第37話 リスポーン
「――あれ……? ここは……?」
深い闇に沈んでいた意識が緩やかに覚醒する。
重い瞼をこじ開け、ぼやけた視界が鮮明になると、今自分がいる場所の景色が見えはじめた。
「ここは……もしかして教会?」
この部屋には見覚えがあった。
建築物としての歴史を感じさせる灰色の古めかしい石造りの壁。お日様の香りのする清潔なシーツが敷かれた簡素なシングルベッド。
間違いない。異世界転生した直後に浜辺で倒れていた俺は、病院として機能する教会へと運び込まれ、この部屋で介抱されたことがあった。ここは言わゆる病室のようなもので、白いガウンを着せられているのも、自分が患者であることのなによりの証左だろう。
「おや? カズキ様。ようやく目を覚まされたのですね」
「……! 貴女は!」
部屋に入ってきた修道服を着た女性がこちらの姿を認めると、柔和な笑みを浮かべる。穏やかな気性を伺わせる整った顔立ち。その一挙一動はそよ風に揺れる花のようにゆったりとしていて、貞淑な格好に相応しい気品を醸し出していた。
彼女は『シスター・ドナ』。アルルの教会に務める修道女(シスター)の一人である。倒れていた俺を見つけて保護したのは何を隠そうこの人で、教会を出るまでの間に身の回りの世話をしてくれた大恩人だ。
「ご無沙汰してます。ドナさん。その節はお世話になりました」
「こちらこそ。……お加減はいかがでしょう?」
「なんともなさそうですね」
「それはよかった。ここに運ばれてから、かれこれ“三日間も”目を覚まさなかったものですから」
「み、三日ァ!?」
「三日前。カズキ様のパーティーメンバーを名乗るアンナ様、エミリィ様、そして領主様の長兄ライアン様が一緒になって教会に駆け込んできたときのですよ。それはもう、ちょっとした騒ぎになったものですから」
「ライアン様……? あっ!」
彼女に言われ、意識を失う前の出来事を思い出す。リースの森でのホーネットの群れやクイーンホーネットとの戦い、そしてライアン様を助けるためにサクリファイスを使った直後に気を失ってしまったことを。
つまり、あれから三日も眠りっぱなしだったというのだろうか。にわかに信じがたいが、彼女が嘘をついているようにも思えない。
「事情はすべて聞き及んでおります。かなーーり無茶をされてしまったようですね?」
「うっ……、はい……」
笑みを一切崩さずに圧をかけてくる彼女にタジタジになってしまう。
ドナさんを始めとする修道女は、彼女らが信仰する『女神エアリス』の教義のもと、傷ついた人々を癒やし、奉仕することを志している。生まれ持った、あるいは厳しい修行を積んで後天的に開花させた光魔法を用いて日々治療に勤しみ、ときには患者のメンタルケアをも行う。医療従事者の概念をごっちゃ煮したような過酷な職業で、その激務に耐えられずリタイアしてしまう者も決して少なくはないという。
人々の健康を守るために茨の道を歩むような覚悟を持った彼女だからこそ、俺みたいに我が身を試みない無茶をするのを許せないのは当然だろう。
「カズキ様のおかげで全員が生存を果たせた。そう聞き及んでおります。結果論で言えば貴方の判断は正しかったかもしれません。私ども修道女も、ある意味で他人を助けるため自ら望んで命を削っているようなものですから、貴方の自己犠牲精神を非難する筋合いはありません」
ドナさんは淡々と語ると、「だとしても」と言葉を続ける。
「貴方が禁忌を犯してしまったのまた事実です。カズキ様は“禁戒魔法”に手を染めてしまったのですから」
「禁戒……魔法?」
聞き覚えのない単語に首を傾げる。エミリィさんの現代魔法学の授業では聞いたことのないものだった。俺のとぼけた反応に対し、ドナさんは呆れ半分に溜息をこぼす。
「致命的な欠陥や副作用があったり、倫理的に問題のある等の理由で使用が禁じられている魔法のことです。本来ならば使用するだけでも罪に問われ、裁かれる身になってもおかしくはないのですよ?」
「そう……ですか……、じゃあ俺はこれから……」
「安心してください。ライアン様の恩情により、今回は特別に不問とされました。でなければ今頃獄中ですから。それに悪用されたわけでもありませんし、誰も咎めるものはいません」
「そうですか……。でも悪用ってどんな風に?」
「そういえばカズキ様はニホン出身でしたね。――サクリファイスは前の魔王暗黒時代、激化する魔王軍との戦いにおいて “魔力切れ対策”として使われていたものでした。身寄りのない子供、老人、浮浪者、奴隷といった、王国軍が“価値のない人間”と判断した者に強制的に使わせ、当たり前のように彼らの命から魔力を搾り取っていた歴史があります」
「なんてひどい……」
「本当に惨いものです。ですから、今から150年ほど前、魔王討伐後の平和な時代が後押しとなった“奴隷制度廃止運動”と並行する形でサクリファイスの“禁戒魔法指定”が制定された。というわけです」
ドナさんの話を聞いて、俺は自分の軽率さを改めて思い知らされる。サクリファイスがまさかそこまで物騒な代物だとは考えもしなかった。
しかし言われてみれば、あのようなハイリスクハイリターンなものが罷り通っていたとしたら、効率重視人名軽視の危険な使われ方をしても何らおかしくないのかもしれない。
「……で、ここからは個人的な興味本位なのですが。一体誰からサクリファイスを教わったのですか?」
「え、そ、それは」
言葉に詰まる。
サクリファイスを教えてくれたのはモルモネさんだ。だがエルフである彼女は本来人間社会に居てはならない存在。どう誤魔化そうかと逡巡していると、助け舟とばかりに新たな訪問者が声をかけてくる。
「――お、やっぱりな。そろそろ目を覚ましてる頃だと思ったよ」
商人風の落ち着いたコートを羽織った背が高くてグラマラスな女性が、プラチナブロンドの長い髪を靡かせながら上物のブーツでツカツカと床を鳴らす。
「おや? どなたでしょう?」
「そこのカズキって患者の知り合いさね。な? カズキ」
ドナさんに尋ねられた女性は気っ風のいい笑みをこちらに向ける。
「…………誰?」
「――だはぁっ!? いやいや、アタシ! アタシさね!」
「そう言われても……」
どうやら相手はこちらを知っているようだが、少なくとも自分からすればまるで面識が無い。にも関わらず女性は執拗に迫ってくる。
「だから、アタシ、アタシだってばさ!」
「……新手のオレオレ詐欺?」
「不審者ですか? 教会騎士(テンプルナイト)に通報しましょう」
ドナさんが指をくるりと回すと、光るオーブの姿をした小さな精霊を召喚する。おそらく連絡用の使い魔だろう。
「ちょ、ちょっと待つさね! シスターの姉ちゃん! ほらカズキ! アタシだよ! スカーレットを作ってやっただろ!?」
「スカーレット? ――あっ!」
新しい相棒であるエンチャント武器の呼び名を知る者はそう多くない。
それに耳こそ長くないが、彼女の髪色と顔立ちは“ある人物”を強く彷彿とさせるものがあった。
「もしかして……、モルモネさんなんですか?」
「え? ち、チガイマス……」
「――やっぱ誰ッ!?」
「やはり通報ですか?」
「おわー!? いやいや違う、違うんだ! あってるけどあってないんだよー!」
モルモネさんと思しき女性とドナさんの長い擦った揉んだの末、ようやくドナさんを説得して二人きりになる。
「すまねぇなカズキ。お前さんの言う通り、アタシはモルモネさ」
「やっぱりそうなんだ……。でもどうして違うなんて言ったんです?」
「そういやカズキには話してなかったなぁ。うっかりしてたさね。エルフってのは個々人の名前に“独自の規則”があるのさ。誰一人例外無く、ね。古代より綿々と続くエルフの謎めいた慣習ってヤツさ」
モルモネさんは自分の名前を例に挙げて説明する。
「モルモネ。まず原則的に文字数は“四”だ。それで一文字目と三文字目は同じ綴り。そして二文字目と四文字目はそれぞれ『う』と『え』の母音で構成されている」
「も、る、も、ね。……あ、ホントですね」
「だろ? だから人間社会で迂闊に自分の本名を名乗ってしまうと、“分かってるヤツ”には一発でバレちまうのさ」
「なるほど」
「で、この姿は人前に出る時用に魔法で偽装した仮の姿さね。名前も『モネ・シュルツ』で通ってる。アトリエ・モモとエルフの里の仲介業者であり凄腕の商人、ってのが今のアタシの素性さ。お前さんらが住んでる家も、モネとしてのアタシの所有物なんだよ?」
モルモネさんモネ・シュルツは自慢気に語る。そういえば今お世話になっている家は、知り合いにタダ同然で使わせてもらっている借家だと聞いていたが、まさかその知り合いがモルモネさんだったとは思わなかった。
結局のところ元貴族であるアンナたちと繋がりを持っていたわけだし、もしかしたら他にも幾つもの顔を持っているのかもしれない。身一つのエルフでありながら人間社会を生き抜いているだけあって、やはり只者ではないようだ。
「――さて、アタシの身の上話はもういいだろう。わざわざ教会に足を運んでお前さんに会いに来た理由。分かるな?」
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