第61話 瑠璃色の世界

 全身に痺れる感覚が迸る。強烈な脱力感。

 魔法の電撃が私の身体を襲ったのだ。こうなってはもうリヴァイアスの召喚を維持することは出来ない。

 巨大な体躯は光の粒となり、実体を失った。それと同時にガクン、と動かなくなった四肢が落下する感覚を憶える。

 私の身体は輝きの海に放り込まれ、眩い視界のなかで意識が薄らいでゆく。

 

――この私が……負ける……?

――いやだ。だって……そんなことになったら……私の……私の……




――私の人生に価値がなくなってしまう。



 わたしの名前はリンファ・メイル。

 貴族の槍術指南役を務める強くてかっこいいパパ。料理上手で優しくて美人なママ。わたしはそんな素敵な二人の子供だ。裕福ではないけど貧し過ぎることもない三人家族、素朴だけど何不自由のない日々の暮らしを送っていた。

 ――その全てが変わり始めたのは、わたしが五歳になった頃だった。


 時折見かける槍の鍛錬をするパパの真似事がしたかったのだろう。手頃な木の棒を拾い、先を尖らせたものを使って、庭先で見よう見まねの“ごっこ遊び”に興じていた。すると近くを飛んでいた一匹のトンボが目に入った。わたしはなんとなくそれを“仕留められる”気がして、普段パパがやっているように、木の棒を槍に見立てて突いてみた。

 自分でも驚くほど呆気なく、そのトンボを仕留めることが出来てしまった。わたしはそれがなんだか嬉しくて、誇らしくて。ああ、わたしは憧れのパパの子供なんだ。って無邪気に思っていた。わたしはその成果を褒めてもらいたくて、パパに見せてみた。

 するとパパは驚いた様子で「もう一度俺の前でやってみろ」と言った。わたしは言われた通り、同じように木の棒でトンボを捕らえてみせた。パパは普段あまり感情を表に出すような人ではなかった。そんなパパが今まで見たこともないぐらい嬉しそうにして「リンファは俺の自慢の娘だ」と、その大きな手で頭を撫でてくれた。

 それからパパは己の寸暇を惜しみ、わたしに稽古をつけてくれるようになった。パパは昔武術家として大成する夢を持っていたけど、志半ばで挫折した経験を持っていた。パパはそんな自分が成し遂げられなかった夢をわたしに託したかったらしい。そんなパパの考えに、わたしに“ふつうのおんなのこ”として幸せを掴んで欲しかったママは断固反対した。それが原因となって二人の仲は悪くなり、ママの方から家を出ていってしまった。

 それから二年の月日が流れた。パパの特訓の甲斐もあり、わたしは武術家としての才覚に完全に目覚めた。通っていた寺院の練習試合で、大人の男の人を負かせるようにすらなっていたのだ。わたしはパパの期待に応え続けることができた。そんなわたしにパパは決まって「リンファならどんな相手にも負けない」という言葉を繰り返した。


 そんなある日、パパは真剣な表情でわたしに言った。「俺がお前に教えられることはもう無い。これから俺は本気でお前を殺しにかかる。リンファも俺を殺しにくるつもりで来い。……大丈夫。リンファならどんな相手にも負けない。これが最後の試練だ。この俺を超えてみせろ」と。

 パパは昔からの相棒である長槍を構え、わたしに襲いかかってきた。わたしは必死になって止めるよう訴えたが、その目に宿る殺気が消えることはなかった。

 わたしは無我夢中になって抵抗し、なんとかパパを返り討ちにすることができた。そんななか、二年前に家を飛び出したママが突然わたしたちの前に姿を現した。

 ママは悲鳴をあげ、倒れたパパのもとに走り寄り、泣きながら呼びかけていた。ママはパパの返り血で濡れたわたしを見るとこう言った。


「この化け物! お前さえ……お前さえいなければよかったんだ! お前なんか産むんじゃなかった!!」


 父は一命は取り留めたが、半身不随となってしまった。

 母は二年の間に「やはり父の支えになりたい」と考えを改め戻ってきたが、娘によって大切なものが壊されてしまった。

 わたしはその日のうちに家を去った――



 それから、わたしはあてもなく各地を彷徨った。やがてエルスニア地方に流浪し、旅芸人の一座に身を置くことになった。

 わたしの容姿とスキルは大道芸として昇華できた。“天才美少女の曲芸”として注目を集め、一座の稼ぎ頭として台頭することになった。

 ただそれを快く思わない人物がいた。芸歴四十年、かつて神童と謳われた凡庸な中年男である座長だった。

 若さや才能といった“自分に無いもの”を全て持っている小娘に嫉妬心を抱き、ひと目のつかないところで口汚く罵ったり、何かと理由をこじつけて報酬をハネたりした。それでも反抗しないわたしに増長した彼は、次第に暴力を振るうようにもなった。それでもわたしは決してやり返すことはなかった。

 何故なら、わたしは“わたし自身の力”を憎んでいたからだ。この力のせいでわたしは人を傷付けてしまう。この力さえ無ければ、わたしの家族が壊れることもなかった。“呪い”そのものだった。座長の虐待は心底嫌だったが、そんな男にすら力を振るうことの方がもっと嫌だった。

 そうしていつものように街に訪れ、いつものように芸を披露し、いつものように座長に殴られていたとき。突然、見知らぬ老人に声をかけられた。


「――なぜやり返さない?」


 彼は腑に落ちないとばかりに言った。不審な老人を怪訝に思ったものの、そんな彼にわたしはこう返した。


「……誰かを傷つけるぐらいなら、わたしが傷ついた方がマシだから」


 それからその街に滞在するあいだ、老人はしつこく会いにきた。

 最初は疎ましく感じていた。けど、不器用なりにわたしに歩み寄ろうとする彼の姿に、無骨で純朴で暖かった“あの頃の父”の面影を重ねたわたしは、次第に心を許すようになった。

 それから、わたしは自分のことを話すようになった。わたしが自分の力を憎んでいることも打ち明けた。

 そんなわたしに彼は言った。


「力を振るうことそのものは決して悪ではない。力とは己の運命を切り開く武器なのだ。武器を自ら捨てた者はやがて運命のなすがままとなる。悪意を持った誰かに家畜のように利用され、いずれ棄てられる」

「わたしの運命を切り開く……武器……?」

「己の持つ強大な力から目を背けるな。正しく制御して向き合い、運命の渦から抜け出すのだ。……儂の元に来い。お前に力の使い方を教えてやる」


 わたしは彼から……『リーおじいちゃん』から大切なことを学んだ。

 力とは運命を切り開く武器。父親に殺されかけたとき、もしもわたしが武器を手放していたら。わたしの運命はそこで途絶えていた。今日まであのときの選択をずっと後悔し続けた。けれど、リーおじいちゃんの言葉に気付かされた。わたしは“自分の未来を自分自身の手で掴み取ったのだ”と。

 そして同時に理解した。たしかに“人”に力を振るうことは悪だ。だが世の中には“人のように振る舞う、人の皮を被った畜生”もいるということだ。己の醜いエゴの為に他人を平気で踏みにじるような獣に人の道理は当て嵌まらない。わたしはわたしの中で人と獣とで区別することで、自らの感情に折り合いをつけることができた。

 リーおじいちゃんと約束した日。今まで私を虐げてきた醜悪な獣にキツい一撃をお見舞いしてきた。そのせいで遅れたわたしのことを彼はずっと待っててくれた。

 こうしてわたしは彼が総師範を務めるシンハン寺院の門下生として受け入れられ、リー・ナムはわたしの親代わりとなったのだ。



 わたしが『リンファ・ナム』として過ごした五年間は穏やかな幸せに満ちていた。

 武術一辺倒でろくに家事もできないおじいちゃんの代わりに、元々手先が器用だったわたしが炊事洗濯や掃除をしてあげたりした。お料理の腕がどんどん上達していくのは楽しかったし、おじいちゃんはわたしのつくる料理が好きだと言ってくれたときは嬉しかった。

 なにもかもが充実した生活だった。おじいちゃんは口下手で態度は厳しいけれど、根は真面目で優しい人だった。彼から多くの武術のノウハウを学んだ。シンハン寺院の門下生たちとは切磋琢磨する日々を送った。中にはわたしのことを「生意気な小娘」だと、快く思わない人も少なからずいたけれど、そんなの気にしなかった。友達も一人と一匹出来た。一人はわたしより一回り年上の女の子の『レイナ』。明るく気さくで話していて楽しくなる。一匹は野良猫の『ミミ』。何故かわたしにだけよく懐いたクールな子。

 ――こんな毎日がずっと続くといいな。そんな風に思い続けながら、わたしは十三歳の誕生日を迎えた。

 その日、寺院のみんなが丁度わたしが“次期師範代に推薦された記念”と一緒に誕生日を祝ってくれるらしかった。みんながわたしの為に準備してくれた豪勢な料理を前に、嬉しすぎて思わず涙が出てしまった。

 みんなに暖かく祝福の言葉を貰い、薦められるがままに。わたしは大好物のミートパイを口にした――

 

「……うっ!」


 すぐさま舌触りに違和感を憶えた。

 クリームのなかにヌメリとしていて生臭い、奇妙な肉があった。

 わたしは思わず“ソレ”を吐き出してしまった。


「あーあ。吐いちまった」

「もったいねーだろ?」

「ちゃんと食えよ」


 周囲の反応に心がザワついた。悪寒が奔った。信じたくなかった。


「何の肉かって? さー、なんでしょうか!?」

「ヒント! 関係ないけど、最近ミミを見なくなったよなぁ?」

「“どこに”いっちまったんだろうなぁ?」


 まさか。嘘だ。

 わたしは最悪の想像をした。

 吐き気を抑えきれず、嘔吐した。


「ぎゃはははははは!!」

「きったねー!」


 普段わたしを目の敵にしている年長の門下生の男が下卑に笑い、取り巻きたちもそれに釣られてわたしを嘲笑する。

 

「大丈夫かー? 具合でも悪いかよ!」


 そう言って、男は持っていた壺の中身をわたしに引っ掛けた。

 中にはドロっとした血が入っていた。何の、あるいは誰のものかは分からない。口のなかに鉄の味がして、わたしの青紫の髪にへばりついた。

 

「ぎゃはは! ざまーみろ! いい気になってんじゃねぇぞ!」

「総師範に贔屓されてるからって調子乗るなよ!」


 わたしは助けを求めるようにレイナを見た。けど、レイナは気まずそうに目を伏せた。

 深い絶望感。まるで腹の中の臓物を地面から生えた無数の手に引き摺り下ろされるかのような感覚が襲った。


――やり返しなさい


「だめだよ……。わたしはもう……誰も傷付けたくない……」


――忘れたの? 人は人、獣は獣。コイツらは獣よ。パパや座長と同じ


「ちがう」


――何が違うの? 見たでしょ? 私にこんな酷いことをして平気で笑っていられるなんて“人”じゃないわ


「ちがう」


――違わない。何も違わない。下衆なコイツらなら力を振るってもいいの。それを止めなかったレイナも同罪。


「ちがうちがうちがう」


――大丈夫。あとは私に任せて? 我慢する必要なんかない。きっとその方が楽だから。


「だめ。やめて。いや!」


――さぁ。懲らしめてあげましょう? やり返してあげましょう? この醜い獣どもを壊してあげましょう。


「――いやああああああああああ!!!」



 無惨な姿に変わり立てた門下生たちが息も絶え絶えにくたばり、怖ろしいほどの静寂が訪れていた。

 祝いの席に散らばる血と汚物。食器、料理、椅子、机、小物、人体、この場のありとあらゆるものを武器に転用した。武具と戦術を選ばない、わたしの最も得意とする戦い方で門下生たちを蹂躙したのだ。

 

「リンファ……?」


 背後から声が聞こえた。

 振り向くと、そこには呆然と立ち尽くすリーおじいちゃんの姿があった。


「私……ただやり返しただけなんだよ? みんなが悪いんだよ? 私のこと侮辱したみんなが悪い。ねぇ? そうだよね? リーおじいちゃん? ねぇ?」


 わたしは言い訳を並べ立て、縋りつくように見た。

 一番の理解者である彼ならば、きっと受け止めてくれる。

 わたしの大好きなリーおじいちゃんなら、わたしのことを黙って抱きしめてくれる。

 

「――化け物」


 ……そのとき、わたしの中で何かが壊れる音が聞こえた。


「へぇ、化け物かぁ? そっか。わたしって……やっぱり“化け物だった”んだ。どうりで。……あは、アハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」


 わたしは狂ったように笑った。

 

――そう。私は化け物。それでいいじゃない


「ちがう! わたしは化け物なんかじゃない!」


――認めなさい。あなただって確かに感じたはずよ? クソみたいな門下生ども、座長、パパ。いずれのときも高揚感があったはずだわ。


「しらないしらない! そんなのしらない! ただ辛いだけだった! これ以上誰かを傷付け、壊してしまうのが! だからずっと“我慢”してきたのに!!」


――我慢。ねぇ? 


「あ……」


――そう。あなたは“我慢してきた”のよ。それがあなたの本質。本性。サガなの。


「あ、ああ……」


――思う存分に力を振るい、蹂躙する。それがあなたが本当に望んでいるもの。あの日、木の棒で作った槍でトンボを仕留めた“あの瞬間から全てが始まっていた”のよ。


「そんな……わたしは……わたしは……」


 ただ誰かに褒めてもらいたかった。認めてもらいたくて頑張ってきた……はずだったのに――



 リーのジジイの元を離れ、私は“リンファ・メイル”に戻った。

 あらゆる武術を極めた。武器を召喚する魔法を会得した。伝説の水竜を手懐けた。敵を惑わすための美しさを磨いた。

 その全てはひたすらに力を求めるため。誰よりも強くなることが私が生きる意味。私の人生の価値そのものだった。

 私にはそれしかなかった。だって、私は“化け物”なのだから――

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