第57話 美しき狂気・中編2

 足首に巻き付いた鎖は雁字搦めになっていて自力で解くことは叶わない。

 リンファはこちらの剣の間合いを完全に把握しているのか。リーチがギリギリ届かない距離から大鎌を振り上げようとしていた。

 もはや進退窮まったか。

 ……否、諦めるには些か早計だ。


(もう、“アレ”を使うしかない……ッ!)


 最後の頼みの綱である愛刀スカーレットを力強く握り締め、逆転の一手を託すように白磁のネックレスに狙いを定め、大きく剣を振り上げた――



(あっははっ! 馬鹿じゃないの!)

 

 みっともなく剣を振り上げようとする彼の姿に、もはや失笑すらしてしまう。

 こちらの位置取りは完璧だ。大鎌とあのエンチャント武器との覆しようもないリーチの差。こちらに届かないのは火を見るより明らかである。にも関わらず、ヤツは私の首にかかったネックレスを狙って剣を振りかぶろうとしているのだ。

 今までの合理的な試合運びをしてきた彼にしては、苦し紛れにもほどがある行動だった。もはやそれだけ追い詰められたということなのだろう。


(やっぱり訂正するわ。アンタは雑魚の魔法戦士よ……ッ!)


 最後にこの情けない男の面を拝んでやろう。

 そう思い、ヤツの顔を見た。


「……!?」


 どんな腑抜けた顔をしているのかと思っていた。だが、ヤツは決して勝負を諦めてなどいなかった。強がりではない。勝利の確信を持った威風堂々とした表情だった。

 

「はぁッ!!」


 彼が声を張り上げて剣を薙ぐと同時に、緋色の刀身に風の奔流が集中する。


(なにッ!? な、なんだこれは……ッ!?)


 刹那、彼のエンチャント剣の先端部から、緑色の半透明の刃が瞬時に形成されたのだ。それによって鎌のリーチと互角かそれ以上となった。


(まずい……このままじゃ!?)


 あまりの予想外の事態だが、狼狽えている暇はない。こちらはただでさえ得物が長い分振りの速さでは剣に劣る。しかも相手の刃は実体の無い魔法の風ゆえに遠心力はかからない。さらにダメ押しとばかりに風属性の性質変化による軽量化も振りの速度上昇を後押ししている。

 このままでは“先にネックレスを破壊されてしまう”。王手をかけたつもりが、逆に首根っこを掴まれていたのだ。

 ……まずい。今すぐ躱さなければ。躱さなければ。躱さなければ。躱さなければ。躱さなければッ!


「――くそがあああぁーーーッッ!!」


 



『な、なんだこれはーーーッ!? 剣に風の刃が生えたーーーッ!?』


 カズキが未知の技を使ったその決定的瞬間は、スクリーンに大きく映し出されていた。実況者はもちろん、観客たちにも驚きの声が上がる。


「すごい……! カズキ!」

「なるほど! エンチャント現象を“刀身全体”ではなく“切っ先にのみ”集中させることで、瞬間的にリーチを稼いだというわけか! やっぱりカズキは面白いヤツさねっ!」

「一体いつの間にあんな技を……? クザさんは知っていたのですか?」


 エミリィに問われるが、クザも同様に驚嘆を隠せないでいた。


「い、いや……、俺もあんなのは知らねぇ」

「なに? クザも知らなかったのか? ……じゃあ、つまりアレが」


 合点がいったとばかりにハッとするクレアンに、ムッシュが嬉しそうに答えた。


「アレこそがカズキくんの隠し玉……、いや“切り札”というわけじゃな!」



 ――風影刃(ふうえいじん)。刀身に風の刃を纏わせ、剣そのものの斬れ味を補強するのではなく。剣の先端部から風の刃を追加し、一瞬の間合いを狂わせる奇襲技だ。

 この技は聖闘祭開催までの修行期間中、対クザ兄貴用に密かに編み出していたもので、当人はもちろんアンナやエミリィさんにまで内緒にしていた。まさに奥の手中の奥の手、とっておきの切り札である。

 リンファの首目掛けて剣を振ったのは、決して破れかぶれになったわけではない。彼女は俺の武器の間合いを完璧に把握していた。だからこそ、そこに付け入る隙があった。彼女が俺の『接近戦には必ず武器を召喚する』という先入観を利用したように、俺も彼女の『剣のリーチは変化しない』という先入観を利用したのだ。

 風影刃は本来ならリー老師との試合で使うつもりだったが、結果的にこの瞬間まで温存することができてよかった。おかげで勝機を見出すことができたのだ。


(――届けッ!!)


 俺は祈るようにスカーレットを横に薙ぐ。あともう少しで彼女の首に掛かった白磁のネックレスへと到達する。勝利は目前だった。


「――くそがあああぁーーーッッ!!」


 リンファは怒りのままに叫んだ。

 彼女の首をネックレスごと両断しようかと思われたその瞬間。彼女は咄嗟に鎌の柄を握っていた手を離し、床に踏ん張っていた右足を頭上高く振り上げる。その足の反作用によって上体を反らし、紙一重のところで首の位置をずらした。


「――いッッッッ!!!!!」


 だが、その代わりに高く上げていた右足の太腿と左頬に風の刃の薙ぎが襲いかかる。太腿が真っ二つに切り裂かれ、リンファは短く鋭い悲鳴をあげながら仰向けに倒れた。


『あっっとおおーーーッ!? リンファ選手! カズキ選手渾身の一撃を、なんと超ギリギリで回避しましたーーッ!!』


 真っ二つになった足はすぐにくっついたが、周囲には鮮血が派手に飛沫していた。一弾指のあいだ思考が空白になる。が、まだ彼女を仕留めていないことを再認識すると、追撃をかけるように床に伏せたリンファへ剣を振り下ろした。

 ところが緋色の刀身は床を虚しく叩く。彼女は飛び跳ねるように高速のバク転を繰り返し、瞬く間に距離を離してしまったのだ。


「はぁ……はぁ……危なかった……!」


 彼女は右足の切断部と左頬から血の痕を流し、息を荒げてこちらを警戒するように身を屈めて睨んでいる。俺の右足首に巻き付いていた鎖も床に落ちた大鎌も、いつの間にか無くなっている。召喚魔法によって召喚されたものは、使用者の集中力が著しく乱されると即消滅すると聞いたが、どうやら武器召喚もその例に漏れなかったらしい。


「くそ……、あともうちょっとのところだったのに!」


 ……惜しかった。本当にあともう少しのところだった。それでも、最後の奥の手が通じなかったのは紛れもない事実。タネが割れてしまった以上、次からは警戒される。これ以降、風影刃はもう通用しないと見ていいだろう。


「はぁはぁ……、まさか……こんな技を隠し持っていたなんてねェ……!」


 すると彼女はおもむろに左頬を伝う血を指で掬い、見つめる。


「ふ……ふふ……!」

「……?」


 そして肩を震わせると、堰を切ったように高笑いしだした。


「あはははははははははははっ!!!」


 突然のことで訳が分からず、ただ唖然とするしかない。リンファの狂気的な笑い声が響き渡り、観客たちにもどよめきが奔る。彼女はひとしきり笑うと妖艶な表情をみせた。


「ふふっ! 気に入ったわぁ……! 名前は……カズキといったかしら?」

「だからなんだよ」

「このリンファ・メイルの生涯において、身体に“切り傷”をつけた者は未だ嘗て存在しなかった。……だから、アンタはこの私が名前を覚えてあげるだけの権利があるッ! これは名誉なことよ? あはは!」

「名誉な……こと?」

「アハァっ! 楽しくなってきたわっ! こんなヤツ初めて! ああっ、早くめちゃくちゃに嬲ってやりたい……ッ!!」


 リンファは愉悦の狂気に顔を歪めると、舌舐めずりをして俺を見据えてきた。


「さぁカズキ! 続きを始めましょう! さぁ早く! さぁッ!!」


 彼女は執拗に試合再開を催促してくる。

 水魔法による感電作戦も失敗した。風影刃も通用しなかった。こうなってしまった以上、次に俺が取る行動は決まっていた――


「――棄権……しよっかなァ」

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