カボチャ売りとバスケットボール

 髪の先っぽを揺らすような、肌の表面をさするような、淡い風が吹いた。ちょっとした涼しさが、街全体を包んでいく。

 秋の港町には二日ぶりに活気が戻り、メインストリートにはランチへの仲間が話を弾ませ、それは一つ狭い路地に入るたび穏やかになり、それを繰り返すたびに緩やかになり、小さな石畳の道には和やかな空気がぽかぽかとしている。

 その人通りもまばらな小さな道に、グリーン、レッド、クリーム、オータム・リーフの柔らかな色のカボチャたちが、我がもの顔で並んでいる。その中央には荷車と、それに寄りかかるように女の子が一人。スニーカーにジーンズに、ブラウンの半そでに、安物のネックレス。本を脇に顔を沈めて、こくりこくり。


 *


 昨日は今年一番の台風が、大きさは中くらいでゆっくりだけどその風足が一番の台風が、通り過ぎたのだった。女の子の間借りしている家のあちこちは甲高く鳴り、固く閉じた雨戸は揺れ動いた。ぎしぎし、がたがた。漁に出れないでその分酒に注いだおっちゃん達の唄声が混じり、女の子は夜遅くまで眠れなかった。このまま眠れなかったら明日は休もうかしら、と思っていたら、かえってあっ気なく眠りに落ちたのは何だか不思議だ。

 雨雲は青空となり、高く透き通り、嵐はそよ風になり、ゆるりと街角を渡る。隣のブロックからの男達の声は遠くなり、音はまどろんでゆく。女の子はすすきの混じる草原で羊の背に腕を突っ込み、わしゃわしゃとこね回し、両手に羊毛の束を作る。羊は本でしか知らない為か、ホテルのシーツのように真っ白で、犬のようにちっぽけなサイズだ。羊毛が綿あめのように手の周りに膨らんでいく。これを売れば幾らになるのかな、一日何時間こうすればやってけるのだろう、こうやって暮らしていくのもいいかなと、妙な計算を働かせながら、女の子は羊の背を撫でる。

「おいおい」

 と羊が鳴いた。慌てて目をぱちくりさせると、白髪交じりのおじさんが、もみあげ辺りを掻いている。

「たるんどるなあ」

 女の子は口元に手をやり、よだれが垂れていないことに安心すると、おじさんの日に焼けた顔を見つめ

「へへ」

 と笑った。

「たるんどる」

 とおじさんは繰り返す。

「あんまりだらけるとなあ。だらけんでも運の巡りが悪くなると、ああなっちまうぞ」

 おじさんは、一つ向こうのブロックの家と庭を指す。男のしゃがれた声や、「こっちこっち」なんて野太い呼び声が、あちらからここまでうっすら響く。


 *


 女の子はそちらに目をやり、ほうっと息をつく。

「ああ、あの、そこ。いい年した大人たちがね、寄ってたかって集まって。バスケットゴールを家の壁に付けちゃって。なんかね、最初は休日の暇つぶしだったのが、力が入っちゃって、俺はバスケッターとして生きてくんだーって。バスケッターてね。バスケッターよ。はは」

 おじさんはぼうっと道の先っぽを見つめている。

「ああ、知ってる」

 女の子はちょいと恥ずかしく

「ははは」

 おじさんは紅いサッカーボールほどのカボチャをぽんぽんとさわりながら

「あいつら、ウチンチの息子の同級生の弟たちが中心でな。まー、あれでも、小さな船に数が集まって、程度を守って、漁に精進してるよ」

 うんうんと頷いている。

「いろいろ溜ってんだよ。若いからな。おっさんら先輩は厳しいし、シラスはバケツ一杯でこのカボチャ一個にもなりゃしない。都会に出りゃ、これより割のいい仕事は山ほど転がってるわけさなー。こんくらいはさ。ストレスカイショウってやつか。ようわからんけど。夜の街に金を落として、いたずらに潰れてくよりゃマシだろ。暇はつぶれても、金はかからんし」

 女の子はぼんやりと街路を見つめ、ほう、となる。

「へー、けっこう、合理的なんだ」


 無精髭の小太りがシュートの構えをとると、眼鏡のひょろ顔と黒シャツのオールバックが左右からそれを塞ぐ。無精髭は明らかにそれとわかるフェイントを入れ、二人はこれを知りつつどうしても動きにつられる。ボールはバンダナの長身へと緩やかにパスされた。走りながらそれを受け取り、とんとんと惰性でステップを踏み、軽くジャンプして、レイアップシュート。ボールはドカッとゴールの板枠にぶつかり、手製の弾みの悪い板にショックを吸収され、そのままゴールに不器用に落ちていく。

「よっ」

「さー」

 無精髭とバンダナが、ぱぁんとハイタッチする。

 その隙をついて、タンクトップのにやけっ面が

「そっこー」

「あっ、ずりいぞ」


 女の子はわきわきとした声の響きに耳を傾けながら、うなる。

「ああ見えて、いろいろと考えてんのねー、そうか、いろいろとねー、積もるものあるんだ、やっぱ」

「そんなもんさ」

「うーん、青春よねー」

「じじくさいな、女の子だろ」

「うっ」

 おじさんは話を軌道修正しようと少しだんまりの間を置く。それを知っている女の子も、ゆるりとおじさんの言葉を待つ。

「えっとな、そいつらじゃなくて。あの家の、あの庭のこと」

 女の子の所からは道がカーブしていて、その一ブロック向こうのちょっと先。家は木の香りもまだ残っていそうな、新築の面影の最近のもの。庭はサッカーをする程の広さは無いし、正式のバスケットの試合をする程の広さもないが、一つのゴールを巡る所謂ストリートバスケをするには十分だった。

「あー、うん」

「なっ」

 うん、と女の子がうなずく。

「そうだよね、毎日ここでバシバシやってんだもんね。家の人はめーわくで、文句の一つくらい」

「それがな、空き家なんだよ」

「んっ、まだ新しいのに」

「夜逃げしたんだってよ」

「えっ。こんな三階建ての庭付きの家を買って」

 おじさんは何処か遠くの海を見つめるような目で、とうとうと語る。

「その家を作るのに、大分無理して借金こさえてさ。そいでさ。ほら、去年の暮れからこの夏まで、潮の流れが不安定だったろ。失敗組と成功組にわかれるくらい、はっきりしてよ」

「うん」

「うまくいかなくてよ」

「うん」

「そいで海の向こうにトンズラよ」

「そっか」

「まだ若い娘さんがいたのに。ほら、あっちの海岸の茶店の看板娘の」

「ああ、うん、バイトの、笑顔がかわいくて一生懸命だって、みんな、おじさんおばさんたち、言ってた」

「おう、スタイルも良くてな。話し方がおっとりしていて、そのくせ動きや仕草は、はきはきしてて。あの子目当てで通う若いのも、ちらほらとな。そりゃ俺だって。年食っても男だからよ。あー」

「やー、照れてる照れてる。でも、こういうのに、年って関係ないと思うよ」

「これからだってのにな、可愛かったのに、あっちに行っちまった」

「きっと、あっちでも、可愛くやってるよ」

「そうかい」

「そうよー」

 おじさんは息を吐いて、澄んだ空を見て、

「なんか話して楽になったわ。どうもな、嬢ちゃん。あんたも、しっかりやんな。この街に店を建てて、根を下ろすんだろ」


 紅のサッカーボールなカボチャを手にした帰り際、おじさんは思い出したように、でも取って置いたように、

「あんたの話もちょっとしたんだよ。あの娘さんに。変わったカボチャ露天商がいるって。そしたら、何時か会ってみたいなって。そんなこと言ってたかな。ああ」


 *


「たるんでるかぁ」

 女の子は傍らの子豚の貯金箱、ごく稀にやって来る銀貨を腹に収め、少しだけ重くなったそれに向かってつぶやく。子豚は実にのほほんとした目をしている。

「シャキッとしないとね」


 シャキッ。


 台風によって雲を蹴散らされた秋の空は、変わらず水色に透き通っている。雲の流れを追って暇つぶしとはいかない。


 シャキッ。


 男バスケは一先ず休憩のようで、笑い声がぽつぽつ聞こえる。遠くで鳥が、ちぃちぃと高く鳴いた。コツコツとお婆さんが通り過ぎる。


 シャキッ。


 わたしも会いたかったな。何時かコーヒーを飲みに。って高いよねあそこ。「海風煉瓦喫茶店」。コーヒー一杯で満月堂のミートパスタ一人前。でも、景色はいいんだろうな。テラスの風も気持ちいいんだろうな。どんな服を着てたんだろう。制服ってあるのかな。それとも海に合う色にコーディネートしたりするのかな。可愛いって。どんな顔をしてたんだろう。ポニーテールかな、それともショートかな。やっぱり強めの口紅をつけてるのかな。でも、自然なのがいいな。そうだといいな。でも、もう会えないんだよね。あー、ケチらなけりゃよかった。やっぱり財布の余裕よね、商売繁盛よね。がんばらなくっちゃ。


 シャキッ。


 シャキッ。


 シャキッ。


「はいっ、いらっしゃい、こんにちはっ! 今日はこのダイダイの小玉、栗かぼちゃがオススメですよっ。煮ても焼いても、サラダにもオカズにも」

「あの……」

 おばさんはたじろぎたじろぎ。

「いや……」

「何っ。今が旬なの。お値段もぐっとお手頃で」

「いやっ、ちょっと、あの、怖い」

「えっ」

 おばさんは固い笑顔で、ちょっと目線を上げ、こぼす。

「あの、なんというか、気合入れすぎ。マタギに行くんじゃないんだから。なんだか、らしくないよ」

「あっ」

 頬の火照りがさっと引く。

「ごめんなさい」

「いや、別にあやまることじゃなくて。そっ。そう。そんなふうにあやまるのも、らしくないわよー。なんかね」

 カボチャが売れても、何時もの嬉しさは遠くに行ったままだった。


 *


「赤いの」

「え? はい。はいはい。この紅玉。ちょっと古いんで値引きしときます」

 女の子はサッカーボールな紅玉を、ひょいと持ち上げる。

「なに、言ってんの。ボーッとしてんの? 赤いの」

「はい?」

「赤いの。しっかりしてよね。手がふさがってるのに、こんな大きいの持ってけるわけないでしょ。常識的に考えて。こっちよ、こっち」

 ロングの髪のお姉さんは、片手に買い物籠をぶらさげ、もう一方の指先でダイダイの小玉カボチャを指す。

「この赤いの!」

「はいっ、ごめんなさい。失礼しました。ほんとにすいません。いたらなくて」


 女の子はぼうっと空を見上げる。


 なんかいらっとしちゃった。同じカボチャ好きなのに、カボチャを食卓にあげてくれる人なのに、わかってるのに。そのくせ、妙にたどたどと、そう、たどたどと謝って。なんだかな、わたし。


 思考は一巡し、それからまた堂々巡りし。

「んー」


 シャキッ。


「ん~」


 *


 紅葉の庭に、即席のバスケットコートがある。と言っても、家の壁にバスケットゴールを、それも既定のルールよりも一回り低いところにつけただけの簡単なものだが。


 青年たちが、その前を駆け回っている。リーダー格の無精髭がボールを眼鏡男に回し、ふとコートから出る。少し離れた庭の白草の隅っこに女の子がいて、随分前からじぃっとこっちを見ている。

 無精髭がずいずいとそっちに来て

「なんだい、カボチャ売ってる、ガキンチョか。なんだい。ドタバタと営業妨害だったか? 文句だったら、このゲームが一区切りついてからな」

「わたしのこと、知ってたの?」

「オマエさ、自分で思ってるより有名人だよ。この界隈じゃ。ものめずらしくってさ」

 女の子はちょっと地面へとうつむく。

「でも、勢いだけの見世物じゃ、動物園のパンダじゃ、やっぱいけないよね」

 無精髭は気にも留めず。

「あー、なんだ、そりゃ? なんでパンダ? それよか仕事はどうした。しっかりやらんといかんよ」

「お前こそなー」

「ははっ、言えてる」

 いつの間にか仲間たちは手を止めて、バスケを中止して、女の子の方に集まっている。

「うっせーんだよ」

 と無精髭は笑いながら悪態をつき、女の子へと振り向き、

「だから、お前さん仕事どうした? 台風明けで稼ぎ時、だろ?」

「ううん、本日は臨時休業」

「へー、トノサマ商売だな」

「今日は特別」

「それでさ」

 女の子は小さくつぶやく。

「え? なんだ?」

 女の子はぽつりつぶやく。

「ん? どうした?」

 たまらず。

「だから。わたしも混ぜてっ」

 バンダナが茶々を入れる。

「一日中、店番して本を読んでる、しらうおっ子にゃ、荷が重いんじゃないか。それにワッパが圧倒的に足らんし」

 女の子はひるまず、けれど怒りもせず。

「身長はどうにもならないけど、足腰はこう見えて、荷車一杯のカボチャ運びで鍛えられてるのよ」

 無精髭が半信半疑の顔を寄越す。

「ほんとに?」

「ためしてみる」

「いや、いー。こっちは真剣にバスケしてんだ」

「バスケッターなのよね」

 そんな捨て台詞のようなのを吐いたかと思ったら、それでもそこを去らず、女の子は青年たちのバスケを見つめ続ける。ときどき空気のバスケットボールを掴むような仕草をしながら。


 ダァンダァンと、ボールが弾む。

 我流のドリブルはリズムの変化に乏しく、止められやすい。眼鏡の男のそれはいとも簡単にカットされた。自然、息の合ったパス回しが中心になる。転んだボールをタンクトップが拾う。すかさずパスをする。バンダナはゴール前でボールを受け取り、しゃんと振り返り、ぽんとジャンプして、レイアップシュートが飛び、ゴールへと向かい、白いリングの縁をはねた。

 無精髭がふうと息を吐き、庭の隅っこへと足を向ける。タオルで汗をふきふき、眼鏡の呼び声を無視して言う。

「あー、疲れた。流石に台風で寝不足。しんどいわ」

 タンクトップが笑う。

「んー、らしくねーぜ」

 無精髭も笑いながら、こう言った。

「おい! 変わる?」

 女の子はにんまりとした顔で

「うん、待ってた」


 女の子はがむしゃらに走る。ボールに向かって走る。プレイヤーは見ない。バスケットに限らず球技の多くは、まずはボールに向かって走り、次いでプレイヤーに向かって走り、そしてスペースに向かって走るという成長の過程を辿る。そのもっとも原始的な、非効率的な、素人の青年達も笑ってしまいそうな、素人そのもののランを女の子は繰り返す。

 パシッ。ダダダ。パシッ。ダダダダ。パシッ。

 背丈を超えるパスが何度も通過する。

 青年たちは加減しない。加減を知らない。容赦しない。「うー」と、とにかく駆け回る女の子をからかいながら、パスを回す。

 いつの間にか、4対4のバスケが7対1の形になった。

 女の子が戦略も戦術も知らず、ただ真っ直ぐに突進してくるのを、「カワイコチャン」やら「よいこチャン」やら、からかいながら、茶化しながら、パスを回し続ける。

 男たちは、何だか、闘牛士の気分になっていた。一見ワンパターンに思えるパス回しの連続も、女の子が汗をかきかき、全力で駆けてきて、「こらっ」とか「もー」とか言いながら。その全力にばてない体力と青年達よりも一回り眩しい若さが、アクセントになっていた。

 変に楽しく、女の子が必死で、必死なだけに妙に和やかなムードが、軽く生まれていた。

 バンダナ男がパスをしようとすると、女の子はパスコースを読んで、右側にステップする。慌てて、逆側にやろうとしたら、ボールの掴みが甘くなり、女の子の真正面にボールが飛んだ。

 女の子はボールをキャッチし、にいと笑う。

その手の平にふれたバスケットボールの重さは、ホッカイアマイロカボチャの大きめのサイズのものだった。


 雑誌の広告の写真のフォームを真似し。

 スリーポイントシュート。


 不格好な姿勢から放られたボールは、しかし、それは女が投げるような、男とは違うような、どうとも言えない、低く柔らかな放物線を描いた。

「あー!」

 女の子は、対照的に幼く、赤ちゃんネズミのような声をあげる。

「おお」

 バンダナと眼鏡はボールの軌跡にくぎ付けになり、無精髭は女の子の汗に光る目元を見つめる。

 ボールはクリアな青空をぽぉんと跳び、ゆっくりと白いリングに向かって。


 *


 秋日和が続く。太陽がありがたく、心地いいものになってきた。

「いらっしゃい! おじいちゃん、お久しぶり! 今日は何にする?」

「嬢ちゃんは、今日も元気だなー、相変わらずだなー」

「これでもいろいろあるのよー、いろいろっとね」

 バスケッター繋がりで、カボチャ好きがちょっと増えていた。

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