第35話 何があっても

「ふぅ……、ようやっと落ち着ける……」


 ボナハルト家主催の社交パーティーを「外の空気を吸ってくる」と抜け出し、誰にも見つからないであろう屋敷の裏庭へ逃げ込んできた。

 正直パーティーにはあまり興味がなかった。ボナハルト家当主である父上の顔を立てるため、参加したに過ぎない。


(父上や俺に期待を寄せてくれる者たちには悪いが……、ときどき次期当主の肩書きに息苦しさを感じることがある……)


 諸侯の重鎮が集まるあの場で交わされた会話や振る舞いは、そのまま家の評判として方々へ広く伝わる。一地方を治める領主にとって“威厳”は領民からの求心力へ直結するのだ。体裁には極力気を使わねばならない。そのため挨拶回りは非常に神経を使う。

 なんといっても、言い寄ってくる令嬢が多いのも煩わしいったらない。俺には心の決めた人がいると公言しているつもりにも関わらず、だ。執拗な質問攻め、ダンスの誘い、上っ面ばかりのおべっか。終いにはストレートに口説いてくる輩もいる。連中はとにかくなりふり構わない。

 ボナハルト家は昔から一夫多妻婚を認めている。俺の麗しの姫君が第一夫人に就くにしても、彼女らは第二第三の座をあわよくば狙っているのである。伯爵家とのコネはそれは大層魅力的なはずだ。おそらく家から指図されて動いている子も少なからずいるだろう。


「ん? あれは……」


 ふと、裏庭の奥まった通路の先を見やる。小さな小さな袋小路、ひとりの少女がうずくまっていた。


「おや? アンナじゃないか」

「……あ、こんにちわ! ライアンさま!」


 木漏れ日の中に照らされ、キラキラと煌く亜麻色の髪を三つ編みにまとめた幼い少女は、太陽のような笑顔をこちらに見せた。

 彼女は『アンナ・ボナハルト』。我が父グレモア・ボナハルトと、侍女であった『ディアンヌ・ホリック』との間に産まれた子供だ。

 アンナは俺のことを『ライアンさま』と呼ぶ。正確にはそう呼ばざるをえないのだ。兄上やお兄様などと呼ぼうものなら、彼女を軽蔑するお母様や意地悪な女中たちに「身の程を知れ」と虐められてしまう。

 ディアンヌさんは妾だったが、父上の子供を出産したのち正式に第二夫人として迎え入れられる予定だった。ところが、もともと体が弱かったあの人は、アンナを産んですぐ衰弱死してしまったのだ。

 ボナハルト家では大した後ろ盾もないアンナは、彼女を快く思わない母上の工作によって卑しい存在として迫害され、ディアンヌさんの私室に半ば幽閉されるという疎き目に逢っている。今日の社交パーティーだって、曲がりなりにもボナハルト家の長女だというのに、アンナは出席すら許されていなかった。


「こんなところで何しているんだい?」

「あのね、あのね。すごいもの見つけちゃったんだ! みんなには秘密だよ?」

「機密情報の共有か! 任せろ! 自分でいうのもなんだが俺は口は堅いほうだ!」

「見て見て! これ!」


 アンナに促されるよう地面に視線を移す。

 花壇でもなんでもない泥の上に、一輪の青白い花がこぢんまりと咲いていた。

 

「ほぉ、こんなところに。綺麗に咲いてるな!」

「うん! 私この花大好きなんだ! この花はね。私のお母さんも好きな花だったんだって! ホントはもっと前は花壇いっぱいに咲いてたんだけど、トロカ様が全部摘み取ってしまって……。でもね。昨日ここに来てみたら一つだけ咲いてたの! エミリィは『奇跡的に種が落ちてたんですね』って言ってた!」

「……そうか」


 ディアンヌさんの私物は全て、母上によって処分されている。だからその花はアンナとディアンヌさんを繋ぐ唯一の形見だったのだろう。だが、母上はそれすらをも彼女から奪おうとしたのだ。


(――むごすぎる)


 一体、彼女が何をしたというのだ?

 同じ血を分けた兄妹だというのに、どうしてアンナだけがこうも虐げられなければならない?

 俺は幾度となくアンナに救いの手を差し伸べようとした。だが、表立って彼女を庇えば庇うほど周囲の反感を買い、手痛いしっぺ返しが彼女を襲ってしまう。それにアンナは所詮『妾の子』という卑しい立場で、俺や父上のような上に立つ者が依怙贔屓するのは筋が通らない。そう考える人間が多いのもまた事実だった。


(せめて、彼女が一時でも安らぎを得られるような場所。“止まり木”があればいいのだが……)


 よし、思い立ったが吉日だ。さっそく明日にでも父上に直談判しに行こう!



「人払いは済んだぞ。……して、ライアンよ。内密な話とはなんだ?」


 翌日、早速父上の執務室に押しかけた。我が父、グレモア卿は顎に蓄えた立派な髭をさすりながら、荘厳な藍緑色の双眸でこちらを見据えている。


「今日は父上に嘆願に参りました」

「ほう?」


 父上はゆっくりと席を立ち、窓の外を見つめた。


「――ライアン。お前には幼少の頃より厳しい教育を施してきたが、決して弱音を吐くことはなかった。勉学に勤しみ、武道を修め、魔法を極めてきた。私がお前に向けてきた期待の倍以上の成果を挙げ、今日まで立派に励んできたな。そんなお前が、未だかつて反抗や我儘の一切もなく、家督として身を尽くしてきたお前の初めての嘆願。一体如何様なものか?」


 そう言って父上は振り返りながら問いただす。俺はただ決然と伝えた。


「申し上げます。私が望みますは、我がエルスニア領内の新たな特別行政区の設立。場所はボナハルト邸裏庭一帯。行政長官はライアン・ボナハルト。そこでは治外法権として、アンナ・ボナハルトと行政長官の『お遊び』や『お喋り』が自由に認められ、彼女個人の尊厳が絶対遵守されるものとする。――通称『お兄さま特区』です」

「……なんて?」

「お兄さま特区」

「二度も言うでないわ」


 父上は頭を抱えながら深い溜め息を吐く。

 

「多少抜けたところがあるのが玉に瑕だと常々思ってはいたが、まさかそこまで頓珍漢だったとは……」

「け、決して戯言など!」

「あのな。仮に私がその提案を飲んだとして、治外法権の認証など、それこそ王室に通す必要がある案件だ。そのような無茶苦茶なものを王家直属の法官が許可するはずなかろう」

「うっ……、ですがっ! そうでもしないと……アンナは……あの子はッ!」


 必死に訴える俺を宥めるかのように、父上は優しく語りかけた。


「お前の言わんとすることは分かる。あの子を迫害から救うことは叶わずとも、せめて安全地帯があれば。……そういうことだな?」

「……はい」

「手段はともかく、その考え自体は賛同する。それについて私にも一案がある。お前が気に揉むことはない」


 そう言って父上は肩に手を置いた。

 大きくて、逞しくて、温かい。偉大な父の器の深さを如実に顕すがごとく手のひらの感触が、己の未熟さ、無力さを否が応でも実感させてしまう。


「父上……他に俺たちがアンナにしてやれることは本当に無いのでしょうか? 例えば、アンナを遠い親戚筋の元に送るとか、いっそ平民の身分に下ってもらうとか。敵の多いこの屋敷に囚われているよりは」

「――やめたほうがいいだろう。どこに身を置こうとも、ボナハルトの血の烙印はどこまでも付いて回る。伯爵令嬢というブランド価値が誰かに悪用される危険だって十分考えられる。ならば、そのような魔の手が及ばないよう傍に置いておいたほうが安全だ。せめて自分の道を自分で決め、自分の力で歩めるような年頃になれば、家から切り離すという選択も良いのかもしれん。だが、今のあの子はまだ十にも満たない。独り立ちするには幼すぎる……」

「ではアンナが。“無力で幼いあの子”が。向こう数年、身内に虐げられ続けているのを黙って見ているしかないと!?」


 俺の感情に身を任せた言葉に、父上は苦渋の表情を露わにした。

 

「申し訳ありません……、出過ぎた真似を……」

「――ディアンヌを愛したことを悔やんだのは一度たりともない。だが、それがために禍根を残し、遺されたあの子に理不尽な思いをさせてしまっているのを心苦しく思っている」

「何故です? 何故母上はああまでアンナを嫌うのですか? 確かに妾とその子を快く思わないのは、正妻として当然の感情でしょうが」

「そうさな……。私の妻……トロカのやつは、嫉妬心とは別に、ディアンヌへの苦手意識を持っているように思える」

「苦手意識……?」

「ディアンヌは太陽のような輝きを持つ女性だった。だが、光が強くなるほど闇も深くなる。トロカはディアンヌの放つ光によって、心に影を落としていたのやもしれぬ。母の面影を濃く感じさせるアンナにも思うところがあるのだろう」

「……」

「もし……、トロカとディアンヌに、ほんの少しでも話し合いの機会があれば、相互理解を深めていれば。また違った結果になっていたかもしれない……。だがそうなる前に彼女は旅立ってしまった。その“もしも”は永遠に失われたままになってしまった」

「父上……」


 俺はそれ以上父上の顔を見ることができなくなった。

 深い後悔と哀しみに暮れるその悲痛な表情は、俺が最も憧れている男と同じ人とは思えなくて、見るに堪えなかったのだ。

 彼もまた、愛する人を喪った者のひとりだという事実を再認識させられる。


「――長く喋ってしまったな。これ以上は業務に差し支えるか」

「本日は私の為に時間を割いて頂き、誠に感謝いたします!」

「よい、気にするな。ちょうどいい気分転換にもなった」


 俺は深々と一礼し、執務室を後にしようとした。が、呼び止められる。


「待てライアン。せっかく足を運んでもらったのに、手ぶらじゃ寂しかろう」

「え?」

「お前にひとつ仕事を頼みたい。裏庭の隅の袋小路にある花壇一帯の管理を任せたいのだが……よいか?」

「! それって……」



「――わぁ! きれい!!」

「どうだ、すごいだろう! エミリィに教わりながら見よう見まねでやってみたが、我ながらハイセンスだと思うぞ!」


 社交パーティーの日にアンナが佇んでいた場所の花壇には、色とりどりの花が咲き誇っていた。アンナはカラーグラデーションで彩られた小さな花畑に目を輝かせている。

 もちろん、ディアンヌさんの花も植え直してある。俺が公然と所有しているものならば、いくら母上とて迂闊に手出しは出来ないはずだ。それに花壇の管理と銘打っておけば、アンナと交流できる機会も設けられる。まさに一石二鳥である。

 

「お母さんの花もあるっ!」

「さすがに泥の上で独りぼっちじゃ可愛そうだったからな! これで寂しくないぞ」

「ありがとう! おに――あっ」


 アンナはしまったとばかりに両手で口を塞ぐ。俺は彼女の頭を優しく撫でてやった。


「……構わないさ。今の俺はボナハルト家次期当主のライアン様ではなく、ただの雇われ庭師。好きに呼ぶがいい!」

「うん! わかった!」


 アンナ、我が愛しの妹よ。

 俺がお前にしてやれることには限りがある。

 だけど、それでもだ。たとえ何があっても。


 ――お前は俺が守ってやるからな。

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