第63話 戦いのあと

「ここは……?」


 朦朧としていた意識が鮮明となる。

 周りを見渡すと、試合後に訪れる選手控え室であることがわかる。俺は今ベッドに横たわっていて、傍に立った修道女さんがこちらの様子を伺っていた。


「よかった! 意識が完全に覚醒したようですね。カズキ選手」


 担当スタッフさんは俺が言葉を発するなり、安堵した様子になる。


「軽度の意識障害はあったものの正常に回復。負傷の後遺症もなし。魔力切れによる経絡および経脈の損傷もなし。……至って健康状態ですね! 他に何らかの自覚症状等ありますか?」

「いえ、大丈夫だと思います」

「また何かあれば備え付の連絡用精霊召喚陣で連絡下さいね。それでは試合、お疲れ様でした。予定通り18時より閉会式が始まりますので、お忘れなきよう」


 そう言ってスタッフさんは控え室をあとにした。

 上体を起こしベッドの縁に座ると、静まり返った部屋で一人呟いた。


「――負けちゃったな」



 ほどなくし、アンナたちが控え室まで直接来てくれた。もう大会も終わっているし、選手関係者として特別に通されたらしい。


「惜しかったねカズキ……。あともうちょっとだったのに……」

「まぁね。でも負けは負けだよ。仕方ないさ」


 残念そうにするアンナに俺は何でもない風に笑った。しかし、そんな俺を見てエミリィさんは不思議そうにしている。


「不躾で申し訳ないのですが……。思ったより落ち込んでいらっしゃらないのですね?」

「そうだぜ! リンファのヤツに負けて悔しくないのかよ!? それにあの最後の最後に放った“真の切り札”さえバッチリ決まってりゃあ絶対勝ててたのによぉ」

「それは……」


 クザさんの言う“真の切り札”とは、最後の突きの際に発生した光の刃のことだ。たしかにアレがそのまま通っていれば、俺は彼女より先にネックレスを破壊出来ただろう。

 だが実際はそうはならず、先に俺のがリンファによって破壊された。彼らには言えないが、どうしても“そうならなかった事情”があるのだ。

 

「そりゃあ死ぬほど悔しいですよ。……けど、全力を出して、出して、出し切って。そして限界を超えて挑んで。その結果負けたのであれば納得できるんです。あれだけ勝ちたいと切望していたのに、負けたら負けたで、それはそれで清々しい気持ちになるんです。自分でも不思議な感じですけど……」

「カズキさん……」

「カズキ……」


 俺が紡ぐ言葉に、クレアン様が静かに頷いた。


「そうだな。カズキ、お前は精一杯頑張った。その結果がどうであれ、お前の戦いに価値が無くなることはないだろう」

「あれ? 意外っすね。クレアン様のことだから、もっとカズキを辛辣に罵るものかと」

「僕を何だと思ってるんだ。さすがにそんな無神経なマネはせんぞ。……たしかに、お兄様の代理として出場したカズキには勝って欲しかったと思ってるのは事実だ。けどな、お兄様だったらきっと、“こういう言葉をかけるだろう”と思ったまでだ」

「……ありがとうございます」


 お礼をすると「フン!」とそっぽを向く。ああは言うが、俺の健闘を称えてくれているのもきっと紛れもない彼の本音なのだろう。


「領主の倅の言う通り、カズキはよく頑張ったさね。スカーレットもちゃんと大事に使いこなしてくれてたし、さぞ“アイツ”も喜んでるだろうよ!」

「あはは……リーさんとの試合では投げたりしちゃいましたけどね……」

「そんぐらい大したことないよ! アトリエモモブランドの頑丈さを舐めてもらっちゃ困るさね!」

「? なぁ、モネさんって鍛冶職人じゃなくて、ただの商人なんだよな? なのになんでそんな誇らしげにしてんだ?」

「ン? 別にいいじゃないか。アタシがエルフの里に仲介してカズキに売り渡したんだから、実質アタシが作ってあげたようなもんさ!」


 事情を知らない人たちの怪訝な視線を物ともせず、モルモネさんは豪快に笑うのであった。


「……残念じゃったのう。カズキくん」


 そして、最後にムッシュさんがのほほんとした調子で話しかけてくる。

 

「ムッシュさん。俺、あなたに聞きたいことが――」

『それでは、まもなく閉会式が始まります。選手の方々、部舞台上までお集まり下さいませ』


 俺が言い終える前に、連絡用精霊から発せられる遠音魔法から聴こえてくる女性の上品な声が部屋に響き渡った。


「おっと、そろそろ時間かい?」

「じゃあ私たちはもう行くね!」

「思ったより落ち込んでなさそうで安心したぜ」


 みんなは口々に言いながら、早々に部屋をあとにしていく。


「――俺も行くか」


 彼らが全員出ていくのを見送ったあと、まだ仄かに疲労感が残る身体でゆっくりと立ち上がり、通路に出て武舞台を目指した。


「――待ちなさい」


 透き通っていて凛とした声が背後から聞こえる。振り返るとそこには、リンファが険しい顔をして立っていた。

 突然のことで戸惑いを憶える俺を余所に、彼女はズカズカと歩み寄ってくる。


「えと……何か?」

「とぼけるなッ!!」


 リンファは怒りに任せて俺に掴みかかり、そのまま勢いよく壁に叩きつけた。背中に鈍い衝撃が奔り、息苦しさに呻く。


「一体何のつもり……? ねぇ!?」

「な、なにを」

「ふざけてんじゃないわよ! アンタが最後に出したあの“光の刃”のことに決まってるでしょ!?」


 彼女は憤怒の形相で捲し立てる。


「――どうして、どうして“途中で引っ込めた”のかしら? アタシが気づかないとでも思った?」

「! そ、それは……」


 俺は思わず口をつぐむ。どうやら彼女には気づかれていたようだった。

 そう。あのとき、スカーレットが起こした奇跡の路を、俺は自らの意志で途絶えさせたのだ。そんなことをしなければ、確実にリンファのネックレスを破壊して俺の勝利となっていた。


「甚だ理解できないわね。最後の最後にしてやったり、とカマしたかと思えば。結局私に勝ちを譲るなんてね。……随分舐めたマネをしてくれるじゃない」

「違うんだ。これには訳が――」

「……そういえば、リーのクソジジイとの試合後、同じ通路を通って武舞台を去っていったわね。そのときに老人の長話にでも付き合わされたかしら? それで? とある一人の女の子のカワイソーな過去を知ったと?」

「リンファ、頼むから俺の話を……」

「黙れ! 私の名前を気安く呼ぶなッ!!」


 彼女は一喝して俺の言葉を遮り、胸ぐらを掴んだまま憎悪の眼差しでこちらの顔を見上げる。


「憐憫の情でも抱いたかしら? 同情した? 可哀想だと思って私のことを見下したんでしょう!? 私を……侮辱するんじゃない……! でないと……ッ!」


 リンファがふいに右手を宙に掲げる。手の先に魔法陣が現れ、中から槍を取り出すと、俺の顔に穂先を向けた。

 ここは武舞台の外。超回復結界の恩恵は存在しない。その事実とこの状況が何を指し示すかは火を見るより明らかだ。


「このままぁッ!」


 彼女が掴んだ槍を突き刺そうとした、そのときだった。


「――お嬢ちゃん。どうか彼を放してやりなさい」



「誰よ……アンタ」


 呼び止められ振り向くと、そこには見知らぬ老人が佇んでいた。物乞いのような見窄らしい風体だが、不思議と厳かな雰囲気をも醸している。


「ムッシュさん……。やはり“アナタの仕業”だったんですね」


 カズキは老人の姿を認めると、腑に落ちたとばかりに落ち着いた口調で彼に言う。


「は? この爺さんの仕業? 一体なんの……」


 事情が飲み込めず困惑する私を余所に、彼は懐から一枚の金貨を取り出して老人に見せつけた。


「俺がムッシュさんと最初に会ったときに渡してくれたこの金貨。これには予め魔力が封じられていて、魔力切れを起こした所有者に魔力を供給する。……そうですよね?」

「うむ。その通りじゃよ」

「……なっ!?」


 私は瞠目した。彼らの言うことが真実ならば、カズキは本当にあの瞬間魔力切れを起こしたということになる。

 だとしても疑問は残る。


「ちょっと待って。本当にイカサマが行われたかどうかはこの際どうでもいいわ。問題は“どうしてそれが出来たのか”かよ。仮にその金貨にそんな細工がされているとしても、どうして試合前の検査で引っ掛からなかったの?」


 私の疑問に老人ムッシュはニコニコしながら答える。


「ほっほっほ! そこはワシの腕前ってところじゃな。実は今回が初めてじゃないし、今まで一度も見つかったことは無いぞい」

「なんですって……?」


 試合に魔力を回復させる魔道具を持ち込むのは明確なルール違反だ。だから不正対策として試合ごとに魔道具を隠し持っていないか、魔力感知に秀でた者を使って厳重にチェックされている。それらをすり抜けるのはまず不可能なはずだ。

 しかしこの男は、感知の目すら欺く完璧な偽装をやってのけたのだ。そんな芸当が出来るのはエルフか、あるいは歴史に名を残すレベルの魔道具職人ぐらいだろう。

 

「あなた……一体何者?」

「ほほ。なに大した者じゃないぞよ。ワシはカズキくんに優勝して欲しかっただけの“ただの賭け好きジジイ”じゃ」


 私が彼の底知れなさに慄いていると、カズキは険しい表情をつくった。


「ムッシュさんはトトカルチョの勝率を上げるため、目をつけた選手に仕込みをしていた。そうですね?」

「そんなところじゃのう」

「俺、正直めちゃくちゃ怒ってます」


 カズキは比較的温和そうな青年だが、今は静かに怒りの炎を燃やしているように思えた。


「知らず知らずのうちに賭けに利用されていると知ったら、誰だっていい気はしないでしょう。――でも、そんなのは大したことじゃない」

「ほう?」

「俺は……危うく取り返しのつかないことを。本当に“大切なもの”を冒してしまうところだったんです。本当に……未然に防げてよかった。もし“あのとき間に合わなかったら”、俺はムッシュさんと俺自身を許せなかったでしょうね」


 カズキはそう言って私に視線を向ける。その瞳には深い憂慮の色が浮かんでいるように見えた。


「ほっほっほ! そう……か、それはほんに……悪いことをしたのう。すまなかった」


 ムッシュはゆっくりと丁寧に、深々と頭を下げる。その所作はとても物乞いだとは思えない、計り知れない気品があったような気がした。

  

「なんなの……? 一体どういうこと……?」


 彼らの意図がいまだ掴めていない私に、ムッシュは穏やかな笑みを浮かべて言った。


「そこの彼はな。勝利の女神を袖にしてまで君を選んだのじゃよ」


 ムッシュはカズキから返却された金貨に彫られた女神エアリスの横顔を私に見せると、満足気に賛美歌を口ずさみながら去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る