高校1年春②

 さて、嫌な時間が訪れた。


 俺は食事が喉を通らなかった。それは明日が入学式だからではない。

 親に自らの死を告げなければならないからだ。


 風呂を出てパジャマに着替えた後、両親の部屋に入ったら、母が一人テレビを見ながら洗濯物を畳んでいた。


 ちょうどいい。俺は元々母に最初に話そうとしていた。竹下家では母が最高権力を有している。理由は単純に母の方が頭がいいからだ。


 自宅は元々祖父母の家なのだが、祖父母は俺が生まれる前に二人とも他界しており、この家では俺と両親の三人で暮らしている。両親は共働きではあるが、別に帰宅時間が遅いわけではないし、喧嘩をしているところを見たことがないほど仲がいい。それに、俺の進路もすんなり決まって両親も反対することはなかった。


 ごくごく普通に食卓を囲み、たまに外食や旅行にも出かける。俺が育った家庭は絵に描いたような平和で平凡な家庭なのだ。


 だから俺は今震えている。


 怖いのだ。それは破壊しかねないからだ。ちょっとした綻びでさえ怖い。


 でも俺が告白しないと、もっと壊滅的な未来が待っていることは明白。


 意を決しないと俺の計画は始まらない。俺は震える体を押さえつけて母に声をかけた。


 母は俺の顔を見るなり、すぐにテレビを切って俺の話を聞く態勢を取った。俺から両親にここまで真剣な相談をしたことは一度もない。それに俺の深刻な表情が相まって事の重大さを母は瞬時に感じ取ったのだろう。


 そんな母の面持ちは普段おちゃらけている母からは想像もつかないほど真剣そのものだった。そんな母の顔を見ただけでも俺の体はより一層こわばった。


 昼飯を食べてから、ずっとこの瞬間のシミュレーションをしていた。どれだけごまかそうが楽観的になろうが、五臓六腑は軽くなることなく重苦しく垂れ込んだ。だが今ここでその苦痛から解放される。言葉に出せば楽になれる。相手は20年近く一緒にいた家族だ。そう心の中では鼓舞していた。


 しかし、肝心の言葉が全く出てこない。


 何度も何度もイメージして頭の中で読みこんできたはずの言葉が喉に詰まって息苦しくなった。


 口から出てくるのは「あの」や「その」などの言葉のクズがぼろぼろとこぼれ落ちてくるのみ。


 そのとき、その様子を黙って見守っていた母が「落ち着いて。慌てなくてもお母さん待ってるから」と震える俺を励ましてくれた。


 俺はその励ましに救われ、何とか呼吸を整えることができた。


 そして俺は母に告げた。


「結論から言うと、俺は3年後の3月に、命を落とすことになってる」


 これが正解の文章なのか分からないが、母の顔を窺うと案の定と言っていいのか、唖然とした後、呆れ顔でどういう意味かと聞いてきた。


 そりゃそうだ。普通こんな雰囲気で息子が話を吹っかけてきたとなれば、ミュージシャンになるために上京するとか、同級生の女子を妊娠させてしまった、といった類いの告白を覚悟していたはずだ。いや、でも俺が3年後に死ぬという話も充分に重い話である。ただ圧倒的に現実味が欠如している、それだけだ。息子に3年後に死ぬなんてサイコパスなことを言われた日には親は唖然とするしかない。もはやフィクションの世界だ。


 だがこれは違う。俺は満を持して母の質問に詳らかに答えた。


 俺が前世で一度死んで100兆人目の死者として過去まで飛んできたということ。前世での記憶が残っていること。前世で死んだその時間に俺の心臓が止まること。瀬良奈緒さんという前世で友達になって俺とほぼ同じタイミングで命を落としてしまった人を助けるためにやり直してきたことやこの事実を他言してはいけないなどの注意点まで全て明かした。でも、あかんわ。もう完全にフィクションやわ、これ。


 しかし、これは全てノンフィクションであって、それを証明するものなら右手の甲にあった。俺は左の人差し指と中指で右の手のひらを数秒間押した。すると、右手の甲に1秒ごとに変化する刻印が浮かび上がった。これは神様からもらったもので、この刻印の数字はただの時間ではなく、俺の寿命とともに0になる、いわば寿命へのカウントダウンを示す時計だ。俺はこれを母に見せた。


 そうやって俺はあれこれと証拠証言を列挙して母を説得した。


 母は何一つ口を挟まなかった。はじめは唖然としていたその表情も平常を徐々に取り戻し、畳みかけの洗濯物の傍らで真剣に俺の話を聴いていた。


 母は俺の話を全て聴き終えると、ついにずっと瞑っていた口を開けた。

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