第30話 女王禍・中編

 ――ああ、面倒だ。実に面倒だ。

 儂のブレスでゴミどもを一掃つもりであったのに。生き残っておるではないか。

 二匹がそれぞれ土と炎の障壁を展開して凌いだか。小癪な真似を……。

 あの勘のいいオスが知らせなければ、あるいはもっと手早く殺していたやもしれぬ。

 他は殺せたか?

 ……否、彼奴らの顔を見ればわかる。絶望はすれど悲観はしておらん。方々に逃げただろうな。

 まぁよい、他のゴミはあとでじっくり狩ればよい。まずはこやつらだ。

 逃げたのもいずれ殺す。儂のコロニーに手を掛けた人間ども全員の友人、親、兄妹、家。何もかも全てを殺し、全てを無に帰す。

 だが今はこやつらだ。

 ああ、悩ましい……。どう殺してやろうか。

 頭蓋を噛み砕き、中身を引きずり出してやろうか。手足をもいで、地べたを這いつくばるのを眺めてやろうか。脚で踏み潰し、腸をぶちまけてやろうか。子どもたちに囲わせ、肉片を少しずつ啄ませようか。いっそブレスで考えるよりも間もなく蒸発させてやるのも一興か。

 とても悩ましいが、今決めるべきは『誰』から先に殺してやろうか、だ。

 あの勘のいいオスか? あの盲目のオスか? あの賢そうなメスか? あるいは――



「――ファイアランス!!」


 勇ましい呪文詠唱とともに、炎の槍がクイーンホーネットへ投擲された。

 それは頭部へ命中したものの、貫くことはおろか重装甲に阻まれてあえなく掻き消える。

 クイーンホーネットは攻撃魔法を放った者の方へゆっくり向き直った。


「貴様が人間の言葉を解せるかは知らんが、よく聞けッ!! 俺の名はライアン・ボナハルト! ボナハルト家十二代目当主『グレモア・ボナハルト』の長兄であるッ!! そして貴様の子供を鏖殺した首魁だ! 貴様が最も憎むべき仇敵がこの俺だッ!!」


 ライアン様はよく通る声で怒れる女王に啖呵を切る。


「貴様からすれば、ある日突然、家族と家を理不尽に奪われたのであろうな! ――それでも俺は声を大にして言おう! 『正義は我にあり』となッ!!」


 彼の言葉を理解してかしてないか、クイーンホーネットは唸り声をあげて威嚇する。


「貴様と貴様が産みだした子らは、長きに渡りエルスニアの無辜の民を苦しめ、凌辱し、消えない傷痕を残してきた! 俺には貴様の暴虐を捨て置くことはできない! 犠牲となった人々のために俺はここに立っている! これ以上の犠牲を増やさないために俺は剣を抜く! 覚悟しろクイーンホーネット! 俺が貴様を誅罰してやるッ!!」


 ライアン様はそう宣言すると、腰に差していた剣を抜き放った。


「――ブレイズアクセル!!」


 呪文を放つと足元に焔が渦巻き、踵に爆炎が奔る。氷上を滑るかのように不毛の大地を猛スピードで駆け抜けた。


「でやぁああああああ!!」


 その高速移動に反応できなかったクイーンホーネットは接近を許してしまう。跳躍して背に飛び乗り、厳かな意匠の刀剣を突き立てた。

 ……が、貫通すること叶わず、刃は外皮の表面で止まってしまう。

 クイーンホーネットは振り払うように暴れると、あえなく落とされるものの華麗に着地して距離を取る。

 彼をターゲットに定めた女王は猛突進を繰り出した。その巨体からは想像できないスピードで迫り、泥を飛沫させながら深い轍をつくる。

 掠めるだけでも命取りとなりうる凶悪な体当たりを巧くかわしながら、フレイムボルトによる牽制を繰り返していた。

 その攻防を傍目で見ている俺達の元へ、ライアン様が庇った団員が這々の体でやってくる。


「ライアン様より……言伝があります」

「え?」


 内縁部隊の魔法使いの一人だった彼は、壮絶な表情とともに語った。


「ライアン様は……っ、我々騎士団、そしてエルスニア・ギルドの冒険者の皆様へ、この場から撤退するよう……命令なされました……ッ!!」

「!! ……そんなっ!」


 アンナは悲鳴にも近い声をあげる。この状況で彼の言葉が何を意味するか。そして、彼が“どういう顛末”を辿るかは火を見るより明らかだった。

 ライアン様の実力は本物だ。だが、それでもクイーンホーネットを単騎で討つには至らないだろう。奮闘しているように見えて、あの怪物に対する有効打を一切持たない。ただ時間稼ぎをすることしかできないはずだ。そして、それもいずれ限界が来る。

 だからライアン様はその限界が来るそのときまで、一人でも多くの部下と俺たちを安全な場所へ避難させるつもりなのだ。――自らの命と引き換えに。


「今しがた使い魔を放ち……クイーンホーネット討伐に十分な戦力の出動を本家へと具申したそうです……。ですから、我々の仕事は終わったと……。あとは自分でなんとかすると……っ!」


 団員は涙を溜めながら崩れ落ちる。自分ではどうすることも出来ない無力感に、彼は打ちのめされていた。ライアン様ですらどうしようもない相手に、彼の域に達することままならない自分がどうこうできるはずもない。そう考えていたのは俺も同じだった。

 アンナは「どうすればいいの」と絞り出すよう呟いた。エミリィさんは焦燥感に駆られながら、終始無言のまま思案に暮れていた。ゲイリーさんは悔しさに眉を顰めながらも、どこか諦観していた。

 そんななか、動けない団員を退避させてきたクレアン様が戻ってくる。


「お前ら大丈夫か!? お兄様は無事か!?」


 彼に事の経緯を全て伝えると、表情が絶望の色に染まる。

 何かの間違いじゃないかとばかりに視線がしきりに訴えかける。しかし誰も答えることはなかった。


「――くっそおおおお!!」


 全てを悟ったクレアン様は天を仰いで慟哭した。

 そうして大粒の涙をみっともなくボロボロと零しながらも、決意に満ちた面持ちになった。


「――まずは現在急行中の救援部隊に中止命令。そして彼らや他の討伐隊メンバーの撤退指示、およびクイーンホーネット討伐部隊の指揮官は僕が務める。お兄様の代わりは僕がやらなくちゃならない。それが今の……これからの僕の役目だ」

「クレアン……様」


 その悲痛な覚悟に、ゲイリーさんは苦悶の表情をつくる。

 これまでの様子を見るに、彼はおそらく誰よりも兄想いだったはずだ。本当は兄を助けたい一心のはずだった。それでも、いやだからこそ、ライアン様の決断と自己犠牲を無駄にはしてはならないと踏ん張るしかなかった。心を押し殺し、非情な現実を受け入れるしかなかった彼にかける言葉など見つかるはずもなかった。


「アンナ。エミリィ。それにカズキといったか。お前たちも早く逃げろ。妙な気は起こすなよ。お兄様の意志を尊重するつもりなら」


 そう言い残し、彼はゲイリーさんを連れてその場を後にする。

 その背中は痛ましいほどに哀しげであった。


「……」


 言葉が出なかった。

 ライアン様を助けたい。それが紛うごとなき本意だ。

 だがその術がない以上、彼一人が犠牲になることでより多くの人命を救えるのであれば。それが最善策であることを否定できない。

 頭のなかで解決策が浮かんでは消えを繰り返しながら、無言で立ち尽くすしかなかった。

 それでも彼女だけは。アンナの藍緑の瞳はまだ希望の光を失っていなかった。


「――ライアン様は言ってたよね。我々は『クイーンホーネットの討伐』を主眼としていなかった。奴を葬れるほどの打撃力を持ち合わせていないのだ。って」

「え?」

「その戦力分析は間違っていないと思う。――でも、ライアン様の想定はあくまで自分の部隊だけの話で、“私たちは計算外だった”んじゃないかな?」

「……!」


 彼女の言わんとすることが分かりかける。それはつまり……


「もう案は浮かんでるんだよね? エミリィ」

「! そ、それは……」

「ふふ、誤魔化しても無駄だよ。エミリィとは長い付き合いだもん。顔を見ればすぐ分かる。……“失敗すれば死ぬ”から、進言するのを躊躇っている。違う?」

「……はい。その通りです」


 エミリィさんは降参するように言う。


「ほ、ホントですか!? なにか良い作戦が浮かんだんですか!」

「ええ。……しかしながら、アンナ様のお察しの通り失敗すれば後はない、一か八かの作戦です。バレてしまった以上、もうアンナ様を止めることは出来ませんし、私だってライアン様を救いたいのが本望ですから。腹、括らせて頂きます」


 ところがエミリィさんは「ですが」と付け加えると、真剣な眼差しでこちらを射抜いた。


「カズキさん、あなたは違います。アンナ様や私にとってライアン様は目上の者である前に“大切な家族”です。ですが、カズキさんからしてみれば、今日会ったばかりの他人に過ぎません。私たちに比べ、自らの命を天秤にかける動機が足りなすぎる」

「エミリィの言う通り。ライアン様は助けたい。けど、カズキも大切な仲間だよ。無関係なカズキをみだりに危険に巻き込みたくない」

「この作戦には私とアンナ様、そしてカズキさんの三人全員が力を合わせなければ成り立たない。ですからカズキさんに決めて欲しい。やるか、やらないかを」


 そうしてアンナとエミリィさんは、俺が答えを出すのを固唾を呑んで見守る。

 俺は二人に比べればそれほど長い付き合いがあるわけではないが、二人とも個人的な理由で危険な仕事を強要するような人間でないことは分かる。ここで臆して断ったとしても、きっと納得してくれるだろう。

 ――けれど、俺の返事は最初から決まっていた。


「はは! 今さらなに言ってるんです? 水臭いじゃないですか。二人にとって大切な家族なら……俺にとっても大切な人です。――やってやるよッ!」


 俺はそう言って不敵に笑い、サムズアップしてみせた。


「――! カズキ!」

「……ありがとうございます。カズキさん」

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