第46話 人智を置き去りにした技術

「――よっし、今度は間に合った!」


 急いで観客席へ戻る。幸いまだ試合は始まっていなかった。

 第二試合の観戦は何が何でも外せなかった。次の準決勝戦で戦う相手はこの試合の勝敗で決まるからである。後で試合内容を聞くことも出来るには出来るが、この目で直接見極めておきたいのが心情だ。


「おう! お疲れ!」

「やったね! イエー!」


 クザさんの労いに感謝を述べ、アンナとハイタッチを交わす。


「お疲れ様です。鮮やかな試合運びでしたね」

「はい。モネさんのアドバイス様々です」


 ゴッゾ選手のマジナイト盾の攻略を思いつけたのは、実はモルモネさんの入れ知恵のおかげであった。彼女の助言がなければあそこまで綺麗に事は運ばなかっただろう。彼女の正体に関わることなので、今この場であまり多くを語ることは出来ないのが悔やまれる。


「ナハハ! お安い御用さね! てかカズキには勝ってもらわにゃ困る! 賭け的な意味で」

「志同じく」


 そうやって老人同士で仲良くじゃれ合っている一方、ただ一人クレアン様だけは難しい顔をつくっていた。


「――お前たち、そろそろ静かにしてくれないか? じき試合が始まる」


 彼の緊張を孕んだ発言によって、一同の視線が武舞台に集中する。

 武舞台上には既に二回戦、第二試合の選手が向かい合っていた。


『――北東、リー・ナムッ!! 齢八十八、文句なし最高齢! シンハン寺院老師ッ! 今大会きってのダークホースでございますッ!』


 ダーネット女史からの紹介を受け、老人は轟々と声援を受ける。しかし当の本人は一回戦のときと至って変わりなく、背筋をピンと伸ばしながらボーッとどこかを見つめて突っ立っている。前試合で見せた実力の片鱗のせいか、強者ゆえの余裕といった風体である。


『対するは南西、ジャッキン・ボクスッ!! こちらもリー選手に全く見劣りしません! なんせ先の試合、彼はその場から一歩も動くことなく試合を終えたのですからッ!』


 ボナハルト騎士団の鎧の意匠を汲む装備品で身を整え、頬に青髭を拵えた渋みのある三十代の男といった容貌のジャッキン。彼は猛禽類のごとく鋭い眼差しで老人を捉えたまま、観衆の騒ぎには目もくれない。


「……ジャッキンの奴。相当ピリついているな」


 彼の様子を見たクレアン様がポツリと呟く。


「試合だから当然じゃないですか? あのリーっていう人の実力も計り知れなさそうですし」

「奴は試合で緊張するようなタマじゃない。それにジャッキンはどちらかというと戦いを楽しむタイプだ。一回戦だってやろうと思えばネックレスの狙撃一発で終わらせることができたが、遊ぶためにそうはしなかった。――だが今は違う。奴は本気になっている。アイツがああなるのはレッドドラゴンを前にしたとき以来だ」


 クレアン様がそこまで言うのだから、彼がマジになっているのは事実なのだろう。しかしながら、いくら相手の実力が未知数だからといって、そこまで必要以上に警戒するのは些か過剰ではないだろうか。


「――“直感”ってヤツか」

「多分な。『コイツは一筋縄にはいかない』。そう、ジャッキンの勘が報せてるんだ」


 さっきから何かと噛み付いていた相手であるクザさんの言葉に、クレアン様は意外なほど素直に同意する。恋敵と啀(いが)みあう余裕がないほどに、緊迫感を抱いているのだろう。



 試合開始の合図を待つ傍ら、ジャッキン・ボクスは思考を巡らせていた。

 相手はシンハン寺院の総元締め、リー老師。シンハン寺院はエルスニア地方随一の武術の聖地。その頂点に立つ師範代をあの歳になってもなお務め続けている。並大抵の強さでないのは明白だ。それは一回戦の彼の戦いぶりが証明している。

 しかしながら、ジャッキンは実力至上主義とされるボナハルト騎士団の中で精鋭として列挙され、自他共に認める『エルスニア一の狙撃手』であった。事実、彼は何十メートルも先を飛翔する三羽の小鳥を瞬きする間に射落とすことができた。その名声は騎士団内で収まらず、ついには聖闘祭の選手として選ばれる名誉を賜った。

 彼は自分の才能と技術をこれ見よがしに見せつけるため、そして参加することの叶わなかった団長の代わりに騎士団の栄誉を示すため優勝を目指していた。それに『殺傷武器の制約無し』『ネックレスを破壊すれば勝利』というルールは彼にしてみれば、笑いが止まらないほど有利だった。開幕初手で相手の首にかかったネックレスを狙撃するなど、ジャッキンの狙撃技術の前では赤子の手をひねるようなもの。独壇場もいいところである。例えどんな相手でもジャッキンにとっては恐るるに足らないはずだった。


(背丈はおそらく150台……、となると歩幅は約65弱。魔力による筋力ブーストを加味しても、接敵(レッドライン)に至るにはせいぜい七……いや五秒といったところか?)


 五秒。それがジャッキンの豊富な経験と勘が導き出した予測だった。彼はその秒数の間に勝負を決めねばならない。

 ――容易い。何の問題も無かった。一回戦でのリーの反応速度からして、十中八九初撃は躱される。が、あらゆる回避行動には例外なく隙が生じるものだ。そこへ間髪入れずの二射目で対処すれば間に合う。自分の技術なら充分に可能だった。

 ……はずなのだが。この老人には今の自分では推し量れないような“何か”があると感じて憚らない。


(なんにせよ。ヤツの動きを観察し、即時対応すればいい。ただそれだけのことだ……)


 言いしれぬ不安は拭いきれないが、今はそう自分に言い聞かせる他ない。

 いよいよ銅鑼が鳴り、闘いが始まる。


「!」


 ジャッキンは専用カスタマイズのクロスボウを構え、息をつかせぬ間もなく発射する。鋼鉄製の矢は豪速で大気を切り裂き、リーの首元へ正確に飛来した。


「ヌン!」


 パン! と、骨を叩く乾いた音が響く。クロスボウを撃ったにしては聞き慣れない音だ。この闘技場のなかで一体何が起こったのかを理解したのは当人同士のみだった。驚くことに、リーは一歩も動かず飛んでくる矢を裏拳で弾いたのだ。


(……まさか回避すらしないとはな。だが問題はない、一射目を撃った時点で装填作業を半分終わらせている。再装填完了および二射目までに一秒強、一回戦では披露しなかった俺の“本気”だ)


 ジャッキンは一回戦では次発の矢を腰に下げた矢筒から取り出していた。しかしそれではいくら彼とてタイムロスが生じる。だから彼は弓床を抱える手の内側に“二本目の矢を忍ばせていた”。弦を引き切るのに力を要する作業も筋力ブーストを使えばさほど苦にならない。故にリー老人の知る一回戦のときよりも圧倒的に早い次発装填を実現させていた。


(さぁ、どうするね? 爺さんよ)


 ジャッキンは勝ち誇ったように口元を歪め、狙撃をしようとした。そのときだった。

 ――彼の思考が止まった。


「……は?」


 既に目の前に立っていた。早く見積もっても五秒はかかるはずの接近。それを一秒後に。

 刹那、陣風が吹き荒れる。

 リー老人の不可解な瞬間移動によって生じたものだった。


「ハァッ!!」


 思考停止して無防備なジャッキンの首元に、リーの掌底の一撃が加わる。衝撃はネックレスのみを破壊するに留まり、ジャッキンは一切の苦痛なく敗北を喫する。

 ――彼はその場から一歩も動くことなく試合を終えた。


『……え? もしかして……もう終わった?』


 試合の経過をズームアップされたスクリーン映像で事細かに確認していたはずのダーネット女史も困惑を隠せないでいる。それは観客たちも同様で、誰もが試合が終わったことを理解しきれなかった。


「……」


 唖然と立ち尽くすジャッキンに、リー老師は一礼をする。それから身を翻し、悠々と退場していってしまった。



「……何が起きたんだ」


 試合終了後、皆が静まり返るなかポツリと呟いた。それに呼応するようにクレアン様が口を開く。


「わ、分からない……。いずれにせよジャッキンは……負けた」


 彼はそう言って力なく項垂れた。無理もない。ボナハルト騎士団が誇るエルスニア一の狙撃手が、たった数秒で瞬殺されてしまったのだ。

 敗北した事実を未だに飲み込みきれず、武舞台に一人取り残された彼の哀れな姿を苦渋に満ちた表情で見つめていた。


「――モネさん、どう思いますか?」


 エミリィさんは冷静にモルモネさんに尋ねる。おそらく、リー・ナムのあの“異常な高速移動”についてだろう。


「単なる瞬発力でないのは確かだろうね。彼は足を殆ど動かさず、まるで床を“滑るように”に滑走した。人間の技術どうこうで為し得る範疇じゃあない」

「ではやはり魔法でしょうか?」

「……でも、あの人は詠唱すらしてなかった。無詠唱であのレベルの魔法を行使できるとは到底思えない」


 二人の会話に俺は自分の見解を挟む。たしかに魔法なら彼の移動方法にも説明が付く。魔法は原則的に、体内の魔力の流れが最も体外に排出しやすいとされる人体の末梢部分、つまり掌と足の先から発動する。例えばライアン様が使っていた『ブレイズアクセル』のように、足の裏側から魔法による浮力と推力を発生させれば、地面を滑るように走ることもできる。

 しかしながら、それだけ高度かつ繊細な魔法を発動するには当然呪文詠唱が必要となるはずだ。仕組みが単純な魔法のみに限定される無詠唱で使えるはずがないのだ。


「カズキさんの言うことは尤もです。しかし魔法にせよそうでないにせよ、リー老師は現に“それをやってのけた”。それは紛れもない事実ですよ」

「それはそうですけど……。だとしたらどうやって?」


 エミリィさんの現実的な意見に、ますます頭を抱える。

 ――本当に魔法なのか? それとも魔法に思わせたトリックか? 

 その謎を明かさないことには、リー・ナム選手を相手取るのは不可能だろう。煩悶としていると、意外な人物が助け舟を出した。


「ふぉっほぉ、少年よ。ちと難しく考えすぎじゃないかの?」

「え?」


 ムッシュさんが朗らかに笑いながら指摘する。


「ワシもあまり詳しくはないんじゃが、詠唱は必ずしも“全ての魔法に必要ではない”んじゃろ?」

「そりゃ……まぁそうですけど。魔力による筋力ブーストとか、あとクイックヒールとか、それにエンチャント現象も。直感的なやつはだいたい……」


 ――直感的?

 自分の口から出てきた言葉に、なにか強く引っ掛かるものを感じる。

 無詠唱魔法の条件。それは仕組みが簡単であることだ。そもそも基本的に人間の想像力によって出力される魔法現象は実体としては不安定であり、詠唱、すなわち言霊を用いた枠フレームを与えることで安定化させることができる。

 ……では何故、仕組みが簡単だと枠が必要無いのか? それは“想像しやすい”からだ。人は歩行するのに論理的思考を費やさない、瞬きをするのに集中力を使わない。ただ当たり前のように無意識にできる。“想像力を膨らませる”という頭脳労働をするまでもなく、直感的に想像できる。筋力ブースト、クイックヒール、エンチャント現象。それら全ては複雑に考える必要なく、“なんとなく”で出来てしまえそうなものばかりだ。

 ――ならばもし、あの高速移動の魔法の想像(イマジン)が、リー老師にとって『なんとなく直感的に』に出来ると“考えている”としたら……?


「……ありがとうございます。ムッシュさん。おかげで結論が出たかもしれません」


 俺が感謝すると、ムッシュさんはなんでもないように返した。


「? はて? ワシ、なんかやっちゃったかの? ……難しいことはさておき、そろそろ例のおっかない姉ちゃんの出番みたいじゃぞ?」


 武舞台を見る。彼に言う通り、次の対戦カードであるリンファとガルダの両名が入場している。

 この一件については後でじっくり考えるとして、今は試合の観戦に集中することにした。

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