒い影が殿下の首に腕を巻き付けていた。おまけに見せつけるように頬にキスしている。

 うわぁ、これ好かれちゃってるパターンだ。

 求婚ゴリゴリ。ようこそ、死の世界へ。



「……殿下、死にたいですか?」

「は?」

「だから、死にたいですか?」

「お、おまっ、私を殺す気か?! やめろっ、包丁を向けるな!」

「死にたい? 死にたくない?」

「死にたいわけがないだろう! 私は王子だぞ! 民を守る義務がある!」


 殿下は自分を守るように抱きしめながら首を振る。顔が引きつってるし、冷や汗も出ている。

 そんなに命が惜しいのなら、なんで神域になんて足を踏み入れたんだ。このバカ王子。


「その王子がこんなところで油を売ってていいんですかねぇ」

「ぐっ。仕方がないだろう。聖女が勝手に事業を始めたのは私の責任だと、各方面から責められるのだ。何とかして呼び戻せと言われた」

「あらまぁ」


 やっぱりまだ責められていたのか。

 それで聖女が戻らないなら自分がその力を身に付けてやる、と言ったところか。単純すぎていっそ清々しい。


「民からは賞賛されたぞ。権力者だけが独占していた聖女が街に降りてきたと」

「皮肉な話ですね」


 権力者と庶民の意思にズレが生じるのはよくある話だ。

 手にしていた包丁をまな板の上に置いて、くるりと殿下に向き直る。


「まあいいです。それより、殿下は生きたいんですね?」

「当然だ」

「では報酬の話ですが」

「なぜ急に金の話になる!?」

「なぜって、殿下が死ぬからです」

「は?」


 ポカリと口を開けた、愛らしくも間抜けな顔に、ニコリと微笑む。



「だから、そのままだと殿下、死にますよ?」

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