カボチャ売りとイワシ売り

 三十年前、実家のある港町で、おばあちゃんが作ってくれたのが、ネギ入りイワシのツミレ汁だった。人参と玉ねぎ、そして大きなイワシの団子が美味しかった。誰でも思いつく、でも大切な、隠し味のショウガが、イワシの生臭さの、臭い部分だけを抑えてくれていた。

 僕は都会であくせく働いていて、少しだけ出世したけど、故郷のあのイワシの味を忘れなれなくて、脱サラして、その……イワシ専門料理店を開いた。


 だけど、夢は夢のままで良かったのかもしれない。

 店へとやって来るのは、一日、十数人くらい。しがない顔をしたビンボー学生や、しょーもないサラリーマン。


 こんな筈じゃなかった。もっと楽しく、充実していて、あの頃はこんな夢を見てたよって盛り上がって、都会にも支店を。そうなると思っていた。


 イワシ漁のおじいさん。毎朝のように獲れたてのイワシを届けてくれる、いかついけど優しいおじいさん。

 彼に愚痴をこぼしてしまった。

「思うように行きませんね。なんというか、しけってるでしょ、オレの店。しょっぱいというか。なんつーか、毎日あまったイワシで色んな料理を考えてるんだけどね。食べ飽きた、というわけじゃないけど、マンネリでね。なんつーか、このままくすぶって終わるのかな。俺の人生って」


「なんだい、なんだい。こちとら、飛びっきりのイワシを送っているのに。どーしよーもねーな」


 そんな陽気に怒ってくれて、それが嬉しくて、つい甘えてしまう。

「すんません、何か毎日にメリハリが欲しくて.。何時もどんよりしたもんだから」


 おじいさんは、ただ陽気に笑って

「何ならさ、カボチャ売りのところに行ってみるか?」

 思わず聞き返す。

「カボチャ売りぃ?」


「そっ、カボチャ売り。楽しいぞ、あの子は」


   *



 細い路地裏に入ると、聞いていた通り、赤、緑、黄、茶、さまざまなカボチャが置かれていて、聞いていたよりもずっと幼くて、のんびりした女の子がいた。


 ちっぽけなカボチャ専門店。


「あれっ? えっ? お客さん? いらっしゃい」


 僕がじっくりカボチャ選びをしていると。と言っても、良し悪しがわかるのは魚だけで、野菜は門外漢だから、ただ、じっと眺めているだけだったりすると。


 女の子は何か喋りたくてうずうず。そんな目がキラキラしているから、つい話をふってしまった。


「いやー、どれが良いか、わからないや」


 女の子はにやりとして


「わからなくて当然よ。どれも良いものばっかりだから」


 思わず、吹き出す。確かに楽しい子だ。


「おじちゃん、カボチャ初心者ね。そうね、ビギナーのはじめてカボチャセットで良い?」


「うーん、それでイイかなぁ」


 そこでふと心が立ち止まって、


「イワシに合うカボチャってある?」


 女の子はう~んと考えて、こちらが申し訳なくなるほど考えて。


「ニシンのカボチャパイとかはアリだと思うんだけど、イワシに限定するとねえ」


「そっか、そんなに甘くないか」

「甘いわよ。ウチのカボチャ。どれも自慢の一品なんだから」

「いや、いやいや、そうじゃなくて。なんだか。ゴメンね」


 なんだか妙に気分が晴れてきて、こんなことを言ってしまった。


「俺さ、イワシ料理専門店をやってるの。俺イワシのプロだから、俺自身が作るよ」


「ん~。えっ? イワシ料理店、いーなぁー」

 そんなに良くないよ、という言葉をかみ殺して、頷く。

「いーだろー。子供のころからの夢でさ」

「わたしもね、カボチャショップをこの町に建てるのが夢なの。おじちゃん先輩だね。そんでね……カボチャの店は二階建てで……



   *


 女の子は夢をとうとうと語る。一階はカボチャ売り場で、二階はカボチャ料理専門店で、店頭販売でカボチャパイをテイクアウトしたりして……


 女の子の夢語りはなかなか終わらない。こちらも何故かうずうずしてくる。


「カボチャ大好きなんだね。俺もイワシが好きでさ。店、開いちゃったって、わけよ……。そしたらお客さんが来なくて来なくて。でも、少しだけ常連さんも出来たんだよな。新メニューを出すと、試してくれて。たまに美味しかったです。とか言ってくれて」


 話している内に気づいてしまった。あれ? 僕って思ったより悪くないじゃん。むしろ幸せじゃん。何だか久しぶりに、吸い込む町の空気が、そしてカボチャ色の空気が、新鮮で心地よかった。



   *



 イワシを使ったカボチャ料理。


 やっぱり地元の黒醤油を使ったイワシの料理と組み合わせよう。ツミレ汁にカボチャ。これだと何だか味が濃すぎてしまう。どうしようか? 他の野菜も合わせるか? いや、待てよ。何処かから来た不思議な麺。うどんと合わせよう。うん、上手いこと味が中和された。


 でっかいポスター状の紙に自信たっぷりに書く。


『イワシのツミレうどん、カボチャ入り』


 さっそく開店。いつもの時間が、いつもより、やけに長い。

 正午になるころ、学生二人組がやって来た。二言、三言しか話を交わしたことしか無いが、立派な常連さんだ。

 思わず、ためらわず、口にしてしまった。


「今度の新メニューいかがですか? とても良いカボチャが入ったんで」


 我ながらさしでがましい。しかし学生さんはにっこりと


「じゃ、それで」

「うん、俺も、うどん頼むわ」



   *



 会計までの長い間。調理場を整とんする振りをしながら、お客さんを観察する。

 あっ。全部、食べてくれた。スープまで。ありがたい。


 お客さんが千円銅貨を出してくれて、お釣りを渡すまでのちょっとした間。

 たまらず聞いてみた。

「どうでした? 新メニュー」


 お客さんはぽりぽりと頭をかいて、少し困った顔をして、だけどその後、ちょっぴり楽しそうな顔をして

「美味しかったけど。やっぱりここのイワシのつみれは最高だし。このわけわかんない麺もなんか妙にそそるし。だけど、無理やりカボチャを入れた感が半ぱねえっす」


 僕は悔しさ半分、いや、それ以上の「やっぱ、そうだよなぁ」の心情になり。


「すんません、まだまだ未熟者で」

「いや、いやいや、ここの新メニュー、何時も楽しみにしてるんっすよ。イワシの塩焼き、スダチ絞りなんて最強じゃないっすか」

 もう一人の学生さんが

「俺はやっぱりイワシのなめろうかなぁ」


 小さな間がどんどん大きくなっていく。夢すらも超える楽しいイワシトーク。


 最後に「また来ます」、といって学生たちは去って行った。



   *



 僕はせっかく託されたカボチャを、料理として活かせれなかったけれど、それ以上のものを貰った気がする。

 沢山のことを。本当に沢山のことを。


 でも僕はイワシのプロフェッショナルだ。何時か最高のイワシとカボチャの料理のコラボレーションを作りたい。


 店も軌道に乗り始めた頃、週末に道端のカボチャ屋に通うのが、僕の新しい散歩コースになっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る