港町のロウソク送り

 ロウソク送りは、「八海放浪記」で有名な、夏の祭事です。春の終わりに街へと帰ってきた死者の魂を、また向こうに送り返す為に、その道しるべとなるロウソクを川に浮かべ、海へと流したことを端とします。祭りに使うロウソクは、十日前から火を灯され、そしてその火が消えずに海に渡されると、その役目を果たします。近年では、ロウソクに願いを込めて、それが海にまで届くと、願いが叶うとされています。多くの旅人が訪れ、幻想的な


 そんなガイドブックの一ページを見つけたのは、冬の初めだった。その時は「よくある祭りね」なんて印象だったのだが、何故か小骨のように刺さっていて、市の図書館なんかで調べているうちに、「面白そう」となり、十年来の旅仲間と一緒に、ちょっとした旅行の計画まで立ててしまった。連れは恋人同士の甘い一時なんて素敵な男性ではなく、メガネをかけたひょろ長い女の子だ。

 夏が来た。心配していた天気も快調。片道一日半で、二泊三日する旅は、楽しいものになる。そんな予感がした。港町への旅だ。


 * * *


 街の中心を訪ねて、少し安心したと同時に、がっかりした。わたし達のような旅人、茶色の二十代や三十代のカップルが山盛りで、それは地元民よりも多いくらいで、ホームグラウンドみたいに堂々と行き来している。

 それを目当てにした露天も、ロウソクを置く小さな舟の商人を中心にして、真珠貝のようなイカサマ貝のようなものの小物売りやら、靴磨きの少年やらが、ずらりと並んでいる。祭りの前日から訪ねるなんて少し特別だと思っていたけど、わたし達は、そう、ありふれていた。

 しかし、旅仲間の友人は、学生時代からめーちゃんと呼んでいる、めーちゃんは潮風に伸びをして空気をいっぱいに吸って

「うーん、匂いから違う。海だね。海」

「そんなに興奮することないじゃない」

「えー? なんでそんな冷静なのー。海だよ、海。一回来たことあるからって冷えすぎ。キミは、もう、ウミを知ってしまったのだな、あのカオリを。なーんて」

 あはは、とハイテンションだ。わたしも少し興奮しているのだけど、いやけっこう興奮しているけど、めーちゃんのように素直なタチじゃないのだ。海に来たと言っても、あれは何年も前に列車で通っただけだったし、雨に降られてどんよりとした水で、残念なものだった。この港町は海と夕日の美しさで有名だし、今日は快晴だし、風がくすぐったい。


 * * *


「ここのメインストリート、港へ直通だって」

「そんな商売になるようなとこはつまらないよ。少し歩くよ、めーちゃん」

「あのー、人通りからどんどん離れていってる気がするんだけど」

「それがいいんじゃない。地元民が愛の告白に使うような砂浜なのよ」

「またー、盛っちゃって」

「確かに誇張、入ってるけどさ、そーゆー、いいとこ、なのよ」

「でも、何で告白が海だったりするのかな」

「特別なのよ」

「でもさ、それより普通の何気ない、この映画が良かったとか、今日はちょっと暖かいねとか、その続きとしてとかさ」

「海はロマンなのさ、めーちゃん」

「告白ってさ、何で特別なんだろね。波がどばんとして、風がきつくて、断崖絶壁で」

「スイマセン、ワタシガヤリマシタ。そりゃー、コクハク違いだ」


「あれ? あの鳥、大きいねー」

「トンビじゃないかな」

「鳴き声がもののあわれだねぇ。笛を吹いてるみたい」

「んっ、波の音」

「しないって」

「した気がするんだけどなー」

「でも、もうそろそろのはず」

「んっ? 海?」

「えっ?」

「この家の間の路、ほら」

「わぁ」

「んん」


 潮風で茶色く湿気った民家の後ろに、青い海が広がる。道は石の階段になって、その先に砂浜が広がって、波が広がって、海がある。雲の白がコントラストを彩るほどに空の青は濃い。

 階段を降り始める。海と高さが近づくにつれ、波の音も近くなっていく。

 ザァー……ー………ザァー…ー……ー

 青にポツンとサーフボードが浮かんでいる。サーファーが波と遊んでいる。

「いいね」

「うん。いい、いっ」

 足がぐらんとした。まだ階段の石段が続くと思っていたのだ。足首が捉えたのは、柔らかく沈む砂。

「うわっ」

 派手に転んだ。一回転した、と思ったのだけど、多分、すっころんだ感じなんだろう。さらっとした砂。顔を上げると、青い海に白い波。太陽と空。

「ははは」

「失礼な、めーちゃん、ちっとはこっちの体を心配してよ。ははっ」

「ははは」

 空が広い。海が広い。笑っちゃうほど、広い。

「偉大な母なる海の元、足元の一段差にすっころぶワタクシ」

「ははっ、けっさく」

「ふふ、旅は人を詩人にさせるのだ」

「なんちゃって」


 * * *


 砂浜は少し黄色が混じった白がさらさら。それが波に洗われるところまで来ると、土色に水を含んでいる。靴を脱いで、靴下を脱いで、波打ち際に足を浸した。ミニスカートとはいかないけれど、思いきった半ズボンだったので思ったよりも奥まで進んだ。ズボンも濡れてしまったけど。めーちゃんは、当然のように、わたしの隣で、足で波を、海を味わっていた。

 砂浜には簡単な売店が建てられようとしていた。流石に飲み物やパラソルはまだ売っていないが、日陰になるには十分で、髪の長いあんちゃんがそこで休んでいるのか、作業しているのか、緩慢に動いている。

 よく見るとぽつんぽつんとサーフィンをしている人、ヨットのようなウィンドサーフィン、もちろん初めて見るのだけど大きい帆付きのサーフボードだった、をしている人がいた。

 波際で赤いドレスを身にまとった美少女。これは本当に目がくりくり愛らしく、くちびるが艶っぽく、足がすらり生えている。それを撮影しているカメラマン。なんと女性カメラマンでそれも彼女もモデルかと思えるほどに凛としていた。彼女の周りには人だかりは出来ずに、野次馬のおじさん三人だけで、わたしたちも含めたら五人か、次々と色々なポーズや表情を見せる少女になんというか見入ってしまった。同性ながら、見惚れていたと言ってもいいかもしれない。少女がそれから銀幕にデビューするかどうかは知らないが、似たような噂を耳にしたら、今日のことを思い出して、少し自慢したい気持ちになるだろう。サインを貰うことなく、撮影を見届けることなく、海岸から離れた。空腹には勝てない。

 地元民が通いそうな、学校の食堂をそのまま店にしたような、おばさんが営む定食屋に足を運ぶ。めーちゃんは、おばさんオススメの、と言っても観光客にとってオススメなのだろうけど、アジフライを頼んだ。わたしはちょっと前に入った白髪の太ったおじちゃんの頼んだのと同じ、メンチカツにした。

「海に来たのにー」

「いかにも初心者な、ありきたりでしょー」

「ありきたりでも、王道だよー。王道の海の幸」


 メンチカツは美味しいことには美味しいけど、それは街の洋食屋の馴染みの美味しさだった。なんか損をしたような、でも美味なことには美味なんだしと言い訳しながら、食べた。めーちゃんからおすそ分けしてもらったアジフライは確かに素晴らしかった。凄まじかった。身は厚く、ふかふかしていて、味は濃い。そのくせ魚臭くなく、油の上品な香りまでする。普段食べているのと同じアジとは思えなかった。アジ科でも別種と認定してもいいくらい。

 旅宿での夕食は流石に王道だった。魚のあら汁やら、煮つけやら、舌鼓を打ちつつ、会話が弾んだ。口が賑やかだった。


 * * *


 遠い市の図書館まで行って調べたことには、ロウソク送りには「通」の楽しみ方がある。如何にもな観光客を狙った露店のロウソクではなく、地元民が使うロウソクを扱っている祭儀屋が、メインストリートを大きく外れたところにある。二階建ての民家ばかりが並ぶ路地に入って「騙された」予感に浸されながら、「めーちゃん、こういう道こそ、われら旅人が行く道なのだ、道なのでしょ」なんて強がりを言った。ようやく大きな看板の祭儀屋を見つけた時は、ほっとした。


「へー、ここを見つけるたぁ、お嬢ちゃん、なかなかに乙な趣味だ」

「流石にちょっと迷いました」

「確かに教会や礼拝堂じゃ、ロウソクはもう売ってない時分だ。でも、元はここのを使ってんだよ。こっちがオリジナルってもんだ」

「はあ、本当の通は教会まで」

「なに、地の人もそこまでこだわらねぇ。大事なのは形じゃなくて気持ちだからな」

「わー、このお面、東の島のシーサーみたい」

 めーちゃんは、店をあれこれ物色しながら、浮かれている。

「おう、それは」

 マジメなわたしは話を本線に戻す。

「それでロウソクは、どんなのがあるんですか? なるたけ現地の形式がいいんですが」

「願い事は決まってるんかい?」

「いえ、まだ」

「えー、決めてないの?」

 とめーちゃん。

「うーん、直前の夜に決めようと思って」

「計画性ないー。ここまで行って、どうして決めてないの」

「だって、調べてみても、そんなにでかでかと載ってないもの。お願いが叶った話とか」

 おじさんは大げさな身振りで、

「はー、やっぱ願い事しなきゃ、わざわざ折角ここまで来た甲斐なかんよ。願い事をするのはさ、ほら、有名な八海放浪記にあるように、ああ、ロウソクに火を点ける時にするもんでさ。最近の観光客は、もう火が付いたのを使っちゃうだろ。なんか『しきたり通り二週間も前から火を灯し続けたロウソクです、願いの効き目はばっちりでしょう』みたいなん。ああいうのは、本末転倒。本末転倒。赤の他人が火を点けたのなんてね」


 勧められるまま、まだ火のついてない現地仕様の細長いロウソクを買うことになった。台の小舟と一緒にリュックに詰める。身軽にしていたので、追加分がズシリとする。

 それにしても火を点けるまでに、願い事を決めなくちゃいけない。両親が望むのは「孫の顔を」「その前に結婚を」だろうし、普通の女の子なら「理想の彼氏を」なのだろう。でも、なんと言うかそういう甘いものからは距離を置きたい気分だし、ロウソクの火に灯すのは、そういう遠いものではなくてもっと身の回りの幸せと言うか。うー。わたしの幸せってなんなんだろう。

「めーちゃん、願い事、決めてるのよね」

「うん、旅の前から決まってる。前の、何だっけ、大聖堂のフラスコ画を一緒に見に行った時も、お願いしたけど、それと同じかな」

「なによ、何をお願いするの」

「ひみつー」

「じゃあ、わたしもひみつ」

 なんて言ったけど、ほんとうは秘密にするような願いごとなんて、まだ決まってない。


 * * *


 ロウソクと台の入ったリュックを背に、近くの通りを散策する。海を気に入っためーちゃんから、「あっち行こうよー」という訴えをどうにかナダメ、「こーゆーのも、旅ってもんよ」なんて、細い路地を雑に曲がる。

 何処をどう行ったのか、帰り道が少し心配になるくらいに、入り組んだ道を行く。まあ恥を忍んで人に聞けばたいてい何とかなるものなのだが、その人通りまで随分怪しい小路まで来てしまった。濃緑の木を目印に、こちらが商業区ね、と探り探り辿ると、妙に整った少しひらけた通りに出た。日が照っていて、ちょっとの間、昼寝できそうな、まどろみながら歩いていけそうなその道に、カボチャが並んでいる。赤、茶、黄、手の平サイズのものから、スイカサイズのものまで。そのカボチャの列の中心に女の子が、柔らかい、ぷにっとしてしまいたいほどの頬の女の子が、あぐらをかいて、本を読んでいる。

「カボチャ?」

 めーちゃんが、不思議そうに呟く。すると女の子は、目元をあげ、にいっとする。

「カボチャ屋だよ」

「へー、珍しい」

 わたしはそのカボチャのなかで、一つ異様なモノを見つめていた。カボチャはカボチャなのだが、その中身はくりぬかれ、その中にロウソクがちょこんと入っていて、火はゆらゆらと揺れている。めーちゃんもそれに気づいて指差し

「あっ、かわいい。ほら、かわいいよ」

「うん、かわいい」

 そう答えながら、何だか釈然としないものが残った。確かにかわいい。かわいいとも取れる。だけどそれ以上の不思議な感覚を第一印象は伝えていた気がするのだけど。でも、それを気のせいに、何となく通り過ぎてしまう感覚にしてしまう。わたしはそういうタチだ。

「こんな風にロウソクを飾ったりもするんだ。かわいいね、めーちゃん。ね、どうしてそんなことするの?」

 女の子は少し間をおいて

「えっ、うん、それは、おじいちゃんが昔いてね」

「へー、詳しく聞きたいな」

 とめーちゃん。次いでわたしの追い打ち。

「うん、わたし、いろいろ旅をしてんの、見聞を広げにね。そのお爺ちゃんの話、聞きたいな」

「いいけど、なんか暗くなっちゃうかな」

「いいの、いいの、そーゆーの知りたくて、こんなとこまで来たんだから」

「うん、お姉さんみたいな、旅をしているお客さん、ここではちょっと珍しいかな」

「迷ったともいう、えへん」

「いばることか」

 とわたしのジョークに、めーちゃんのツッコミ。


 女の子は、本にしおりを挟み、床に置き、ちょっとロウソクのカボチャを見つめ、次いで商売人らしいサービス精神の籠った、でもしんとしたトーンで話した。


「ぺンキ屋のおじいさんがいてね。南の大通りのペンキ屋さん。

 『今じゃ、隠居じじいだよ』なんてのが口癖だったけど、同じ口で『嬢ちゃんが店を持つようになったらどんな色を塗ろうか。やっぱりカボチャ色か? オレンジにイエローを混ぜたこんな色か? うん、柿みたいな色、いやいや夕日みたいな色だよ』なんて笑ってた。

 いつも口をもごもごさせて、ハッカ飴を舐めているみたいだった。

 首が傾いててね。こう、ふと話題にしてみたら、職業病だ、なんて少し自慢げだった。なんでかは聞けなかったけど。

 その秋の日にね、熱帯のような夜がちょっと続いた秋に、おじいさんの娘さんが来て。

 なんか、難しい病気の名前を出して、何年も前からおじいさんはそれにかかっていて、それで近頃は病気と折り合って仲良くやってるみたい、と思ってたら、突然悪くなったらしくて。それっきり。

 それでその、居なくなる前もおじいさん、何時もみたいに、カボチャを買ってて。今ごろから出回り始めるダイダイヒメカボチャの小玉。おじいちゃん、それ、食べれたのかな?

 わかんないけど。それも込めて、ね。おまじないみたいに、ロウソクに込めてるの」

 ちょっとしたトーンが掠めた。わたしたちは何も言えなかった。それを取り繕うように女の子は、声を一つ高くして、

「でも、見ての通り商売にしちゃってるのもあるのよ。確かに、お客さんに、珍しがられるからね。風物に、風情になるからね。うん、ちょっと、湿っぽくてごめんね。おしまい。

 えと、それで、このカボチャと同じ種類のは、少しお安くして銅貨で」


 * * *


 メインストリートにかかる石橋には、人がごったがえしている。観光名所でもないのに、記念撮影しようとしている人がいて、交通する人からじろっとした目で見られたりする。でも、潮風は柔らかで、水は穏やかで、空は晴れやかで、なんとも静かな夕日が落ちている。

 わたしはめーちゃんと一緒に、ぼんやりとそれに吹かれている。ぽつりと、思いきったというよりも、自然とその言葉は出た。

「ロウソク送るの、止めようね」

「うん、わたしも、そう思ってた」

「見送るだけにしよ」

「うん」

「なんだか、ごめんね」

「ううん、なんだかね、わたし、もっとこの街を楽しめれる気がする」

「うん」

「うん」


 * * *


 夜が来て、街はぽつぽつ、ちかちか輝きだす。道を行き交うロウソクの群れが、石畳の道を橋を人をぼんやりと照らす。そこから零れるように、明かりが川へと流れだす。水面は光によって橙に染まる。それが海まで一つのラインを作る。ロウソクを追って陽気に或いはしみじみと歩く人たち、その場所に立っていて移ろう街の明かりにしんみりとする人たち、賑やかな野鳥の串焼きの屋台へと早足する人たち。酒を片手に歌声に聞き入り、爽やかな夜風にお天道様に感謝する。様々な人たちが、ロウソク送りの夜を彩る。明かりは、広い海の浅瀬を点々と漂い、波に洗われ、ぽつりと消える。

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