第22話 劣等の意地

 居場所が割れたのか?


 孤児院の扉には、カナリーがかんぬきを下ろしたのを確認している。

 敵――だとすれば、わざわざ叩いたりはしないはずだ。


 扉を破る面倒を省くための、罠だとも考えられるが……。


「レグルス……」

「ここで待っていてくれ」


 カナリーが死ねば、どのみち俺も終わりなんだ。

 俺が行くしかない。


 袖を握るカナリーの手をそっと外し、頷いてみせた。

 逃げ場は無い。

 いざとなれば、やるしかない。


 目を閉じて、荒い息遣いをなんとかゆっくりと深い呼吸へと矯正する。

 灯りは持たずに扉へ近づいた。

 未だ激しく叩き鳴らされる扉を前に、腰から剣を抜き放つ。


 一定のリズムで振動する扉と、鼓動が重なる。

 剣を扉に突き立てるよう、垂直に引き絞りながらかんぬきをそっと持ち上げた。


 大丈夫、やれる。

 馬車での戦闘と同じだ。

 開くと同時に、思いきり突き刺す――!


 萎縮する気持ちを雄叫びで誤魔化し、勢いよく扉を押し開ける。

 ちらと視界に入った人影へ向けて、剣の切っ先を躊躇なく伸ばし――。


「ぅおおっと!? 待った待った!」


 両手をあげて目を見開く男の、鼻先で剣は止まった。

 手の震えが伝わり、揺れる剣先を男の瞳が不安げに追いかける。


「はぁ、はぁ……あんたか」


 大袈裟に驚きつつも、どこか余裕を感じさせる態度でゴヴィンは俺の剣をそっと摘まむと、下ろした。


「大丈夫ですかい? 目が血走ってますぜ」

「それより敵は? 戦況はどうなってる?」

「まぁまぁ、順を追って話しましょうや。カナリー様はご無事で?」


 ゴヴィンに尋ねられ、振り返る。

 カナリーは壁に手をつき、もう片方の手を胸の前で握り込み、心配そうにこちらの様子をうかがっている。


「ああ……無事でしたか、よかった」


 にっこり薄ら寒い笑みを浮かべて、ふいに顔を寄せてくるゴヴィン。

 思わず身を引くも腕を掴まれ、ゴヴィンは俺の耳もとで囁く。


「二人で話がしたいんですよ。ちょっと出ませんかい?」

「……なぜ」

「だからその理由も含めて、ね」


 カナリーには聞かれたくないということか。

 こいつは信用ならない人間だが、俺の知らない何かを掴んでいるのは確かだ。


 悩んだ末、背後のカナリーへ告げる。


「……外で状況を確認してきます。カナリー様はここを出ないでください」

「そうですか……わかりました。くれぐれもお気をつけて」

「建物から離れることはありません。すぐに戻ります」


 一度は近づいたはずの距離が、一気に遠くなる。

 親しみの欠片もない寒々しいやりとりも、ゴヴィンの目があるから。

 そうに違いないと言い聞かせるが、なぜか無数の棘が突き刺さったかのように胸が痛んだ。




 孤児院にも暖気は無かったが、外へ出ればやはり寒さが際立つ。


 吹き荒ぶ風は雪を満遍なく散らしていて、目を開き続けるのも困難だ。

 視界が悪く、どこに獣人が潜んでいるかもしれない。

 警戒しておっかなびっくり歩む俺をよそに、ゴヴィンは淡々と先を進む。


「どこまで行く気だ。戦闘は終わったのか? 他の皆は」

「質問は一つずつにしてくれませんかねぇ。まだやり合ってますよ。双方結構な被害が出てる。あ、ほら。あんなとこにも敵の死体が」


 ゴヴィンが指さす小高い雪面に、人型の影が一つ倒れている。

 雪上へ転がる遺体のすぐ奥は崖になっているらしく、闇を背景に浮かび上がるそれは、まるで存在を主張しているかのように見えた。


「あれが、獣人……?」


 襲ってきた敵の姿、確認くらいしておきたい。


 斜面を登り、近づく。

 見下ろした先にある死体は、夜に溶け込むような黒い毛皮を纏い、顔には獣を模した仮面を付けている。

 側頭部に矢が突き刺さっていて、死因はこれで間違いないだろう。


 周囲で近接戦が行われた形跡は無い。

 やったのはジェイだろうか?

 だとすれば、この劣悪に視認性が低い中、どれほどの距離から命中させたのか。


 味方だと頼もしい限りだが……。

 せいぜい敵とならないように気をつけよう。


 ともかく死体の仮面が気になり、よく見るために屈む。


「……戦場で死ぬ奴ってのぁ、どんな人間だと思います?」


 後ろで、ゴヴィンの声に隠れて、微かにシュルと金属の擦れる音がした。


 戦場なんてつい最近経験したのが初めてで、常だったわけじゃない。

 幾度も死線を潜ったわけでもなければ、殺気なんてものもきっと判別は出来ない。


 それでも首もとで粟立つ肌は、生命の危機を俺に悟らせてくれる。


「――ッ〜〜……ぐ!?」


 死体を飛び越えるように前へ転がった瞬間、背中に鋭い熱線が走った。


 斬られた!? なぜ? 誰に?

 傷は? 深くない――きっと――たぶん――!


 混乱しながら立ち上がり、慌てて剣を抜いたのち振り返る。


「ほーお。勘は中々」

「くっ、おまえ、ゴヴィン……! なんの真似だ!?」


 悪びれもせずゴヴィンは抜き身の剣を肩へ乗せ、へらへらと笑った。

 徐々に痛みだした背が、血液によってじわじわ濡れていく感覚がある。


「王宮に不穏な動きがあるって話、したでしょ? どうも反乱分子が潜んでるらしいんでさ」

「……反乱分子だと?」

「そそ。あっしはそれでミルバス様の命を受けて、あんたらに合流したってわけ」


 事実だとすれば、その反乱分子とやらが俺達の中にいるとミルバスは睨んでいる。


 頭にすぐ浮かんだのはカナリーだ。

 いや、目的を持って聖女になったのだとしても、それで謀反を企てているなど飛躍が過ぎる。

 モアと二人で何が出来るというんだ。


「それで、どうして俺に剣を向けた……!」


 俺に疑惑を抱いてるんだろう。

 それはわかる。

 だが寝取り屋の素性がバレるならまだしも、王宮に対して反乱を疑われる行動など覚えがなかった。


 くっくとさも可笑しそうに肩を揺らし、一転して表情を失くすとゴヴィンは目を細める。


「……あんたぁ、おれを切れ者かなんかだと勘違いしてねぇか?」

「はぁ……はぁ……え?」

「おれに対するミルバス様の信頼はたしかに厚い。それはこれまでふっかけられた無理難題すべて解決したからよ。なんでそんな芸当が出来たと思う?」

「知るかよ……っ」


 優秀だからだとでも言えば満足か?

 その手の問いかけ、相手がカナリーならまだしもこいつに付き合ってやるほど俺は暇じゃない。


「疑わしきは、すぐ消してきたからさ――レグルス」


 持ち直した剣を大きく振りかぶり、ゴヴィンが間合いを詰めてくる。


「!? 待っ――」

「あぁそれと、戦場ですぐ死ぬ奴の特徴な? 運が無ぇ奴だよおめぇのことだ!!」


 どう対処していいかもわからず、闇雲に剣を垂直へ構えた。

 ゴヴィンの剛腕で加速した剣が叩きつけられ、火花を垣間見た直後、ヨタから貰った剣はあっさり彼方へ飛んでいく。


 痺れる腕を庇うようにして、無様な歩法でゴヴィンから離れる。

 開き切った毛穴が汗を吹き出し、背中の痛みを気にする余裕も無かった。


「おっ俺じゃない! 俺は謀反なんか――」

「話、聞いてた? 事実がどうとか関係無いんで。あんたは疑うに十分なんだから、殺されて当然」


 ふざけた論法に怒りが込み上がるも、歯を噛みしめることしか叶わず。


 無理だ、勝てるわけがない。

 逃げ切れる気もしない。

 結局は依頼の一つも満足にこなせず、ここで死ぬのか?


 けれど、ゴヴィンは追撃を仕掛けてこなかった。

 ゆっくり足を運びながら、じろじろと俺の足もとから頭まで視線を巡らせる。


「しかし薄々勘づいてはいたが……やっぱりあんた、剣はど素人だな」


 軽い調子で投げられたその言葉は、思いのほか重く腹へと落ちた。

 一瞬、死の恐怖さえも忘れてしまうほどに。


「剣を握ったこともないような奴が、聖女の護衛。へへ、違和感しか無ぇやな」

「……ぇに……何が……かる」

「あん?」


 剣を握ったことも無い、だと。


 震える。

 抑えようと努力しても、駄目だった。

 握り込んだ拳も、足も、顔も。

 引き攣るかのように震えていた。


 おまえに何がわかる。


 俺の手を、見たことあるのか?

 セリンをして、何年も何年も毎日剣を振り続けたと言わしめた手だ。

 結果、完成したのがこの姿だ。


 何も身につかず、素人以下の。

 貴重な時間を費やした無駄の集まり。

 無価値な集合体。

 それが……俺なんだよ。


「――ぷっ。ぶはははは! なんだそのツラぁ? 理不尽に直面したガキみてぇな顔してんぜ、あんた。そんなに悔しいかい」


 底の知れた相手に、ゴヴィンが警戒などするはずもない。

 奴は獣人の死体の前まで悠然と戻り、屈んで何やら物色をはじめる。


「ま、偽装は怠っちゃいけねぇ。あんたはこいつの得物であの世に送ってやるよ。せめて立派な最期だったと証言してやるから、安心しな」


 ……いいのか? その位置・・・・に留まって。


 俺はあんたが見抜いた通りの人間だ。

 なんの力も持たないし、あんたの脅威にはなり得ない。


 倒れている死体に突き立った矢の角度から、放たれたおおよその方向に見当をつける。

 目を凝らしても人影は見えず、僅かな剣戟の音さえ聞こえなかった。

 風雪が舞う村は、夜闇と共謀してその全容を把握させてはくれない。


 だけど……いるんだろ?

 まだ戦っている。死んでない。そうだろ?

 気配なんか感じなくても、わかる。


 仲間だなんて到底呼べない間柄かもしれないが、俺達はここまでよくやってこれた。

 協力して、犠牲も少なく、任務をやり遂げて。


 だから最後まで俺に、信じさせてくれ。

 あともう少しだけ、虫のいいことを言わせてくれ。


 息を大きく吸って、喉を開く。


「――村の北東、峡谷の境だ! おまえが射った敵はまだ生きてるぞ! 起き上がる前に止めを刺せッ!!」


 聞こえたか?

 聞こえたなら、即座に行動へ移すはずだ。

 俺一人ならいざしらず、俺がカナリーと行動を共にしていることは周知の事実。

 護衛対象を守るために矢をつがえ、放ち――。


「いきなり何を……とち狂ったん――」


 そして悪条件でも外さない。


 中腰で訝しむゴヴィンの肩へ、ト――と静かに深く、何処いずこから飛来した矢が食い込んだ。


「ッ!? ――お? ――おっ――なんだ――どこ――から……っ!?」


 立ち上がろうとするも足がもつれ、体勢を崩したままゴヴィンは崖へと一歩、踏み外す。

 今まさに奈落へ沈むゴヴィンと、視線が交差した。


「あんた……運が無かったな」

「レグルス――ッッ!!」


 死に直面したゴヴィンの顔。

 カッと開いた目に、剥き出しの歯。

 すべてが呪詛で形作られたかのような、しわだらけの形相が脳裏に刻まれる。


 降り落ちる雪と共に、ゴヴィンは崖下へ姿を消した。

 人が一人死ぬにしては、周囲はあまりに静謐で、あっけない幕切れだった。


“死ぬべきはおまえだろうが”と。

 最期にそう言われた気がして、心臓をぎゅっと握り込む。


 馬鹿馬鹿しい。

 生き延びたのは俺だ。

 俺なんだよ……くそっ。


 頭を振って、ゴヴィンに弾き飛ばされた剣を取りにいく。

 斬られた背中が急に痛みだしたのは、たぶん緊張が解けたせいだ。


 半分雪に埋まった剣を拾い上げ、冷えた柄を手で払った。

 身を起こした直後、息が止まる。


 巨躯が視界を塞いでいた。

 仮面を付けたそいつは、突風にボサボサと伸び切った髪を揺らし、獣じみた呼気を吐き出しながら俺を見下ろしていた。

 全身を覆う毛皮の下に、肥大した筋肉が存在することは容易に見て取れる。


「ぅ……あ」


 唐突な遭遇にどう対処していいか判断が遅れ、ジェイに射撃を要請する声も出なかった。


 獣、人……?

 どうしてこうも運に見放される。

 ゴヴィンを退けても、これじゃほんの少し生き長らえただけだ。


「……期日は近い。おまえはやるべきことを全うしろ」


 硬直する俺を無視して通り過ぎると、獣人は仲間の死体を抱えて俊敏に去っていく。


 しばらく立ち尽くしたのち、酸素が欠乏した体は悲鳴をあげ、勝手に大口が開いた。

 今頃になって心臓が早鐘を打ちはじめる。


「はあっ……はあっ……はあっ」


 期日とは、寝取りの依頼の話か?

 どういうことだ。

 ツティスや王宮の人間ではなく、依頼をしてきたのは獣人側の者なのか?


 何か、俺の想定を大きく超えた動きが起きている。

 いきなりのしかかってきた重圧に、押しつぶされそうになりながら孤児院へ足を進める。


 ジェイ達との合流を考えるより先に、体は勝手に動き出していた。


「はあ……はあ……カナリー」


 敷き詰められた新雪は柔らかく、踏みしめるほどに絡みついて歩みを鈍くさせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る