第2話 出逢い

「――うーん……??」

 意識がゆるやかに鮮明になってゆく。朝の目覚めというやつだ。

 しかし、なにやら違和感も覚える。普段お世話になっている宿のベッドに横になっているのでなく、どちらかというと硬いものに座らされているような感じだ。そして何故か両手が動かない。


「あれ?」


 異変に気付いた。動かないのは当然だ。両手首が縄で縛られている。さらに言えば今居る場所は自室ではない。見覚えのない部屋で椅子に座らされていたのだ。


「――やっと起きましたか」


 背後から女性のアルトボイスが聞こえる。凛とした美しい声で惚れ惚れするような聴き心地だが、友好的な感情のない声色だった。

 

「あ、あの~。ここはどこなんですか? そしてあなたは誰でしょうか……」

「誰でしょうか? ですって? それはこちらのセリフです。はぁ……たった一晩留守にしただけなのに、まさかこんな虫がつくとは」


 コツコツと木の床を踏む子気味のよい足音、そして微かな布切れ音とともに声の主が視界に現れる。


「――何者ですか? アンナ様に一体何をしたのです?」


 黒を基調としたクラシカルなメイドドレスに身を包む、濡羽色のシニヨンヘアの女性が首元にナイフを突きつけてきた。

 鋭い切れ長の目つき、全てを飲み込んでしまいそうな漆黒の瞳、その綺麗な声に違わぬ彫刻のように壮麗な貌。ゆえに、こちらを冷酷に睨みつける迫力も凄まじく、おもわず震えあがった。


「わ、ワタクシはカズキと申します! 冒険者してます!」

「カズキさん、ですか。……それで? 昨夜アンナ様と何をしていたのですか? 返答次第によっては」


 その言葉の先を示すかのように、凍てつく刃を無防備な喉にあてがう。

 何が何だが状況がまるで分からないが、とにかくこの人がだいぶ本気(ガチ)であることだけは確かだ。慎重に言葉を選ばないとマズいかもしれない。


「ええと、ですね。昨日の夜にギルドの酒場でアンナさんと意気投合してですね……。それから色んな飲み屋を何軒もハシゴして――」


 徐々に思い出した昨日の出来事をありのままに話した。直感だが、おそらくこの人は嘘が通じないタイプだ。下手に誤魔化して心象を悪くされるよりかは、いくら恥ずべきことでも素直に伝えたほうがいいだろう。それに俺の記憶が確かならアンナにやましいことをした憶えは無いはずだから、堂々と身の潔白を主張できる自身もある。

 

「ふむ、まぁいいでしょう。嘘をついたような素振りもありませんし、そういう人間にも見えない。それに女性を手篭めにするような甲斐性もなさそうですしね」


 喉元に突きつけられたナイフが収められ、ひとまず安堵する。さり気なくディスられた気もするが、なんとかこの場を乗り切ることができた。


「……ふわあ。おはよう……エミリィ」


 ふとソファの陰に隠れていたアンナがゆっくりと上体を起こすと、未だ微睡みのなかを泳ぎながら目の前の女性に朝の挨拶をかわした。


「おはようございます。アンナ様」


 『エミリィ』と呼ばれた彼女はすぐさまアンナへ向き直って姿勢を正し、両手を前に置いて美しい所作で頭を垂れた。


「起床して早々で申し訳ありませんが、このカズキという者と昨夜何があったのかをアンナ様からも伺ってよろしいでしょうか? 終わり次第、朝食のご用意をいたしますので」

「うん、わかった~」


 改めて考えてみると、彼女……エミリィさんはアンナとはどういう関係なのだろうか。アンナのことを様付けで呼び、俺にこんなことをするほど彼女のことを気にかけている。極めつけにあの立ち振舞い、まるで主と従者のようだ。しかしアンナは一国の姫君や貴族令嬢ではなく、ただの駆け出しの冒険者である。そんな彼女に尽くしているエミリィさんは一体何者なのだろう。


「あれ~? なんでカズキもいるの? なんで椅子に縛られてるの?」

「まぁ、色々あって……」


 まだ寝惚けているのか、アンナは自分でこの借家に招いたことも思い出せていないようだ。エミリィさんが「手荒な真似をしてすみませんでした」と丁寧に謝りながら俺の拘束を解こうとした、そのときだった。


「それにしても……ふへへ……昨日は……いっぱい出しちゃったね?(ゲロを)」

「!?」


 アンナが相好を崩しながら放った爆弾発言によって、場の空気が瞬間凍結する。

 背中にどっと嫌な汗が吹き出る。

 恐る恐るエミリィさんを見てみると、口をあんぐり開きながら唖然としていた。


「ちょ、ちょちょ、ちょっとまって? ねぇ、アンナ。俺そんなことしてないよね? よね?」

「え~? カズキってば、いっぱい(ゲロを)出して気持ちよさそうにしてたよ? そんなカズキを見てたら……私も気持ちよくなっちゃったもん(貰いゲロして)」

「うわあああああッ!?」


 まずい、非常にまずい。

 なにがどうなってそうなるのかは不明だが、とにかく彼女の口からそんな言葉が出てきたことがとにかくまずい。

 エミリィさんの顔からスンと感情が消える。そして懐に収めていたナイフを再び取りだした。


「……この男の股にいる愚か者、切り落します」

「違う! 違うんです! 誤解です誤解! 話せば分かる!!」


 何をどう弁明していいのかわからず我武者羅に宥めるが、もはやどうにもならない。魔の手はもうすぐ“そこ”まで迫っていた。

 まさに絶体絶命のそのとき。


「なんか……昨日のを思い出したら、思い出しゲロしそうになってきた……。あ、やばっ……ウッ!? オロロロロロロロロ」


 アンナの口から荘厳なナイアガラの滝が流れた――


「ぎゃあああああ!?」

「アンナ様ーーーーーッ!?」



「いやホントすみません……。酔った勢いで家に上がりこんでドタバタ騒ぎを持ち込んじゃったってのに、わざわざ朝食まで用意させていただいて……」

「気にしないでください。こちらこそお見苦しいところを見せてしまいました。――それはそれとして、あとでアンナ様と一緒に昨晩迷惑をかけた各所にちゃんと謝りにいってくださいね?」


 エミリィさんのご尤もな指摘に、俺とアンナは揃って「はい……」と項垂れる。

 幸か不幸か、結局アンナのナイアガラ事件のおかげでエミリィさんはとりあえず冷静になり、そこから今一度アンナから話を聞いて俺の証言の裏が取れたことでキチンと誤解を解くことができた。

 ここまで多大な迷惑をかけたのだから速やかに自分の宿に帰ろうと思ったのだが、せっかくだからとエミリィさんが自分の分の朝食まで作ってくれていた。彼女の好意を無下にするのも悪いと思い、こうしてご相伴に預かっているというわけだ。

 

「このスープ……美味しい」

「でしょ? エミリィの作る料理はそこらの酒場なんて目じゃないんだからっ」


 アンナはパンを頬張りながら誇らしげに言う。

 朝食のメニューは彼女が美味しそうに食べている薄茶色の全粒粉パン、塩胡椒のかかった目玉焼きと茹でたソーセージ、この絶品のポタージュスープ、そして二日酔い対策にと気を利かせて用意してくれたトマトジュース。いずれもクオリティが高く、洒落たホテルの朝食にも引けを取らないくらいだ。

 こんなまともな朝食にありつけるのは転生直後で右も左も分からなかった俺を保護してくれた修道院での生活のとき以来かもしれない。冒険者になって今の宿に移ってからは面倒だからとパン一個と牛乳で済ましたり酒場で軽食を頼んだり、朝食を取らない日もざらにあったのだ。


「アンナはいいなぁ。これを毎朝食べてるんでしょ? 羨ましいよ」

「カズキもここに住んでみる? 毎朝食べられるよ? それに、これから同じパーティーを組む仲間になるんだし。ねぇいいでしょう? エミリィ」

「アンナ様がよければ私は構いません。ちょうど部屋も空いてます」

「え? いやいや、そんな悪いですよ。それに俺、男ですよ?」

「男手ならなおさら大歓迎ですよ。正直この家を私たち二人で回していくのがキツいと思いはじめていたところですし」


 そういえばアンナは少し前まで他の地方にいて、最近ここにやってきたと言っていた。この家はアルルにいる知り合いが所有しているもので、その人の厚意でタダ同然で使わせてもらっているとのことだった。とはいえ、そこそこ大きな一軒家での二人暮らしはさすがに持て余し気味になるだろうし、掃除とかも大変だろう。そう考えれば確かにあと一人ぐらい同居人がいた方が管理面での負担も軽くなって良いのかもしれない。


「それにカズキさんが不埒な人間ではないというのも分かりましたから。――もっとも、万が一アンナ様に手を出すようなことがあるならば、そのときはそのとき……」


 ギラリと眼光で射抜かれ恐怖が蘇る。そういう気を起こすつもりは毛頭ないが、今後はアンナへの接し方には気を配った方がいいかもしれない。とくに彼女の前では。


「と、とにかく二人がよければ、ここは素直にお言葉に甘えさせていただこうかな。では、今後ともお世話になります!」


 俺は頭を下げて一礼する。エミリィさんも「こちらこそ」と倣った。


「決まりだね。それじゃあ改めて自己紹介しよっか。私は『アンナ・ホリック』20歳。今はまだCランクの駆け出しだけど、いずれAランク……いやSランク冒険者のモンクになって、たくさんの困っている人たちを助けるのが目標であり、“私の夢”ッ!」


 アンナは舌を振るったあと、トマトジュースを豪快に飲のみきった。『たくさんの困っている人たちを助ける』。酒場で語り明かしたときに聞かされた荒唐無稽な夢物語。けど俺はそれを不思議と無謀とは思わない。なぜならその瞳に宿る煌きに、強い意志と可能性を感じさせるからだ。彼女ならやり遂げられると信じられる。なんとなくそんな気がする。


「私はアンナ様に付き添い、そしてアンナ様の『夢』を応援させていただいている『エミリィ』です。一応冒険者の資格も持っていますのでクエストではご一緒させていただくことになります。クラスは魔法使いです。『デバフ』系の 闇魔法を得意としておりますので、パーティーでは後方支援を担当します」


 エミリィさんは模範的な自己紹介を礼儀正しく済ませる。彼女に関してはちょっと気になることが多すぎるので素性に関することをいろいろ訪ねてみたが、ことごとく「秘密です」と突き返されてしまった。今のところミステリアスな美人で、ナイフの扱いと闇魔法が得意で、アンナの付き人で、料理が美味い。ということしか分からない。しかしその丁寧な言葉遣いや立ち振る舞い、アンナや自分への接し方から誠実さや温かみを感じられるので信頼してもいい類の人だろう。多分……。

 ――ちなみに彼女の言っていた『デバフ』というのは、文字通り対象の弱体化や状態異常を発生させるサポート系の魔法の俗称で、ゲームのスラングとまったく同じ意味である。面白いことに、この異世界では前世で使われていたようなゲーム用語が一般常識として広く普及し、使われていることがある。


「じゃあ最後は俺。『カズキ・マキシマ』20歳。実は漂流者で、だいたい一ヶ月ぐらい前にここエルスニアに流れ着いてきました」

「ほう……漂流者ですか」


 漂流者という単語を聞いた途端、エミリィさんが興味深そうな顔をした。


「エミリィ、漂流者って?」

「伝説の島国『ニホン』から流れ着いてくる者の通称です。ニホンは独自の文化を築いた神秘の国で、我々の想像を遥かに超える高度な技術を持っているとも言われています。しかし長いこと捜索されているにも関わらず、肝心の場所がどこにあるのか未だ皆目検討がつかないため、昨今は実在を信じる者は多くなく、漂流者のことも『海の魔物の呪いで頭をやられた船乗り』と一蹴されることもままあります」


 エミリィさんの仔細な解説に満足したアンナは、へぇ、そうなんだ! と相槌を打った。


「それでカズキ。本当のところどうなの? ニホンって実在するの?」

「実在するかと言われたら、『本当にあった』としか言いようがないかな……。ニホンで産まれ育った俺からしてみれば、むしろこっちの方が空想の世界っぽい感じだし」

「ふーん……、私カズキが住んでいたニホンのこともっと知りたいな。いつか詳しく聞かせてくれる?」

「ああ、今度飲むときとかに話すよ。とにかく、俺はニホンで暮らしてた頃は魔法戦士に憧れていたんだ。そして魔法戦士の冒険者として名を挙げることで、地雷扱いをされている魔法戦士の凄さ素晴らしさをこの身を持って世界に証明する。それが当面の俺の目標かな」

「魔法戦士……ですか。どおりでアンナ様と意気投合するわけです。そうですね……早速ですが、交流も兼ねて今日はこの三人でクエストを受けてみませんか? カズキさんの実力も見ておきたい」

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