第3話
その年の夏。京都の夏は今年もじめっと不快な暑さを迎えていたが、夜、とくに鴨川沿いに限って言えば、カップルが居座れるくらいには、涼をとることができた。
その日、京都市はちょっとした計画を打ち出した。
景観条例による高さ制限を、二十メートルから三十メートルに緩和する、というものであった。無論これも、弁慶の策略であった。
正確には、彼女の当初の「けいかく」には入っていなかった。だが、数か月前、園長が、弁慶の思惑通りに動かず、牛若丸を鞍馬に預けてしまったために、軌道修正が必要になったのだ。
熱い思いを抱き、弁慶は、五条大橋にて仁王立ちしていた。この規制緩和で、必ず、ここに、ヤツは来る、と信じていた。
夜十時。鴨川からの冷気が欄干をすり抜ける。
思惑通り、東より、牛若丸が現れた。暗闇とはいえ、ビルでいえば五、六階分はある高さである。迫力は相当なものであった。
「キリンの模様は、自然に溶け込むためのものやで? この真四角な町におったら、チェスのキングを置いたみたいに目立つなぁ!」
腕を組んで顎を少し上げて得意気に叫ぶ弁慶に向かって、牛若丸に付き添っていた飼育員が叫んだ。
「そこをどけ!
キリ若はな、てっきり京都市全部で高さ制限が改正されたと思って、夜にわざわざ動物園までおりて来たんだ」
「せやな。条例緩和は、あくまで、五条通りの中でも、西の方。西大路から丹波口まで。
つまり、そこよりずっと東のここでは、まだあなたたちは条例違反やの。分かる? この橋を渡らせるわけにはいかへんのよ」
弁慶のにらみに、牛若丸も飼育員もたじろいだ。
「なんでそこまで、牛若丸に意地悪をするんだ?」
「教えてあげる、私の計画。
私は、故郷の奈良市に動物園をつくるの。関西一のね。
当然敵は大阪だけやと思っとった」
人は誰だって、大きな野望を語るときは、目の前を無視して空想の世界に浸る。そして体温が五度は上がる。彼女も例外ではない。
「やのに何? キリンで大人気の京都? ふざけんな! 不穏分子が現れたんやから、もう大慌てや。
とは言え、たしかに、「キリン」は魅力や。
そこでや。牛若丸が、奈良に来たらええんや、って気づいたんよ。だから条文まで変えたのに、あのじじい、牛若丸をどこかに隠したとぬかしよった。ああああ、もうめちゃくちゃや!」
弁慶は、長い髪を両手でかきむしり、暴れ始めた。一区切りつくと、ふう、と大きな息を吐いた。
「それでも私は、まだ牛若丸を諦めてへん。とにもかくにも、居場所をつきとめなアカンかったけど、鞍馬にいるらしい、っていう噂までしかつきとめられへんかった。
でもな、もしそれが本当なら、そして、五条に、逃げ道があれば、動物園を通った後、必ず、この橋にやって来る。そんな策を思いついて、そしてまんまと、引っかかったんや!」
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