第24話 過去

 アンナ様の本当の名は『アンナ・ボナハルト』。ボナハルト家現当主『グレモア・ボナハルト伯爵』の第三子です。

 アンナ様は兄であるライアン様やクレアン様と違い、妾である『ディアンヌ・ホリック』との間に産まれた子でした。しかも、元々体が弱かったディアンヌ様はアンナ様を出産した直後に亡くなられてしまい、後ろ盾のないアンナ様は妾の子であることを理由に周囲から迫害されてきました。私やグレモア卿やライアン様など、全てが全て敵だらけではありませんでしたが、伯爵令嬢という立場にありながら冷遇されていたのです。


 ボナハルト家であるのにも関わらず、彼らと同じ食卓を囲むことを許されず、同じ食事を摂ることも許されず、実の兄妹であるライアン様やクレアン様とまともに接する機会すら許されなかった。侍女であったディアンヌ様が生活していた部屋に、まるで臭いものに蓋をするかのように押し込まれ、殆ど軟禁状態で過ごしていたような有様でした。

 廊下を歩こうものなら冷ややかな目で見られ、一人になったときには誰に目にも触れないのをいいことに罵倒されたり、苛められていたことも一度や二度ではありません。私はアンナ様の教育係として、そのような害意が及ばないよう守るのに必死でした。


 グレモア卿とライアン様はその現状を憂いてくれた数少ない理解者でしたが、問題に介入することは難しかったといえます。迂闊に庇おうと動けば、「妾の子の癖に庇われるなんて」といった妬みの感情が、アンナ様へ理不尽に返ってくる。なにより卿の妻である『トロカ様』の顰蹙(ひんしゅく)を買うことになってしまう。伯爵の正妻にして優秀な嫡男を持つことを誇りとする奥様からすれば、妾の子であるアンナ様はこの世の誰よりも憎き存在。そもそもアンナ様を最も積極的に貶めていたのは他ならぬ奥様でありました。クレアン様があのようにアンナ様へ辛辣な態度をとられるのも、幼少期より奥様に吹き込まれていたせいでもあるのです。

 ですから、卿やライアン様が下手に動こうものなら、奥様はことさらアンナ様に強くあたってしまう。残酷なことですが、お二人は歯痒い思いをしながらアンナ様が虐げられる様を黙って見過ごす他なかったのです。


 しかしディアンヌ様譲りの強く、優しく、気高き心を受け継いだアンナ様は、そんな過酷な環境下に置かれながらも、決して折れることも腐ることもなく、真っ直ぐな子に育ちました。それはカズキさんもよく知るところでありましょう。

 ――ところが、アンナ様が14歳になったある日。状況が一変します。

 

 ある時、庭の手入れをしていた庭師が事故で足の骨を折ってしまいました。私とアンナ様はその現場に偶々居合わせており、私はアンナ様に手当を頼んで医師を呼びに行きました。ところが、私が医師を連れて戻ってきたところ、紫色に腫れ上がっていた庭師の足が、何事もなかったように完治していたのです。何が起こったのかをアンナ様に尋ねると、応急処置を終えたアンナ様が祈りを込めて患部に手を近づけた瞬間、不思議な光が手を包み、みるみるうちに足を治してしまったのだというのです。

 私は驚きました。アンナ様は誰に教わったわけでもなく、無意識に回復魔法を行使してみせたのです。この話は瞬く間に広がり、当主であるグレモア卿の耳にも届くこととなりました。


 これを契機にボナハルト家には激震が走りました。

 アンナ様は先天的に光属性の性質を有していて、しかも修練するまでもなく回復魔法を使える天賦の才を秘めていた。この事実はボナハルトのルーツ上、重大な意味を持っていたのです。

 ボナハルト家の始祖であり、家名の威光の源たる英雄『聖騎士アリ』には、類稀なる光属性の魔法によって多くの人々を救済したという伝説がありました。代々ボナハルト家の血筋の者で、光属性の才覚を発揮した人物は聖騎士の再来として持て囃され、いずれも歴史に名を連ねる偉業を成し遂げてボナハルト家の繁栄に貢献してきたのです。


 アンナ様は妾の子ではありましたが、紛れもなくボナハルトの血統を持った光属性の性質を持つ者。しかも無意識に回復魔法を扱えるという才能まである。次期当主として盤石だったライアン様を差し置いて、今まで冷遇してきたはずのアンナ様を次期当主として神輿に担ぐ事態へと急転したのです。

 とはいえ、これには私はもちろんのこと、アンナ様の現状を憂いていたグレモア卿や次期当主の座への執着が薄かったライアン様にとって僥倖に他なりませんでした。これで今まで虐げられてきたアンナ様がようやく報われる。少なくとも私とグレモア卿とライアン様はそう思っていました。


 ……ですが、これを良しとしない者もいた。

 そう、ほかでもない“トロカ奥様”です。

 それもそのはず。ある日突然、今まで足蹴にしていた妾の娘が自慢の息子を押し退けて次期当主に成り上がろうとしているのですから。それはそれは大層気に食わなかったことでしょう。


 アンナ様の才能が開花してから数日後。私はアンナ様とともに街へ買い物にでかけました。そして人気のない通路に差し掛かったところ、複数人の刺客に襲われたのです。十中八九、奥様の差し金でありましょう。この出来事については既にアンナ様から直接聞いているかと存じます。私は致命傷を負い、アンナ様を守れなかった無念を噛み締めながら意識を失いました。

 ところが、私は致命傷が癒えた身体で意識を取り戻し、アンナ様も無事だったのです。その理由はカズキさんも知っての通り。私たちは九死に一生を得ました。そしてこの件をきっかけに、アンナ様の運命は大きく変わったのです。

 街からの帰り道、アンナ様は私にこう言いました。


『エミリィ。私……冒険者になりたい! 私を助けてくれたあの人みたいに、今日の私たちみたいな困っている人たちを助けたい!』


 アンナ様は今まで見たこともないぐらいに、その美しい藍緑の瞳を一層美しく輝かせていました。

 最初はさすがに面食らいました。ですが、私は彼女の決断を嬉々として受け入れました。

 存在意義を否定されても笑顔を浮かべ、理不尽に怒鳴られても笑顔を崩さず、謗られても笑顔で返し、そして周囲の手のひらを返した身勝手な期待にも笑顔で首を縦に振った。“心が強すぎる”が故に、運命のなすがままだったあの子の『生まれて初めての我儘』。

 アンナ様はあの日見た“星の煌めき”から、自分だけの人生を見つけたのです。


 私は、アンナ様が自らの意志で掴み取った“夢”を応援しようと、決意を固めました。

 その後私はアンナ様が刺客に暗殺されかかったこと、そして彼女が冒険者になる夢を持ったことを包み隠すことなくグレモア卿に伝えました。ずっとアンナ様のことを案じてくれていた卿は、家名や伝統よりも彼女の意志を尊重してくれました。そこで私たちは、なるたけ物事を穏便に済ませるために裏で結託し、『誉れ高きボナハルト家の生まれにありながら、下劣な冒険者になりたいと宣う一族の恥晒しを追放する』というシナリオを描いた。


 こうして私はアンナ様と共にボナハルト家を出奔しました。アンナ様の追放によって息子のライアン様が再び次期当主の座に落ち着いたことに納得した奥様は、金輪際刺客を送ってくることはありませんでした。

 そしてアンナ様が冒険者の資格を得られる年齢になるまで、別の地方で修行しながら暮らしていたのです。

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