第9話 ワイバーン討伐クエスト・後編

『ここは……花畑? こんなところでなにをするの? エミリィ』

『アンナ様。花に集まって飛んでいる青い蝶がいますよね?』

『うん。綺麗な蝶がいるね』

『今から自由時間が終わる18時までに、あれと同じ種類の蝶を五匹以上捕まえて、この虫籠のなかに確保してください』

『え? 虫取り? いいけど……肝心の網は?』

『道具は使わず、素手で捕まえてください』

『え、素手で? あれ結構飛ぶの速いけど……』

『これはアンナ様の”動体視力”と”反射神経”を鍛えるためのトレーニングなのです』

『動体視力と反射神経?』

『格闘戦はとにかくスピードの世界なのです。1秒……いや1秒未満の出来事を正確に捉え、的確な判断を下していかなければなりません。そのためには高速で動く物体の距離感と速度を見極める”動体視力”、そしてそれに無意識レベルで反射的に対応する”反射神経”が必要になるのです。アンナ様はモンクとしての基本は出来ていますが、これらのスキルはまだ伸びしろがあります。そして動体視力と反射神経が鍛えられれば敵の攻撃からの回避力もグンと上がり、格闘能力と自衛力も比例して向上します。つまり回復サポーターでありながら、高い打撃力と自衛力をウリとするモンクの長所を一挙に伸ばせるというわけです』

『……なるほど』

『最初は五匹がノルマですが、達成したら次は八匹。最終的には十匹以上を目指してください。ちなみに捕まえた蝶の鱗粉はある薬草と調合することで薬になって高く売れます』

『トレーニングと金策を兼ねた一石二鳥ってことだね。うん、わかった。エミリィ、私頑張るね!』

『……頑張ってください。アンナ様』



(――炎が迫ってくるのがゆっくり見える! こんなの避けるのは、あの蝶を捕まえるよりずっと簡単だ!!)


 アンナは寸でのところでワイバーンのブレスを躱すことができた。

 どうやらアンナは修行の成果を存分に発揮できたようだ。ブレスが吐かれた瞬間、凍りついた表情になっていたエミリィさんも、ほっと胸を撫で下ろしていた。


(捉えたッ!)


 ワイバーンのブレス攻撃の致命的な隙を、アンナは逃さなかった。避けた勢いでそのまま側頭部に回り込み、拳の射程距離に届いた。


「――聖拳衝(せいけんしょう)!! ハァアッ!!」


 技名を叫びながら放たれた拳にはナックルが装備されていなかったが、綺羅びやかなオーラを纏っている。

 ワイバーンが迫りくる右腕に気づいた時には既に手遅れだった。威力そのものは彼にとってどうということはなかったが、正体不明の衝撃が彼の頭のなかを駆け巡り、意識を朦朧とさせた。

 アンナが使った『 聖拳衝 』は、光属性の魔力を拳に宿して相手を殴りつける格闘系の必殺技のひとつだ。威力そのものは普通の殴りと大差無いが、命中した部位が頭部だったときにその真価が発揮される。光属性の魔力が脳内に浸潤することで、光の拡散の性質が意識を希釈する。要は相手を“気絶させる”ことができるというわけだ。

 だが欠点もある。素手で直接魔力を送り込まなければならない以上、反動で自分も著しく傷付いてしまうのだ。現に、鉄よりも硬いとされる竜種の頭蓋骨を強烈に殴った右拳は、潰れたトマトのように皮と肉が抉れて血が滴り、骨まで見えてさえいる。しかもこの一撃ではまだまだ足りない。まだワイバーンを気絶させるには至らない。


「ぐッ!! さらにもう一発! 聖拳衝!!」


 だがアンナは、甚大な負傷による激痛に顔を歪めることはあれど、怯むことなく左の拳でもう一撃叩き込んだ。

 ワイバーンの頭部は殴られた方向によろめく。が、それでもまだ意識を保っている。聖拳衝の効力は時間経過でどんどん薄まっていってしまう。だがアンナの両拳はもはや満身創痍だ。これ以上聖拳衝を打つことはできない。

 ……かに思えた。


「オートヒール発動……よし」


 アンナの負傷部位が聖なる光に包まれ、即座に回復していく。

 彼女はダメージを受けたときに自動的に治療を施す回復魔法の一種、『オートヒール』を予め発動していたのだ。つまり一、二撃で気絶できないのは想定済みだったのである。


「さらに……もう二発ッッ! 聖拳衝・二連!!!」


 猛追撃。

 連続で放たれる光の拳。

 然しものワイバーンもこれには耐えきれない。

 ついに意識が途切れ、糸が切れたように地に伏した。


「アンナ! 大丈夫か!?」

「私は大丈夫! それより早く”アレ”を探して!」



『この世で最も完成された生命体とも謂われる竜種ですが、彼らにはある共通した”弱点”があります』

『弱点?』

『竜種が“ドラゴンブレス”を放つ際、大気中から大量の魔力を吸引し取り込んだそれらを燃料にして威力を底上げします。そう、大気中から魔力を吸い上げるための器官があるのです。硬い皮膚や鱗に守られていない”内臓と直結する孔”が体のどこかに存在するのです。殆どの種においてソレは顎の下にあるとされ、孔がある部分のみ鱗が逆向きに生えている。これを『逆鱗』と呼びます』

『竜の逆鱗……』

『最初から闇雲に逆鱗を狙うのは得策ではありません。逆鱗は竜種にとって致命的なアキレス腱。迂闊にソレに触れようものなら、それこそ言葉どおり逆鱗に触れてしまいます。ひとたび凶暴化してしまった竜種はもう我々の手には負える相手ではありません。ので、ここはしっかり順序立て、安全かつ確実に逆鱗を狙います。まず私のバインドで動きを止めた隙に、カズキさんの攻撃魔法で片翼にダメージを与え飛行能力を封じる。次に落とし穴へと誘導し足を封じる。そこへアンナ様がオートヒールを駆使しながら聖拳衝で気絶させる。そして最後の締めとしてカズキさんが剣で逆鱗を貫き、一撃で終わらせる。これがワイバーン討伐のシナリオの全容です』



「逆鱗……逆鱗……どこだ……?」


 聖拳衝による気絶の持続時間はざっと30秒ほど。あまり悠長にしている余裕はない。俺は力なく横たわるワイバーンの頭をひっくり返し、顎の下のどこかにある逆鱗を血眼になって探した。アンナは負傷の治療に専念し、エミリィさんは万が一ワイバーンが覚醒したとき、すぐ俺に教えられるよう遠くから俯瞰視している。

 エミリィさんの作戦のおかげでこの状況を作り出せた。アンナが危険な橋を渡り、負傷による激痛に耐えたおかげでこの状況に導かれた。

 だが俺がここで決めなければ二人の頑張りが無駄になってしまう。

 必死に、だがあくまで冷静に、無数の鱗のなかから逆向きのものがないか吟味する。

 

「……あった!」


 一枚だけあった。ささくれのように逆立っている鱗が。

 その隙間には体内のどこかへ通じているであろう有機的な孔もある。

 あとはこれを奥まで一突きするだけだ。考えてる時間はない。

 俺はとっさにワイバーンから距離を取る。ここはクザさんから教わった”あの技”の出番だ!


「――貫徹槍剣撃(かんてつそうけんげき)!!」


 『貫徹槍剣撃』。クザさん考案の貫通力に特化した剣の必殺技だ。

 ”槍”のように剣を構え、脚力ブーストで全力疾走し、その勢いと腕力ブーストを乗算した苛烈な突きを標的にお見舞いする。まぁ結局のところただの突進技だが、クザさん曰く「シンプルほど強い」だ。


「ハァアアアッ!!!」


 突進の勢いのまま、構えた剣を逆鱗に突き立てる。入射角度に問題はない。剣は拍子抜けするほど、ズルズルと滑るように孔を精確に貫いた。


「ギャッ!!――」


 太く、短い絶叫とともにワイバーンの巨躯がガクンと脈動する。剣から腕を伝い、その力強い余波をありありと感じた。

 おそらく今のは”断末魔”というやつだったのだろうか? 

 この一撃で彼は落命したのだろうか?


「終わった……のか? これで……? 本当に?」

「ねぇエミリィ。どう思う?」

「……」


 逆鱗から剣を抜いて尻もちをつく俺を尻目に、エミリィさんは彼の首筋に手を当てたり、瞼をこじ開けて眼球を診たりしていた。

 それらをあらかた済ませ、こちらに向き直った。


「はい。たしかに死んでいます」

「ってことは、クエスト……達成ってこと?」

「俺たちでワイバーンを倒せた……?」


 ものすごく大変なことがあまりに呆気なく終わってしまったものだから、俺とアンナはすぐに理解が追いつかなかった。けど目の前に横たわった物言わぬ威容をじっと眺めていくうち、『ワイバーンの討伐』のクエストをクリアしたという実感が徐々に込み上げてくる。

 歓喜に湧き、互いに喜びを分かち合うのに、そう時間はかからなかった。

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