第53話 瑠璃色の思い出

「――身体各所に異常は見られません。後遺症もなし。魔力の充填も完了致しました。お疲れ様です」

「ありがとうございます」


 ケアをしてくれた医療スタッフさんに一礼する。試合終了後、北東と南西の各方面にある選手控え室にて、こうやって身体に異常が無いかをチェックしつつ魔力の補給が行われるのだ。ちなみに彼女たち普段は教会の修道女で、聖闘祭の医療スタッフとして臨時に雇われているとのこと。


「あの……、ところであの方はその……リー選手ですよね?」

「え? まぁ……」


 彼女は控え室の入り口に視線を向けながら言う。

 そこには腕を組みながら壁に寄っかかって寡黙に待つリー・ナムの姿があった。本来なら反対側の南西控え室でチェックを受けなければならないはずだが、すぐにでも俺と話をするためにわざわざこちらに付いてきてしまったのだ。


「リー選手。今すぐ南西の方へ戻ってください」


 厳しい顔つきの彼に対し、スタッフさんは物怖じせず言う。


「……そんな暇はない。決勝戦が始まるまでに、そこの若いのとしなければならん話がある」

「あのですね。試合後のケアは大会の規則なので守って頂かないと。超回復結界の安全性は信頼に値しますが、万が一のこともありますので……」

「儂の身体はどこにも異常はない。ケアの必要などない。戻る時間も勿体ない」

「でも取り決めは守って貰わないと……」

「なら今すぐお前がちゃっちゃとケアを済ませればいい。魔力の補給なぞ必要ないからすぐ終わるだろう?」

「いやそういうことじゃなくて! 今頃向こうの担当者が困ってるんですってば!」


 頑として譲らない態度を貫く老人に対し、スタッフさんはすっかり途方に暮れた様子である。このままじゃ埒が明かないので、俺が助け舟を出すことにした。


「リーさん、それなら南西の控え室には俺も同行します。話はその道中で“ゆっくり”としましょう」


 ゆっくり、という言葉をあえて強調した俺の意図に彼は上手く気付いてくれたようだ。


「――わかった。そうしよう」

「ほっ」


 何も知らないスタッフさんの安堵した様子に罪悪感を抱きつつ、俺たちはひとまず控え室をあとにする。そうして通路を出てからひと目のつかない場所に落ち着くと、リーの方から口を開いた。


「率直に尋ねたい。今の貴様から見た“あの”リンファについて、どういう印象を受ける?」

「え? どうって……」


 あまりの藪から棒な切り出し方に戸惑いを憶える。リー老師の表情と語気は真剣そのものだ。俺は彼女について感じたことを率直に、ありのままに伝えた。


「――ふっ、そうか。……面白い男だ。あの悍ましい姿を見せられてもなお、“そんな風にあの子を見ることができる”のか」

「そりゃ、たしかにおっかないとは思いますけれど。それとこれは別じゃないですか?」

「……なおさら、君に全てを託したくなったよ」

「え?」


 俺の言葉を聞いたリー老師は、今まで見たこともないような穏やかな面持ちになっていた。どこか憑き物が落ちたような清々しい表情を浮かべていたのだ。


「あの子、リンファは本当は優しい子だ。だが儂のせいであの子は歪んでしまったのだ」


 リー老師はどこか遠くを見つめながら、細々と語り始めた。



 リンファと初めて逢ったのは今から12年前の春先だった。

 たまたま私用で訪れていた街で見掛けた旅芸人一座のなかにあの子はいた。普段なら歯牙にもかけず見過ごすところだったが、その時だけはどういうわけか気になってしまったのだ。

 彼らが超人的な曲芸を披露するたび、見物客たちは驚きの声をあげる。しかし、どれもこれも他愛のない虚仮威しだった。彼らは芸を会得するため血が滲むような努力を積んだに違いないが、あくまで成果を実らせる努力をしただけに過ぎない。芸事とはいわば試験に受かる為だけの勉強の成果の結実である。先も果ても見えぬ努力を積み己を磨き続け、結果として後から成果が実る武術の道とは相容れぬものだ。

 だが、彼女だけは違った。

 歳は十にも満たぬ儚げな少女の手番が回ってきたとき、儂は瞠目した。彼女の披露した業だけは決して虚仮威しなどではなかった。ナイフ投げと体術を織り交ぜた舞踏。洗練された基礎の延長線としての一挙一動、全てが自然体でありアドリブだった。決して上辺だけの努力で身につけられるものではない。

 儂はあの子が百年に一人の逸材であると確信した。あれほど才に長けた者が、いち芸人として埋もれるのがあまりにも惜しかった。あわよくば教え子としてシンハン寺院に迎え入れようと考えた。旅芸人たちの公演が終わったのを見計らい、彼らの元へ赴いたとき。ちょうど彼女の姿を見つけた。しかし――


「いい気になるなよ? クソガキが」


 あの子は人目の付かない場所で、座長と思わしき中年の男に暴力を振るわれていた。彼の手には、彼女から没収したと思しき金貨の入り袋が握られていた。

 不条理に対する義憤よりも、まず疑問が湧いた。


「――なぜやり返さない?」


 それはいたってシンプルな疑問だった。あれほどの技量を持つ人間が、なぜあのような三下の攻撃を甘んじて受けるのか、と。見知らぬ老人に話しかけられた彼女は当然のごとく唖然としていたが、ふいに答えた。


「……誰かを傷つけるぐらいなら、わたしが傷ついた方がマシだから」


 彼女はそう一言告げると、旅芸人たちのもとへ戻っていった。

 それから儂は、彼らが街に滞在するあいだ足繁く彼女の元を訪れ、対話を試みた。最初は警戒していたものの、徐々に心を開いて身の上話をしてくれるようになった。

 名はリンファ・メイルで、もともとはアルター大陸北方にある『ノースレーン』地方の出身だということ。幼少期から既にその頭角を現し、七歳になる頃には大人を試合で負かすほどになったこと。そしてある日、実の父親を組手で再起不能にしてしまったこと。それがきっかけとなって親元を離れ、今の旅芸人の一座に流れ着いたことを語ってくれた。

 リンファが座長から暴力を振るわれても頑なに反撃しないのは、かつて父親を深く傷付けてしまったトラウマに起因するのだと言う。そんな彼女に儂は言った。


「力を振るうことそのものは決して悪ではない。力とは己の運命を切り開く武器なのだ。武器を自ら捨てた者はやがて運命のなすがままとなる。悪意を持った誰かに家畜のように利用され、いずれ棄てられる」

「わたしの運命を切り開く……武器……?」

「己の持つ強大な力から目を背けるな。正しく制御して向き合い、運命の渦から抜け出すのだ。……儂の元に来い。お前に力の使い方を教えてやる」


 そうして一座が街に留まれる最後の日、儂は約束した場所で待ち続けた。しかしリンファは一向に現れぬ。彼女は旅芸人であることを選んだのかと思った矢先、彼女はやって来た。


「リンファ!」


 名を呼ぶと彼女は抱きついてきた。そうして瑠璃色の瞳で見つめなら、おずおずと言った。


「えへへ……やり返してきちゃった」

「ふっ、それぐらい構わんだろう。あの男は驚いていたか?」

「気を失ってた」

「はは、そうか。是非この目で見てみたかったものだ」


 こうして儂はリンファをシンハン寺院の門下生として受け入れ、そして彼女の親代わりとなった。

 武術の道に人生を捧げた儂は生涯独身だったゆえ、最初は家庭を持つということに戸惑った。しかしながら、リンファとの生活は穏やかな幸せに満ちていた。いつしかあの子を本物の娘と思うようにもなった。

 ――だが、そんなあの子との幸せな日々は、ある日突然脆くも崩れ去った。

 それはあの子が13になった日のことだった。

 その日はシンハン寺院の門下生たちが、本人には内緒でリンファの誕生日祝いを計画していた、と儂は聞き及んでいた。しかし儂はたまたま所用があって出かけており、祝いの席には遅れて参加することとなった。

 ところが寺院に戻ってくるや否や、血塗れの師範代が這々の体で儂に助けを求めてきた。事情を聞こうにも正気を失っていて禄に言葉も通じない。嫌な予感を覚えた儂は急いで会場である食堂へと赴いた。そうして広間に着いたとき、言葉を失った。

 ――そこには地獄絵図が広がっていた。

 壁や床一面に付着した夥しい血、血、血。

 あらゆる場所に横たわる門下生たち。全員息はあったが、誰もが死んだ方がマシと思える姿に変わり果てていた。

 両手両足を折り曲げられた者、ナイフが両頬を貫通した者、奥歯が両目に一つずつ突き刺さった者、片方の掌が切断された者、椅子の脚で磔にされた者。

 そんな地獄のなか、ただ一人立ち竦む者がいた。全身に血を浴びたリンファだった。彼女はこちらの存在を感知すると、ゆっくり振り向いてこう言った。


「私……ただやり返しただけなんだよ? みんなが悪いんだよ? 私のこと侮辱したみんなが悪い。ねぇ? そうだよね? リーおじいちゃん? ねぇ?」


 縋るような眼差しで、あの子はこちらを見た。

 後から知ったことだが、どうやらリンファの才能を妬み敬遠する一部の門下生たちが、悪辣な悪戯を仕掛けたらしい。その裏切りによってショックを受けてしまった彼女は、その場で錯乱して暴れ回り、一人残らず血祭りにあげてしまったとのことだった。

 そんな事情も知らない、いや例え事情を知ってたとしても、儂は彼女に恐怖心を抱いた。倒れていた師範代の中には、この儂と肩を並べるほどの実力者も少なくなかった。だが、そんな強者どもを相手に、このような地獄を作り上げた彼女に本能的な危機を抱き、震えあがった。


「――化け物」


 気付いたらそう呟いていた。そのとき、儂は取り返しのつかない過ちを犯してしまったのだ。


「へぇ、化け物かぁ? そっか。わたしって……やっぱり“化け物だった”んだ。どうりで。……あは、アハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」


 あの子の悲痛な高笑いが響き渡っていた。まるで慟哭のようだった。あるいは産声だったのかもしれない。

 その事件以来、あの子は儂の元から姿を消した。

 ところが、それから七年の月日が流れた今になってリンファは儂の元へ訪れたのだ。彼女は戯れでシンハン寺院の弟子たちを全員半殺しにし、儂に言った。


「久しぶりね。まだくたばってなかったのかしら」


 美しく成長したリンファの姿を見ても素直に喜ぶことはできなかった。瑠璃色の瞳は淀んだ殺気に満ち、荒みきっていた。もはやあの頃の彼女はどこにも居なかったように思えた。


「――私、今度の聖闘祭に選ばれたの。エルスニア最大の戦いの祭典で、私は私の力を示す。その場には是非とも貴方にも同席して欲しいと思ってね。……逃げちゃだめだよ?」


 そう言い残し、彼女は去っていった。

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