第38話 後日談

 さっきまで朗らかだったモルモネさんの表情が真剣なものになる。


「やっぱり……サクリファイスのことですか?」

「カズキが教会に運び込まれたっていうその日に、エミリィちゃんがアトリエ・モモにやってきてさ。……こってり絞られちまった」


 彼女はそう言って苦笑いする。


「事情は全てそのときに聞かされたよ。すまねぇなカズキ。アタシはサクリファイスが人間界で禁止されてる魔法だってのは知ってたんだ。いざ使うときになって“躊躇してしまったら”元も子もないと思って、あえて伏せてた。罰せられて牢獄にぶち込まれようが、命あっての物種さね」

「気にしないで下さい。むしろ感謝してます。モルモネさんがサクリファイスを教えてくれたおかげで、誰も犠牲にならずに済んだんですから」

「――お前が犠牲になってるだろ」


 彼女は鋭い視線を突きつける。予想外の厳しい反応に言葉が詰まった。


「アタシ言ったよな? 『これを使うのは“このままだと絶対に死ぬ”というぐらい追いつめられた時だけさ』って。けれど、お前さんは“自分以外の者の危機を救う”のに使ってしまった」

「それは……、でもあの時はそうしないとライアン様を助けられないと思って!」

「……そうだな。カズキの決断のおかげで領主の息子は助かった。それは紛れもない事実さ。だがお前はそうやってこれからも事あるごとに、“他人を助ける為に自分の命を削る”のか? 掬いきれないはずのものを無理矢理拾おうとするのか? そんなこと続けていたら、命が幾つあっても足りやしないんだ。アタシはな、お前さんに滅私奉公を強いるためにサクリファイスを教えた訳じゃないんだよ」


 何も言い返せなかった。

 彼女の言い分は正しい。俺はあのとき、自分がやれることをやったつもりだった。その結果、例え自分が犠牲になったとしても、誰かの命や幸せを守ることが出来たのなら、それでいいと思っていた。

 けれど、誰かを助けようと伸ばす手の数には限りがある。ときには取捨選択し、妥協しなければならない。俺は今回のような危機に再び直面し、選択を迫られたとき、おそらく妥協することはできない。その時も迷わずサクリファイスを使ってしまうだろう。モルモネさんは“その選択肢が俺に与えられていること自体”が危険だと訴えているのだ。


「もちろんサクリファイスを教えてしまったアタシにも責任はある。お前さんが軽率に自分を犠牲にするようなタイプだと見抜けなかったのが悪かったんだ。――だから、これから“ギアス”で封印させてもらう」

「あの、ギアスって?」

「対象の特定の行動・行為を封印する闇属性の上級魔法さ。一度施された封印は、発動者が意図的に解除しない限り永遠に暴かれることはない。これを使ってカズキからサクリファイスという単語の発音を取り上げるというわけさ。……いいね?」


 俺は「わかりました」と、ギアスの使用を了承する。モルモネさんは俺の喉に手を当てると静かに両目を瞑り、詠唱を始めた。


 ――冥脈に流れる黒き血。

 根源の理の片割れ。収縮を司りし力よ。

 我、求めるは封印。汝の言霊の制約。

 言霊の名は“サクリファイス”。嚮後(きょうこう)永劫、解き放つことなかれ。


 詠唱を終えた途端、暗い色の靄が首元を纏う。冬の土のような冷たい感触が暫く漂っていたが、やがて霧散していった。


「ちょっと試しに言ってみ?」

「はい。サクリファイ――あ、が、あ」


 最後の文字を言おうとしたが、どうしても喉に引っかかってしまう。それを見たモルモネさんは安堵の表情を浮かべた。

 

「ちゃんと成功したようだね」

「……みたいっすね」

「ひとまずこれで安心さね。ウチの用事は済んだけど、一人じゃ寂しかろう。しばらく話し相手にでもなってやるよ」


 願ってもない申し出に「ありがとうございます」と感謝を述べる。

 それからクエストでの出来事やエンチャント武器の使い勝手の是非についての話題に花を咲かせる。それからしばらく、モルモネさんから連絡を受けて教会に駆けつけてきたらしいアンナとエミリィさんが部屋に訪れた。


「うわああ~~! かじゅき~! ごべんねぇ~~!!」


 アンナは自分の顔を見るなり、泣きじゃくってしまった。よほど心配をかけてしまったようで申し訳ない気持ちになる。


「大丈夫、大丈夫だから! もうなんともないから! あと鼻水垂れてる!」


 アンナはエミリィさんから手渡されたハンカチで鼻をかみ、続ける。


「私が不甲斐ないばかりに。ライアン様に守ってもらって、それでライアン様を助ける為にカズキが犠牲になって……」

「気にすることはないよ。アンナはあのとき、自分がやれるだけのことをを尽くした。アンナが最後まで諦めなかったから、俺も行動を起こすことができたんだ」


 ――誰かを助けようと伸ばす手の数には限りがある。ときには取捨選択し、妥協しなければならない。

 その考えは『たくさんの困っている人たちを助ける』という彼女の夢と相反する。彼女の夢がいかに実現困難な絵空事であるかを今回の件で思い知らされ、打ちのめされたかもしれない。だが……


「――私、もっと強くなるからッ! 次は誰も犠牲にならなくてもいいようにッ!」


 想像に反し、アンナは強い決意を瞳に宿しながらそう宣言する。そんな彼女の姿に俺はもちろん、エミリィさんやモルモネさんも誇らしげに微笑んでいた。


「なにはともあれ、意識が回復してよかったです。カズキさん」

「……エミリィさんにも心配をおかけしました」

「まったくです。今回は三日程度で済みましたが、下手すれば永久に目を覚まさないなんてこともありえたのですからね?」

「す、すみません」

「……ストップだよエミリィちゃん。その件については、ついさっきアタシがさんざ搾り取ってやったからさ。彼ももう十分反省してるさね。約束通り、ちゃんとサクリファイスもギアスで封印してやったし」

「そうでしたか。しかしながら、元はと言えばモネさんが無責任に教えたのが悪いのですからね?」


 追求の矛先が自らに向いてしまったモルモネさんは、バツが悪そうに彼女の説教を受けるのであった。


 部屋が賑やかになり、見知った顔に囲まれて安心感を憶えていた俺は改めてエミリィさんに“あの後”について尋ねてみる。


「あの後、ですか? ……でしたら、それを伝える適役がおりますので。その方から直接聞くといいでしょう」


 そう言って、彼女は持っていたポーチを開けると、中から手のひらサイズの小鳥を取り出してきた。作り物ではなく、生きた本物に見える。


「……鳥?」


 エミリィさんが掌に載せたソレをまじまじと見ていると……


『――意識が戻ってよかったよ! カズキくん!』

「うわっ!? 喋った!?」

『こんな姿での見舞いになってしまって申し訳ない! 今は例の作戦の事後処理に追われているところでね!』


 甲高い鳥の鳴き声による合成音声だが、しっかり人の声で喋っている。おそらくギルドマスターが使っていた使い魔と遠音魔法の合せ技だろう。そしてその大仰な喋り方は、忘れたくても忘れられない“あの人”であるのに間違いなかった。


「……もしかしてライアン様ですか!? お元気そうでなによりです!」

『なにもかもカズキくんのおかげさ! キミは命の恩人だ』

「そんな……。それに俺の方こそ、禁戒魔法を使用した罪が撤回されるよう直訴したとお聞きしました。ありがとうございます」

『なに、大したことないさ! カズキくんの為なら、こんな頭いくらでも下げてやるさ!』


 彼の言葉に目頭が熱くなってしまう。ライアン様はなんでもない風に言うが、部下でもすらない一冒険者の罪を庇うなど、次期当主としての面子に関わるだろうに。俺は感謝と尊敬の意を込めながら深々と礼をした。


『あ、そうそう。それで結局あの後どうなったか知りたいんだったね』

「はい、お願いします」


 それから、あの“リースの森での戦い”が終わった後の経緯を知ることとなった。

 俺が倒れた直後にクレアン様率いる増援部隊が到着し、彼らによって保護され、そのままアルルの街まで送り届けられたらしい。クイーンホーネットが討伐されてからも、どうやらホーネットの残党が周辺に集まっていたらしく、それらも無事掃討されたとのことだった。

 激しい戦いだったが、結局のところボナハルト騎士団にも森の賢者にも、殆ど被害を出すことなく事態を収束させることができたというわけだ。

 しかし、唯一気がかりなのは“魔導科学研究所”のことだ。そもそも今回の作戦の本懐は『クイーンホーネットの生け捕り』であったはずである。


『……たしかにクイーンホーネットを生きたまま魔導科学研究所へ送り届けるのには失敗したんだけど、実は大して問題にならなかったんだ』

「どういうことですか?」

『生きたサンプルの入手には失敗したものの、遺体が殆ど欠損の無い状態であったことと、新女王とのセットで入手できたことに彼らは大いに満足しているようだ。そしてなにより、クイーンホーネットの匂いが“匂いとは異なる物質”であったという新事実の発見に、彼らは強い興味を示している。結果的に今回の一件は彼らにとって“収穫が多かった”ということだ。そういうわけで、生きたサンプルの提供の失敗は不問となったんだ』


 ライアン様の説明に対し、モルモネさんはふん、と鼻を鳴らした。


「相変わらず傲慢な奴らさね。安全なところに腰掛けて自分らの手は一切汚そうとしないくせに、成功だの失敗だのと、よく他人事みたいにほざけるね」

「あれ? モネさん、やけに噛みつきますね」


 モルモネさんは既成概念に囚われない技術者気質な印象が強く、魔導科学研究所のような未来を創る研究機関に肯定的なのかと思っていたものだから、彼女の否定的な反応は正直意外である。


「モネさんは以前、あそこと一悶着ありまして。あまり良い思い出がないのですよ」

『む、そうであったか。ならこの話題はもう止めておくとしよう』


 エミリィさんのフォローにライアン様は納得する。モルモネさんが過去に魔導科学研究所と何かあったというのは初耳だが、深く詮索する必要はないだろう。


『今回の一件における君たちの活躍に対する報酬は、エルスニア・ギルドマスターに掛け合って“特別ボーナス”という形でさせてもらうつもりだ。だが、それはあくまで“ボナハルト騎士団長”ひいては“ボナハルト公爵家次期当主”の立場として、だ。それとは別に“俺個人”として、カズキ君にお礼がしたいと思っている』

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