第44話 嗜虐趣味

 舌戦が終わったのを見計らい、銅鑼を鳴らす係の者がバチを手に取った。フルールは腰を低くして臨戦態勢をとるが、リンファは未だ長槍に寄りかかっている。

 真剣に臨もうとしているだけに、試合を軽んじる態度をとる彼女に対しフルールは憤りを感じていた。


(……あの女……この私を散々馬鹿にして! 見てなさい!)


 フルールが決意を固めたのとほぼ同じくして、いよいよ銅鑼の音が響き渡った。彼女はすぐさま剣を構えて走り出す。

 しかしながらリンファは首を傾げ、片手を後ろ髪に持ってくる挑発的なポーズを取っていた。


「っ!! 貴女いい加減――」


 ――それは一瞬の出来事だった。

 リンファは後ろ髪にあてがっていた腕を素早く前に抜いた。

 それから風を切る音が通り過ぎると、フルールの右目に鋭い衝撃が奔ったのだ。


「――痛っ!? え? な、なに……? なんですの?」


 突如、彼女の視界の半分が暗黒に包まれる。しかも右目には妙に重い異物感と、さらに焼けるような痛みもあった。

 彼女が自身に起こった異変に気付くのは、何故か静まり返った観客席から悲鳴が上がりはじめたときだった。


『あ、あわわわわわ! い、一体どうやって!? な、なんという早業でしょうか! というかフルール選手、大変なことになっております!!』


 フルールはおそるおそる自分の顔が映し出されたスクリーンを見た。


「――!! あ、あ、あああ!」


 毎朝鏡の前で見つめている顔。我ながら美しいと自負する顔。

 その顔に、あってはならないものがあった。

 右目の痛みの正体。……それは“深々と眼球を貫いた小型ナイフ”だったのだ


「いやあああああああああ!!!」


 フルールは半狂乱になって叫んだ。

 剣術の鍛錬を経験したとはいえ、蝶よ花よと愛でられて育った箱入り娘にとって、よほどショッキングな光景に違いなかった。


「――あら、余所見してる場合?」


 フルールが取り乱している間に素早く距離を詰めていたリンファは、彼女の震える足に回し蹴りを食らわし、仰向けに床へ叩き伏せた。

 彼女が身動きが取れなくなった隙に剣を奪い、左腕付け根の鎧の僅かな隙間に突き刺した。さらに自前の長槍でもう片方の腕も同じ要領で床に打ちつける。


「あああああ!! 痛いいたいイタイイタイ!!!」

「……これでもう動けないわ。ふふ、虫の標本みたい」


 武舞台に磔になったフルールを見下ろしながら、リンファは柔和に微笑んだ。

 平然と残虐な行いをしておきながら穏やかな表情を浮かべる彼女に、会場の誰しもが冷たい恐怖を抱く。


「ふざけないで……、何が標本よ……! 私は……ルマンド家の令嬢なのよっ! この私に……こんなことして……タダで済むと思ってるのぉ!!?」

「――でも今は聖闘祭の一選手。そして、“私のことを虚仮にしてくれた敵”。試合が終わる前に、せめてケジメはつけてもらわないと……ね?」


 彼女は白磁のネックレスに目もくれず、フルールの右目に突き刺さったナイフ……さっきまで“髪留めの装飾”だったものに、ゆっくりと手を伸ばす。


「え……まさか……イヤッ! やめなさいよッ!」


 リンファは小型ナイフの柄を握りしめる。

 そして、そのまま容赦なく、小さな円を描くよう弄ってみせた。


「……ぁぁあああああああああ!!! やめてやめてやめやめてぇ!! いたいいたいいたいいたい!!!」


 フルールの悲痛な絶叫が会場に木霊する。

 不快な水音を立て、右目から血が滲みでる。

 

「……っ、はぁ……はぁ! ……やめて……もう……はやく……抜きなさいよぉ……!」


 リンファが手を止める。片目に涙、もう片目に血涙を溢れさせながら、彼女は懇願した。


「だーめ。やめてあげない。だってこのアクセサリー、今の貴女にとってもお似合いだもの。……あ、そうだ。こうすれば、もっと素敵じゃない?」


 リンファは再び柄を握ると、眼球に深々と突き刺さった状態のまま90度横に回した。


「ああああああああああああああああああああああああ!!!」


 想像を絶する痛みにフルールは喉が枯れるほど叫んだ。それを見たリンファはうっとりと恍惚の笑みを浮かべる


「――あはっ! お歌がとってもお上手。さすが男爵令嬢様。ねぇ? もっと聴かせてくれないかしら?」

「い、いや……いや……っ、もういやぁ……!」


 あまりの痛みと恐怖にフルールはすっかり参っていた。プライドもかなぐり捨て、駄々をこねる子供のように泣きじゃくった。


「お願い……もう……やめて……、誰か……助けて……お父さま……ぁっ」

「――あ? お父さまですって? 貴女が今助けを乞わなきゃいけないのは……“この私”でしょ?」


 そう言って再びナイフを弄ろうとした。――そのときだった。


「――やぁッ!!」

「!」


 リンファは突然武舞台に乱入してきた第三者の攻撃を目敏く察知し、反射的に飛び退いた。その第三者はそれ以上追撃することはなく、床に磔になったフルールを庇うようリンファの前に立ちはだかった。

 そこには、かつて自分を虐げたはずの貴族令嬢を守るアンナの姿があった。


「……もうやめて」

「そこを退きなさい。まだ戦いは終わってないわ」

「もう彼女に戦意は無い。闘志を失った相手を一方的に甚振るのを戦いとは呼ばないよ」


 リンファは見ず知らずの少女の確乎たる態度と物言いに苛立ちを憶える。


「退きなさい」

「退かない」

「退けって言ってるでしょ?」

「何があっても退かない」

「死にたいの?」

「死んでも退かないよ」

「……じゃあ死ねッ!」


 リンファは胸元の空いた穴に荒々しく手を突っ込み、中から鞘に収められた短刀を取り出すと、アンナに刃を向けようとした。


『やめなさいリンファ選手!! 観客に危害を加えるのは明確なルール違反です! 失格処分にしますよ!?』

 

 会場に遠音魔法の厳格な声が響き渡る。

 声の主は審判の役割を担っている男性のものだった。


「……ふん。まぁいいわ」


 さしもの彼女も失格をちらつかされてはこれ以上何もできない。短刀を納めると、何事もなかったように武舞台を去っていった。


『……と、というわけで! なんだかあらゆる意味でハラハラな展開でしたが! 女の戦いここに決着! 勝者はリンファ・メイルッッ!!』


 試合結果は一応、フルールのリタイア負けという形となった。会場を漂う微妙な空気を拭うようダーネットは普段の調子に戻ってアナウンスするが、疎らな拍手が響くだけで誰一人として歓声を上げようとはしなかった。


「……今痛み止めするからね」


 アンナはフルールの傍にしゃがみ込むと両手を掲げる。


「――ペインリリーフ」


 彼女が発動した光魔法により、引き攣った表情に安堵が降りる。鎮痛作用が働いたことを入念に確認すると、右目と両腕それぞれに刺さった武器を全て抜き取った。


「大丈夫? 立てる?」

「……ぅ、ぐす……、ひっ……」


 精神的苦痛を受けて疲弊し、自力で立つのがやっとな彼女に肩を貸しながら、アンナは武舞台の入出口へと連れていった。


『武舞台に乱入した少女! 暴走するリンファ選手を止めただけでなく、手厚い保護も済ませてしまいました! 勇気ある彼女の行動に皆さん拍手を!』


 惨状を見せつけられ冷めていた会場に熱が戻る。暖かい拍手と歓声がアンナへと送られるのであった。



「……」


 舞台の南西方角通路をアンナとフルールがゆっくりと歩いていく。足元がふらつくフルールをアンナが支えながら。二人の間には沈黙が流れていた。


「どうしてですの……?」

「?」


 先に沈黙を破ったのはフルールだった。


「どうして私を……助けるのかしら? 貴女は私のことが憎いはずでしょう?」

「それは……」

「……嘲笑っていればよかったでしょうに。貴女を虐めていた私が、大衆の面前であれほど辱めを受けていたのに。何もせず、椅子に踏ん反り返って、『御覧あそばせ』とただ見ていればよかったのに」

「――そんなことできないから、こうしてるんだよ」

「え?」


 フルールは驚いてアンナの方を見る。

 彼女は晴れやかな笑みを浮かべていた。自らの選択に一切の迷いが無い。そんな心情が読み取れた。


「むしろ、もっと早く助けてあげられればよかった。……ごめん」

「っ!」


 フルールは自らを恥じた。

 もし自分がアンナの立場だったら溜飲が下がる思いをするし、ましてや助けるなんてこと絶対考えない。だから分からなかった。だから疑問を投げた。

 だが彼女は、アンナはただ純粋に“誰かを助けたい”という、至極単純で崇高な想いのもと動いただけだった。例え相手がかつて自分を虐げた人物であったとしても、一切区別しなかった。

 ――生粋の貴族である自分なんかより、よほど高貴な志を持っていた気がした。


「……もう平気です。後は一人で歩けますわ」

「そう……よかった! じゃあ私は戻るね?」


 そう言ってアンナは無邪気に手を振りながらフルールに別れを告げる。


「――貴女って人は、どこまでお人好しなのかしら。昔からそう。……でも、ありがとう。アンナさん」

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