桜色のカボチャ売り
大感謝セールで仲良く売れ残ったカボチャ達が、大鍋にぐつぐつ泳いでいる。今年の厳しい冬を跨いだカボチャ達だ。幾ら日持ちがすると言っても、色がぼけ始めている。茹でて発色が多少良くなっていても、皮が干からびたような、元気のない色合いだ。そんな旬を過ぎたカボチャだが、それを今が食べごろの春タマネギで補いたい。売れ残りを、採れたてで、カバーする。美味しくて素敵な関係。
とんとんとんと、涙まみれになり、タマネギの群れを微塵切りにして、フライパンにヤギのバターを敷き、飴色になるまで炒める。
それから茹だったカボチャを、冷水に浸からせ、熱をとっていく。とらないと熱くて皮をむいて実を潰すのに一苦労だし、とり過ぎてもこわばっていけない。ゆっくりと時計の針が午前二時を回る夜。心地よい風を通しながら、女の子は読みかけの本を手に取る。
これから、カボチャを潰して、タマネギとカボチャをまぜまぜして、俵型に整形し、高温でさっと揚げ、既に火は通っているので衣だけを揚げる感覚で良い、それらを古新聞紙に包み、通りの荷台にまで運ばなければならない。
量が量だけに大変だ。目標は百個だ。
だが月は明るく、風は温かく、夜は長い。女の子は本のページをゆるりと繰りながら、遥か西の島々を海賊たちと旅するのだった。
* * *
商材を運び終えると、荷車はまんたんになった。小麦色の敷物が丸められていて、瓶とお弁当箱が積まれている。そこに樽のような大きなサーバーと、新聞紙の包みが形を崩さないようにどさりと詰められている。
「遅いじゃないか」
白髪のおじさんが、酒を片手に、怒鳴るように話しかける。
「そっちが早すぎるのよ。まだお月様もがんばってるし。えっと、午前、四時、二十六分よ、まだ」
「遅れることはあっても、早過ぎるってこたねえよ」
残った酒をくいっと飲み干す。気が早い。
「わかったわかった、わかったわよ。わかったから行きましょ」
「そう、怒んなよ」
「先につっかかったのは、そっちでしょ」
「まあ、なんつーか、冬の間中、こう、待ってたもんでよ。気がせいちまって、駄目だな、オレは」
心の起伏が極端なのは酒のせいだろうか、ここのところの陽気のせいだろうか。女の子が、何と声をかけたらと腕組みしていると
「まっ、行こや。ウチらは宴会、嬢ちゃんは商売。酒と金の共同戦線ってなもんだ。影虎丸、行くぜい! 嬢ちゃん、道中でへこたれんなよ」
心は一気に一等航海士だ。どうやら待ちぼうけて、相当、酒を飲んだらしい。
女の子はにまっとし、それに乗ってやる。
「そうね。行こう、影虎丸! いざ桜山へ!」
荷物を詰め込んだリアカー、影虎丸はそうして港町から桜山へと登っていく。
* * *
「ちょっと待った」
おじさんは、そう言うと腰を下ろし、酒を手にする。
「なによ、急いでるんじゃないの? これで三回目じゃない」
足を止め、手を止め、聳え立つ山を見上げる。女の子は、遠景のそれが薄紅色に染まっているのに「これ! 桜? 桜!」とはしゃぎ、徐々にピンクが深くなるにつれて、興奮も高まっていた。実際にふれられるわけでもないのに、手にふれるところまで来たらどうなるのだろう、とイメージはどんどん広がっていく。じれてしまう。
「なあに、桜なんて、昨日、今日で、とんずらしねえよ」
「もう、お昼時には開店準備を終えたいんだから」
商売っ気で、興奮をごまかす。
「まあまあ、足を休めな。ここからの坂はきついぞう」
港町には海があり、土地は波に削られ、坂道は多い。特にここから山に続く道は、一層、傾斜が厳しいようだ。女の子は、おじさんが休む時はなるたけ平らなところ、荷車が傾いて転ばないところを選んでいるのに、思い当たった。腰掛けながら体を丸め、汗をかきかき空を見上げるおじさんを見つめる。
「おじさん、ここは何度目?」
「何度目かなあ? 何度目だろ。随分と来たもんだなあ」
「わたしは初めて」
「うん、良いぞう、桜は」
トンビが、ピィヒョロロロロ、と鳴いた。天気予報通り、雲はない。日は少しずつ高くなっていた。
「だが、急くこたぁない。嬢ちゃんはこれからいろんなもんを見れるんだから。いろんなところに行って、いろんな旅をして。で、出来たら恋人を作って、家族を作って、子供を作ってな。でも、何も慌てるこたぁない。時間はありあまってらーな」
「んっ」
女の子はその穏やかな時間を、おじさんと過ごす。
女の子は桜山を見上げ
「ほら、山の入り口がピンクがかった白。その上に深緑の季節の始まりの色。そっから青い空が広がって」
「嬢ちゃんはポエミーだねえ」
「うるさいなぁ」
そう言うおじさんは、ブラウンのコートがおろしたて。女の子も、洗濯したての半袖シャツにジーンズ姿。
「でも、桜が来て、待ち焦がれた春になって、それを詩に書き留めようって気持ち、何となくわかるなあ」
女の子もおじさんも、ゆるりと身体を遊ばせていた。
* * *
「そろそろ行かなくちゃ、今は何時かしら、えっと」
「なーに、慌てなさんな。そろそろだ。時計台が九時を告げるまで、待とうや」
確かに、ここらの切り立った山には大きな教会があって、それに負けない大きな時計台が備わっている。女の子は未だ見たことは無いけれど。
「えー」
「えーとは、何だい?」
「知らないの? 教会の大時計、壊れてるのよ。鐘なんて鳴らないどころか、時間すら正確じゃないって」
「直ったんだよ」
「だからぁ、また壊れたのよ。五年くらい前に直って、二年くらい前にまた」
おじさんは、ふふんとし
「ところがどっこい。またまた直ったんだな。今年の冬に、腕利きの時計工を呼んでさ。全く、あの神父ときたら、執念じじいだねぇ」
「えっ? ほんと?」
「本当だよ」
「嘘じゃない?」
「嘘をついてどうすんだ」
「うん、一度、聞いてみたかったのよね。鐘の鳴る音。どんな音するのかしら? ね? ほんとにほんと?」
山の上の方から、高い鐘の音が響いてきた。少し芯に残り、やがて心地いい。
「ほんと、だったね」
「な?」
* * *
女の子は出店に座っている。港町のカボチャショップ、桜山支店、なんて通り名を密かにつけたりする。と言っても、あらかじめ用意されたテーブルと椅子が一脚あるだけだが。
桜山はその登山口に桜が広がる。一本の並木通りが、五百メートルは桜に染まるのと同時に、その周りの道なき道の木々にも桜が伸びている。観光のために植えられたわけではなく、天然のものだとは、崖の危ういところに植わっていて、それが却って風流だねぇと客を呼ぶところからもわかる。とにかく道沿いに縦に桜が並ぶだけではなく、横にも桜が広がっているのだ。
通りには人が行き交い、あちこちから拍手や音頭が聞こえたり、子供の高い金切り声が響いたりした。
出店は十店ほど、その桜通りの入り口に並んでいる。女の子のカボチャ屋も、その一つ。
* * *
荷車から商品を、机に並べ終えたのは昼の稼ぎ時にぎりぎり間に合うかどうか。量が量だけに一仕事だった。
隣の出店は、花びらのついたノボリを立てている。「美味、桜餅」と刺繍してあるそれが、海からの風に揺れている。この出店は女の子が来た時には既に商品を陳列していて、それだけではなく荷車にアイス用の氷の塊まで運んで来ていて、会計用と商品受け渡し用の売り子を二人並べて、フル稼働だ。店のオーナーの若旦那は、それを見ながら、他の出店の様子もチェックしている。女の子の小さな店も例外ではない。若旦那の方から話しかけてきた。
「おやおや。随分と、こなれない様子で。あんた、はじめてかい?」
女の子は商品名と値段のついた紙を机の前に貼りながら
「あっ、はい。はじめてです。ここに来るのも、桜を見るのも」
「いやいや、出店の経験は?」
「ない、です」
「どうも素人全開でほっとけないんだよねえ」
若旦那は気さくな喋り方をするが、声は笑っていない。
「商売は、はじめてってことはないだろね?」
「いえ、街のメインストリートから三つ、道を外れたとこ、そこでカボチャ屋をやってます」
「カボチャねえ、カボチャ屋がコロッケねえ」
「あっ! それカボチャコロッケです。ジュースもあるんですよ」
「カボチャコロッケって。あー、あの甘いの。俺、苦手なんだよね。無駄に甘くて。ジュースもカボチャのジュースだったりするんかねえ」
女の子は張ったばかりの机の値札を指さす。
「あたり」
丸っぽい字で、カボチャジュース、と書かれていた。
「うーん。肉じゃがコロッケとか、リンゴジュースとか炭酸水の方が、売れると思うけどなあ」
若旦那は値札に目をやり、そこに書かれた文字を確かめた。その下の数字に、声が漏れてしまう。
「ああっ!」
「えっ? 何か?」
「コロッケ一個六十円! ジュースは五十円!」
「はい」
「破格じゃないか! 安すぎだろう」
「えっ? わたしには、そっちの店の方が、高く見えるけど」
「相場を知らんのかい? 最低この二割は足さないと」
「いいんです、カボチャを美味しく手軽に、がモットーだから」
女の子はそう言うと、笑った。
* * *
太陽は雲に隠れることなく、ぽかぽか陽気になった。お陰で、若旦那のところのアイスと、女の子のジュースは飛ぶように売れた。大きなワイン樽のようなサーバーからとろりと流れるお日様色の液体は、花を見に行く人の小さな話題にもなった。
「売れてるねー。素人商売、全力発進って感じかい?」
「暑いですから」
「ああ。天気がいいからねー」
「これが雨だったら、悲惨、なんでしょうね」
「そんなもんじゃないよ。人は来ないし、売り子のテンションは落ちるし、最悪」
「うん、晴れって最高」
「まっ、どーでもいーけどさ、あんたもジュース値上げしといたほうが良いよ。こっちの、アイスは、二十円釣りあげといた。一緒にさ、こういう時こそ、一緒に儲けようよ」
「はは、値上げかぁ」
女の子は申し訳程度に、笑った。
* * *
「お父ちゃん、おやつー」
「待て待て、ここも高いぞ。あっちもそうだったし。流石にどこも祭り価格だなぁ。まいったな。嫁さん、はらませちゃって、小遣いけちりそうなのに」
「父ちゃん父ちゃん」
「んな駄々こねてもな。って。んっ? ここなら何とかなるか」
「いらっしゃい!」
「お嬢ちゃん? 店番? えらいねー。えっと……このカボチャコロッケ一つと、ジュース二つ」
「ありがとでしたー」
女の子は、桜へと向かう親子に、ちょこんとお辞儀をする。
* * *
「コロッケ三個」
「どうもー」
女の子は袋を取り出し、新聞紙にくるんであるコロッケを入れようとする。すると赤ら顔の老人は顔をしかめて
「いや、袋はいい」
「えっ? 袋はいい?」
「袋は、いらない」
「あっ。そっ、ですか。はい。お気をつけて」
去り際の背中がもそもそと動いている。歩きながら三個も全部コロッケ食べちゃうのかな、と女の子はぼんやりと見送る。桜の花びらの下で、慌ててほうばるのも、悪くはないんじゃないかなと思う。
* * *
日は少しずつ傾きつつある。日光が消えても、桜通りの樹には一つ一つランプが取り付けてある。ほの明るい通りの主役は、家族からカップルへと変わっていく。彼らの方が財布のひもは軽い。闇で桜が見えなくなるところでも、酒が増えて、会話が滑らかになれば、空間は楽しいものになるだろう。むしろここからが本番なのだ。
「それにしても、大丈夫かなあ」
隣の出店には、まだ大量に桜餅とアイスが売れ残っている。元々の量が女の子の店のそれよりも随分と多いのに加えて、強気の値段設定が足かせになっているのは確かだ。
「かわいこちゃん、ジュース三杯」
髭のいかつい、筋肉で太った男が、指を三本立てている。自分の商売を頑張らなくっちゃ、と女の子は仕事に集中する。
ジュースサーバーから微かな違和感。ちょっと前から続いていたのには気づいていた。反応が鈍くなっていた。それが、コポコポと音を立てて、ジュースが止まり、泡の塊が吹き出し、やがてその流れも止まった。ついに来たか、と女の子の顔が険しくなる。安全スイッチを外し、樽型サーバーの蓋を開けると、果たしてそこには肩を縮めた水溜まり程度の残りがあるだけで、ほとんど空っぽに近かった。ストックが切れたのだ。
「ごめんなさい、売り切れです、すいません」
* * *
晩餐時になって、食も酒も会話も宴会芸もピークを迎えていた。人々はふらふら桜通りを行きかう。
おじさんは漁師仲間の宴会を抜け出し、女の子の出店にやって来た。「トイレのついでだよ」と言い訳を考えながら、カボチャの出店に近づいていく。おや、と思った。その一角だけ綺麗に客がいないのだった。空間がぼんやり空いている。寂しさを持ち前の移り気な性格で、陽気に切り替え、女の子に「よっ」と声をかける。
「嬢ちゃんにはきつかったかい」
「ううん」
「何てことはねえ、あのジュースの何だっけ、取り合えず身体にいいって。そいつとコロッケ、ウチの若い奴らに、十五個ずつ、包んでくれや」
「それがね、売り切れちゃったの、カボチャコロッケもカボチャジュースも」
「なっ、なんだい。商売繁盛じゃないかい。心配しちまったぁ。なんだ、よかったじゃねえか。こっちも安心して酔えるってもんだ。じゃ、宴会おわったら、荷物もって、ここに来るからよ。それで仕舞いだ。なに、帰り道はウチの居残った奴らと一緒だから、楽なもんよ」
「うん」
「売れてよかったな。頑張ったじゃねぇか」
「うん」
* * *
夕飯代わりの軽食の波が終わった。あとは宴も商売も惰性で進んでいく。若旦那は一息つくと女の子の方に足を向けた。
「安売りをして、早々に売り切れじゃ、みっともないな」
「うん」
女の子はぼんやり、密度の薄くなった人の群れを眺めている。
「商売ベタだねぇ」
「もっと、仕込んどけば良かった」
「前も言ったように、天気があるからね。売れ残りは怖いよ。でも、値段なら臨機応変に変えられる。高めで勝負すべきだったんだ」
「ううん」
女の子は当たり前のように返事をした。若旦那は、失意のあまり話が聞こえていなかったんじゃないかと疑い、その顔を見つめたが、女の子の目は凛としていた。
「これでいいのよ。カボチャの良さを伝えるために、頑張ったんだから。カボチャってね、安い野菜だからね。貴重なキノコだったり、豪華なフルーツだったり、レストランでふんぞりかえれる食材じゃないの。でも、その代わり、家庭でも、食堂でも、気軽にふれられる。桜の前でだってそうでいたい。カボチャって安いものだし、安いのが良さだから。それに大損をしたわけじゃないし、儲けも出たのよ」
話しているうちにどんどん言葉は溢れ、想いは広がっていく。目の前でカボチャを食べた人の笑顔が見れた。将来はちゃんとした大きなカボチャのお店を建てるのが夢だけど、やっぱりカボチャレストランは併設したい。もっと本格的なベシャメルソースをかけて、あつあつのカボチャクリームコロッケを提供したい。みんなをカボチャで笑顔にしたい。色々と言葉は溢れて、女の子は色々、喋ってしまった。
「ごめんなさい。つまらなくなっちゃったね。ほんとカッコ悪い。明日から、頑張ります」
若旦那は一つ息を吐き、それから口元を緩めた、ように見えた。
「うん。あんたは商売ベタだね。でも、商売人として失格じゃあない。しっかりしたアキンドだよ。ほんと。いーねー。若いってのは」
ゆるりと夜空に浮かぶ月を見上げながら、若旦那はこう言う。
「まっ、俺も若いんだけどね。あんた、桜は初めてなんだって? 俺らが店番してやるからよ。まだ小一時間はあるだろ。抜け出して、見て回りなさんな。ゆっくり夜桜見物なんて、乙なもんさね」
若旦那は自分の店に戻りながら、一際大きな声で付け足す。こちらは商売上手だ。
「嬢ちゃんの店は商品、売り切れちゃったんだってなあ。こっちも、うかうかしてらんない。売り切れちゃうよ。でも、今日は絶好の桜日和だ。月も笑ってらあ。こっちも、値下げしてラストスパートってなもんさ。アイス二十円引き、桜餅三十円引きと来たもんだい」
一部始終を覗いていた店子が笑った。道行く人は、わいわいと騒めきを、流れていく。一つ海風が吹き、散った花びらが空を舞う。女の子はくっと伸びをし、月と桜を見上げ、そこにランプに照らされた綿飴のような淡い白と微かな葉桜の緑を見つけ、そんなことを改めて喜び、桜通りの真ん中へと足を運んだ。
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