第29話 破軍

 カージュ湖の湖面に浮かぶ水草が、ゆらゆらと流れていく。

 思えば自分もこのような人生だった。そう振り返るも、別に負の感情ではない。


 波間を漂う旅路は、いくつもの出会いがあり、時に波乱や困難に直面することもあったけれど、それらはすべて“豊かな生”を送るのに不可欠だった。


 今になってわかる。

 自分はこの上なく幸福だったのだと。


 彼女はこれまでの数奇な歩みを懐かしみながら、カージュ湖へ別れを告げ、窓辺から離れる。


 自室の扉を開けると、護衛の騎士が立っていた。


「……どちらへ?」


 仏頂面の女騎士へ、彼女は微笑みかける。


「貴方にも、お世話になりましたね」

「? どちらへ行かれるのかと聞いているのですが」


 重ねて尋ねる護衛騎士の表情には、あきらかな侮蔑の色が浮かんでいた。


 それでもこの女騎士が“悪い人間ではない”ことを彼女は知っている。

 ただほんの少し上昇志向が強いだけの、真面目な努力家なのだ。


 カナリーの護衛を務めるセリンや、ツティスが何処から連れてきた騎士のアダラ。

 女騎士と本来同格であるはずの彼らは、どちらのほうが強いのかとよく騎士や兵達の話題にあがる。

 騎士最強を論ずる話に女騎士の名があがることはなく、華やかな聖女の護衛を担当する二人と異なり民衆から注目を浴びることもない。


 女騎士が歯痒い思いを抱いていることは、彼女も重々承知していた。


「出かけるのでしたら、お供しますよ。仕事ですから」

「いいえ。私一人で行かなければなりません」

「は? そんな勝手が――」

「ムリフェイン様の王命です」


 女騎士は啞然と立ち尽くし、彼女の顔をまじまじと見つめた。

 虚言ではないかと疑ったものの、打ち払う。

 そんな嘘はすぐ明るみに出る。


 では事実だとして、いったいどんな王命が下ったのか。

 なぜ自分は同行出来ないのか。

 ぐるぐると思考を巡らせた女騎士は、ふと違和を覚えて大きく瞳を開かせた。


「その……足は……?」


 真っ直ぐな足取りで脇をすれ違った彼女に対し、女騎士が振り返りながらたずねるも、返事は無かった。


 語ることは許されなくても、最後にせめて。

 彼女は“虚弱の演技”をやめたのだ。


「……ごめんなさいね」


 もし彼女が本来の身分を明かすことが出来たなら――。

 この女騎士も護衛の仕事に誇りが持てたかもしれない。

 あるいはもっと、カナリーやセリンの間柄のように、打ち解けることが出来たかもしれない。


 無理な話だとは理解していても、そんな後悔からの彼女の行動だった。




 王命に従い、彼女はたった一人、アパリュ丘陵を見渡すことが可能な山道を登る。


 辺りは人の手が行き届いていない。

 険しい地形や魔物といった、自然の脅威そのものが待ち受ける道程。

 標高が上がるにつれ、未だ雪化粧を施された悪路が進行を阻む。

 尻込みするのが常人であり、とても単独では誰も登ろうとは考えないだろう。


 にも関わらず、わずか小一時間。

 涼しい顔のまま登頂を果たすと、彼女は高い青空を見上げ深く息を吸った。


 障害物に遮られることのない高空を吹く風は冷たく、冷気が肺に満たされ心地よさを感じる。

 聖王宮での暮らしに不便は無いが、やはりこの開放感は一人でなければ味わえないものだ。


 しばらく風と一体となる感覚を堪能し、眼下に広がる緑の丘を見渡す。


 アパリュ丘陵。

 幾度も獣人と衝突した国境の丘では、すでに戦闘が始まっていた。

 森から立ち上る黒煙に、息をもらした彼女は落ちていた木の枝を拾う。


 魔術の行使は一般に、触媒を必要とする。

 それは魔術と親和性の高い木材を削り出した杖だったり、銀を用いた短剣など、使い手の個性により様々だ。


 彼女は触媒を使用しない。

 正確に言えば触媒など持ち歩く必要がなく、こうしてそこらで拾ったものを使い、直接術式を描き出す。


 今回は、大地に術式を描いていた。

 相応に大きな図形を描く様は、知らない人間からすれば子供が遊んでいるようにも見えただろう。


 しかしまるで遊びのごときこの術式模様が、これから多くの命を奪うのだ。


「せめて苦しまぬよう、一撃で」


 足下の術式に向け手をかざした彼女は、背後の気配に動きを止めた。

 振り返らず、声を低く問う。


「……どなたですか?」

「――聖女マヒワ。貴様が“破軍”だったか。まさか本当に存在していたとはな」


 漆黒のローブと、フードで顔を隠し。

 物音も立てず姿を現した男を振り返り、マヒワは少しだけ表情を曇らせる。


「ツティスの護衛騎士……名はアダラと言いましたか」


 アダラは呼気をわずかに強め、腰に差した剣を引き抜いた。


「貴様ごときが、我が主の名を軽々しく呼び捨てるな」

「あら。私の正体は割れているのでしょう? ツティスなど一介の聖女に過ぎませんから」

「貴様……ッ」


 今にも飛びかかってきそうなアダラを冷静に見つめ、マヒワは確認するように答えを迫る。


「ツティスは、獣人の王――メランポスと通じているのですか?」


 此度の獣人の襲撃は、カナリーの追放とほぼ同時の出来過ぎたタイミングだった。

 ツティスとメランポスの間で、何らかの密約が交わされていたとマヒワは見ている。


「……答える義理などない」

「いいではありませんか。私の首を獲りに来たのですよね? 死に行く者へ、情けくらいかけるのも悪くありませんよ」

「ああ、そうだ。貴様はここで死ぬ。今さら事実を知ったところで何も出来ない」

「これでも魔術師なもので。探求するのは癖みたいなものなのです。……そうですね。獣人の襲撃はツティスの要請により実行された――と、ひとまず仮定しましょう」


 アダラが言葉を発することは無かったが、マヒワは構わず考察を口にする。


「何のためだったのでしょうか。襲撃の混乱に乗じて、消したい人間でもいたのですかね。たとえば、カナリーの追放先があの場所だとしたら……簡単に命を奪えそうです」


 マヒワが肩越しに、アパリュ丘陵を振り返る。

 戦場に放り出されたカナリーの孤独や不安を思えば、それだけで胸が痛くなる。


「では、獣人の王――メランポスの要求は? 貴方がここへ来たということは、私……“破軍”を恐れていたのではないですか?」


 木々がざわざわと揺れた。

 風でアダラのフードが捲り上がり、マヒワを鋭く射抜く金色の眼光があらわになる。


「そして恐れていたのはツティスも同じ。破軍は規格外の存在ですから、それも仕方ないでしょう。敵前へ差し出すだけでは、ともすれば獣人を全滅・・・・・させかねない・・・・・・


 マヒワの口調は冗談ではなく、決して誇張しているわけでもない。

 対峙するアダラもまた、底知れぬ圧を感じたからこそ慎重に出方を窺っていた。


「ずいぶんとツティスに信頼されているのですね。私を確実に殺すために、ツティスは貴方を送り込んだ。獣人には、破軍に見立てたカナリーを害してもらえば結果に差異はありません。ツティスにとっての邪魔者は、これでいなくなる」


 数秒ほどアダラの瞳を見つめていたマヒワは、ふっと肩をすくめてみせる。


「と、まあ……こんなところでしょうか」

「……よく回る口だ」

「性分です。好きに妄想しただけですので、わざわざ答えて頂かなくて結構ですよ」

「ならば、そろそろ終わりにしようか」


 アダラはゆっくりと剣を逆手に持ち直し、まるで這うような姿勢にまで腰を落とす。


 最強とも目される騎士を相手に、ここまで接近を許した時点でマヒワは死を覚悟していた。


 アダラがどう行動するつもりなのか、マヒワもわかってはいる。

 魔術師を相手取るならば、術式を展開する前に叩くのが基本の戦術だ。

 言うは易しという類いのものではあるが、実行に移せるだけの高い技量がアダラにはある。


 つまりはどうしようもなかった。

 いくら軍勢を壊滅させられるほどの魔術があろうと、破軍も人の身であることに変わりはない。

 とくに難しい計算などしなくとも、凶刃に倒れる数秒後の自分の姿がマヒワにもはっきりと見えていた。


 ――それでも、魔術を放つのが魔術師だ。


「“竜の――」


 術式のもっとも単純な攻魔術を撃つべく手をかざしたマヒワは、彼女の想像を遥かに凌駕する速度でアダラに踏み込まれた。


「遅い」


 咄嗟に防御へと回ったマヒワの腕を斬り裂くと、アダラの剣は軌道を変え、刺突を繰り出す。


「〜〜っ――!?」


 直剣はマヒワの胸に深々と突き立っていた。

 刃を鮮血が伝い、静止したアダラの手元にまで流れていく。


 つらぬいた手応えから、勝利を確信するアダラ。

 マヒワはカッと瞳を開けてアダラを見据えると、汗の浮いた顔を笑むように歪ませた。


「――“降魔の鋲”……ッ!」


 剣が突き刺ささった胸を起点として、迸る発光がマヒワのローブ、その裾野にまで広がっていく。


「な――術式!?」


 発光は剣を濡らす血液へと伝染り、柄を握るアダラの右手が紫色の炎で包み込まれた。


「ぐぅうううううッ!?」


 飛び退いたアダラは、燃え盛る腕を高く掲げて苦悶の唸りをあげていた。

 マヒワは赤く染まった自身の胸を押さえ、顔色を失いながらも敵を睨め上げる。


「呪いの火だよ、痛いだろ? こちとら魔術の寵愛を受けた“破軍”なんだ。舐めてんのかい」


 呪いを帯びた魔術の炎は高温で燃え続け、通常は決して消えることはない。

 自らの血が魔術発動の鍵となるよう、マヒワはあらかじめ肉体に術式を仕込んでいた。


 死を覚悟していたからだ。

 王命が下ったその時には、すでに。


 のたうつように無様に転げ回ったアダラは、耳をつんざく雄叫びと共に、漆黒のローブを破り捨てる。


 マヒワの目が大きく見開かれた。


 あらわになったアダラの上半身は、黒い体毛で覆われていた。

 顔はマヒワが知る獣人よりは人間に近いものの、瞳の周囲に生えた黒毛や、口端から覗く尖った犬歯は狼を思わせるものだ。


 アダラが腕を異常な筋力で膨張させると、纏わりつく炎が弱まり徐々に鎮火していく。

 古来より、獣人の纏う体毛は魔術に耐性を持つと語られている。


「……ツティス……まさか、メランポスと密約を交わすどころか、獣人を王宮にまで引き入れて――」


 突如アダラが、腹の底を震わせるほどの咆哮をあげた。

 魔術の火が消え失せても、肉が焼けるような音と共に、右腕からは絶えず黒煙が吹き出している。


「グウウ……ッもう、終わりだ……! 貴様も、貴様ら九十二名の孤児も、全員がな……ッ!」


 押さえた右手を忌々しげに見下ろし、アダラは飛ぶような速度でマヒワの視界から姿を消した。


 とどめを刺す必要も無いと判断されたのか。

 もしくは、刺し違えるつもりであることを見破られたか――。

 いずれにせよ行き場をなくした拳を下ろし、マヒワはゆっくりとその場に膝をつく。


 視界がぼやけ、咳き込む。

 マヒワはそのまま、前のめりに倒れた。

 凍った地面に頬を擦りつけ、愛おしむかのごとく指を這わせる。


 最後に立っていた場所だから。


 最期は一人。それでいい。

 誰もが自分の道を一人で歩いている。

 多くの出会いも、その過程で一瞬交わったに過ぎない。

 歩き続ければ道はまたそれぞれに伸び、遠く離れていく。


 けれど暖かかったな……と。

 だから今際の際は、愛する者達へ想いを馳せることにした。


 鼓動がだんだんと弱まり、眠気が深くなりつつも、マヒワは孤児院で過ごした日々を懐かしむ。

 特別な、家族との日々だ。


 一人一人の顔や声は今でも当時のまま、鮮明に思い出せる。  

 中でもやはりカナリーの存在は、マヒワにとっても大きなものだった。

 悪ガキで、年長のマヒワも手を焼かされたものだが、不思議と許せてしまう魅力に溢れていて。


 皆、あの子の笑顔が見たかったのだ。


「そんな、悪ガキも大人になって……レグルス……? だったかい……?」


 恥ずかしそうに俯いたカナリーから、男の名が出たときには驚いたものだ。

 なにせ、マヒワも初めて見る乙女の顔をしていた。


「……感謝……してるんだよ」


 おそらくは、ツティスが手を回してカナリーに接触させた男なのだろう。

 そう理解していても、マヒワは顔も知らぬレグルスに心からの礼を述べた。


 万が一にでも。

 カナリーに生存の目を見出すならば、ツティスの思惑通りにレグルスは事を成す必要があったからだ。

 もしレグルスがツティスの期待を裏切るような結末を迎えていた場合、きっとカナリーはあっさりと殺されていたはずだった。


“だから、生きな”とマヒワは呟いたつもりだったが、声には出ていなかった。


 マヒワは口だけを微かに動かして、呼びかけ続ける。


“カナリー。つぎは、おまえの番さ”


 思い返せば、カナリーをビダの村へ遣わせると聞いたとき、こうなる予感がマヒワにはあったのかもしれない。


 計画は頓挫する。

 家族も、未来の夢へ寄せた期待も、すべては淡い雪のように溶け消えてしまう。


 だから、出発前のカナリーと無理矢理にでも接触したのだ。

 種は蒔いた。

 芽吹くかは、カナリー次第だ。


 カナリーがただ、願いを口にしてくれることのみをマヒワは望んだ。




 視界が閉ざされ、やがて思考する力も無くなった。

 もう、風も感じなかった。


 ひび割れた唇もほとんど動かなかったが、マヒワはたしかに喉を震わせた。


「…………テ……ナ、ム……さ、ま……」


“――テナムゥさま”

“あなたの、いちばん最初の子どもになれて、うれしかった”


“わたしは、しあわせでした”


「……ぃ……ま……おそば、に…………――」


 わずかに残っていた体温で溶かされた雪が、マヒワの指先を離れて一筋の水滴となる。

 今はまだ心許ない雫も、やがては水流となってせせらぐ川へ合流する。


 そうして訪れる春を、一足先に見てきたかのような。

 穏やかな微笑をたたえて、マヒワは息絶えた。

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