第64話 瑠璃色の光
「……分からない。分からないわ」
私は理解が追いつかなかった。老人ムッシュの言うことは抽象的だったが、それとなく意図は伝わった。そしてカズキが私に向けた憂いの言葉。
――彼は私の為に、自ら望んで敗北を選んだ。そう捉えるのが自然だ。だからこそ理解できなかった。
なぜ? なんで? 私を勝たせたことが一体どうして私のためになるというのだ?
「アンタは私に勝ちたかったはずでしょう?」
「……ああ。そうだ」
「たしかにアンタ自身も知らなかったとはいえ、イカサマで勝とうとしてしまったのは事実。納得がいかないのは分かるわ。……けど、それがなに? アレはあの時あの瞬間まで誰にも見抜けなかった。アンタさえ素知らぬフリをしていれば、誰もがアンタの勝利を信じて疑わなかった。それなのに、どうして勝利に届いたはずの刃を収めた?」
「あの試合……聖闘祭決勝戦は、俺とリンファの真剣勝負だった。誰かの利欲のための“偽りの奇跡”は使われるべきではなかったはずだ」
カズキは真っ直ぐとした眼差しで言いのける。私はそんな彼の純粋さに呆れを憶えた。
「はっ! アンタ、そんなご立派なことが言えるようなタマじゃないでしょ? 三下なら三下らしく、手段を選ばないでよかったのよ。私とアンタの実力差を考えたら、それぐらいで丁度いいハンディキャップじゃない」
「例えそうだとしても。俺は絶対に……そんなこと出来なかったんだ」
「……何故? ハッキリと教えなさい。それを知る権利が私にはあるはずよ」
「それは……」
カズキは戸惑いがちに視線がチラついたのち、やがて意を決したように私の目を見据えた。
「――君が、綺麗だからだ」
あまりにも予想外すぎる返答に、思考が停止する。
頭の中が真っ白になる、とはまさにこのことだ。
「………………はぁ?」
数秒の沈黙を経て、私はようやっとひと言絞り出すことができた。
「……ふざけんな!! 答えになってないわよ! おかしいでしょ!? 私をやらしい目で見てたってだけかァ!? ああッ!?」
堰を切ったように言いたいことが口から溢れてくる。私の絶え間ない罵倒に対しても、カズキは怯むことなく真剣な表情で返した。
「ただ容姿を認めているわけじゃない。もちろん、美人だとは思ってる。……でも、そういうことじゃないんだ」
「じゃあどういうことよ!?」
「――人の外見には“その人の内面が滲み出るもの”だと俺は考えている。気高い志はそのまま気高い容姿となって顕れる。例えどう小汚く振る舞おうと、下衆を演じようとも。その煌きの強さは簡単に隠すことはできない」
「……」
「たしかに俺はリーさんから君の過去を聞いたんだ。十にも満たない頃に大人を負かすなんて、とんでもない天才だよ。その桁外れの強さにも納得がいく。……けれど、才能だけでは限界がある。今の実力が苦もなく手に入るほど世の中甘くはない。君は途方もない“研鑽の道を歩んだ”はずなんだ」
「……何を分かったようなことを」
「分かるさ」
カズキはそう言って、優しく微笑んだ。
「リンファが使っていた武器召喚。当たり前のように詠唱無しに発動していたけど、無詠唱魔法はそう易易とできるようなものじゃない。気の遠くなるような鍛錬の果てにようやく掴み取れるものだ。それに魂の無い武器の召喚には、その武器と契約者との間に“よほど強い縁が無いと成立しない”と聞いた。それってつまり、そんな頑強な縁が出来るほど“武器と真摯に向き合った”ってことじゃないか? しかもあんなにたくさんの数と。本当に……本当に凄いと心の底から思う。尊敬する」
「そ、それは……」
「俺は君の過去を知ったといっても、それは僅かな断片に過ぎない。一体その非凡な才能のために、これまでどんな過酷な人生を歩み、辛い目に逢い、外道に引き摺りこまれてしまったかは俺には分からない。けど、自身に満ちた声、凛とした眼差し、洗練された身体の動き、堂々とした姿勢。今のリンファは間違いなく綺麗だ。少なくとも俺の目にはそう映っている」
「……」
私は黙り込むしかなかった。
彼の瞳に嘘偽りはなかった。邪な感情など一切無かった。
「俺は君の戦う姿を綺麗だと感じた。憧れた。だからこそ、欺瞞の勝利でその美しさを貶めることだけはしたくなかったんだ。そうまでして得た勝利にはきっと何の価値もなかった」
だからなのだろうか。彼の言葉は私の中でストンと胸に落ちてきたのは。
「といっても、所詮は俺の独り善がりに過ぎない。軽蔑してもらっても構わないよ。それでも……俺はあのときの選択を後悔してはいない。“大切なもの”を守れたんだと、俺は信じてるから」
彼の言葉のひとつひとつが、私の心の奥底まで染み渡っていく。
――気に入らなかった。
こんなにズケズケと人の心に土足で踏み込まれているのが、不愉快だと思わないことが不愉快でしょうがなかった。人の心情を勝手に分かっているつもりになって語っているのが、気持ち悪いと思わないのが気持ち悪くて。
嫌な気持ちにならないのが嫌でしょうがなかった。
「なんなのよアンタ。本当になんなのよ……。自分に酔ってるわけ? どうしてそんな恥ずかしげもなく……」
「……!」
「なに急に黙り込んでんのよ」
「……泣いてるのか?」
「――え?」
嘘だ。
そんなはずない。
私はそっと下瞼に指をあてて確かめた。
「うそ……やだ……なんで?」
指先は濡れていた。
そして気付いた。
「あ……あ……ああ」
暖かいものが溢れて止まらなくなっていた。
「り、リンファ……?」
「いや……違う、これは違うの。私は……私は……っ!」
喜びと惑いが混濁し、頭がぐちゃぐちゃになる。
胸の内をきつく縛りつけていた何かが、ほろほろと融解していく。
春の雪解けの水が流れるように、熱い感情の奔流が両目から止め処なく零れ落ちていった。
◆
――嬉しかった。
「違う……」
――忘れていた気持ちを想い出した。
「違う……!」
――ずっと、誰かに認めてもらいたくて頑張ってきたから。
「そんな……どうして……? 私は……化け物だったはずなのに。私はそんなこと望んでなんか!」
――きっと、“わたし”と“私”は同じだったんだよ。
「同じ……?」
――誰かに認められたかった“わたし”。力を振るうのを愉しむ“私”。……けれど、“わたし”にも力を振るう欲望があって、“私”も誰かに認められたいと頑張る気持ちがあった。
「私たちは……ずっと同じ……、二つに一つだった……の?」
――うん。きっとそうだったんだ。“最初から違うものだと区別する必要なんてなかった”んだよ。
「あはは……そっか……そうだったんだ……。私は……この化け物みたいな私を、“わたしじゃない”って嫌悪して、怖がって、切り分けて、遠ざけようとしていただけだったのかな……」
――でももう大丈夫。一人の人間として見てくれた人が居たから。
「この人が、気付かせてくれたんだ」
――この人が。
本当の私(わたし)を見つけてくれたから――
◆
「う……っ……うっ……」
「大丈夫か?」
子供みたいに泣きじゃくる私に、彼はそれ以上何も言わず、そっとハンカチを差し出す。私はそれを受け取って涙を拭い、深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせた。
「……まさか、この私ともあろう者が。こんな無様を、あろうことか負かした相手に晒すなんてね」
「はは。それだけ言えればもう大丈夫そうだな」
彼は安堵した様子で言った。
「ねぇ、一つ聞いていいかしら?」
「ん?」
「どうしてそこまで私のことを気にかけてくれるの? 私とアンタは優勝の座を奪い合ったライバル同士。しかもかなり酷い目にも遭わせたのに。正直ここまでされる覚えは無いのだけれど……」
「あー、それはだな……」
「――もしかして、私に気があるとか? さっき私のこと美人だって言ってくれたし」
「え!?」
「ふふ、冗談よ」
慌てふためく彼を見て、私は思わず笑みが溢れた。
「……さっきも言ったように、リスペクトを抱いているから、というのもあるけど。それともう一つ、リーさんに君のことを頼まれてたからでもあるんだ」
「リーのクソジジイが?」
「彼は君のことをすごく心配していたんだよ。自らの過ちにも強く悔いていた。そしてリーさんが聖闘祭に参加したのも、道を踏み外してしまったリンファを試合で打ち負かして説得するためだった。でも結局俺に負けてしまったから、代わりに君のことを頼む。って」
「そっか……。七年も離れていたというのに、あの人は未だに私のことを……」
リーは私のことを化け物呼ばわりした張本人であり、この聖闘祭で精算する予定だった過去の負債でしかなかった。私としては完全に訣別したつもりだった。
けれど、自らの過ちを悔い、贖罪のために戦い、あの人なりに足掻いていたのだ。
「私、謝らなきゃね。今まで心配かけてごめん。って」
「リーさんならきっと許してくれるよ」
「……だといいんだけど」
私がこうしてリーを赦すことができるようになったのは、彼のおかげかもしれない。私がカズキへ感謝の言葉を述べようとしたときだった。
『――リンファ選手! カズキ選手! まもなく表彰が始まります! 今すぐ武舞台までお越しくださーい!』
拡声魔法を通して通路に響き渡ってくるアナウンスに、二人して素っ頓狂に顔を見合わせる。
「そういや閉会式のことすっかり忘れてたな」
「随分話し込んじゃったわね」
「優勝者と準優勝者が不在じゃあんまりだもんな。急ごう」
一緒に武舞台へ向かうようカズキに促されるが、私は思い留まり、立ち止まった。
「……やめておくわ」
「え? どうして?」
「もともと閉会式に出るつもりなんて無かったし。……それに、どうせ私なんて表彰されても、野次を飛ばされるのがオチよ。私……嫌われ者だから」
あの誕生日会のトラウマが蘇り、身体が震えあがった。
聖闘祭での私の扱いはどちらかといえば悪役(ヒール)だったはずだ。きっと私を罵る言葉が少なからず飛び交うだろう。もしそうなったとしたら、私は自分を抑えられる自信がない。
「――そんなことないよ。その証拠にほら、耳を澄ませてごらん?」
カズキに言われ、私は半信半疑のまま聴覚を研ぎ澄ませた。
すると聞こえてくるのは私の悪口ではなかった。私の健闘を称える声、私の登壇を待望する声ばかりだった。
「……」
驚きに声を失う私に、彼は「ほらね」と爽やかに笑った。
「みんな俺と同じなんだよ。これだけ多くの人たちがリンファのことを認めている。リンファの登場を望んでいるんだ。だったらさ、胸張ってみんなの期待に応えなきゃ」
「で、でも……」
「大丈夫! ほらっ」
「あ、ちょっと!」
そう言って彼は半ば強引に私の手を引いて、武舞台へ向かって駆け出す。そして薄暗い通路から、眩い夕日が照らす武舞台へ飛び込んだ。
『やっと来たか!』
『おせーぞ!』
『リンファー!』
『決勝戦すごかったぜ!』
『待ってたぞー!』
『あんなドラゴンを召喚できるなんてスゲー!』
『リンファちゃん最高!』
すると途端に会場中から歓声が沸き起こった。誰もが私を歓迎してくれているようだ。
「あっ……」
胸に熱いものが込み上げてくる。それと同時に懐かしい気持ちもあった。
(――ああ、そうだ)
そうだ。初めてじゃなかった。
――リンファは俺の自慢の娘だ。
どうして忘れていたんだろう。
――リンファはすごいわ。
こんなにも、私は。
――やはり、リンファは筋がいいな。
今までたくさんの人に。
――すごいよ! リンファちゃん!
たくさんの人に、認められていたのに。
「さ、行こう! リンファ!」
きっと、私は今まで暗がりに引き籠もっていたんだ。見えていたはずのものが見えなくなっていた。
けれど、彼が。この大きくて、ゴツゴツしてて、太陽みたいにとっても温かい、この手が。
私を暗がりの中から、光差す場所へ連れ出してくれたんだ。
その日、私はすごく久しぶりに、心の底から明るく笑うことができた気がした――
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