第21話 幼き憧憬
中は真っ暗で何も見えなかったが、カナリーの後を追って壁伝いにしばらく進むと、やがて前の方で小さな明かりが灯った。
「やっぱり……まだ蝋が少し残ってた」
蝋燭のわずかな火を手にカナリーは、次々と部屋中に光源を分け与えていく。
ぼんやりと浮かび上がるだだっ広い大部屋には、長いダイニングテーブルがあり、カナリーはその真ん中にある燭台に手持ちの蝋燭を置いた。
「これくらいの明かりなら、外にも漏れないから」
薄くなった闇には、すぐに目も慣れた。
部屋には分厚い遮光のカーテンが引いてある。
何よりここに住んでいたカナリーが大丈夫だと言うのだから、外から気づかれるほどの明るさじゃないんだろう。
ようやく一息つくことが出来ると、手近にあった椅子を引いて座る。
カナリーは、なんとはなく俺を含めた部屋全体を見つめているようだった。
「思い出すな……。そこに誰かが座ること、もう無いと思ってた」
「ここで食事をとっていたのか?」
「そうだよ。奥にも同じ作りの部屋が二つあって、朝と夕は皆で食べる決まりなの」
長大な部屋と相応のテーブル。
数十人は余裕で着席出来るであろうダイニングは驚くに十分なのだが、この規模の部屋が計三つにも及ぶとはちょっと想像が追いつかない。
「いったい何人で暮らしていたんだ?」
「八十……人、くらいかな。今でも全員、名前も顔も覚えてる」
「そんなに……」
予想を大きく超える人数に唖然としながら。
名も顔も覚えてる割には、曖昧な言い回しが多少気になった。
人数の多さはともかく、疑問なのはこの小さな村にそれほどの孤児がいた理由だ。
どう考えても不自然だ。
テーブルに積もった埃でさえ愛おしそうに指先で撫でると、カナリーは椅子の一つに腰を下ろした。
フードを後ろに外し、蝋燭の淡い光の中に、金の髪が晒される。
「ね、レグルス。わたしの欲しいもの、わかる?」
「欲しいもの? また急な謎解きか」
「王宮の庭で、そんな話をしたよね。あなたはたしか、お金や名声が欲しいって」
「よく覚えてるな。まあ俺、というか一般論で語ったつもりだよ」
しかし、事実俺が欲しいものもそれだった。
それさえあれば、自分の生きる価値を見出だせると信じて今ここにいる。
「だからね、わたしも話さなきゃ不公平だと思ったの」
カナリーが欲しいもの。望むもの。
謎かけの体を取ったのは照れ隠しなのか、おそらくは話を聞いてくれと言ってるんだろう。
こちらとしても本望だ。
「教えてくれるのなら、ぜひ知りたい」
寒気に鼻頭を赤くしながらも微笑むカナリーは、実家のような場所にいるせいもあるのか、いつもより幼く見えた。
「わたしは……“家族”が欲しい」
どんな願いが飛び出すのかと身構えたが、とくに驚くようなことはない。
孤児として過ごしてきたのなら、当然の願いにも思える。
「またみんなと一緒に暮らすことが出来たら、他に欲しいものなんてない」
まるでそこに
今は寒々とした部屋なのに、不思議と俺の目にも在る日の光景が映った気がした。
「それじゃあ、なぜカナリーは」
「ん?」
「……いや、なんでもない」
“なぜ聖女なんかになったのか?”
聞こうとした言葉を飲み込んだ。
他に何もいらない、と渇望するほどの願いごと。
けれどかつてのカナリーは、それをすでに手にしていたはずだ。
聖女になどならなければ、現在も皆で過ごせていたんじゃないのか。
こんなことを問いかけてしまえば、先ほどカナリーに対して“家族を捨てた”と糾弾したヨタと同じになる。
あのときのカナリーの怒りは本物だった。
揺さぶることは可能だろうが、もう少し目的を絞って効果的に使っていきたい。
テーブルに伏せてあった陶器の皿に手を伸ばし、表面にざらざらと積もった埃を払い落とす。
「……それ。食器やナイフはね、シッティていう手先の器用な子が練習がてら全部作ったんだよ。将来は鍛冶師になるんだって張り切ってた」
「へえ、すごいな」
形は不揃いながら、耐久はしっかりした出来だ。
なぞる指に引っかかりを覚え、底を確認すると模様が彫ってある。
高名な鍛冶師や陶芸師は自作を誇示するため独自の印を刻むものらしいが、子供ながらにそれを真似ていたのだろう。
「どうしたの?」
「いや……」
食い入るように見つめ、ようやく思い出した。
この印を、どこで見たのかを。
直近で三度目だ。偶然では片付けられない。
これまでカナリーへ抱いた小さな違和感が繋がりそうで、もどかしく。
脳内を整理しつつ陶器を元へ戻す。
「ね、レグルス。礼拝堂に行かない?」
「礼拝堂?」
「毎日の暮らしはね、慎ましいものだったけど……礼拝堂は自慢なんだよ」
俺が返事をする前にカナリーは立ち上がり、燭台を片手に、他の蝋燭に灯る火を吹き消していった。
獣人に襲われてるこんなときに礼拝とは。
……違うな。
むしろこんなときだから、か。
神に己を捧げる神託の巫女、聖女様の行動としては当然だ。
光源の持ち去られたダイニングを、出る前に振り向く。
闇に侵された部屋は、冷たいもので。
生活の痕跡が残っているからこそ、余計に空虚な寂しさを醸し出していた。
石室の部屋は、雰囲気こそ王宮の礼拝堂に近いものの、造りはこちらの方がよほど凝っている。
祭壇の奥にある水神の像、その足もとには回廊のような溝が掘られ、カナリーによると当時は山から引いてきた水で常に満たされていたらしい。
静かに祈りを捧げるカナリーの後ろ姿を、じっと見つめる。
皆の無事を祈っているのか、それとも。
「子供の頃の、カナリーの姿が目に浮かぶよ」
「……清楚で、おだやかな……信心深い少女?」
「ああ……そうだな。そんな感じかな」
カナリーは祈りの姿勢を崩さないまま、おかしそうにクスクス笑った。
「わたし、たぶんレグルスが思ってるような子じゃなかったよ。いたずら好きで、悪ガキで……みんなを誘ってね、率先してあぶない遊びもいっぱいしてた」
にわかには信じられない話だが。
あぶない遊びといっても、せいぜい木登りだとかそこらへんの話だろう。
「泡気石って知ってる? 丸くて、近くの山で採れるんだけど、水に触れると爆発するの。危険だから触るなって言われてたんだけど、わたしはみんなと大量にそれを持って、崖下の川まで下りて……」
「もしかして、魚捕りか? 俺もよくやった」
「そうそう! 派手で面白かったんだけど、あちこち火傷しちゃって。服にも焦げ穴たくさんで」
「……いくつ投げ込んだんだ。危ないな」
死亡した事例もたまに耳にするくらいには、危険な行為だ。
「あのときはすっごく怒られたなぁ」
角を持つ毒虫を使った遊びが流行ったこと、甘いが中毒を引き起こす花の蜜を貪ったこと、今なら絶対に立ち入らない洞穴の探険や、境遇を笑う奴らと顔が腫れるまで殴り合った本気の喧嘩。
およそ俺が経験した淡い思い出を、ほとんどカナリーも共有していた。
「――なるほど。筋金入りの悪ガキだな」
「でしょ?」
今度は二人して笑った。
俺の境遇を聞いても、同情しなかった理由。
気持ちがわかると言った理由も、納得が深まる。
似ていた。
生まれも。育ちも。
「お腹はいつも空いてたけど、院長先生はわたし達を絶対に見捨てなかったし、どんな子供でも受け入れた。……愛してくれてた」
俺と唯一違ったのが、そこなんだろう。
「わたしもね、みんなから頼られてる自覚があったよ。だから子供なりにリーダーっぽく振る舞って、頑張ろうって。お金も、暮らしも、家族で相談して、やり繰りして」
もし――……なんて、無意味な考えがよぎりそうになり、頭を振る。
「ここで過ごした時間が、全部、みんな……わたしの誇り」
「……そうか。ありがとう、話してくれて」
誇りなんて持ち合わせていない俺は、見る資格も無い気がして視線を地に落とした。
気落ちする必要がどこにある。
カナリーのルーツを知れたんだ、もう駒は揃ったじゃないか。
「ね? もし――……もし、あなたがここで暮らしてたら。ここでわたしと出会っていたら」
なんだよ。
ついさっき頭からかき消した妄想を、結局あんたが口にするのか。
苦笑して、顔をあげる。
「そうだな。きっと、カナリーと友達になって――」
「きっと、レグルスもわたしの信者になってたね!」
振り返るカナリーは、少女のように屈託のない笑顔で。
というよりも、少女そのものな姿をしていて。
暗い石室に光が差し、四方の壁が唐突に取り払われた。
抜けるような青空の下、今しがた語った幼年期が目の前にあった。
俺は現在よりずっと背丈の低い視点で、カナリーと笑い合っていた。
泥にまみれ、遊び回って。
質素な食事でも、賑やかさは絶えなくて。
多くの子供に囲まれて、その中でもカナリーはひときわ輝いていた。
ずっと一緒にいたい。
どこまでもついていって、この子の喜ぶ姿を見ていたい。
自然とそんな想いに駆られてしまう。
すっかりカナリーに魅了された俺は。
俺は――。
――……だらしなく口を開けたまま、暗い部屋に呆けて突っ立っていた。
未だ祈りを続けるカナリーの背中。
水神の像だけがこっちを見下ろして。
……なんだ、今のは。
俺もいよいよヤキが回ったのか?
激しくなった動悸を悟らせまいと、呼吸を整えて平静に努める。
「……レグルス、あなたは何も間違ってないよ」
ぽつりと、カナリーが呟いた。
「ほんの少しでも周りが違えば……ううん、今からでも。夢に寄り添ってくれる誰かが一人いるだけで、きっとあなたは大成できる」
期待されたことなんて、一度も無い。
これまで誰からも言われたことのない言葉だった。
「無駄なんかじゃない。恥じることなんて、何もないよ。あなたは、あなたのまま、生きていいんだよ」
先ほどとは別の意味で顔をあげているのが難しくなり、下を向く。
苦しくてたまらない胸を、必死に手で押さえる。
どこまで……理解してるというんだ。
今からでも俺を信者にしたいのか。
「……カナリー。神を信じているか?」
絞り出した声は、震えてしまった。
寝取り屋なんてやらなくても、たしかにカナリーなら俺を変えてくれたかもしれない。
だけど、もう後戻りは出来ないところまで来ているんだ。
感情を押し殺せ。
でなければ依頼も失敗して、あとは死ぬだけだ。
「……おかしなこと聞くんだね。質問の意図はよくわからないけど、信じてなかったら聖女なんて――」
「他に目的があったから」
“家族と一緒にいたい”と願いながら、聖女になって故郷を離れる。
矛盾していると思った。
でも、そうじゃない。
今はまだ、推察に過ぎないが。
「目的って……何を」
「それを叶えるために王宮に入り込んだんじゃないのか?“庭師のおじいさん”――モアと共に」
勢いよく振り返るカナリー。
外れたフードも気にせず、その瞳は大きく見開かれている。
決め手はモアの茶器に刻まれた印をここで見たことだが、小さな違和感はずっと残っていた。
末端の兵士一人一人の名前まで把握しているカナリーが、モアのことは決して名で呼ばなかった。
おそらく接点を消そうと、過剰な対応を取りすぎた。
「モアが、ここの院長だった?」
無言は肯定と取っていいのだろうか。
重苦しい沈黙が下りる中、カナリーはほんの少し俯いて、曖昧に微笑む。
「……あなたって…………怖いね」
ただ、必死なだけだよ。
期限が差し迫っていなければ、もっとスマートに距離を縮めていきたかった。
他にも確認したいことはあるものの、まずは敵意が無いことだけは伝えようと口を開く。
しかし、激しい音に続きは遮られた。
言葉の代わりに心臓が飛び出しそうな心境で、カナリーの手を引き礼拝堂を出る。
真っ暗な廊下の奥、扉を激しく殴打する音は鳴り止む気配がまるでなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます