第8話 ワイバーン討伐クエスト・前編

 来たるプログラム最終日の夜。最後の座学を終えた俺はエミリィさんにプログラムのあとのことを訪ねてみた。


「エミリィさん。明日からどうするんですか? たしか今までやってきたプログラムはなにかの前段階なんですよね」

「そういえば、私も何するか聞いてないなぁ」


 このあとに関してはどうやらアンナも知らないらしい。俺とアンナはふたりで参考書を片付けるエミリィさんの口が開くのを待った。


「やることは最初から決まっています。といっても、その具体的な内容は直前になるまで分かりませんでしたが」


 エミリィさんのいまいち要領を得ない物言いに、ふたり揃って首をかしげた。


「明日、このパーティーメンバーで”あるクエスト”を受けましょう」

「あるクエスト?」

「それってどんな……」

「それはですね――」



「わ、ワイバーンの討伐!? あなた方三人で?」


 エルスニア・ギルド受付嬢が素っ頓狂な大声を出し、周囲がにわかにざわつく。

 俺たちは今、エルスニア・ギルドの酒場と隣接した『集会所』にいた。ここにはクエストを受注するための受付口がある。クエストボードと呼ばれる依頼書が貼り付けされたものの中からクエストを探して選び、受付嬢に手続きをお願いする。という流れを経て、我々冒険者はクエストを受注するのだ。

 

「ええ、なにか問題でも?」


 エミリィさんの冷静な喋りに落ち着きを取り戻したらしい受付嬢は続ける。


「いや……たしかに……問題はありません。一応クエスト参加条件は満たしています。ですが……」

「ですが?」

「あなた方の冒険者ランクは揃いも揃ってDですよね? この『ワイバーンの討伐』は”難易度Bのクエスト”です。どなたかBランクが最低でも一人でも混ざっているか、もしくはもっと大人数で挑むのが推奨されるレベルのものです」

「それはこちらも重々承知しています」


 クエストには難易度と参加条件が設定されている。難易度は最低のDから最高のSまであり、それぞれ対応する冒険者ランクが推奨される。たとえば自分たちみたいなDランクは難易度Dのクエストを受注するのが順当といった風に、冒険者が身の丈に合った難易度を選択できるためのシステムなのだ。

 しかしながら参加条件となると、必ずしも難易度イコール冒険者ランクになることはない。たとえば今俺たちが受けようとしている『ワイバーンの討伐』は難易度Bながらも、Dランク冒険者だけでも受けられるという比較的緩めの参加条件となっており、”推奨”ではないものの理論上は受けられる、というギリギリのラインなのだ。

 

「えと、エミリィさん。本当に俺たちだけでやれるんでしょうか」

「やれます。作戦通りにすれば絶対に。無論、お二人の頑張りにも掛かっていますが」


 そのやり取りを見た受付嬢は、渋々といった様子でため息をついた。


「……わかりました。参加条件を満たしている以上、私にはあなた方を止める権利はありません。ですが警告はさせて頂きますよ。私は過去、今回のような”高い報酬に目の眩んだ無謀なクエスト受注”を承った結果、悲惨な末路へ至った冒険者たちを数多く見ています。そういうことが起きるたび、いつも思うのです。『なぜ行かせてしまったんだろう』とね」


 辛辣に話しているように思えたが、その目にはどこか悲哀の情が見てとれた。この人は“命を落とす危険のある任務を承る”この仕事に強い責任感を持つ真面目な人なんだと思えた。そうでなければ、無責任で不真面目ならば、あんな風に重く受け止めて思い悩んだりはできないだろう。


「くれぐれも受付を担当した私に後悔だけはさせないでくださいよ?」


 そう言って受付嬢は、『ワイバーンの討伐』と書かれた書類に判を押したのだった。



「――で、例のワイバーンが住み着いているっていう山小屋の近くまで来たわけだけど」


 俺たちの視界の先には数十年前に放棄されたという古い山小屋がある。屋根はボロボロで壁も蔦だらけ、そのうえ大穴まで空いていた。しかしその大穴の向こうの暗闇からは、ただならぬ気配が潜んでいるのを感じる。

 今回訪れたのは、以前スライムモドキの群れの討伐クエストのときと同じ山林地帯だが、さらに山を登った先のより標高の高いエリアだ。空気もやや薄く、自生している植物も下とはまるで様相が違う。当然生態系も大きく異なっており、麓では見かけないような魔物もいる。

 このエリアの生態調査をある学者チームが敢行しようとしたらしいのだが、本来はもっと標高の高いエリアに生息するはずのワイバーンが何故か件の山小屋に住み着いており、このままでは調査チームの障害となりうるため冒険者ギルドに討伐依頼を出した。というわけだ。

 ワイバーンは、『竜種』と呼ばれる魔物の体系の一種だ。竜種は全ての魔物の頂点に君臨する最強の種族で伝承や創作で馴染み深い、いわゆる”ドラゴン”というやつだ。高い知性を有し、身体は堅牢な鱗で覆われ、鉄の鎧をも引き裂く強靭な爪を持ち、その巨体を易易と大空へ導く翼を有する。ワイバーンはその竜種の中で最も個体数が多く、そして最も力の弱い雑魚らしい。

 しかしそこは腐っても竜種。両腕がそのまま翼になっている二足歩行タイプの姿で、大人の牛を足の爪で掴んだまま軽々と空を飛べるという恵体を誇る。そしてドラゴンらしく炎のブレスを吐き、その威力は上級攻撃魔法にも匹敵するという。

 そんな恐ろしい怪物相手に、駆け出し冒険者三人ごときで如何様にして討伐できるというのだろうかと不安に駆られてしまうが、とにかくエミリィさんの作戦が上手くいくことを信じるしかないだろう。


「! 中から出てきました」


 遠くの物陰から様子を伺っていると、ついにソレが白日の下に姿を現した。のそのそと地を鳴らしながら歩くその深緑色の威容は、まさに事前に魔物図鑑で見たとおりのもの。

 二対の角を生やした大型爬虫類のような頭部、大木のような足、シャープな両翼、ムチのように長い尾。生で見る迫力は桁違いだ。


「うわっ、すげえ……本当にドラゴンだ……」

「怖気づきましたか?」

「いえ、そういうわけじゃないんです。正直ここに来るまでずっと不安だったのは事実なんですけど、いざ対面してみると何故か闘志が湧いてきました。男心ってやつですかね?」

「ふふっ、そうですか。……それじゃあ行きますよ。カズキさん」

「はいッ!」


 エミリィさんの合図とともに、戦いの火蓋が切って落とされる。

 

「――バインド!」


 エミリィさんが呪文を唱える。ワイバーンの巨体を妖しげな光が薄っすらと包んだ直後、全身が硬直して動かなくなった。

 

「――アクアレイザー!」


 そこへすかさず水の初級攻撃魔法を連続で発動する。薄く研ぎ澄まされた複数の水の刃が高速回転しながら放たれた。標的は全てヤツの左翼。狙った場所へと命中したそれらは名前のとおり、剃刀のような鋭い切れ味で翼膜をズタズタに切り裂いた。


「グォオオオオオオ!!」

 

 それと同時にバインドの効果が切れる。拘束から解かれたワイバーンは怒りの咆哮をしながら、両翼を羽ばたかせて飛行しようとする。が、片側の膜が裂かれ、翼として機能しない状態ではその巨体を浮び上がらせることは叶わず、バランスを崩して転んでしまう。ワイバーンは自分より矮小な人間にしてやられた苛立ちをぶつけるように、両脚で地面を抉りながら猛突進してきた。


「カズキさん! ”A地点”に急ぎますよ!」

「わかってます!」


 ……ここまでは作戦どおり。順調な滑り出しだ。



『まず、私がバインドを発動してワイバーンの動きを一瞬封じます。それで出来たわずかな隙に、カズキさんはワイバーンの弱点の水の攻撃魔法で片翼にダメージを与えてください。そうしてヤツの最も厄介な飛行能力を封じたのち、A地点にふたりで誘導します』

『もし失敗したときは?』

『……バインドの拘束時間はせいぜい1、2秒程度です。おまけに一度発動すると約30分ほどのインターバルを要します。ので、もし失敗したら予め確保した逃走経路に従って撤退しましょう』



 俺とエミリィさんは魔力による脚力ブーストをしつつ、A地点目指して全力疾走する。そうでもしないと、あっという間に追いつかれてしまうからだ。現に後ろから同速で迫ってくるワイバーンから遁走しながら、『毎朝のランニングで足と肺を鍛えていてよかった』と心の底から思うのであった。


「……あ、きた! こっちこっち~!」


 ほどなくして、手を振ってこちらに誘導するアンナの姿が見えてくる。彼女のいる方向には”例のアレ”がある。俺とエミリィさんは彼女の元へ急行した。


「グルルルルルッ……オグウッ!?」


 俺たちがA地点と呼んでいる場所をワイバーンが通り過ぎようとした瞬間。彼の巨体が突如として地面の中に埋まった。

 

「よっっしッ!! 上手くいった!」


 A地点の正体は『落とし穴』。

 魔法で作ったような特別なものではない、三人がかりで掘った縦穴に藁と土で蓋をして偽装した何の変哲もない原始的な罠だ。たがそれでも飛行能力を失ったワイバーンを一時的に拘束するには充分だった。


「アンナ様! 今です!」


 エミリィさんが叫ぶ。

 するとアンナは落とし穴に嵌って何とか抜け出そうと暴れ藻掻いているワイバーンの元へ走っていった。

 だがアンナの接近に気付いたワイバーンは、大きく口を開いて彼女へ標準を定める。

 一瞬の間をおいて、口の中から轟音とともに灼熱の猛火が突風のように吹き荒れた。

 触れるもの全てを炭化させる死の息吹。それが目にも留まらぬ速さでアンナに迫っていた……


「ッ! アンナ様……!!」

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