第36話 サクリファイス

 猛スピードで迫り来るそれを、アンナは躱すことができなかった。


 ――だが、新女王の毒針が彼女に牙を剥くことはなかった。

 立ちはだかっていた。

 その威風堂々としたその背中。見間違えるはずもない。

 アンナを守るように、ライアン様が立ちはだかっていたのだ。


「ぐぅぅッ!!」


 死の槍は鎧の板金ごと背中まで貫いた。

 それでも、彼が膝をつくことはなかった。


「う……があああああっ!!!!」


 想像を絶するような痛みにも挫けなかった。

 勇猛な雄叫びを上げ、新女王の腹部に剣を深々と突き立てる。


『ぎきいいいいいいっ!!?』

「うらあああああッ!!!」


 最後の意地とばかりに新女王を力いっぱい蹴り飛ばす。

 新女王は腹部を剣で貫かれたまま苦悶にのたうち回り、次第に衰弱していく。彼はその様を満足気に見届けると、毒針が抜けた風穴から赤黒い血をドクドクと流しながら、糸が切れた人形のように倒れた。


「っ!!!」


 倒れる寸前にアンナが抱きとめ、仰向けにゆっくりと地面に置く。

 つぶさに腹に空いた大きな空洞へ両手をかざした。


「――リカバリー!!」


 アンナが呪文を詠唱すると、目が眩むほどに輝かしい聖なる光が傷全体を覆った。

 『リカバリー』はヒールの上位互換にあたる中級回復魔法だ。ヒールでは治療速度が間に合わず、手遅れになってしまうような致命傷すら対処できる。その効果は凄まじく、ライアン様の腹に空いた傷穴がまるで逆再生映像のように瞬く間に塞がってしまった。


「アンナ様っ! 息は!?」

「……」


 エミリィさんが必死の形相で尋ねる。アンナは彼の口元に耳をあてた。


「……大丈夫。気絶しているだけみたい!」

「ああっ、そう……ですか。間に合った……」


 アンナの報告にエミリィさんは安堵の溜息を漏らす。


「ライアン様は本当に無事なんですか……?」

「かなりギリギリだったと思いますが、アンナ様の迅速な判断のおかげで首の皮一枚繋がったかと。問題は……」


 そう言ってライアン様を見やる。腹の傷は完治したものの、様態は芳しくない。顔面は血の気が引いて真っ青で、とても生きた人間のそれには見えない。


「ホーネットの毒……!」

「毒針に貫かれてしまったのですからね。このままでは非常に危険です。解毒は私が致しますので、アンナ様はお休み下さい」

「うん……そうさせてもらう……」


 アンナはそう言って気怠げに座りこむ。

 魔力切れを起こしたのだろう。無理もない。魔力を浪費した状態でさらに中級魔法を使っては、いくら彼女が底無しの魔力量を誇るといっても限界がある。


「――これでよし」


 意識を失った彼にエミリィさんは解毒薬を飲ませる。これで彼を助けることができるだろう。……誰もがそう思っていた。


「……おかしいですね。この解毒薬は即効性のはずなのに、一向に効果が見受けられない」


 エミリィさんの言う通りだ。先の戦いでホーネットの毒を受けた団員を解毒薬で治療したときは、すぐさま効果が現れていた。ところが、ライアン様の症状は一向に収まらない。


「ッ! まさか!?」

「どうしたんです?」

「……もしかしたら、女王の毒は“毒の種類が違う”のかもしれない。私たちが用意した解毒薬はホーネットの針から分泌される毒の成分に対応したもの。――ですが、根本的に毒の種類が異なるものならば、解毒作用は適用されない……」

「え!? それじゃあ、俺たちが持ってる解毒薬では効果がないんですか!?」


 エミリィさんは悔しげに首を縦に振る。

 

「そんな……ここまで来て……ッ!」


 目の前が真っ暗になる。

 あらゆる困難を乗り越え、ようやく大団円を掴み取ったというのに。最後の最後でライアン様を救えないまま終わってしまうのか?

 こうやって絶望に暮れている間にも、彼の肌から血の色が抜けていって、みるみるうちに生気を失うのがわかった。


「なにか……なにかライアン様を救う手立ては……」


 エミリィさんは焦燥しながら片手で額を抑える。これまでも逆境を打ち破るアイディアを捻り出してきた彼女だったが、いくら必死に思考しても打開案を思いつくことはなかった。

 もはや万策尽きたと思われたそのとき。地面に伏していたアンナがゆっくりと立ち上がった。


「アンナ様……?」


 彼女はふらついた足取りで横たわるライアン様の傍に腰掛け、両手を彼へと向ける。


「――ピュリフィケーション……!」


 彼女は息を荒げながらも浄化の呪文を放った。

 だが聖なる光が発生することはなかった。“魔力不足による不発”だ。


「くっ……、――ピュリファケーション!」


 彼女は再び呪文を唱えるが、結果は変わらない。

 それでもアンナは諦めず、何度もピュリファケーションの発動を試みた。


「ピュリファケーション! ピュリファケーション! ピュリファ……ケーション!」


 変わらない。奇跡が起こることは決して無い。

 彼女の努力も虚しく、無情にもライアン様の様態は悪化の一途をたどるばかり。顔色はさらに青ざめ、いよいよもって死の淵を彷徨い始めようとしているかのようだ。


「ピュリファケーションっ! ピュリファケーションっ! ピュリファケ――ごほぉ!! ごほっ!!」


 必死に呪文を唱え続けるが、激しい咳によって中断される。

 手で抑えられた彼女の口からは赤い鮮血が漏れていて、ぼたぼたと彼の鎧に零れ落ちていった。


「……はぁはぁ……はぁっ!」


 アンナは口端に付いた血を拭うと、震える手つきで再び構える。


「……ピュリファケーション」

「――もうやめてくださいっ! このままではアンナ様がっ!!」


 彼女の痛々しい様子に居た堪れなくなったエミリィさんは、泣きそうになりながら止めようとする。

 魔力が底をついた状態で無理に魔法を発動しようとするのは、水の入っていない鍋を空焚きするようなものだ。肉体に大きな負荷をかける。そのことはアンナも承知のはずだった。


「ピュリ……ファ……ケーションっ……ピュリファ……ケー……ションっ!」

「……アンナっ!?」

「……私は……絶対に……諦めないっ! 諦めたく……ない! だって……だってっ!」


 咳と吐血を繰り返しながら、息も絶え絶えに彼女は続けた。


「たくさんの人を……救うのが私の……夢……だから。だから……だからっ」


 アンナは今にも気絶してしまいそうなほど朦朧としていたが、強靭な精神力で持ち直し、再び両手を構える。


「今度は……私が……助けてあげる番……だから。――お兄ちゃん」

「っ!!」


 ――笑っていた。

 肩で息をし、額から大量の脂汗をかき、口の回りは血で汚れていても。

 それでもなお、アンナの表情は希望に輝いていた。

 最後の最後まで僅かな可能性を信じて、命を燃やし続けていた。


(なにか……なにか手は無いのか!? なにかあるはずだ。考えろ……考えろ……考えろ!)

 

 そんな彼女を見ていたら、ただ指を咥えて見ているわけにいかなくなった。

 エミリィさんが考えてもどうにもならない状況を俺がどうにかできるはずもなかった。

 それでも、ライアン様を助けられる『何か』が見つかるかもしれない。

 とにかく、この世界に転生してから今までの記憶を辿り、どこかに『何か』が無いか探し続けた。


(――――あ)



「おっと、ちょい待ちな! カズキ!」

「……? どうしたんですか? モルモネさん」


 マジナイト鉱石入手のため、アトリエ・モモを出てギルドへと向かおうとする俺をモルモネさんが呼び止める。


「カズキはこれから一人でクエストを受けるわけだろ?」

「ええ、まぁ。モルモネさんが一人で行けと言ったわけですし」

「そうさね。一人でのクエストは多人数のパーティーと違って孤立無援の戦いとなる。だから“保険”が必要かと思ってね」

「保険……?」

「一人で戦うリスクは色々あると思うが、やはり何と言っても“魔力切れ対策”さ。とくにお前さんは魔力消耗が激しい魔法戦士。なおさら大事さね」

「……そうですね。魔力を回復させるには、ちびちびと自然回復するのを何時間も待つしかありませんし。他のパーティーメンバーがいればマナチャージでどうにかなるんですけど、一人だとそうはいきません」

「そういうわけで、お前さんにとっておきの魔法を教えておこうと思う」

「マジすか!? どんなのを教えてくれるんです?」

「これを使えば、自身の魔力をその場で即時回復することができる。しかも魔力切れを起こした状態でも発動できる」

「え? それ凄くないですか?」

「だろう? ――けどな。強力な魔法だが、それ相応のリスクもある。これを使うのは“このままだと絶対に死ぬ”というぐらい追いつめられた時だけにしとけ。どんなドデカい対価を払おうが、死よりマシってことさね」

「な、なるほど……。それで、なんていう名前なんです?」

「ああ、この魔法の名前は――」



「――サクリファイス」


 胸に手をあて、呪文を唱える。

 ドクン、と体内の臓物という臓物すべてが大きく脈打った感覚のあと、失われていたはずの魔力が漲ってくるのがわかった。


(よし。これなら……!)


 俺はアンナの元へ行き、彼女の背中にそっと手を置いた。


「――マナチャージ!」


 マナチャージを発動する。なけなしの魔力は俺の手を伝い、確かに彼女の中へと注がれた。


「……え? カズキ? どうして?」

「これで魔力が足りるはずだ。さぁ急いで」

「う、うん!」


 当惑する彼女に催促する。今は一刻を争う状況だ。

 

「――ピュリファケーション!」


 おそるおそる浄化の魔法を発動する。すると彼女の両手から聖なる光がほとばしり、ライアン様の体をうっすらと包みこんだ。


「や、やった……!!」


 アンナは歓喜の声をあげる。ライアン様の肌に血が通ってゆき、徐々に元の健康的な色を取り戻していった。

 ――ピュリファケーションは成功した。ライアン様は助かったのだ。


「やった!! よかった……よかったぁ!! 本当に、本当にありがとうカズキ!!」


 アンナは感極まった様子で俺に抱きつく。一時はどうなるかと思ったが、これで一安心だ。

 ……ところが、エミリィさんが凍りついた表情で尋ねたてきた。


「何故……それを……? 一体……どこで覚えたのですか……?」

「実は前にモルモネさんから教わったんですよ。おかげでライアン様を助けられました。本当によかった」

「――なにもよくありません!!」


 肩を震わせて声を荒げるエミリィさんに、アンナがビクッとする。


「あなたは……、自分が何をしたか分かってるんですか!?」

「え? エミリィ? どうしたの? そういえば、カズキは何をしたの? 魔力切れしていたはずなのに、どうやってマナチャージを発動できたの……?」


 不安がるアンナにエミリィさんは答えた。


「カズキさんは……、『サクリファイス』を使ったのです。魔力を消費することなく、自身の魔力を生成することのできる魔法です」


 しかし、と区切ってから彼女は続けた。


「その代償として“自らの命を削る”。生命力を魔力に変換するんです。“使用者の寿命を縮める”んですよ……ッ!!」

「え……」


 アンナの顔から笑みが消える。

 サクリファイスの反動か、少しずつ体の力が抜けていくのを感じる。エミリィさんはそんな俺に縋るように言った。

 

「どうしてですか……カズキさん。どうして……っ!? ライアン様はあなたにとって赤の他人も同然なのに……っ。どうしてそこまでっ!!」

「――言ったでしょう? 『二人にとって大切な家族なら、俺にとっても大切な人です』って……」

「……っ!」

「アンナと……エミリィさんは……、一度やり直してもなお……冴えなかった俺の人生を変えてくれた……かけがえのない人たち……です。そんな二人のためだったら……俺は……なんだって……」


 ライアン様とは出会ってから間もないけど、それでも本気で助けたいと思えるような人だった。そのことに偽りはない。

 ――けれど、それ以上に俺は。“二人が家族を失って悲しむのを見たくなかった”。だから、俺は……


「カズキ……っ! だからって……っ!」

「アンナ? どうして……そんな悲しそうに……?」

「だって……これじゃあ……これじゃあ! カズキだけが犠牲に……っ!」

「ああ、そういうことか……。いいんだ……、これでよかったんだよ。これで――」


 そこから先の思考が続くことはなかった。

 テレビの電源を落とすように、意識がそこで途絶えたのだ。


「ッ!? カズキ!?」

「……カズキさん? カズキさんっ!!」

「いや……だめっ……! ――カズキいいいいい!!!」


 青年の名前を懸命に叫ぶ少女の声が、リースの森に虚しく木霊した――

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