第32話 女王禍・後編

 クイーンホーネットの足元から生えた岩がその豪脚を捉えている。彼女はそれを解くのに必死で、こちらに注意を向ける余裕もないようだ。

 詠唱の隙は十分にあった。問題はない。

 俺は携えた剣を地面に突き立て、静かに瞼を閉じる。

 すぐさま明鏡止水の境地に至り、彼奴が出す煩雑な音すら感じないほどの“穏やかな湖面のごとき”集中力のなか、唱えた。


 ――原初にして終焉、創生にして破壊。

 四大元素の一極、昇華を司りし力よ。

 その揺らめきは荒れ狂う嵐となりて、その熱は全てを灰燼に帰す剣となりて、我が敵を討たん!


 詠唱が完了し、全身に滾るような魔力の奔流を感じる。

 仕上げとばかりに俺はクイーンホーネットに両手をかざし、その大掛かりな魔法に呪文(なまえ)を与えてやった。


「――フレイムテンペスト!!」


 一瞬の静寂の後、彼女を囲うようにして円状の炎の壁が俄(にわか)に発生する。それらは周囲をぐるぐると走りながら立ち昇り、やがて一柱となって女王の巨躯を覆い尽くした。

 炎の壁が回転する勢いは収まらない。むしろどんどん加速していく。

 ――それはまるで、平野を駆ける巨大な竜巻のようだった。

 外側には苛烈な吸引力が働き、内側には想像を絶する破壊のエネルギーが生み出されている。


「こ、これがライアン様の上級攻撃魔法……っ!」


 アンナとエミリィは木の近くへと退避し、難を逃れている。カズキくんは距離的におそらくは大丈夫だろう。無論、自分も予め地面に立てておいた剣を掴んで凌いでいる。

 やがて炎の嵐が収まる。

 するとフレイムテンペストをもろに浴びたクイーンホーネットが姿を顕した。

 人類が行使できうる最強クラスの魔法攻撃を受け、さしもの彼女とて無傷というわけにはいかなかったようだ。

 黒と橙色の体表は焦げだらけになって艶を失い、二対の美しい羽は溶け落ちていた。

 だが恐るべきことに、それでもな五体満足であり致命傷を与えるには至っていない。


《……まさか斯様な規模の火の魔法を使えるとはな。だが、この程度他愛もない。殺戮遂行に差し支え無し!》


 予熱で湯気が立ち込めていた巨体がゆっくりと動き出そうとした。……が。


《……な! あっ!? う、動けん! 何故だ!?》


 クイーンホーネットはその場から一歩も動くことは叶わなかった。



「――まずは罠魔法に嵌めましょう。それで肝心の方法ですが、もしクイーンホーネットが本当に賢いなら、露骨に誘導しようとしても警戒されるんじゃないかなと思うんです。あえて俺がわざとらしく誘い出すフリをしてやれば、俺を無視して他の三人のところへ行くんじゃないかと。だから本命の罠は皆の近くに設置します。その狡猾さを逆手に取ってやります」

「なるほど、ハッタリをかますわけですね。……ですが、もしそのブラフが功を奏することなくカズキさんを狙い続けたらどうするんです?」

「その時は素直に設置された場所へ誘い出すだけですよ。それでエミリィさん、ライアン様は火属性が得意なんですよね? なら上級攻撃魔法は使えますか?」

「『フレイムテンペスト』ですね。たしか使えるはずです」

「であれば、設置したアーストラップが発動した瞬間、ライアン様にそれを撃つよう指示して欲しいんです」

「え? なぜです?」

「火属性は昇華の性質。個体は液体へ、液体は気体へ、他の属性の魔法現象と組み合わせることにより、その性質に変化を与えることができる……ですよね?」

「! そうか! 地属性は個体の性質。つまりアーストラップの岩塊がフレイムテンペストの火力によって溶けてドロドロのマグマになり、関節の隙間に絡まれば……!」

「――動くことができなくなる。いくら体が大きく、力が強くても。関節の自由そのものを奪ってしまえば」

「……イケますね! さらにライアン様のサポートもプラスすれば、拘束時間が大幅に伸ばせます! よくこんなアイディアを思いつけましたね」

「さっきエミリィさんが『昆虫系の魔物は駆動域の確保のため関節部分が細い』って言ってたじゃないですか。それでピンと来たんです」



「おお! 奴め、本当に動けなくなっているぞっ!」

「ライアン様!」

「分かっている! ――ファイアウィップ!」


 ライアン様が呪文を唱えると、地面から二本の炎の鞭が出現する。それらは女王の直立した胸部を搦めとり、強い力で地面に押さえつけた。

 これでいつでも頸を狙いにいける!


「――バインド!」


 最後の締めとして、エミリィさんが闇属性魔法を発動する。次の瞬間、僅かに抵抗していたクイーンホーネットの巨躯が完全に硬直した。

 ここまでの作戦は我ながら驚くほど上手くいった。

 あとは全て、この双肩にかかっている。


「アンナ!」

「合点承知だよ!」


 新しい相棒『スカーレット』の柄を毅然たる想いで握りしめ、走り出す。そしてクイーンホーネットの胸部と頭部を繋ぐ継ぎ目、そのただ一点だけを見据えてスカーレットを振り下ろした。


「――風斬ッ!!」


 高速回転する風の刃を宿した緋色の刀身が、ついに女王の弱点を捉えた。


――ガキィッッ


 鈍い音が反響した。

 あまりにも、あまりにも硬すぎる。分厚い鋼鉄の壁に包丁を叩きつけるかのような心許なすぎる手応えだった。刃が立たないとはまさにこのことである。


「――マナチャージ!」


 けれど、これで終わらない。終われない。終わらせない。

 呪文詠唱とともにアンナの両手が背中に添えられる。彼女の手のひらから、熱いものが体の中へ流れ込んでくるのがわかった。

 それらはすぐさま足先から指先へ、至るところに駆け巡って浸潤し、感覚という感覚が漲った。


「うおおおおおおお!!!」


 俺は彼女から受け取ったもの全てをスカーレットの刀身へ迸らせた。

 それに呼応するように風の刃が活性化する。


(斬れろ……斬れろ……斬れろ……っ!)


 祈るように心の中でそう何度も念じながら、アンナから止め処なく渡される魔力を絶えずエンチャント魔法に還元する。

 スカーレットの刀身を纏う風の魔力は、供給される量が大気に霧散する量を悠に上回り、さらに濃密に、さらに肥大化してゆく。

 その出力は既に中級攻撃魔法の規模を上回っていた。風属性の魔法現象の余波が周囲に烈風を巻き起こし、前髪を激しく靡かせた。

 

(斬れろ斬れろ斬れろ斬れろ斬れろッ!)


 だがそれでもなお、刃はクイーンホーネットの細い頸を断つどころか、1ミリたりと食い込む気配すらない。


(そんな。なんで……どうして……!?)


 絶対に成功させられるという当初の確信が揺らぎはじめた。

 さっきまで持っていたはずの勇ましさが損なわれる。次第に焦燥感に取って代わられる。

 ――きっと格が違い過ぎた。

 ここまでお膳立てされてなお届かない。完全に俺は自分の実力を見誤ってしまったんだ。

 

(まずい……やばい。どうしよう。ここで失敗したら……全員……死ぬ……っ)


 俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。

 せっかくここまで来たのに。俺が肝心なところでしくじったから。

 絶望からくる無気力感が体を支配する。

 スカーレットを握りしめる手の力が次第に緩みはじめた。……そのときだった。


「――頑張れえええええ!!! カズキいいいいい!!!」

「……!!」


 すぐ後ろから声がした。

 縋るように必死で、絞り出すような叫び。

 けれど、それは決して諦めを知らない“希望”に満ちていた。

 俺が全てを諦めて下を向いていたとき。彼女は……アンナはただ“前だけを見て”俺に激励を送ったのだ。


(……ありがとう。アンナ)


 後ろにいるアンナの顔は見えないけれど、それでもなんとなく分かる。彼女の瞳の光はいまだ失われていない。俺が必ずやり遂げられると全身全霊で信じている。だからこそ、淀みなく俺を激励することができた。

 なのに、俺が俺自身の力を信じられなくてどうする?


「くぅっ……すいません……バインドが……もうっ……がぁっ!」


 エミリィさんが苦悶の息を吐き出すと、地面に倒れる音がする。バインドの維持に限界が来たのだ。


『ギギギャアアアア!!』


 硬直が解除され、クイーンホーネットは奇怪な声で喚きながら再び暴れはじめる。


「!! 安心しろカズキくん!! 俺がいつまでもいつまでも! 永遠に持ち堪えてやる!! はあああああッ!!」


 ライアン様が雄叫びを上げると、炎の鞭がさらに三本増えて奴の巨体を雁字搦めに縛りあげた。

 おかげで手元に狂いはない。だが、それもいつまで持つか分からない。外気で冷えて固まったマグマも、関節からボロボロと砕け落ちていっている。

 ……ここが正念場だ!


「アンナ!! 頼む!! お前の魔力、全部くれッ!!」

「お安い御用だよっ!!」


 アンナが気合の入った声を上げる。

 マナチャージで送られてくる魔力の奔流が今までにないほど太く、多く、熱くなる。俺はその全てをスカーレットに捧げた。

 スカーレットへ魔力を送る両腕の内部に、強烈な『魔力摩擦』による熱傷が発生し、激痛を孕んだ。それでもなお、“心の握力”が柄を放すことを許さなかった。

 やがて俺とアンナの心が一つになり、ともに喚声をあげた。


「「はぁああああああああああ!!!!!」」


 ――そのとき『奇跡』が起こった。

 誰もがそれを起こすのに必死で、その『奇跡』に誰も気付くことは終ぞ無かった。

 緋色の刀身を包む濃緑色の風属性の刃に“別の輝き”が灯ったのだ。

 どこまでも白い、穢れのない純白。聖なる光が刀身に宿った。

 それはアンナが潜在的に有する光属性の魔力の煌めき。本来ならマナチャージ経由では純度が低く、発現するはずがない現象。だがカズキの体内にアンナの魔力が極限まで流れ込んだことで、光属性のエンチャント魔法が発生するまでに至ったのだ。

 光属性は基本的に人を癒やす力として使われる。しかしながら、“攻撃魔法が存在しないわけではない”。

 このとき起こったエンチャント現象に最も近いと思われる光属性の攻撃魔法、それは『ホーリーブレード』であった。極限まで圧縮した魔力を光属性の『拡散』の性質によって一気に解放し、それによって得られる“甚大な破壊力”で相手を切り裂く魔法だ。

 ――ゆえに。


『ぎ……ギヤァァアアアアアアアッ!!!』


 クイーンホーネットの頸程度、斬り落とすにはあまりに容易かった。

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