第52話 風が唸る・後編

 他愛ない。実に他愛ない。

 たしかにカズキ・マキシマというこの若い冒険者のポテンシャルは凄まじい。魔法戦士らしい柔軟な戦い方、今まで見た中で最も完成度の高いエンチャント武器、そして武術家として好ましい優れた感覚の持ち主。

 が、それでも儂には届かなかった。儂の完封策の前に平伏し、何の反撃の余地も無い。こうなっては驚異ですらない。それがこの青年の限界だった。

 しかし、それも仕方のないことだ。八つのときに武術の道を歩み始め、はや八十年余り。儂はその膨大な年数を、ただひたすら“相手を倒す為の技術”を磨くのに費やしてきた。

 それに対し、青年はせいぜい二十年生きた程度の若造。現に儂が生涯をかけて編み出した二つの奥義の合せ技の前に、青年は手も足も出ないのだ。この埋めようもない圧倒的経験値の差が勝負を決めた。ただそれだけのことである。


「――ぎゃああっ!!」

 

 いよいよもってカズキは絶叫をあげた。左足を狙った烈風拳の一つを見切るのに失敗したのだ。彼の太腿から血と皮と肉が弾け飛ぶと、そのまま呆気なく体勢を崩し、うつ伏せに倒れてしまう。


「いッ……! いだッ!!」


 カズキは激痛に身悶える。左手で命中した箇所を抱えながら、苦しそうな表情で呻いている。傷はとっくに完治しているだろうに、痛みに屈して戦う意志を喪失したようだ。


(そういえば、彼はこれまでの試合で一度も怪我をしていなかったな。ふん、所詮は青二才。たかが足が少し抉れた程度でこれとは。情けない……)


 何が未知の可能性。何が意外性。メッキは剥がれた。いざ蓋を開けてみればこの程度だったのだ。期待外れもいいところだ。

 しかし、ちょうど白磁のネックレスが首の下敷きになっている。あれを破壊するには、このまま烈風拳で首の骨を立て続けに深く抉りまくる必要があるだろう。しかし、それでは無駄に痛みを与えてしまう。そんな酷な真似は出来るかぎり避けたかった。

 それにそんな及び腰の攻撃で幕を降ろすのは、武人として格好がつかんというもの。


(……ならばせめて。我が最強の必殺技、『旋風烈斬剣(せんぷうれつざんけん)』でトドメを刺してやろう。ここまで這い上がり、儂を本気にさせた若輩者に送るせめてもの褒美だ)


 旋風烈斬剣。最高速度の旋風脚で相手の真横を通り過ぎ、手刀に纏わせた風の刃ですれ違いざまに斬りつける。その殺人的な速度と斬れ味による一閃は、鋼鉄をも容易く切り裂く。この技の前に屈しなかった闘士は今まで一人としていない。


(――旋風烈斬剣ッッ!!)


 一旦足を止めると、右手に手刀をつくって大きく後ろに構え、首に照準を定める。そして最大出力の旋風脚で彼に向かって爆進した。


「……む?」


 一応大事を取って彼の死角から近づいたつもりだった。彼には儂がどこから来るか分かりようがないはずだ。だが旋風脚を使った瞬間、カズキはまるで背中にも目が付いているかのようにこちらを見ると、手にしていたエンチャント剣を投げてきた。

 とはいえ剣をこちらに投擲するわけでもなく、くるくると回りながら床を滑るだけに終わった。


(――そうか! “会場に映し出された投影魔法(スクリーン)”! 此奴め、痛みに呻くフリをしつつ、“スクリーンを盗み見てこちらの出方を伺っていた”か! 抜け目ないやつ! ……しかしッ)


 甘い。なにもかもが甘い。

 おそらく近づいてくる儂に不意打ちをするつもりで剣を投擲したのだろうが、緊張で手元が狂って失敗した。といったところだろう。青二才らしいケアレスミスだ。


(……いや待て。本当にミスか?)


 烈風拳の一撃を太腿に受けて倒れ、激痛に悶えてもなお頑なに手放そうとしなかった剣を、何故わざわざ投げようとした?

 そうだ。不意打ちを狙うならば儂が近寄ってくるのを待てばいい。なぜそうしなかった? 尤も、仮にそうだったとしても儂ならばその程度のカウンターは躱す自信はあるが。

 もしや何か意味があるのか? 超速の思考世界のなかで疑念が生じた、そのときだった。


「――な!?」


 その疑念への答えを示すかのように、カズキは不敵な笑みを浮かべていたのだ。


(剣を投げた意味……! まさかッ!?)


 彼の真の狙いに気付いたときにはもう遅かった。

 何故ならば、足元をエンチャント剣が通過しようとしたその瞬間。緋色の美しい刀身から、突如として焔が燃え上がったのだ。


「しまっ――」


 炎が両足を丸ごと炙る。足の裏と地面の間につくられた風の奔流。即ち、疾風脚の高速移動を成立させている源である“浮力と推力”を一瞬の間に根こそぎ奪ってしまった。風の魔法現象を利用して遠ざけていた石畳の摩擦が足裏に刻まれる。

 果たしてそれが何を意味するか。

 それは他の誰よりも“自身”が一番よく理解していた。

 

「ごぼっ!!」


 50メートルの距離を一秒未満で走破してしまうほどの人智を超えたスピードの代償。誤魔化していたはずの慣性の暴力が足元から伝搬し、五体全てが床に叩き潰された。



「――リー老師の使う技が風属性の魔法であるならば、対策は充分可能です」

「風属性には火属性をぶつける……ですね?」

「そのとおり。あの高速移動技、ライアン様が使っていた『ブレイズアクセル』と原理が同じというカズキさんの考えはおそらく正しいはずです。であるならば……」

「使用してる最中に火の魔法で打ち消せばいい。推力と浮力を突然失えば、猛スピード走るバイクから放り出されるかのように、慣性の暴力を喰らうことになる?」

「ばいく? というものが何かは分かりませんが、それによって転倒したダメージで気絶させることぐらい出来るはずです」

「……ところでモネさん。剣を手放したあと、時間差でエンチャントを発生させる方法とかありますかね?」

「うーん。そうさねぇ……。エンチャントに罠魔法を使うってのはどうだい?」

「罠魔法ですか?」

「罠魔法の原理は分かるよな?」

「ええ。一旦は魔法陣という形で封印され、動的物体の接触あるいは衝撃に感応して発動する。ですよね?」

「その通り。だから罠魔法をベースにエンチャントしてやれば、同様の性質を得られるだろうね」

「なるほど。例えばファイアートラップをスカーレットにエンチャントしてから手放す。そして相手がスカーレットの近くに寄ると……ドカン。いいですね! これなら不意打ちに使えるかも……。ありがとうございます! エミリィさん、モネさん」

「いえ、お役に立てたようで何よりです」

「いいってことよ! その代わりちゃんと勝つんだよ!」



「よしッ! ……おわっ!?」


 俺は思わずガッツポーズしたくなるのを堪え、両手足があらゆる方向に拉げながら転がり跳ねるリー老人を既の所で避ける。それは勢いを失うことなく観客席下まで向かい、ぐしゃ、と嫌な音を立てて壁にぶつかることでようやく止まった。超回復結界が無ければ全身複雑骨折してもおかしくない大事故である。


『お、おおおおおお!? 一体何が起こったのでしょう!? なにはともあれ、カズキ選手! 倒れて万事休すと見せかけ、まさかこれは狙っていたのでしょうかぁッ!?』


 ダーネットさんの実況とともに会場から歓声が上がった。

 もちろん狙っていたに決まっている。足に飛んできた烈風拳をわざと受けて倒れ、あえて隙を晒した。そして、罠魔法の特性を利用した『エンチャント地雷作戦』が完璧に決まったのだ。

 とはいえ大きな賭けだった。リーが距離を取ったまま烈風拳を連発する判断をしていたら終わっていたし、旋風脚を使わずに近づいてくる可能性も充分あった。

 どちらにせよ、あの状況では打つ手が皆無だった。だったら一か八かの大勝負に出た方が良いと決断を下したまでである。


「ネックレスはまだ……壊れていないみたいだな」


 現在会場のスクリーンには、壁に叩きつけられ気絶しているリー老師のあられもない姿がアップで映っている。白磁のネックレスはまだ奇跡的に原型を留めていた。なら意識が回復する前に壊しにいかなければならない。こんな絶好の機会、リーほどの強敵相手では二度と訪れないだろう。

 俺は床に転がったスカーレットを拾い、急いで彼の元へ走った。


『カズキ選手! 気絶したリー選手に近づいていきます! このままゲームセットかぁ!?』


 観客席では自分に向けた称賛の歓声、もしくはリー選手への声援が混沌と交わされる。

 そんななか、俺はついに勝利のフラッグに目と鼻の先までたどり着いた。あとはこの剣を首目掛けて振るうのみ。

 そのはずだったのだが――


『おや? カズキ選手? どうしたことか!? なぜネックレスを破壊しないのでしょう!』


 手が止まってしまった。自分でも理由はよく分からなかった。


「……どうした? 何故トドメを刺さない?」

「!」


 まだ気絶していると思われたリーが細々と言葉を紡ぐ。俺は咄嗟に思ったことを口にした。


「どうしてあのとき、“距離を取っての烈風拳でネックレスを破壊しなかった”んですか? そうすれば確実に勝てていたはずなのに」

「そうだな……。まぁ、儂の武術家としてのチンケな矜持ってやつだ……。“そんな幕の降ろし方は格好悪い”。そう思った。ただそれだけのことよ」


 リー老師は弱々しく、だが気丈にそう言ってのけた。


「――だったら俺も同じだ! 手抜きされて勝っても嬉しくない! こんな幕の降ろし方、格好悪い!」

「なに?」

「立って下さい。ここからは本気でやり合いましょう」


 自分でも何言ってるのか分からなかった。せっかく彼を倒すために積み上げてきた努力を台無しにする愚行を、なんの躊躇もなくやろうとしている。

 もはや理屈ではなかった。理屈を超えた何かが自分を奮い立たせていた。もしかしたら“男の意地”というヤツなのかもしれなかった。


「……」


 俺の言葉を受けたリー・ナムは、その双眸に再び鋭い光を蘇らせ、ゆっくりと立ち上がる。


「ッ!」


 俺も距離をとってスカーレットを構え、臨戦態勢に移った。


「――馬鹿者が」


 だが次の瞬間、パキン、と乾いた音が木霊する。

 

「……え?」


 なんと彼は、白磁のネックレスを自ら手刀で破壊していたのだ。


「これ以上儂に恥の上塗りをさせる気か。この勝負はもうとっくに決着がついている。お前の勝ちだ。誰がなんと言おうとな」


 それからしばしの静寂の後。


『決着ーーーッッ!!! なんと潔し!! リー老師!! 最後の最後まで二転三転の展開で、全く先が読めませんでしたが、最後はカズキ・マキシマ選手の勝利という形で幕が降りましたーーーッッ!!!』


 ダーネット女史の興奮に満ちた声とともに会場が沸き立つのであった。


「どうして……?」


 俺はそれでも納得がいかず、今一度彼に問うてみた。


「フン。儂はな、慈悲を与えるのを好むが、“情けをかけられるのが死ぬほど嫌い”だ。しかも貴様のような若造になど。生き恥もいいところだ。大層御免なのだ」

「と、とんだ頑固ジジイ……」

「頑固なのは貴様もであろう」

「……はは、それもそうっすね」


 俺はリー老師のその言葉に苦笑を浮かべるしかなかった。


「カズキよ。まだ決勝戦まで時間はあるだろう。それまでに貴様に話したいことがある。老人の長話に付き合ってはくれまいか?」

「話……ですか? 一体なんの?」


 リーの改まった態度に俺は思わず身構える。ところが、彼の口から出たのは、意外な人物の名前であった。


「あの子……、リンファ・メイルについてだ」

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