第28話 リースの森戦線・後編

「――!? クレアン!!!」


 一匹のホーネットがクレアン様に向かって突進する瞬間を目撃していたライアン様は、思わず叫んでいた。

 しかしながら幸運にも微妙に狙いがズレており、毒針も急所を外している。が、右の肩当の板金が貫通しながら抉れており、皮膚と筋肉が捲れて赤黒い鮮血がしどどに滴っている。クレアン様は激痛に呻きながら跪いた。


「よくもクレアン様を!!」


 そのホーネットは彼が助けた女性団員の手によってあえなく撃破されたものの、かなり芳しくない状況である。傷が深いのもそうだが、最も厄介なのは毒が身体に回ってしまったことだろう。

 早急に解毒しなければ命に関わる。内縁部隊へと彼を運ぼうにも、ホーネットの猛攻は依然変わりなく、女性団員もクレアン様を守るので精一杯だ。毒消し薬を投与するどころか、応急手当てすらままならない。


「まずい……このままではッ!」


 内縁部隊もまた同様に救助する余裕がなく、ホーネットたちへの対処に追われていた。このままでは弟が犠牲になってしまう。ライアン様が焦りを募らせていた、そのときだった。


「――エミリィ!! 援護お願い!!」


 アンナだ。

 このタイミングで唯一手が空いていた彼女は、負傷に苦悶する腹違いの兄の元へと走り出した。


「――承知ッ!」


 脚力ブーストで疾走するアンナの元にホーネットが襲いくる。……が、彼女は全身を回転させながら突進してくるそれらを難なく躱し、さらにその回転を利用した勢いのまま拳を叩き込んだ。


『ギイッ!!』


 拳をまともに浴びたホーネットは悲鳴とともに真横へ吹っ飛んで木の幹にぶつかり、そのまま動かなくなる。

 そうしてクレアン様の元へたどり着くと、負傷部に無言で右手を掲げた。

 すると、聖なる光をまとった薄い膜が抉れた部分を覆いつくす。

 彼女が使ったのは『クイックキュア』。ヒールと違い無詠唱で使える簡易的な回復魔法である。だが、あくまで患部に膜を張ってこれ以上の負傷と出血を防ぐだけの物理的な応急措置に過ぎず、効果時間も短い。本格的な治療が必要には変わりない。


「痛いですが、少しだけ我慢してください!」


 アンナはクレアン様を背負い、ブーストを全身に漲らせ、全力で内縁部隊の方へ蜻蛉返りする。

 両手が塞がって戦えないアンナに代わり、襲ってくるホーネットをエミリィさんがナイフ投げで仕留めるなどの援護をしたおかげで、無事戻ってくることができた。


「お見事です。アンナ様」

「早速治療します! みんなお願い!」

「任せろ!」


 俺は彼女の治療を邪魔させないためにも、一層注意を払ってホーネットたちの迎撃を続ける。

 まずはピュリフィケーションで全身に回りつつあった毒を浄化し、それからヒールで右肩を治療した。みるみるうちに失った肉体が再生される。

 

「……ふぅ。これでよし」


 治療が終わり、アンナはホッと一息つく。そこへライアン様が片手間に話しかけた。


「部隊の要たる回復サポーターが持ち場を離れた独断専行。指揮官として見過ごすことはできない。……と言いたいところだが、あの場あの時でクレアンを助けられるのはお前だけだった。その柔軟かつ的確な判断、そしてすぐ行動に移せる勇気。俺は称賛に値すると思う。そして何より――」


 彼は言葉を区切ってからフレイムボルトを連発し、ホーネットを十数体屠ると。


「――我が弟を助けてくれてありがとうッ!」


 と、嘘偽りのない感謝をアンナに述べた。

 

「……お前……、どうして、僕を助けた……?」


 痛みが薄れ、落ち着きを取り戻したクレアン様はアンナに尋ねる。


「今まで僕がお前にどんなことをしてきたのか、忘れたのか? 僕を心底恨んでるんだろ……? あそこでお前が助けなければ、僕は確実に死んでた。見て見ぬ振りだって出来たはずだ。積年の恨みを晴らす絶好の機会だったはずだ。だのに何故……?」


 彼の疑問に、アンナは毅然と答えた。


「……恨んでるとか恨んでないとか、そんなの関係ありません。私の夢は“多くの困っている人を助ける”ことです。あのとき私は“クレアン様を助けたい”と、心の底から本気でそう思った。……ただ、それだけ!」


 そう語る彼女の笑顔には、一切の淀みがなかった。

 幼少期から自分を理不尽に虐げてきた人間を助けたことに、なんの悔いも感じていない。むしろ安堵と喜びすらあった。


「アンナ……今まで……ごめんっ!」

 

 アンナのその崇高な姿に、彼も思うところがあったのだろう。碧色の瞳から、一筋の涙が流れた。


「泣いてる場合ではありませんよ、クレアン様。回復したのなら早急に持ち場へ戻ってください」

「な、泣いてなんかないぞ! 砂が目に入っただけだ!」

「ここは森ですが……」

「森でも砂が舞うことぐらいあるだろう!?」


 エミリィさんとクレアン様の微笑ましいやりとりを横目に、俺は今一度気合を入れ直し、ホーネット討伐に取り組もうとした、そのとき。視界の隅に違和感を覚える。


(? あれは……?)


 俺はその違和感を辿り、注視してみる。

 ホーネットたちが集団で飛翔するリースの森上空よりさらに高高度、得体の知れない大きな塊のようなものが天へ昇っていくのが見えた。



 ホーネットは通常、卵から孵化して数ヶ月程度で成体になる。

 だが女王から見初められ、特別な魔力を注いで育てられた個体は、数年の歳月をかけてゆっくりと大きく成長し、やがて新女王として羽化する。

 兵隊は虫けらそのものだ。本能に忠実で単純な消耗品。それに比べ、新女王は“十歳の人間程度の知能”を有するようになる。彼女らの知能の異常発達は、群れを効率的に統率し、運用する為であった。


 “彼女”は、リースの森のコロニーに数いる新女王の中で、最も優秀で最も狡猾な個体だった。

 コロニーの危機をいち早く察知し、すぐさま遠くに離れて潜伏し、機を伺っていた。

 彼女は母親が発するSOSフェロモンにも気づいていたが、他の同胞のように愚直に向かうこともせず、兵隊の大群に紛れてひっそりと近づいた。そうして救い出すべき母が囚われている状況を理解した彼女は、ある“思いつき”を実行した。

 彼女は子供並の知能だったが、愚かな子供のひらめきは時として賢者をも出し抜くのである。


――バカなニンゲンたち。私の狙いにまだ気付いてさえいない。今、箱の外に出してあげるからね。お母さん。……自由になったら、私たちのおうちを壊し、家族をむごたらしく殺したアイツらを全員やっつけて!



 気付いた時点で手遅れだった。

 天高く昇った塊がバラバラに分散すると、“それら”が自分たちの頭上めがけて落ちてくるのが見えた。

 地表に近づいてくるにつれ、“それら”が何なのか。そして未だ高高度を維持する塊について分かりかけてきた。


「――!! なにか降ってきます!!」


 俺が叫ぶのと、それらが墜落してきたのはほぼ同時だった。

 

――バキャッ!!


 木材が砕ける鈍く乾いた音が響く。その場にいた全員が振り返った。


「――なっ!?」

「え?」

「なに!?」

「なんだ? 一体何が落ちてきた!?」


 ホーネットの迎撃に気を取られ、誰も事態を把握できない。そこで謎の落下物にいち早く気づいていた俺に白羽の矢が立った。

 ライアン様は「ここは任せろ」と言わんばかりに目配せする。俺は急いで封印櫃の上に落ちてきたものを確認した。


「――ッ!? ホーネットです! 死骸が二匹!」

「……なに?」

 

 さっき高高度にいた塊の正体に確信を得た。おそらくアレは新女王だ。直接対峙したからわかる。彼女らは普通のホーネットよりも一段と賢く、このように人間の裏をかく算段が立てられるのだ。


「ライアン様! 俺はコイツらが落ちてくるのが見えてました! 遙か上空を飛ぶ新女王が落としてきたんです!」

「なんだと!? なら狙いは“封印櫃の破壊”か! 封印櫃の状態は!?」

「派手な音はしましたけど、幸い表面が凹んだ程度で済んでます! ……いや、これは? 死体から赤い液体が漏れてる? それに白い煙……?」


 とっさに新女王を倒したときのことを思い出す。

 新女王は今際の際に赤色の酸ブレスを吐いてきた。ならば、これを落とした奴にも同じ芸当ができるはず。

 “ホーネットの死体に酸を仕込む”ことも……!

 俺がその事実に気づいたその直後だった。


――バギィ! バキギィ! ギチチチチ!


 ホーネット二体の落下の衝撃にも耐えた白い棺桶が、不穏な音を立てて揺れ動く。


「ま、まさか」

「いかん! 全員退――」


 ライアン様が言い終わる前に、封印櫃がまばゆい光とともに爆発する。

 俺やアンナやエミリィさん、それにライアン様ほか封印櫃を囲っていた内縁部隊の全員が爆風に吹き飛ばされる。

 

「いてて……」

「なにが起きたの……?」


 突然の出来事に誰もが呆然とするなか、ひとりが声を震わせながら指を指す。


「――おい、あれ」

 

 その先にあったものを見たとき、全身から血の気が引く感覚を憶えた。

 封印されていたはずの“彼女”が。

 棺の中にいなければならない“彼女”の姿が……そこにいたからだ。

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