第59話 美しき狂気・中編4

「おい、リンファのやつ一体どうしちまったんだ?」


 彼女の異常な様子に、さしものクザも困惑の色を隠せない。


「わかりません。勝ち気で好戦的な性格だと思われますから、このまま何事もなく終わるとは思いませんが……」

「それにしても何を呟いているんだろう……。なにか意味のある言葉なのかな?」


 アンナの疑問に、エミリィは今一度リンファが呟いている言葉を聞き取るのに傾注する。試合中の彼らの会話は大スクリーンの拡声機能を通して会場中に聞こえるようになっているのだ。


『……我……るは……再誕の……』

「再誕? この言葉……どこかで……」

「エミリィ? 聞き覚えあるの?」

「はい。なにか妙に引っ掛かるといいますか」

「もしかして、“呪文の詠唱”とか?」

「呪文の……詠唱……?」

「なーんて! そんな訳ないよね。リンファ選手は“武器召喚以外の魔法”なんて使わないみたいだし」

「“再誕”というワード……、それを含んだ詠唱……。そして、彼女は武器を召喚する魔法を得意とする。……まさかッ!?」


 アンナの何気ない一言によってエミリィの中で“ある仮説”へと至り、目を大きく見開いた。


「ど、どうしたんだ? エミリィさん? なんか分かったのか?」

「まずい……彼女は――」



「……せし……よ」


 相変わらず幽霊のように不気味に呟き続けるばかりで、攻勢へ移る気配がまるで無い。観客たちも「怖気づいたのか!?」とか「ショックだったのかよ!」とか野次を飛ばしはじめる始末だ。

 どちらにせよこのままでは拉致が明かない。こちらから攻める。そう判断したときだった――


「――カズキさん!! 彼女の詠唱を止めてください!!」


 突然、会場の方から聞き覚えのある声が響く。エミリィさんが大声で何かを知らせようとしていたのだ。


「詠唱……? まさか!?」


 エミリィさんの言わんとすることを理解し始めたときには後の祭りだった。リンファが両手を大きく前へ掲げながら顔を上げると、獰猛な笑みを浮かべていた。


「――我、求めるは汝の再誕ッ! 隷属の獣ッ! 言霊の名は“サモン”ッ! ――顕現せよッッ!!!」


 詠唱を妨害しようと攻撃魔法を撃つ準備をしたが時すでに遅し。武舞台の半分の面積はある超巨大な召喚陣が彼女の足元を中心として出現し、強烈な光を放った。


「うっ!?」


 光に目が眩み、庇った腕で視界を奪われてしまう。

 ほどなくして発光が収まり、視力も回復する。そうして腕を払うと、信じ難い光景が目の前に広がっていた。


『こ、こ、これはっ!? う、うそでしょぉッ!?』

「な……あ……っ!?」


 舞台に召喚された“ソレ”の姿を見上げ、愕然とする。会場中からも悲鳴に近い声が木霊していた。


「アハハハハ!!! どう? 絶望した!? してるわよねぇ!? その情けない面を見れば誰だって分かるわぁ!!」


 リンファは“ソレ”の太い首元に両足を揃えて跨っている。こちらを愉悦の表情で見下ろしながら彼女は続けた。


「これが私の“最強の武器”ッ!! ――『瀑虐竜(ばくぎゃくりゅう)リヴァイアス』ッ!! かつて栄華を誇ったが、たった一晩で海の底へ消えてしまったと歴史の教科書に記されている『ヨブ国の悲劇』! コイツこそがその“ヨブを沈めた張本人”ッ! 伝説のアクアドラゴンよッ!!」


 ――戦慄していた。ただひたすらに。

 文献で見かけるような伝承の存在。自分とは無関係な遠い世界にいると思っていた空前絶後の怪物が、確かに今目の前に在るのだ。

 全体的に細くしなやかな体躯。首長竜を彷彿とさせる長い首。シャープな形状の頭部と鋭い目つき。背中には二対の翼があるものの、飛行よりも遊泳の役割を有する魚の胸ヒレに近い形状をしている。また全身の肌は光沢のある濃紺色の鱗に覆われており、堅牢さを彷彿とさせながらも息を呑む美しさを誇っていた。


「……ほぉら、いい子いい子」


 リンファはそんな怖ろしい怪物の首元に座ることを許されているだけでなく、まるでペットを可愛がるかのように頭を撫でた。リヴァイアスは彼女の手を邪険にすることなく甘んじて受け入れ、目を瞑って気持ちよさそうにしている。それが二人の信頼関係を如実に物語っていた。


「――さぁ! これより始まるのは試合でも、勝負でも、戦いですらないッ!! カズキ・マキシマ虐殺ショーよッッ!!! アハァ! 震えて待つがいいわッッ!!!」


 彼女の宣言とともに、甲高い竜の咆哮が轟いた。



『な、なんということだああぁ!? リンファ選手が召喚したのは竜種ッッ!! しかもあのヨブ国を壊滅させたという伝説の竜、リヴァイアスだと言うではありませんか!?』


 ダーネット女史は興奮した様子で実況し、会場中が騒然とする。

 

「うそ!? エミリィ! リヴァイアスって、本当にあのリヴァイアスなの……!?」

「そんな馬鹿な……!?」


 リンファが召喚した“召喚獣”を目の当たりにし、一同に衝撃が奔っていた。


「嘘だろ……? 人間たちの間に固有名が知られるほどの竜種を召喚し、使役するだなんて……! あんなのワイバーンやレッドドラゴンみたいなそんじょそこらのドラゴンたちとは訳が違うッ! 次元が違いすぎるぞッ!」

「し、しかしよ? リンファのヤツが口からでまかせ言ってるだけかもしんねぇぞ?」


 クザの言葉に、エミリィが神妙な様子で答える。


「――いえ、おそらく本物です。通常の倍の体躯、そしてより深い色に染まった鱗。長生きしたアクアドラゴンの特徴がそこかしこに見られる。たしかヨブ国が滅んだのは今から300ほど年前、それぐらいの年月を生き残った竜種といってもいい」

「……マジかよ」

「それじゃあ、あれは本物……?」

「……本物にせよ、そうでないにせよ。強力な個体であることには違いないだろうね」


 そう言ってモルモネは思案に暮れる。


(リヴァイアスのやつ、ある日突然姿を消したとは聞いていたが。まさか一人の人間に飼い慣らされていたとはね……。一体どうする? カズキ――)



「さぁ! リヴァイアス! あの男をブチ抜きなさいッッ!!!」


 首元に跨ったリンファが命令を下すと、水竜は口を大きく開け広げてこちらに標準を定める。

 

「――ッ! まずいっ!?」


 俺は咄嗟に両足に筋力ブーストをかけ、その場から緊急離脱する。その瞬間、口内に青色の魔力オーラが生成される。それは瞬く間に水のレーザーを形作り、こちら目掛けて撃ち放たれた。


――きぃいいんっ!


 刹那、耳を劈くような高音が傍を通り過ぎたかと思えば、石材が派手に砕ける音が響き、小さな破片がぶつかってきた。

 おそろおそる着弾点を見る。

 石畳が真っ二つに割れ、下まで深々と抉れていた。その絶大な破壊力を目の当たりにし、背中からドッと嫌な汗を掻く。もしもコレが身体のどこかに掠りでもしたら、その部分は肉も骨も区別なく粉微塵に吹き飛ぶことだろう。


「あら。よく回避できたわね」

「こんなの普通じゃない……!」

「ふふっ! 今更後悔しても遅いのよ? さぁて、いつまで躱し続けられるかしらねぇッ!?」


 リンファは一切の容赦なく追撃をけしかける。リヴァイアスは俺を執拗に狙い、次々と水のブレスを連射した。


「やばっ!!」


 俺はとにかく必死になって逃げ続けた。筋力ブーストを使って全身全霊の全速力で走った。そうでないと、少しでも立ち止まってしまえば水圧レーザーの餌食になってしまう。さっきから絶え間なく飛んでくるブレスは全てが精確にこちらを狙い撃ってきており、紙一重で辛うじて回避しているに過ぎないのだ。


「アハッ! アハハハハハハ! アハハハハハ! ほらほら! 頑張らないと当たっちゃうわよぉ!! アハハハハハハハ!!」


 リンファは狂ったように笑い続けながら、俺が逃げ惑う様を見て楽しんでいる。


(――クソ! どうしよう……どうしよう……!? こんなの聞いてない! まさか竜種を召喚するなんて! こんなの……こんなバケモノ相手にどう戦えってんだッ!? ちくしょう!)


 俺は心の内で悪態をつく。だが、そんなことをしたところで事態が好転するわけでもない。今はただこうして逃げて逃げて逃げまくって、勝機を見出すために考え続けるしかない。

 ……相手は竜種のアクアドラゴン。魔物図鑑で一度目を通したことはある。水属性とい枠組みの中でも最上位に位置する魔物。しかも奴自身は300年もの間長生きした歴戦、いや伝説級の個体。弱点は当然地属性だが、あれほどの個体であれば高い魔力耐性を持つはず。俺が扱える程度のレベルの攻撃魔法ではまともにダメージを与えることすらままならないだろう。近接攻撃など以ての外だ。

 

(うう……考えれば考えるほど勝ち目が無さすぎる……!)


 彼女を挑発し、冷静さを奪えば勝ち筋が見えると思っていた。ところが結果として、とんでもない“藪蛇”を呼び寄せる羽目になってしまった。目論見が甘かった。まさか、リンファがこれほどに強力な魔物を召喚し、使役することができるだなんて思わなんだ。この窮地は彼女の底力を見誤った俺の失敗に他ならない。


(くっそぉ……! 本当にどうしたら……!?)


 そんな風に必死に思考を巡らせていると、突如として視界の端になにか青い影のようなものが映った。


「――えっ」


 それの正体が“リヴァイアスの尻尾の先端”であると理解したときには、もう遅かった。


「ごふ」


 鋭く振るわれた尾が腹部を強打した。その勢いのまま身体は宙を舞い、武舞台の壁に背中から叩きつけられる。


「ご……ぐ……お」


 息が詰まる。お腹が熱い。激痛が全身に奔る。

 あまりの衝撃に意識が飛びそうになるのを堪えるのがやっとだ。


「ふふ! ブレスにばかり気を取られ過ぎよねぇ?」

「……ぐうっ」


 それでも俺は気力を振り絞る。決して剣を握る手を緩めずに立ち上がり、敵の姿を見据えた。


「――リヴァイアス。まずは右足の太腿よ。……さっきのお返し」


 リンファが冷酷に指示する。彼はそれに忠実に従い、俺の右太腿を水圧レーザーで撃ち抜いた。


「あああああああああああああああああああ!!!!!」


 筆舌に尽くしがたい痛みが脳天まで突き抜け、絶叫する。右太腿の命中した部位が丸々くり抜かれ、粉々になった布と肉と血と骨が飛沫した。


「はぁああああああっ♡ ヤバっ……最高に気持ちいいっ♡ はぁっ♡ ……ねぇ、どう? 足をふっ飛ばされるのってどんな気分ッ!?」


 俺は堪らず床に這いつくばった。原型を留めず粉々の石畳の上に、水と血と油が混ざった汚濁が散乱している。

 傷は即座に治ったが、壮絶な痛みと身体の一部が易易と削り取られる恐怖からくる“精神的苦痛”は計り知れないものがあり、身が竦んでしまう。


「あはっ! もう心が折れちゃったァ? でもねぇ、アンタはこんな程度で済まさないからッ!! リヴァイアス、手足を押さえつけなさい!」


 水竜は強靭な四肢で武舞台を重々しく踏み鳴らしながら、動けない俺の元へ近づいてくる。


「さぁて、拘束してからはどうしてやろうかしらぁ? 腹を食い千切って腸を引き摺り出してあげようかしらぁ? あっ! それいい。ナイスアイデア! これ見よがしにちょうどいい観衆もあることだしね。あはっ! 公開腹裂きの刑よぉッ!! アハハハハハハハ!!」


 見上げるように巨大な竜が、ゆっくりと迫ってくる。

 彼女から拷問を受けるのが怖ろしいのもそうだが、あんなのに捕まってしまえばもはや逆転の芽は無くなってしまう。このままでは確実な敗北を迎えるのだ。


「さぁ!! 捕まえろぉ!!」


 竜の爪が俺に向かって伸びてきた。

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