第56話 美しき狂気・中編

 二人は同時に駆け出した。

 俺はスカーレットを手に、リンファは素手のままだ。


(あの剣と接触した状態で雷を放たれたら厄介ね。なら、感電しないよう絶縁体のある武器がいいかしら……!)


 リンファは疾走しながら右手側に魔法陣を出現させる。


――いきなりパッと現れるわけじゃねぇ。まず魔法陣が発生する。


 クザさんの言っていたことを想起する。俺はこの瞬間を待っていたと言わんばかりに、魔法陣へ手をかざした。


「――ウインドカッター!」

「……!」


 呪文詠唱とともにウインドカッターを射出する。今まさに魔法陣から武器を取り出そうとしている彼女の右手に、風の刃が迫った。


「ちっ!」


 リンファは舌打ちして握りかけていた手を離し、急いで引っ込める。するとニアミスで武器の取っ手が切断され、そのまま光の塵となって消えてしまった。


(こいつ……、接近戦で挑むと息巻いておきながら攻撃魔法を!)


 リンファが右手に気を取られている隙に、既にこちらの剣の射程圏内へと到達していた。いくら彼女が武術の達人とて素手と武器、この明確なリーチの差は覆しようもない。


「――もらったッ!」


 俺はスカーレットを垂直に構え、正面突きを放つ。狙いもなにもない、このままどこかに適当に当たりさえすれば問題ないのだ。剣で体を貫き、痛みで怯んだ隙に渾身のライトニングストライクを放つ。そうして彼女に直接電撃を浴びせることができれば、なんだっていいのだ。


「くっ!」


 リンファは焦りを顕にしながら咄嗟に片足を前に出す。急ブレーキをかけて半身となり、我武者羅に剣を避けようと身体を斜めに傾けた。しかし所詮は苦し紛れの回避に過ぎない。このまま走る勢いに乗れば、どう足掻いても刺突が成功する。

 勝った……! 心のなかでそう思った。その瞬間だった――


「……なーんてね」


 リンファが妖しく笑ったその刹那、腹部に鈍痛が奔った。


「ごはッ!?」


 口から赤黒い血を吐き捨てる。なにか硬くて細長い異物に背中まで貫かれ、動きを止められていた。熱した鉄棒で臓物が内側から炙られているかのような激痛に意識の全てを奪われる。


「な……なんで……?」


 おそるおそる下を見る。そして突如自分の体を貫いたものの正体を知り、絶望した。


「まさか……ッ!?」

「あははっ、いい顔……! ねぇ? 槍でお腹を貫かれた経験ってある?」


 リンファはこちらを嘲るかのように、撫でるような甘い声で囁いた。

 

「……無いわよねぇ? じゃあ……私が初めてを奪っちゃったかなぁ? くくく……あはは!!」


 床に魔法陣が出現していたのだ。

 それは彼女が咄嗟に前に突き出していた足の近くから発生していた。斜め上を向いた長槍が床から突き出て、俺の腹を貫いていたのだ。



『な、なんということだぁ!!?? カズキ選手の突きが決まったかと思いきや! 逆にカウンターを決められてしまいました!!』


 ダーネットの実況と観客の騒然とは裏腹に、アンナたちは凍りついたような表情を浮かべていた。


「そんな!? 彼女は召喚する素振りなんか見せてなかったのに!」

「どういうことだ……? 一体どうやって……!?」


 アンナとクザの疑問に、エミリィは恐ろしげに答える。


「……考えてみれば当然でした。魔法現象は基本的に手の先から発生させるのが定石。召喚魔法もそうです。ですがリー老師の旋風脚のように、“足先から出すことも理論上は可能”……!」

「そうか! 奴は片足をブレーキの為に前へ出したのではなく、足元の床から召喚陣を発生させるために……」

「盲点でした。この可能性は考慮しなければならなかった。両手の近くから魔法陣を出すという先入観に囚われていたのを突かれてしまった……!」

「カズキ……」


 アンナの祈るような声が、人々の熱狂のなかに埋もれた。



「い……いだいッッ……!!」


 初体験の耐え難い激痛に悶絶し、涙が流れる。逃れようと藻掻くが、背中側まで深々と貫通していて叶わない。


「ふふっ、抜こうとしても無駄よ? だってもう完全に串刺しなんだもの。このままゲームセットにするのは簡単だけれど……。せっかくの決勝戦なんだからさ。もっと私を愉しませて……?」


 リンファは俺の肩に手を置くと、ぐっと体重をかけてきた。傷口が圧迫されて更なる苦痛が襲う。


「が……ああッ!! ぐう……ッ!!」

「……あはっ! ほらぁ、頑張って? 男の子なんだから我慢できるでしょ? ねぇっ?」

「が……あ……っ」


 あまりの痛みに意識が遠のいていく。リンファの嗜虐的な笑い声が響き渡り、会場からは悲鳴が疎らに上がっていた。


「やめ……てッ!」


 俺は嘆願するように、肩にかかった彼女の手を掴む。


「やめて? んー。そう言われると……余計にやめたくなくなっちゃう」


 しかしリンファは力を一向に緩めない。それどころかますます強くした。


「やめ……ら……」

「なぁに? よく聞こえないわねェ」

「ら……」


 気力を振り絞り、薄れかけていた意識を研ぎ澄ます。そして渾身の力を込めて言い放った。


「――ライトニングストライクッ!!」

「っ!?」


 俺は呪文を詠唱すると、彼女の腕を掴んでいた左手に風の魔力を流し込んだ。


「……くそッ!」


 リンファはライトニングストライクによって感電するリスクを即座に理解したのだろう。俺の手を慌てて振り払い、後ろへアクロバティックに跳躍する。俺は彼女を逃さまいと追跡するよう青白い雷撃を差し向けるが、ギリギリのところで射程外へ離脱してしまった。


『おおおお!! カズキ選手! 腹を槍で貫かれた状態で反撃しましたぁッ!!』

「まさかあの状況から呪文を詠唱するとはね。ふふ、でももうまともに戦える状態じゃないでしょう。……あ、そうだ。ナイフで頬ごと舌を刺し留めておけば、邪魔されずに最後まで愉しめるわっ」


 リンファは上機嫌で空いた胸元に手を入れ、例の隠しナイフを取り出した。

 

「ぐっ……うううっ!」


 彼女の言うように、このままでは為す術がない。この焼けるような痛みがあるだけでも失神しそうなぐらい辛いのに、この場からろくに動けないようではどうにもならないだろう。


「っ……なら……っ」


 俺は頼みの綱であるスカーレットを両手で力強く握りしめ、地属性の魔力を送る。刀身が無骨な岩肌に覆われ、何倍にも重みが増したソレを両手で持ち上げた。


「はぁあッッ!!」


 腹筋の痛みに堪えながら声を張り上げ、腕に筋力ブーストをかけた全身全霊の一撃を槍の柄に叩きつける。

 すると木材質が砕ける乾いた音とともに、真っ二つに折ることに成功した。二つに分かたれた長槍はそのまま輝く粒子となって霧散する。胴体を貫通していた異物も無くなり、超回復結界によって傷口も完全に塞がれた。


『カズキ選手! 反撃しただけでなく、自ら串刺しから逃れましたァ!! なんというガッツでしょうッ!!』


 お腹を手で抑えながら、なんとか息を整えようと努める。腹の風穴と一緒に痛みも消えたものの、あまりいい心地はしない。


「へぇ。エンチャント武器といっても、結局はマジナイト金属の塊。地属性の性質変化による重量増加を利用すれば、刃物が鈍器に早変わりってわけ」

「はぁ……はぁ……っ。……ああ、そうだよ」


 ようやく呼吸が落ち着く。さっきまで致命傷を受けたとは思えないほど、いつもの調子に戻った。まさに超回復結界様々である。


「さらに言えば。召喚陣から呼び出し中の武器は“著しくダメージを受けると即座に消失する”という法則にも既に気付いている。……違う?」

「……」

「あら、図星ってところかな」


 彼女の指摘はズバリ正解だった。

 さっきウインドカッターで魔法陣から出現しようとした武器の取っ手を切断したとき、今の槍と同じように消えてしまった。だが準決勝戦でクザさんが破壊したウォーハンマーは両断したにも関わらず、すぐに消失することはなかった。

 その二つの違いは“召喚陣から出た後か否か”という点だ。だからこそ柄を砕いただけで槍を消すことができたのだ。


「これでわかったわ」

「え?」

「アンタは案外やるってことをね。正直雑魚の魔法戦士と侮ってたけど、“雑魚”から“凡百”に格上げしてあげる」

「……そりゃどーも」

「もうちょっと喜んだら……どうッ!?」


 リンファは不意撃ち気味に手にしていた隠しナイフを投げつけてきた。

 投げた位置と軌道からして、フルールとの試合の時と同じ狙いであることは明白だ。俺は置く感覚でスカーレットの刀身を両目の前にかざす。すると金属音が反響し、ナイフはそのまま明後日の方向へ弾け飛んでいった。


「ハハッ! よく防いだわねェ!」


 しかしながら、構えを解いたときには既にリンファが猛スピードで距離を詰めてきていた。


(くそ! ナイフは陽動だったのか……!)


 慌てて剣を構え直そうとするも、もはや間に合わない。俺は彼女が一体どこから召喚陣を出すのか全神経を集中して警戒する。


(どこだ……? どこから……? 右手? 左足?)

「――ばーか」

「っ!?」


 ところが彼女は最後まで武器召喚せず、そのまま飛び蹴りを繰り出してきた。俺はその予想外の攻撃に対応することが出来ず、腹に一発食らう。


「がはッ!」


 腹部に鈍い痛みと強烈な圧迫感が生じ、呼吸が苦しくなる。

 接近戦をする際に“必ず武器を召喚する”という、彼女に対する俺の先入観を逆に利用されてしまったのだ。武器使いの印象が強すぎて、彼女は徒手空拳でも充分に強いという事実を失念していたのが間違いだった。


『おっとぉ!? ここでリンファ選手の華麗な蹴りが炸裂ゥ! カズキ選手! 完全に虚を突かれたといったところでしょうか!?』


 蹴りの一撃の衝撃を受け、倒れそうになるのをなんとか堪え蹌踉めている間に、リンファは半歩距離を置いた。


「お遊びはここまで……。そろそろ終わりにしましょう」


 彼女はそう言うと、右手付近に魔法陣を展開し、中から禍々しいデザインの大鎌を取り出した。


「――命を刈り取る死神の鎌。終幕(フィナーレ)には相応しいでしょう?」


 リンファは愉悦に顔を歪ませながら、勢いよく鎌を振りかぶった。


「うおっ!?」


 咄嗟にバックステップを踏み、首を刈るが如き横一閃をなんとか躱す。が、彼女は間髪入れずに鎌を振り続ける。こちらもスカーレットで応戦しようにも、絶妙に距離を取られて思うように反撃できない。


(遠すぎず近すぎず剣の間合いを微妙に上回る武器。絶縁体で出来た柄。呪文詠唱の隙を許さない絶え間ない波状攻撃。……そしてッ!)


 俺がしびれを切らし、前へ一歩踏み出したときだった。リンファが片足を前に突き出して後ろに跳躍すると同時に、右足が突然動かなくなる。


「――しまった!?」

「アハッ! 大鎌の威圧感に気を取られ過ぎちゃったわねぇ!」


 右足首に鎖が何重にも巻き付いていた。それは足元の床の召喚陣から続いており、彼女が片足を突き出したときに発動していたものだと即座に理解する。


「これで終わりよぉッ!!」


 リンファは勝利を確信したように笑いながら白磁のネックレスに狙いを定め、大きく鎌を振り上げた――

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