第5話 あの夜空を見上げて

 クエストを終えてアルルの街へと舞い戻り、現拠点である借家へと帰宅した頃にはとっぷり日が暮れていた。俺は二階のベランダで物思いに耽りながら、星々が瞬く夜空を見上げる。


「――よっ」

「アンナ?」


 声がしたので振り返ると、私服に着替えたアンナがベランダに入ってきていた。彼女はそのまま隣に来て、自分に倣うよう手すりに寄っかかる。


「もうすぐ夕飯できるってさ」

「そっか」

「……ちょっと手厳しかったよね、今日のエミリィ。でも気にしないで? 決して悪気があるわけじゃないんだよ? それにどうせ今頃、『厳しく言い過ぎました……』ってションボリしてる頃だと思う! エミリィったら意外とかわいいとこもあるんだから」


 アンナはそう言って鈴を鳴らすように上品に笑う。彼女なりに気を遣ってくれたことに俺は感謝の意を伝える。


「ありがとうアンナ。でも、そうじゃないんだ。たしかにエミリィさんにノックアウトされたのは事実だけど。俺が本当に気にしているのは自分自身の不甲斐なさなんだ」

「カズキ……」

「あの人の言うことは正しいよ。それに周りの理解がない理解がないと不貞腐れておきながら、俺自身魔法戦士への理解度が足りてなかった。エミリィさんはそういう俺の至らないところを、嫌われるのを覚悟でズバズバ指摘してくれたんだ。むしろ感謝したいくらいだよ。……それに」


 俺はアンナへと向けていた視線を真上に移した。彼女も釣られるように見た。


「エミリィさんのおかげで、あの星の海を見ることができた」

「……? どういうこと?」


 アンナは頭上に疑問符を浮かべる。俺は突飛な表現をしてしまったことを謝った。


「俺が住んでた『トウキョウ』っていうニホンの街ではさ。夜になっても空が真っ暗でこんなに星が見えなかったんだ。見えても疎らっていうか」

「そうなの? じゃあニホンはここに比べて星が見えない場所なんだ」

「まぁ、それにはいろいろ理由があってさ。本当はニホンも地域によってはちゃんと見えるんだ。昔はトウキョウの空気が汚いから空が曇って見えないとか言われてたんだけど、実は街が明るすぎるせいなんだと」

「街が明るい?」

「うん。ニホンでは照明技術が発達してて、蝋燭や松明の灯りなんかよりもずっと強く、ずっと多く、ずっと長く、夜の街に光が溢れていた。夜景っていうんだけど、高いところや遠くから街を見下ろすと、地上に光の絨毯が敷き詰められたような綺麗な光景が広がってたんだ」


 光の絨毯かぁ……と、アンナは決して見ることの叶わない情景をうっとりと夢想していた。


「でも、それと引き換えに街の膨大な光に遮られ、夜空の星の輝きが地上に届かなかった。……俺と同じだったんだ。俺は”魔法戦士の浪漫”という目先の光に惑わされ、夜空に広がっている無数の可能性の光……『星』が見えていなかった。エミリィさんのおかげで正しい道が見えてきたんだ。魔法戦士に必要なのは、あらゆる属性魔法の習得を怠らず、魔物の属性相性を正しくし把握し、賢い運用ができるようになること。目指すヴィジョンが鮮明になってれば、それに向かうための努力の方向性もわかってくる。エミリィさんが俺に星を見せてくれた」


「ふふ、それ本人が聞いたら喜ぶと思うな」

「もちろん、あとでエミリィさんにもちゃんと伝えるつもりだよ」

「……あーあ。落ち込んでるかな~って思って励ますつもりだったんだけど、杞憂だったみたい。安心した」

「そんなことないよ。その気持ちだけでも充分嬉しいって」

「ありがと。……うっし! 私も負けてらんないな~」


 伸びをするアンナに、俺はずっと気になっていたことを尋ねてみる。


「――そういえばさ。アンナはどうしてSランク冒険者のモンクを目指してるの?」

「ん? んーっとね……。理由は話せないんだけど……。昔、殺されそうになったことがあるんだ」

「……え?」


 アンナはリラックスしていた姿勢を正し、真剣な表情になって語りはじめた。


「悪い人たちに襲われて、エミリィは私を庇ったせいで瀕死になってて。それで……私の胸に刃物が突きつけられて、『もうダメ!』ってなったそのとき。通りすがりの女の人が助けてくれたの。その人は武器も持たず、素手でちぎっては投げちぎっては投げで、あっという間に悪い人たちをやっつけちゃった。しかも女の人は一流の回復魔法使いで、致命傷を負っていたエミリィを簡単に治療しちゃったんだ。それでその人の去り際、居ても立っても居られなくて『お姉さん、一体何者なの?』って聞いてみたの。すると女の人はこう答えたんだ」


――お嬢ちゃんのピンチにたまたま居合わせただけの、ただのしがない冒険者さ。


「そのとき偶然にも陽の光があたって、彼女の長い金色の髪がキラキラと煌めいていた。今でもハッキリ覚えてる。とっても強くて、とっても優しくて、とっても綺麗なお姉さんだったんだ。かっこよかったな……」


 アンナは藍緑色の瞳を輝かせながら、遠い日の記憶を夢心地で見つめていた。


「それで、あのお姉さんのようになりたい、って思ったんだ。モンクの冒険者になって、あの日の私たちのように困っている人たちを助けたい……って」

「……そうだったんだ。アンナがモンクを目指す理由って、高尚で立派ですごいや。それに比べて俺のは薄っぺらい動機だよな。はは」


 自嘲気味に笑うと、アンナは「そんなことないよ」と優しく言った。


「理由なんて関係ないよ。だって私たち、こうして上を向いて同じ星を見ている。同じ輝きを目指しているんだもの。……なんて!」

「ああ……そう……だな。……うんっ」


 へへへ、と二人で照れ笑いあう。俺たちはなんとなく互いの顔を見るのが恥ずかしくなって、一緒に夜空を見上げていた。


「さて……そうと決まれば、今後のことエミリィと話さなきゃだね。なんかエミリィもカズキが強くなる為のプランとか考えてくれたみたいだし」

「お、そうなんだ。なんだか世話になりっぱなしだな。……ていうかあの人本当に何者? とにかくミステリアスだし、一を聞けば十が帰ってくるぐらいめちゃめちゃ博識だし」

「エミリィのこと気になる?」

「それはもう」

「えーっとね。ここだけの話」

「――もうとっくにディナータイムですよ。アンナ様、カズキさん」


 噂をすればなんとやら。突然聞こえてきた当人の声に吃驚し、二人揃って身体が跳ねる。

 

「もう~! エミリィ驚かさないでよ~!」

「申し訳ございません。……それと、カズキ様も」


 エミリィさんは一見すると平静だが、どことなく気まずそうに俺の顔色を伺っている。どうやらアンナが言っていたことは本当だったらしい。


「い、いえいえ! 気にしないでください。むしろ感謝してるっていうか……。エミリィさんの指摘のおかげで目が醒めたっていうか。おかげで何をすればいいのか、みたいな今後の課題もハッキリ見えてきたし」


 俺の言葉を聞いたエミリィさんは「それはよかったです」と粛々と言うが、心なしか安堵した様子に見えた。


「……では今後のことについて話したいことがありますので、ディナーの最中にでも」

「はい、よろしくおねがいします!」

「エミリィ今日の夕飯は~?」

「スライムモドキの群れの討伐報酬で食材がたくさん手に入ったので、今日はスライムモドキ尽くしです」


 彼女の口から「スライムモドキ」という単語が出て俺は耳を疑った。


「スライムモドキのゲルを砕いて混ぜた生地で焼いた白パン、スライムモドキの刻み口吻入りのエルスニア風スープ、メインディッシュは鹿のフィレ肉にスライムモドキの内臓ソース添え、そしてデザートには果実入りスライムモドキのゲルゼリーもありますよ」


「え、待って。うそでしょ……。あの、あれ、食べるの?」

「ええ。結構美味しいんですよ?」

「マジかよ……。あのブヨブヨのぶにゅぶにゅの食べちゃうんですか……。つか、なんでよりによって鹿肉!? まさか彼の肉じゃないよね!? ねぇ!?」

「まさか。ちゃんと市場で手に入れた新鮮なものですよ」


 夕食がてらのミーティングに意気込んでいたはずだったのに、まさかのスライムモドキ料理地獄が待ち受けていることがわかって、もうそれどころじゃなくなっていた。

 しかしエミリィさんのポーカーフェイスが何故かこの時に限ってニコニコと砕けており、かえって恐ろしいほどの圧を感じて逆らえず、俺とアンナは死刑執行人に連れていかれる死刑囚の面持ちで食卓へと向かうのであった……。


 ――と思いきや、スライムモドキ料理。全部美味しかった。

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