港町のカボチャ売り

えんがわ

港町のカボチャ売り

 今は海風も一休みする、おやつどき。お天道様は今日も照っていて、窮屈に並べられた石造の家々も、びっしりと敷かれた石畳の道々も、あつあつにする。そうなると人々は影を求めて、建物から突き出たホロの下を自然、行き交うことになる。

 街のメインストリートは、影となる両端を賑わせながらも、真ん中をぽかりと太陽のみに空けている。中央に太い余白を挟んで、ゆらゆらと流れる人の群れが、左右にそれぞれ鮮やかな線を作る。中々に騒がしく、奇妙な光景だ。


 * * *


 さて、通りの右の、氷詰めの魚達と整列した靴の一群。魚屋と靴屋の間。その狭い路地に入ると、喧騒は段々と和らいでいく。旅人の姿は消えていき、代わりに地元の住民や猫たちがのさばり歩く界隈となる。心なしかその調子も、ゆるりとしている。むせ返る汗や香料から、次第に海草と焦げた石の匂いが、息を吹き返し始めるからだろうか。舌の根にうっすらと塩気を残すそれには、なにやら沈静作用があるようだ。ただ、この路地は他とは少し異なり、トウモロコシに粉砂糖をまぶしたかのような香りが、ほのかに混じる。

 香りの元を辿ると、小さな荷車が石壁へと寄りかかっている。見ると、詰め込まれているのは、沢山のカボチャだ。その少し先には、そこから零れ落ちたかのように、カボチャがゴザの上に置かれている。八百屋でも見かける橙や緑のものから、真っ赤なトマトのようなものまで、多種多彩だ。それらカボチャ色に囲まれて、半袖とハンズボンの女の子が一人。石壁に背をつけて、ゴザにあぐらをかいている。膝の上で本を開き、前かがみになって、文字をなぞるように、口元を動かしている。本は茶色く色褪せていて、表紙の題字も読めないほどだ。時たま「くっ」と軽く伸びをして、またいつもの姿勢に戻り、顔を一直線に本へと向ける。

 カボチャと共に六年、女の子はその半生をここで刻んだ。そして、これからもここに座り続け、カボチャを売り続けるのだろう。女の子がどこから来たのかは海鳥すらも知らないが、カボチャ達はあちこちから集まって来た。最初の内は街中の行商から掻き集めていたものが、女の子が街路へと馴染むに連れて、次第に島々を行き来する漁師や交易商からも、持ち運ばれるようになった。こうして緩やかにだが少しずつ、取り扱われるカボチャ達も、目を留める人達も増え始め、近頃では、僅かながらの夢を持つだけの希望さえ出来た。


 その夢は、この街にカボチャのお店を建てること。それもカボチャ色に塗られた二階建てのお店だ。

 まずは窓先にカボチャ柄のカーテンを取り付け、半紙で包んだ一切れ大のカボチャのパイで客を寄せる。応対は、広めの窓がそのまま受け口になる。量や儲けを抑えても、気軽に食べ歩けるようにする予定だ。

 それから正面の大きな扉をくぐると、小玉大玉、幾種類ものカボチャがずらりと待ち構えている。沢山の大籠へと詰め込まれるのも、何段もの長棚へと整列されるのも、全てカボチャだ。女の子自身、まだ図鑑や噂話でしか見聞きしていないものまで、きちんと揃えられている。赤、黄、茶、緑。手の平に乗るものから幼児を飲み込むほどの大きさまで。沢山のカボチャが並び、さぞかし壮大な眺めとなるだろう。

 だから迷子になってしまわぬよう、値札の横に小さなガイドを張っておく。産地、味、レシピなどを色取り取りのペンで記した、鮮やかな説明書きだ。こうすれば一見さんも、楽しんで冷やかせる。

 それから一旦外へと出て、すぐ横の階段を上ると、そこでは沢山のカボチャ料理が振る舞われる。テーブルには異国の珍しい模様のカボチャがアクセントとして置かれ、季節毎に、他ではお目にかかれない世界各地のカボチャ料理が供されることになるだろう。けれど、できれば街の名物となり、母の味となるようなものも開拓していきたいと、女の子は思っている。かなたの海、長い漁から帰って来た時、ふと口にしたくなるような。

 つまりこの店の設計は、窓先のパイや二階の料理でカボチャの美味しさを教え、やがて一階の商品棚へと通わせ、カボチャをこの港町に根付かせる思惑に基づいているのだ。けれども、これには大きな欠陥があって、店の主として女の子自身、一階と二階、どちらを担当すべきなのか、痛く頭を悩ませている。《いっそのこと身体が二つあったらいいのに》やら、《わたしと同じくらいカボチャが大好きな人がいたら》やら、波間の中ぼうっと考えるのが、眠る前の日課となった。

 それはともかく、店そのものは、女の子の隣の仔豚を百回ほど満腹にすれば、形になるだろう。でんと座っている仔豚の貯金箱は、女の子から銀貨だけを与えられている贅沢ものだ。

 まだ一度としてその蓋が開く事はなく、それどころか未だ持ち運びに支障の無いくらいの痩せっぽちではあるのだが。

 辺りはページを捲る音も聞こえて来そうな、午後の静けさ。まだまだ夢は遠くにあるようだ。


   * * *


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 第四節 キャラバン隊の恋  P87


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 みんな、背丈を越える焚火を囲い、手を繋ぎ合い、身体を弾ませる。砂漠の夜の冷たさに負けまいと、笛の音に沿って、足元で煙が舞う。北風は心地よく、炎は柔らかだ。それは彼の手に触れているせいだろうか。

 赤く染まる頬は闇と火の子が。整わない鼓動は笛と歌が。隠してくれているけれど。この熱は、汗は。指先を通り彼に知られてしまうのだろうか。けれど、わたしが盗み見た彼の瞳は、氷のように鋭く、虚空へと


「おぉーい」

 瞬間、女の子は、連れ戻される。恋愛小説の砂漠から、現実の石壁へと。

 日を受けて「しっかりせい」と浅黒の老人が、目元と顔中の皺を揺らしていた。女の子は慌てて本を閉じ、立ち上がりながら

「おじさん、おひさしぶり! 今日は、お早いのね」

「お前さんは、この時分、いっつも、この調子なんか?」

「今はどこも、似たようなものよ。こんな、かんかん照りだと」

「そうかあ?」

 と老人は顎の白髭をさすって、

「これからの季節、お日さんはもっと厳しくなるぞお」

 町の風を何十年も吸い続けた口から出た言葉だ。脅迫にも近い力が宿る。

「やぁねぇ」

「嫌なもんだあ」

 恨めしそうに空を見上げて老人が溜め息をつくと、女の子もつられるようにそれを真似る。空には、痛い程の日射しと、それを覆うには頼りない薄雲が、ゆっくりと流れていた。


「しっかし、珍しくも、何ぃ、読んでたんだ?」

 女の子は、足元の本へと目を落としながら、まごつく。

「字ぃ、読めるんか?」

「失礼しちゃう!」

 威勢の良い返事に、今度は老人の方がたじろぐ。

「まったく! もう」

「やぁ、すまん。で、なんて本なんだって、聞いてんだ」

「べっ、べんきょうの本よ」

「勉強?」

「えっ、えと、かぼちゃの本。かぼちゃ料理全集って本よ。いろんな料理のことが書いてあるの」

「おや、そんで、にやにやしてたんかぁ」

 共に浮かんだ皮肉笑いにも気付かず、女の子はまくし立てる。

「そうよ。本当においしそうな料理だったんだから。いつか食べにくるといいわ」

「またぁ、在りもしない店の話かあ? こんな調子で何時んなったら建つんかね」

「見通しだって、たってるんだから!」

「ほぉ…… そんで、どんなカボチャ料理なんだ? うまいんか?」

 女の子は顔を真っ赤にさせるが、反撃の口火すら思いつかない。しきりに視線を泳がせるが、老人は腕を組んで《参りました》を待っている。女の子は堪えきれずに、そっぽを向く。はっきりと影を映した石畳には、猫の一匹もいない。首元が震えている。

「ああ、分かった! 悪かった! だから、まあ、その店ってやつに協力してやるよ。わしがくたばる前に、建ててくれんと困るしな。今日はどれがお奨めだい?」

 振り向いた女の子の頬はますます赤く染まっていたが、何時の間にやら実に商売人らしい笑顔に戻っていた。海辺の天気のように、気分はころころと変わる。

「おじさんは、甘いの、大丈夫だったわよね」

「おう」

「それならこれか…… これっ! どっちも熟れ頃だし、仕入れがとてもうまくいってお買い得だわ」

 指差したのは、二つのカボチャだった。一つは、葉のような深緑の、スイカを一回り大きくしたような大玉。もう一つは、斑点がかった黄色の、手の平にも乗りそうな小玉。

「いやぁ、大きいのと小さいのってのは、いいが。ちょっと両極端すぎじゃないかぁ?」

「どっちもスープにすると、おいしいのよ。作り方は、知ってるわよね。あれと同じ手順。それと大きいのは切りわけて、ちょっとずつ使っていくといいわ。あとは、ぶつ切りにして焼いてみるのは、どうかしら。こう、厚く切ってね」

 手で空気をつまむようにして、厚みを表現する。

「フライパン一杯にジュワーッて。スープとちがって、火は強めで……」


   * * *


 縄紐を片手に、三個の小玉のカボチャをぶら下げて、老人の背中は遠ざかっていく。括られたカボチャの固まりが、膝の下で右へ左へと揺れる。その振り子につられたのか、足が軽くもつれる。けれど、女の子が《だいじょうぶ?》と声をかけようとする前に、

「あっつい! あつい! こう暑くちゃ、敵わんなー!」

 独り言にしては大きな声が、路一杯に響いた。

 女の子はくすりとしながら、汗に濡れた老人の顔を思い出す。

《こっちだ! こんなクソアツイ中、こんなでっかいカボチャ、持ってってられるかい!》

「そりゃ、そうよねぇ。こう、あつくっちゃ」

 老人の姿はもう見えない。こちらは全くの独り言だ。

「しかし、あついわよね。あつあつ……」

 つぶやきながら、屈んで本を手に取ろうとしたその時。冷たくて甘いものが女の子の頭をよぎった。寝静まった夜に、一粒の水滴が洗面器へと落ちたような驚き。それが俄かに波紋のように広がっていく。こらえようとしても、笑みが溢れ出てしまう。本の一節。砂漠のキャラバン隊。この熱は、汗は、知られてしまうのだろうか、盗み見た彼の瞳、氷のように鋭く、虚空へと。

「こおり、こおり、こおりやさん……」

 さて、ここから一つ角を曲がり、右の枝道に入ると、氷屋がある。何十もの職工で営われている大きな店だ。そこでは朝早くから、方々まで荷車に乗せて、氷を配達している。それも正確に、毎日。そうしなければ街は回らないからだ。氷は、主に魚屋や漁港で腐りを防止するために使われる。来なかったら、みな、大慌ての大惨事だ。時たま、タンスほどもある氷塊を二人がかりでひいひいと運んでいるのを、女の子はぼんやりと眺めていたことがあった。

《そこから氷をちょうだいして、かぼちゃのアイスクリームなんて、どうかしら。それと。きんきんに冷やした、かぼちゃのジュースも、きっとおいしいわ。うん。お店ができたら、店先で、冬はあたたかいパイとスープで、夏はつめたいアイスとジュース》

 夕焼け雲を染めるのはダイダイのお天道様だ。女の子は少し軽くなったカボチャ一杯の荷車を引いて、町外れへと帰る。海沿いを向かうその頬には、じわりと汗が伝う。夜の漁に出る船と、カモメの鳴き声、波の音。それら以外は耳をくすぐらない静けさ。まるで祈りの前のような。


   * * *


 今は海風が吹く晩餐どき。陽は水平線へと落ち、石畳に溜まった熱も静まり始める。メインストリートは、酒場に着こうとする人々と、家路へと急ごうとする人々で、ごちゃ混ぜになる。人が行き交い、魚が焼かれ、酒が飲まれ、歌が謡われる。星々が散りばめられた天にも負けない騒しさだ。家にはちかちかと明かりが灯り、煙突からはもくもくと煙が上る。そこに、ぽつぽつとカボチャのそれが加わる。

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