第66話 後夜祭・前編
聖闘祭も終わり、日も沈んだ頃。松明の灯りに照らされた武舞台にて『後夜祭』が催されていた。戦いの祭典の締めくくりとして、運営に携わった教会の人間や選手とその関係者たちが食事や歓談を存分に愉しむ宴である。
「――それで、カズキ選手! 閉会式までの間、リンファ選手とは一体“ナニ”があったのですかァ!?」
聖闘祭で司会を務めていた黒髪と褐色肌のエキゾチックな顔立ちの修道女ダーネット・ヨハンは、興奮を抑えられない様子でカズキに尋ねる。彼女は後夜祭が始まるや否や、真っ先にカズキの元に向かい、リンファとの関係をしつこく探っているのである。修道女らしからぬ出歯亀根性剥き出しな彼女には、さしものカズキも引き気味であった。
「いやだから、さっきから何度も言ってるように。正直俺にもよく分かんなくて……ていうか、いまだに頭が混乱してて……」
「分かんねぇってことはねぇだろ? つうか閉会式に二人して遅れて来たとき、なんか手を繋いでたじゃねぇか」
「あ! やっぱりそうですよねクザさん! 手繋いでましたよねぇ!?」
「あ、いや、それは……」
カズキの傍でステーキ肉とビールをかっ喰らっていたクザの思わぬ援護射撃に、カズキはますますたじろぐ。
「どうなんだァ?」
「どうなんですかぁ!?」
「ううっ……」
二人に追い詰められた結果、カズキは渋々ながらことの経緯を話すことにした。
無論、ムッシュ老人によるイカサマがあった事実や、彼女のプライベートな事情に関することは一切伏せている。
「……つまり、リンファ選手を綺麗だと褒めて」
「何故か泣き出してしまった彼女に優しくハンカチを手渡し」
「私は観客からは歓迎されていない悪役だ、と自分を卑下するリンファ選手の手を引いて連れて来た。と?」
「まぁ、だいたいそんな感じです」
ダーネットとクザは互いに顔を見合わせる。
「――それ完全に惚れられてるでしょ」
「へぇっ!?」
「いや、なに驚いてんだよ!?」
「彼女が泣いた理由はよく分かりませんが、その後の対応は完璧アウトですねぇ……」
「ああ……カズキがこんな天然タラシ野郎だったとはな……」
呆れ果てるような二人の視線に晒され、カズキは顔を赤くする。
「べ、別にそういうつもりはなかったんですけど……。そもそも今日会ったばかりですし……」
「で? お前の方はどうなんだよ?」
「そうですね。女の子にあそこまでさせておいて、なぁなぁにするなんてのはギルティです。女神エアリスに断罪されるべきです」
「えっ!? 俺は……その……」
口ごもるカズキに二人は容赦なく追撃する。
「まさか、既に意中の女性が?」
「いや、いませんけど……」
「なら良いじゃねぇか。それによぉカズキ。仮にそこまで好きじゃなくてもだな。相手は上玉で、こちらのことを明らかに好いている。据え膳食わぬは男の恥。だぞ?」
「そうですよ。もし私が同じ立場だったらガッツリいっちゃってますわ」
「……自分が言うのもなんだが、アンタ本当に聖職者か?」
ダーネットとクザの執拗なまでの追求によって、カズキはいよいよ覚悟を決めたように惑いの表情を改めた。
「――性格に難はあるかもですが、それでも尊敬に値する人です。それに……すごく美人だと思ってます。そんな彼女の気持ちに応えるのも、満更でも……無いかも」
彼の言葉に、二人は嬉々として囃し立てる。
「フー! 良いじゃないですか! もういっそ、このままその想いを伝えちゃいましょうッ!」
「聖闘祭優勝者と準優勝者……なかなかお似合いだと思うぜ!」
「そ、そうですかねえっ!」
そんな風に三人で盛り上がっているなか、妖しく忍び寄る姿があった。
「――誰が誰の気持ちに応えるって?」
「げっ!」
「げっ! とは何よ。失礼しちゃうわ」
唐突に割り込んできた少女の姿にカズキは瞠目する。話題の渦中であり本日の主役、リンファ・メイルその人であった。
「い、いや! 俺はだなっ!」
カズキはどぎまぎしつつも、助けを求めるようにクザとダーネットに視線を送る。しかし、二人とも我関せずといった様子でニヤニヤしながら見守るだけだった。
やがて観念したカズキは、意を決して真剣な眼差しをリンファに向ける。
「リンファ……俺は――」
そう言いかけたところでリンファは待ったをかけた。
「あ、変に勘違されると嫌だから先に言っとくけど。私、カズキの事なんとも思ってないから」
「うん、分かってる。…………へ?」
「……ン?」
「ふぁ!?」
予想外の展開に、三人揃って素っ頓狂な声を上げる。
「いやいや、大衆の前で堂々とキスしておいてそりゃないだろうぜ!?」
「アレは単なる“意趣返し”よ。それ以上の意味は無いわ。十中八九挑発目的だったとは思うけど、カズキは試合中私を侮辱したでしょ? 『やられたらやり返す』。それが私のモットーだから」
「えぇー……」
「じゃ、そういうことだから♪」
男心を弄ばれ呆然とするカズキを余所に、リンファはあっさりとその場を離れていく。
「……なんつうか、ドンマイ」
「う、うう……」
クザに肩を叩かれながら、カズキは力なく項垂れるのであった。
(――そう言うわりにはリンファ選手。耳がほんの少し赤らんでいたよーな? ふーむ? なるほど? “そーゆー”感じですか? 本人に伝えてあげてもよいのですが……。ま、それこそ野暮ってもんですよねぇ)
◆
「エミリィ! この鶏肉のステーキ美味しいね!」
「ええ。外側のパリッとした衣が特によいですね。このクセになる風味と匂い、香草を混ぜた小麦粉をまぶしたのでしょうか。ふーむ、なかなかに味わい深い。今度真似して作ってみましょうかね」
「この果実汁の爽やかな風味広がる羊肉のローストもなかなかのもんさね!」
所変わってアンナ、エミリィ、モルモネの三人の女子が同じ卓に集い、料理に舌鼓を打っていた。
「――それにしても。こうしてこの三人で食事を囲むのも久しぶりだね」
「そういえばそうだねぇ。二人が出奔した直後、一時的にアタシの持ち家のひとつで暮らしてた頃を思い出すねぇ」
「……そうですね」
アンナとエミリィは懐かしげに微笑む。
「不安な気持ちが無かった……と言えば嘘になりますが。それ以上に、しがらみを抱えることのないアンナ様との新しい生活には心躍ったものです」
「私は産まれた時から殆ど自室での暮らししか知らなかったから、まるで新しい世界に飛び出してきたかのようだったなあ。何もかもが新しくて新鮮で、毎日がキラキラに満ちてた!」
「アタシにとっても、あの頃の三人での暮らしは楽しい思い出の1ページさ。だから、二人がよその地方の冒険者ギルドに行くって聞いたときにゃ、ガラにもなく寂しくなっちまったねぇ」
「私どもはボナハルト家から出奔した身ですから。彼らの傘下のギルドに所属するのには少々躊躇いがありましたので……」
「まぁ、結局エルスニアに戻ってきちゃったけどね」
「苦渋の決断ではありましたが、他に頼れるところもありませんでしたし……」
そう言って、エミリィは小さくため息をつく。そんな彼女を励ますようにモルモネは言った。
「ま、いいじゃないか! おかげでこうしていつでも好きな時に会えるようになったし、カズキっちゅう新しい仲間も出来ただろ?」
「そうそう! アルルの街に移住してから、ようやく私たちの冒険者稼業が軌道に乗り始めたじゃん!」
アンナも同調するように明るく振る舞う。
「それによ、なんやかんや今はあの家とも上手くやってるって言うじゃないか?」
「そうですね……。このあいだ、ライアン様の取り次ぎで久方ぶりにグレモア卿と話す機会がありましたが。私たちが出奔した頃より、アンナ様への差別意識が軟化しているお聞きしました」
「ほほう、そいつはよかったじゃないか」
「ただ、奥様は相変わらずのようでしたが……。事情が事情ですから、致し方ないでしょうね」
複雑な表情を浮かべるエミリィに、アンナは悪戯っぽく笑う。
「せっかくの宴なのに暗い顔してちゃだめだよ? もー!」
「……アンナ様」
「アンナちゃんの言う通りさね!」
「そう……ですね」
二人に促され、エミリィは笑みを取り戻す。それから三人は、試合の感想やら、最近食べた美味しいものやら、他愛もない話に花を咲かせた。
しかしながら、そんな彼女たちの元に一人の少女が気まずそうに訪ねてくる。
「あ、あのぉ……」
「? あっ! フルールさん!」
彼女はフルール・ルマンド。一回戦でリンファ相手に敗北を喫したルマンド男爵家の令嬢だ。試合前と最中は終始甲冑姿でどことなく威圧感があったが、今は貴婦人御用達の気品ある礼服に身を包んでいる。
「ご歓談中のところすみませんわ。ですが私、どうしてもアンナ様にお伝えしたいことが……」
「え?」
アンナがきょとんとしていると、フルールは彼女に向かって頭を下げた。
「――今までのこと、本当に申し訳ございませんでした!」
「!」
フルールの口から初めて出た謝罪の言葉に、エミリィは目を見開く。
「私は此度のことで己を恥じましたわ。……強く、気高く、美しく。それが私が思い描いた理想の貴族令嬢の姿でした。私はその理想に近づこうと努力したつもりでした。しかし実際は、伯爵夫人に取り入るためにアンナ様虐めに加担し、忖度と予定調和で偽られた剣術大会に優勝して悦に浸っていただけ……」
自分の気持を吐露するフルールに対しアンナは少し驚いた顔を見せたものの、真剣な表情で耳を傾けていた。
「己を履き違えていた私は、本物の実力の持ち主のリンファさんに瞬く間に完封され、辱められました。思い上がっていた私に罰が下ったのです。ですがそんな私を救って下さったのは、私が虐げたはずのアンナ様。貴女はこんな私の為に命を張り、守ってくださったのですわ。本来恨みを抱いてもおかしくはない私を何の迷いもなく助けるその姿は、皮肉なことに私が理想とした強く、気高く、美しい淑女を体現していた」
「フルールさん……」
「許して下さいませ……だなどとは言いません。ですが、せめて私の謝罪と感謝の気持ちを、どうしても貴女に伝えたかったのですわ……! 本当に……すみません……。そして、ありがとうございました……!」
フルールは涙を滲ませながら、再度深く頭を下げる。
「フルールさん。頭を上げて?」
アンナの言葉に、彼女はおずおずと頭を上げた。
「大丈夫。もう気にしてないよ!」
そう言ってアンナは、朗らかに笑ってみせた。しかし、フルールが口を開ける前にエミリィが言葉を挟む。
「フルール様。いかに貴女が反省していようとも、今までアンナ様にしてきたことを看過することは到底できません」
「……っ!」
「――ですが。アンナ様が許したというのならば、私も許しますよ」
エミリィは険しい表情を緩めると、フルールは安堵の表情を見せた。
「それよりもフルールさん! 私たち、友達にならない?」
「え?」
「実は私、密かにフルールさんに憧れてたんだ! いつの日か仲良くなれたらいいなぁって考えてた。どう……かな?」
「……アンナ……様っ!」
フルールの目から雫がポタポタと零れ落ちる。
「そんな……私が貴女のことを見下していたときに……、私のことを……そんな風に想っていてくれていたなんて……っ! ううっ……私は……私はなんてお馬鹿なのっ!」
膝から崩れ落ちそうになる彼女を、アンナは優しく抱きしめた。
「これからよろしくね! フルールさん!」
「はいっ……!」
フルールは涙を流しながらも満面の笑みを浮かべる。
そんな光景を見て、エミリィとモルモネは満足げに微笑むのであった。
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