カボチャ売りと秋の空
回遊魚が舞う水彩画のカレンダーはめくられ、9月になった。固いベッドには緩やかに陽が差し込み、目覚ましベルはジリリリと鳴り響く。朝五時半、港町の一日が始まる。
* * *
「嬢ちゃん、初モノだよ」
「へぇー、トウヨウアケイロカボチャ、もう入ったんだ」
女の子は赤に黄色の斑点が付いたカボチャをしげしげと見つめ、次いでポンポンと叩く。
「いいじゃない、これ」
「何せ秋だからねー。馬肥えて女も肥えて、カボチャも肥えると来たもんだ」
店の若旦那は腰に手を当て、上機嫌に鼻を鳴らす。港の脇にある青物問屋「さざ波果物百貨店」。そのツテを使って取り寄せた、今年の秋を告げるカボチャだった。それも町の中心にある庭園付きな食堂の料理長さんのお願いを退けて、女の子を驚かそうと取っておいた一品なのだった。
「涼しくなって魚の鮮度も悪くなくなったしね。食の秋ね。で、お値段は?」
若旦那は親指を曲げて
「これで、どうだい?」
女の子は首を振り、次いでVサインを作り
「これで」
「オーケーって事かい?」
若旦那は大げさにため息を作り、皮肉った。
「まさか」
「指二本ってことか。嬢ちゃんなー。幾らなんでも限度ってもんがあるだろう。これが限界だよ」
若旦那は女の子をまじまじと見つめながら、小指をくいっと、指を三本立てる。
「ごめんね。今、手持ちが無いの」
「あー」
「ほんとよ。今年、暑かったじゃない? みどり玉が売れなくて。20個も売れ残ってるの。そりゃ、季節モノを仕入れて、目を彩るのも大切だわ。でも、在庫処分をしなくちゃ。今のところ、それが一番肝心」
「はぁ。で、それなのに、なんでここまで来て、顔を見せたんだい」
「冷やかしー」
「あけっぴろげだなぁ」
女の子は、にへへと笑った。
* * *
町のメインストリートは、海水浴の家族連れの姿は去り、代わりに若い男女の姿が目に付くようになった。強風が吹くことも多くなり、海は荒れがちになるのだが、それと比例するように波乗り達がやって来るのだ。アイスクリーム屋は即席のジャズ喫茶に鞍替えし、露店商も木工細工の玩具から陶器のアクセサリーへと品を変えていた。
その通りから二つ逸れた狭い路地に、女の子とお客の姿はあった。女の子の営むカボチャ屋は、それは道端にござを敷いて七種類のカボチャをどでんと置いたものに過ぎなかったのだが、繁盛していた。夏の遅れを取り戻すかのように、秋の涼しさとともに、訪れるお客の数も増えた。女の子の隣に置かれている子豚の貯金箱も、少しだけ食が太くなった。
「へー、破格だな」
中年はサッカーボール大の緑色のカボチャを撫でる。身が詰まり、目立った傷もない。
「これが今年、最後のシーズンものよ。今を逃したら、ドボン。身も熟しているわ。サイコロ大に切って、軽くゆでて、サラダに加えるのはどうかしら?」
「まいったねー」
「今なら三つ買うと、もう一つ。三個で四個分のお値段よ」
「んー、騙されたと思って買ってみるか」
女の子は銅貨を手に取り、
「まいど、ありがとっ」
と会釈のようなお辞儀をした。
お客が縄袋を背負い、カボチャをひいこら運び去ると、辺りはしんとなった。秋の陽は厚い雲に覆われているが、それでも半袖で居られる暖かさだ。石畳はほのかに熱を帯び、二階のベランダに洗濯物がなびいている。トビが「ピィヒョロロロ」と鳴きながら、旋回する。風が吹いた。揺れる前髪に、女の子はそろそろ散髪時かしらと思う。錆びた懐中時計を取り出し目をやると、午後三時ちょっとを指している。これなら、一足先に店をたたんで、床屋でコーヒーを一杯できる。女の子は、カボチャを荷車に運ぼうと、立ち上がろうとした。
「ねぇ、キミ」
髪を後ろに束ねた日焼けした青年だった。だが、日焼けと言っても、赤みを帯びた即席のもので、地元民の、例えば女の子のこんがりと馴染んだそれとは違っている。着ている服も潮風で褪せてはおらず、つやつやの新品のシャツをひっかけたようだった。如何にもな観光客の若者の風体だったが、それが却って地元民を生業とする女の子の心をどきどきさせた。細い目でカボチャを物珍しげに眺め、白い歯を浮かばせる。腰をかがめて笑顔で
「へぇ、カボチャ屋さんか。はじめて、見たな。お嬢ちゃん、お留守番かい?」
仕入れから会計まで一人で営んでいる女の子をお手伝い呼ばわりなのだが、女の子は舞い上がっていた。それは普段の常連とは違う、青年の朗らかで快活な口調によるものかもしれない。
「わたしが、やってるの」
「へぇ、えらいものだなぁ」
女の子は指をもじもじさせる。そして気づいたように、周りをきょろきょろする。他に誰もいない。少し安心し、顔を赤らめ、営業スマイルをする。
「それで、何を買ってくの? 今なら」
「あー、あー、ごめんよ。そうじゃなくて、商売じゃなくて。大通りはどっちかな? 海岸に行こうとして、迷っちゃったみたいなんだ」
<迷っちゃったみたい>、というのが女の子にはキュートに聞こえた。どう考えてもここに来たのは、<迷った>に他ならないのだけど、それを取り繕おうと、この町ではまだまだ新人なのを胡麻化そうとするのが、その若さに似合っていた。
「道を聞きたいのね? えっとね」
女の子は道順を教え、ついでにアジのフライが美味しい定食屋、年中無休の安くて立地のいい宿屋などもぺらぺらとお喋りした。青年はにこやかに相槌を打ち、会話を弾ませ、しきりに腕をジェスチャーさせた。ここ最近は海の調子もいいみたい、でもクラゲもたくさん発生する時期なのよ、と女の子が笑い、話が落ち着いたところで、青年は三回もありがとうとお礼を言い、また来るよ、とお別れした。女の子は満足げにその背中を見送り、見送り終えると、所在無げにカボチャを見つめた。
* * *
メインストリートの端っこに、アクセサリー兼古本屋がある。観光客と地元民が入り交じり、長い書棚の古びた本を物色し、琥珀色の髪留めを手に取り談笑する。中々に活気があるが、日が沈み始め、若い五人のグループが去ると、店じまいも近くなった。女の子はアクセサリー置き場をうろうろしている。深海のブルーの耳飾りにわっと顔を輝かせたかと思うと、値札を見てそれを陳列棚に戻す。それを銀細工の指輪でも繰り返した。そして深緑色の人魚をかたどった首飾りを、首元にやりガラスのウィンドウ越しにチェックする。その際、モデルではないけれど、女の子は軽いポーズをとっていた。ジーンズと白いシャツに、それは思いがけず似合っていた。そんな無防備な後ろ姿に声がかかる。
「決まったかね」
「えっ」
店主だった。バンダナをして、髭を生やしている。身体はいかつく、書店には似合いそうもない。しかし大量の雑誌の運搬などに重宝していた。破顔している。
「文学少女も、恋心に目覚めたか」
「見てるだけよ」
と言いつつ、女の子の目は一定しない。しきりに泳ぐ。
「そろそろ閉店時間なんだがね」
「ご、ごめんなさい」
「まぁ、常連のよしみだ。安くしておくよ。献血だ。出血サービスってやつだ。どうだい? これで」
「いい。買わない」
「買わない? あれだけ迷ってたのに? 値引きしてやるんだぞ」
女の子は毅然として言った。店主を見上げた頬は、紅潮している。
「わたし、このペンダント、とても大切なものだと思ってたの。これを付けてメインストリートを通る姿を想像したくらい。それが値引かれるなんて、安物にされたみたいで。何だか悔しいの」
「そっか」
女の子は慌てて手を振り、おどおどとした調子で
「ごっ、ごめんなさい。とてもいいものだと思うわ。だから安く扱われなきゃ、何も言われなければ買ってたかもしれない。ほんと、そんなの、気分、よね。でも、一度思ったら変えられない。たかが気分でも。ほんと、ごめんなさい。いこじよね」
店主は、女の子の頭に手をやり
「確かに、いこじだ。それに素直だ。ペンダントなんか無くても、キュートだぞ。自信を持て」
女の子は返事ができなかった。しばらく俯いていた。それから申し訳なさそうに本を買い、店を出て行った。店主は店の商品を点検しながら
「俺も、商売ベタだなぁ」
と、ひとりごちた。
* * *
ゴザの上には、黄、緑、茶と鮮やかなカボチャが置かれている。大きさはサッカーボールからバスケットボールまで。つまりは殆ど均一の大きさで統一されている。子豚の貯金箱を脇に、女の子は本を読んでいる。中東のオアシスを舞台に王族のロマンスを描いた短編集だ。今日は久しぶりに太陽が容赦なく、お陰でお客はしばらく前に中年が一人訪ねたきりだった。
「三個で四個分のお値段なのよ。それもこれが最後の四個。買ったきり。どう?」
「またまた、売れ残りの処分だろう。その手を食うか。こいつを頼む」
本は王子が蛇の呪いを解きに砂漠へと旅立つ場面にさしかかった。ターバンを巻いた王子が、空を見上げ、二度と帰れないかもしれない故郷に思いをはせる。思い出は砂煙がかかったようだったが、確かにあった。この言い回しが好きで、女の子はこのページを何回も繰り返し追いかけ、何十分も過ごしていた。
「ここだよ、ここ」
女の子は心の片隅に期待していた、しかし六日も過ぎて聞くことは能わないと思っていた声を聴いた。何時かの観光客の青年だった。
「どうもっ」
本を背中越しに置いて、応じる。青年はここ数日で更に焼けて、焦げ茶色の肌をしていた。大きなサーフボードを担いでいる。波乗りをした後にここに立ち寄ったのか、或いは夕暮れの波乗りの前にと寄ったのか。
「ほらほら」
青年は声を張り上げる。女の子が驚いた顔でその方に向かうと
「もうっ。こんなところに、カボチャ屋なんてあるわけないじゃない」
ポニーテールの女が、同じくボードを担いで、文句を垂れていた。
「って、あった。カボチャ屋。こじんまりしてるけど」
「なっ、言ったとおりだろ」
青年は得意げだ。
「ほんと、来てみるもんねー」
女の健康そうな身体を真っ白のワンピースがくるみ、水着の跡が濡れていた。そして好奇心旺盛な目でカボチャを眺める。
「すっごい。地元の八百屋じゃ見ないものばかり。旅ってするものね。これはなぁに?」
シルバーのイヤリングが涼しげに揺れていた。小さな赤真珠がキラリと縁取られている。
「どうしたの?」
「いっ、いえ」
「気になるから、言いなさいよー」
茶目っ気たっぷりに返されてしまった。
「その、綺麗なイヤリング……ね」
女はくりくりした目を余計くりくりさせ
「そうっ? 彼がプレゼントしてくれたの」
青年はハハッと笑った。
「それで、どれが良いんだい? この前は助かったから、お礼代わりにガンガン買うよ」
やや間があって、女の子が応える。
「この黄色いのがね。夏から秋にかけて」
* * *
緑のカボチャは種を取り除き、トントントンと包丁でスライスする。それを四個分繰り返す。玉ねぎにも涙目でスライスを浴びせる。手にカボチャの甘い匂いがつく。その手で大きな寸胴に火をかけ、バターを敷く。乳白色の優しい油が浮き出る。玉ねぎ、カボチャの順に炒める。油がパチパチと寸胴内で軽く跳ねる。ざっくばらんに火が通ったところで、水と塩を入れ、煮立たせた。三十分ほどしたら牛乳を加え、更に火をかける。白と緑が混ざり、ソラマメ色になった。裏越しはせず、その代わりほろほろに形を崩すまで煮込む。時間が有り余っているから出来る技だ。へらで潰しながらかき混ぜ、これが意外と腕力を使う、更に水分を加えてひと煮立ち。表面に気泡が浮かび、湯気がたつ。ふうふうし、木のスプーンで味見をする。軽く頷いて、もう一口。寸胴いっぱいのカボチャのスープが完成した。間借りしている家の住民全員でも三日は費やすほどの量だ。
カボチャの種は、フライパンに油を敷き、揚げ炒める。五分もするとカリカリとした食感が嬉しいおやつとなる。酒のつまみにもなるようで、これが意外と人気で、取り合いになりそうだ。が、量が量だけに大丈夫だろう。どんぶり一杯分はあるのだ。
* * *
若旦那は眉をしかめている。
「買うの? 本当に?」
「何よっ! 買うんだから嬉しそうにしてよ」
「そりゃ、そうだけど」
「在庫も一掃したし、これからが秋本番。旬のラインナップで、勝負するんだから」
「へー、あれ全部、売れたんかい」
「似たようなものよ」
女の子はにいっとする。
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