第17話 生命力
「カナリー……」
名を呼ぶ以外に、何と声をかければいいかわからなかった。
どこかへ心を置いてきてしまったかのように、カナリーは短刀を握る自分の手元を、虚ろな目で見下ろしていた。
無言でカナリーの眼前まで歩むセリンが、短刀の刃を上からそっと押さえるようにして掴み取る。
短刀が離れてもカナリーの手は震えが治まらず、指は赤子みたいに曲がったままだ。
「……目撃したのはここにいる者だけです。馬車に侵入した賊は私が殺したことにしますか、セリン様」
ジェイは提案したが、果たしてそううまく誤魔化せるだろうか。
馬車からもっとも遠い所にいた俺にも聞こえたのだから、ヨタの悲鳴は兵士全員が聞いている。
直後にセリンとジェイが乗り込んだのだとしても、生じる時間のズレは説明出来ない。
ジェイに殺されるまで、賊がむざむざ待ってくれていたとでも?
誰が信じるんだ、そんな話。
セリンはこちらを振り向きもせず、喋りもしない。
せめて何か指示を出すべきと思うが、よほど衝撃が大きかったのか。
断罪するにせよ、庇うにせよ、セリンなら即座に判断を下すと見積もっていた俺には、少々意外な姿だった。
「……いいえ。罪を犯したのはわたしです。ジェイさんやセリンに重荷を背負わせるわけにはまいりません」
「相手は賊。罪に問われるべきことじゃない。――と、個人的な考えではありますが」
「お優しいのですね。……近くに水場は無いでしょうか。よろしければ案内していただけませんか?」
「……わかりました。ではせめて、私から兵に詳細を語ることは避けます。どうぞ、こちらへ」
血だらけのまま旅を続けるわけにもいかず。
ジェイに促され、馬車を降りる前にカナリーは、こちらを振り向いた。
「レグルスさん。ヨタ様を」
ローブを返り血で汚しているのは、ヨタも同様だ。
膝を抱えて座り込むヨタに、屈んで目線を合わせる。
ひどく怯えた様子を晒しながら、しかしヨタは挑むように真っ直ぐカナリーの姿を見上げていた。
カナリーはすでにいつもの姿勢を取り戻しつつある。
未だに失意の色を隠せないセリンよりも、俺にはずっと気丈に映った。
暗闇にいても、血で多少汚れていても。
揺れる金の髪と純白のローブは、また光り輝いていく。
決して屈しない光源から、ヨタと同じように俺も目を離せないでいたんだろう。
どうしようもない羨望に、網膜を焼かれていた。
「――くそ……ッ」
吐き捨てられた暴言にハッと目線を外した。
歯噛みするヨタを見る。
付着した血液の範囲はヨタの方が広いようにも思う。
背中から突き刺して、腹まで貫通したのか。
そして賊の前にいたヨタへ、血飛沫が降りかかった?
専門でもないからわからないが……どうも違和感が拭えない。
「ヨタ様。手を」
怪我は無いらしく、ヨタはカナリーから顔をそむけると、俺が差し伸べた手を一瞥して一人で立ち上がる。
ジェイとカナリーが下車し、二人へ続こうとしたヨタの腕を掴み、ローブを後ろからたくし上げる。
「ゃ――!? やめ――……」
「じっとしていてください」
俺は抵抗するヨタを押さえつけながら足をまさぐり、ガーターリングの留め具を外すと短刀を取り上げた。
セリンが見ていたが、意図を理解してくれたのか何も言わなかった。
そんな風に思ったのだが、ただの考え過ぎか。
今にも牙を剥きそうな顔を一瞬のぞかせるも、ヨタにいつもの勢いは無い。
ジェイとカナリーへついていくよう目で促すと、素直に下車をした。
俺は車内に残り、ヨタから奪った短刀を見下ろす。
鞘を引けば、刀身の根本にどこか覚えのある装飾を見つけ、指でなぞる。
「……君は降りないのか?」
セリンに問われ、短刀を静かに鞘へ戻した。
本来ならカナリーの側へ向かい、気落ちした彼女を慰めることこそ正しいのだろう。
ようやく見せてくれた弱みなのだ。
そこにつけ込めば、寝取りも容易になる。
けれど、やはり違和感としか言えない。
作為的な、仕組まれた筋書きに従ってるようで、気が乗らなかった。
「護身用の剣を持たせているのに、それでも聖女に殺傷は許されない?」
「それは……名目上はたしかに護身だが、実際の用途は別だ。その短剣は別なことに使用する」
使ってはならない剣など、矛盾している。
なんの役にも立たない。
じゃあ本来の用途は――。
「自決だ」
呟いて、セリンは椅子に腰かける。
顔を俯かせ、深く息を吐いていた。
「身が汚れてしまえば、もはや聖女とは呼べない。だからもしもの時には……推奨されている」
「つまり襲われたり、犯されそうになれば、潔く死ねと?」
「……そうすれば、聖女のままでいられる。その死は高潔なものとして、人々の記憶に美化され残る」
唾を吐き捨てたくてたまらなかった。
つくづく、やっぱり聖王宮もクソなところだ。
すべては聖女の品位を落とさないために。
神ではなく、王宮に命を捧げろと言っているに等しい。
カナリーやヨタを守るものなんかじゃない。
これは王族や貴族、それらが属する国を守る短剣なのだ。
「もちろん、そうさせないための我々だ。……だが守り切れなかったな」
「それだ。そもそもなんで守れなかった? あんたやジェイがいながら、他の兵も大勢いながら賊の侵入に気づかなかったのか?」
「情けない話だが、悲鳴を聞くまで、まったく。自分を買いかぶってるわけではないが、私に気配も感じさせず接近するなど未だに信じられん」
よっぽどの手練れだった?
でもそれなら、不意を突かれたにせよカナリーに刺殺されるとは思えない。
床で死んでるこいつは、ただの賊だと考える。
「侵入ルートは?」
「ああ……そうだな。確認してみよう」
二人で下車し、周辺で浮き足立っている兵士をセリンが呼び止める。
「すまないが、中に賊の死体がある。片付けておいてくれ」
「わかりました! ……あの、セリン様」
「なんだ?」
「い、いえ、申し訳ありません! すぐに取り掛かります!」
入れ替わりで馬車に乗車する兵士。
何を聞こうとしたのかは明白だ。
セリンの顔色を気にして職務を優先したようだが、やはり兵士に隠し通すことは難しいだろう。
「レグルス、こっちだ」
馬車の側面。
俺が登った斜面とは真逆の茂みに、痕跡があった。
ずいぶんと奥にまで続く、人が通ったと思われる、獣道にも満たない道筋がうっすら確認できる。
森に精通するジェイも知らなかった、あきらかに直近で通した路のようなもの。
「……これではまるで、最初からここに目標を定めていたかのようだな」
セリンの指摘に同意する。
待ち伏せされたということになるが、この地点で襲うことを想定していたところまでは理解できる。
隊商や冒険者を無差別に狙うなら、だ。
しかし賊の行動を鑑みるに表の襲撃は陽動で、はじめから馬車に乗り込むことが目的だったように感じる。
もし馬車への侵入が目的だったとしたら、ここを通るのが聖女を連れた王宮の馬車だと知っていたことになる。
「罠……なんじゃないのか?」
思ったままを口にしたものの、顎に手をあて考え込むセリンの気持ちもわかる。
罠だとして、誰がなんの目的で仕掛けたのか。
侵入した賊は聖女を害するでもなく、あっけなく死んだ。
カナリーが殺した。
そんな役立たずを送り込んで、何を――……。
「……カナリーに……殺させるため?」
「そんなことをして、何になる。回りくどく聖女を貶めて、得をする人間がいるか?」
――いる。
これは俺が依頼された“寝取り”と同種のものだ。
直接的に害するわけではなく、その地位や権威を失墜させたい者がいるのだ。
確信は持てないが、もし依頼者が裏で手を回しているのだとしたら。
俺は信用されてないということか?
余計なことはせず、せめて期日くらい守って欲しいものだが。
現時点では、どこまでいっても妄想の域を出ない。
「……私は、見誤っていた」
「何を?」
「カナリー様だよ。個人的な感情は抜きにして、あの方は相手がどんな極悪人だろうと、決して傷つけるような方ではないと思っていた」
ああ、なるほど。それで……。
「迷いなく自死を選ぶ方だと」
「……勝手な言い分だな。イメージと違ったからと落ち込んでいたのか?」
「ふふ、落ち込んで見えたか? ……生きていて下さったのは喜ばしいよ、本心だ。ただ、これだけ長い間を共に過ごして、私はカナリー様のことを何も知らないのだ。と、そう思ってな」
寂しそうに俯くセリンは、それこそこれまでのイメージを払拭するやわらかい微笑を浮かべていた。
皆が畏れ敬う騎士ではなく。
カナリーを友人として見る、ただの一人の人間だった。
「たとえ恋人や家族だって、真に相手を理解することは不可能だろう。カナリーにしても、もし本心を隠していたならわかるわけがない」
わからないから、追い求める。
聖女の神秘性に触れた民衆も、少なからず同じ思いを抱くはずだ。
よく出来たシステムと言う他ない。
カナリーの心なんて、俺だって知りたいのだから。
「君の目で見たら、どうだ?」
「どう、とは」
「カナリー様は、どんな人物に映る?」
少し考え、口を開く。
「どこにでもありふれた、ただの人間」
「なに……?」
ついさっきセリンに受けた印象と同じ。
不殺の理想を掲げながら、いざという時は我が身かわいさに捻じ曲げる。
実に人間らしくて、
美しく、神秘的な人形なんかじゃない。
矛盾をはらまない、化物なんかじゃなくて本当によかった。
命を脅かされて本来の自分と向き合う羽目になったのだとしたら。
ようやくいろんな意味で対等になれた気がする。
だがまだ全容は見えてこない。
生への力強い意志を感じると共に、カナリーには何か強烈な目的があるように思う。
引き出してやるさ、あんたのすべてを。
俺が、間もなく――。
「そうか……そうなのかもな」
どこか吹っ切れたように、セリンはしばらく夜空を見上げていた。
つられて顎を持ち上げる。
闇を彩る星々に、引け目はもう感じなかった。
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