第18話 一時の休息

 長かった夜は明けた。

 軽く食事を済ませた後、車体の点検を御者が行い馬車は再び走る。

 馬に怪我などはなく、走行不能な状態に陥ることもなかったのは幸いだった。


 聖女の護衛である俺達は交代で仮眠を取り、尻の痛みに顔をしかめながら警戒を続ける。

 賊も嫌だが、魔物はもっと勘弁してほしい。

 次くらいは願いを聞いてくれと。

 信じてもいない水神様に祈りを捧げるほどには、精神がすり減っていた。


 このうんざりする深緑が晴れる時を待ちわびた。


 ついに念願が叶ったのは正午過ぎ。

 幌を開け、澄んだ青空を見上げて目を細める。

 車内に張り詰めていた緊張の糸が、さすがにゆっくりと緩んでいく様が肌を通して伝わる。


 俺も知らず、安堵の息が漏れた。

 さっきからずっと人の肩にのしかかり、うたた寝しているヨタの頭を小突いてやる。


「ぁが……?」


 いい気なもんだ。

 あんなことがあって、よく眠れる。

 もっとも、これくらいの胆力が無ければ聖女も、兵士も務まらないのかもしれない。

 俺にはつくづく適性が足りないな。


 一睡も出来なかった己を笑い、向かいの席へ目を向ける。

 眠れなかったのは、カナリーを見ていたことも理由の一つだ。


 カナリーの様子は、賊の襲撃前となんら変わらなかった。

 短刀を握りしめ、震えていたあの姿が、見間違いだったのかと自分を疑うほどに。


 見ていた限り、俺と同じくカナリーだって寝ていない。


 背は凛々しく伸ばしたまま。

 いつもの微笑すら顔にたたえていて、もはやこの女のどこに人間味を見出したのかわからなくなってくる。


 いや……虚勢だ。

 はったりだ。

 絶対にあの震えは演技じゃなかった。

 心を押し殺してしまえるほど、何か大きな目的のために行動しているのだ。


 付け入る隙を探すため、観察し続けることしか俺には出来ない。


 荒涼とした赤茶色の岩肌が目立つ地帯へと差しかかったころ、馬車が停車する。

 本日も何度目かの休息になるが、カナリーの所作に一切の振れ幅は無い。


「お疲れ様でした。モズさん、よろしければどうぞ。タイランさんは甘いものお好きでしたよね? こちらもおいしいですよ」


 兵士一人ひとりの労をねぎらい、茶や菓子を振る舞う。

 全員の名前を覚えていることも驚愕するが、実にうまいやり口だと感心する。


 聖女からああも懇意に名を呼ばれ、接されては疑念の目など向けにくくなる。

 王宮の兵に志願した者達だ。

 元から善良な人間も多い。


 俺が穿った人間だからなのか――。

 巧みに罪悪感を刺激し、口を封じて回ってるようにも見えた。


“見誤っていた”と。

 セリンはそうカナリーの人物評を覆していた。


 ならば、俺は?

 もしかすると、俺もカナリーを見誤っているんじゃないのか?


 打算なく誰かのために動けるお人好し。

 そんな性格が災いして、襲われるヨタを考えなしに守ろうと賊を殺め、聖女の立場を危うくさせた。


 本当にそうか?

 計算通りに、俺はカナリーをそのような人間だと認識しただけで、本質は――。


「レグルスさん」


 間近に声をかけられ、無様にも肩を跳ねさせる。

 俺の目前で、カナリーは小首をかしげる。

 顔には、見惚れるような美しい笑みを浮かべている。


「その……また少し話さないか。いつもの、馬車の裏手で」

「はい、もちろん! お菓子も余っていますし、お茶はいつものでいいですか?」


 頷いて、先に歩いていくカナリーの背を見つめた。


 焼かれるような……星の如き眩しさを感じなくなった代わりに、俺がカナリーに覚えたのは畏れの感情だった。

 脳裏にツティスの冷笑がよぎり、足がすくむ。


 まさか、関わるまいと誓ったアレと同種の人間なのか?

 その背後に、いったい何を隠している。


 首を振った。


 ……関係ない。

 カナリーは寝取りの対象だ。

 どういう人間であれ、深淵の闇だろうと俺は目をそらすわけにいかないんだ。


 待ち合わせた馬車へ向かう足は鉄のように重く、半ば引きずりながら進んだ。



◇◇◇



 殺伐とした景色は、肌身の感覚だけでなく視覚からも寒気をもたらす。

 人里を離れればこうも寂しいものなのかと、気に食わなかったはずの街の灯りに思いを馳せた。


 あれからさらに一昼夜を馬車は走っていた。

 セリンとジェイの会話から察するに、明日には王宮の兵士が駐屯している村に着くらしい。


 国境沿いのアパリュ丘陵までは村からまた数日かかるが、前線といっていい位置まで来たのは間違いない。

 もし獣人と遭遇戦にでもなれば、賊相手のような無傷の勝利を得ることも難しいだろう。

 憂鬱でならない。


「……くそつまんねー場所」


 悪態を吐き捨てたヨタは、不機嫌を隠そうともしないでカナリーを睨みつけていた。

 こいつはずっとこんな調子だった。

 傍から見ていると、逆にカナリーの気を引きたくて仕方ないんじゃないかと思えてくる。


 そんなところまで俺に似ているとか、うんざりしてくるからやめてもらいたいもんだ。


 だが肝心のカナリーはヨタの眼光も俺の思いも素知らぬ顔で、幌から外を眺めて物思いに耽っている。

 かろうじて街道らしき路が通っただけの錆色の大地には、カナリーお気に入りの湖や川なども見当たらない。


 楽しむ景観なんてどこにも無いのに、飽きもせずはるか遠くを見続ける心境は。

 郷愁を噛みしめるかのようなその表情は、どんな意味を持つ?


 何もわからなかった。


 休息のたびにカナリーへ声をかけてはいるが、身のない話を繰り返しても、文字通り意味は無い。

 どういう転がり方をするかは賭けになるが、やはり触れなければならないのだろう。


 あのとき馬車で何が起こったのか。

 殺人などという誰よりも遠かったはずの行為に手を染めて、何を守りたかったのか。

 質問してもなぜか口を閉ざすヨタの態度もおかしいもので、二人だけが知る何かがあったのは確実なのだ。


 願わくば弱音の一つでも見せてくれ。

 そうしたら、俺はきっとあんたの救いとなってみせる。




 翌日の午前、まだ早い時間に村へ到着した。

 遠景に黄金色の草原が広がり、気候はカージュよりも厳しくずっと寒い。


 共に積み荷を下ろした後、ジェイは兵の人員が揃っているか確認する。

 聖女二人を伴ったセリンが先立って下車をすると、数人の兵士を引き連れた騎士がこちらへやってきた。


「ようこそおいでくださいました、カナリー様。ヨタ様。遠路お疲れでしょう。王宮の快適さとは比ぶべくもない小さな村ですが、どうぞお体を休めてください」


 手を胸に、高身の体を折り曲げて騎士は一礼した。


 清潔感のある金髪がさらりと揺れて、緑がかった瞳が印象的な美形だ。

 体格のいいジェイよりも、一回りほど身長も高い。

 このナリで騎士だとか、神は個人に手に余るほどの才能もぽんぽん与えるらしい。


 その分、割を食うのが俺みたいな人間ってわけだ。


「……“騎士”って嫌いなんだよねアタシ。どいつもこいつも偉そうにしててさ」

「どうでもいいが、悪態はもっと小声で吐けよ」


 ヨタに釘を刺したものの、内心では同意していた。

 ただこいつの場合、騎士に限らず世界中の人間を敵視している傾向にある。


 そんなヨタとは何もかも対照的に、いつも通りの微笑みを騎士へと返すカナリー。


「ありがとうございます、ミルバス様。皆様も、国家や民のために過酷な任務に従事くださって、感謝いたします。ご武勇はいつも、毎日、王宮でも耳にしています」

「なんともったいない。そんなお言葉を頂けるとは、兵の士気もいっそう高まります。なあ、みんな!」


 爽やかに笑んだミルバスが振り返ると、後ろに控えた兵達が湧いた。

 商隊の捜索に聖女を派遣するなんて任務に疑問も抱いたが、こうして前線に送ることで兵の慰問にもなると含んでいたのだろう。


 さっそくカナリーは、手製の茶や菓子を兵達に振る舞って回る。

 このときばかりはヨタもそれに倣い、仏頂面のままおどおどと兵に声をかけていた。


 あれはあれで“あのヨタ様に声をかけていただいた”と一定の需要があるようだ。


 それぞれの仕事、役割をこなしている姿を見ていると、一気に疎外感が込み上がってくる。

 ここで俺に出来ることなんか何もない。


 手持ち無沙汰に村を見渡せば、遠目に木材や土嚢の防壁が見える。

 監視塔のような高い建物もあり、村というよりは前哨基地といった風情だ。


 歩いている人間も今のところ兵士しか確認出来ず、元いた村人はとっくにほとんどが避難してるのかもしれない。


「セリン、道中変わりはなかったか?」

「は。賊の襲撃がありましたが、損害はありません」

「そうか。詳細は中で」

「わかりました。……おい、レグルス」


 セリンに手招きされ、近づく。

 ミルバスはこちらを一瞥すると、眉をひそめて腰の剣を見つめた。


「見ない顔だが、君は騎士か?」

「いえ……僭越ながら、ヨタ様の護衛を務めさせていただいてます。ただの元冒険者で、傭兵です」


 実際は冒険者ですらないわけだが、こんな場所で正体が割れたら死ぬしかない。

 そう考えると、ジェイの思惑というか本心も早急に解明したいところだ。

 奴が裏切れば終わりなのだから。


「そうか、ヨタ様の……なるほど。上等だな、これと交換してほしいくらいだよ」


 使い込まれた自身の剣鞘に手を伸ばし、ミルバスは微かに顔を歪ませて背を向ける。


 侮蔑や嫉妬、憤り。

 辺境に送られた苛立ちもあるのか、様々な感情が垣間見えた。

 こっちだって好きでこんなことしてるんじゃないと心中で吐き捨てる。


 俺からすれば、剣一本で生計を立ててるあんたの方がよっぽど妬ましいよ。


「レグルス、お二人をよろしくな。……それと、くれぐれも例の件は口にするな」


 頷いて見せると、セリンはジェイを呼びつけ、二人でミルバスの後を追った。


 カナリーを庇う方向で、セリンも方針を固めたということか。

 状況を鑑みれば妥当かもしれないが、不安は残る。


 再びすることが無くなり、お飾りの護衛らしくしばらく聖女様の活動を見守った。

 白い息を追いかけ、見上げると曇天が雪をちらつかせはじめる。

 一般のそれとは大分趣きが異なるので仕方ないところだが、静かで寂しい村だった。


 戦場になれば、ここもある意味熱狂で溢れるのだろうか。




「こちらの二階になります。同室、ということになってしまい、申し訳ないのですが……」

「ああ!? なん――」

「もちろん、構いませんよ。ありがとうございます」


 凄むヨタをやんわりとカナリーが制し、案内してくれた兵は安堵したように立ち去った。


 遠征に同行した兵士達も休養を言い渡され、それぞれ顔馴染みと酒場や兵舎に向かったことだろう。

 ここに不安の種があるのだが、もう考えても仕方ない。


 二階の客間は十分な広さがあり、敷かれた毛皮の絨毯が冷えた足先をやさしく包み込んでくれる。

 ヨタはさっそくソファに身を投げ出して横たわり、カナリーも対面のソファへ静かに腰を下ろした。


「チ……なんで同室なんだよ」

「兵の皆様の宿舎でいっぱいのところに、わたし達が来たのですから。このようなお部屋を用意してくださっただけでもありがたいです」


 それきり二人の間に会話は無い。

 暖炉の炎のみが、パチパチと木の爆ぜる音を奏でている。

 当然だが、この状況ではカナリーを口説くことも不可能だ。


「では……俺は、下で待機します」

「あ? まだいーだろ。こっち来て足揉んでよ」


 ふざけるなよ、こいつ。

 カナリーの目の前でそんなこと出来るはずないだろう。

 いや、カナリーがいなくても御免だが。


「ヨタ様、レグルスさんもお疲れです。ゆっくりと休養を取ってもらいましょう」

「なに口出してんの? コイツはアタシの護衛だ。アタシが指名したんだよ? だから――」


 いきなり身を起こしたヨタに、胸ぐらを掴まれる。


「何を……待っ――!?」


 そのままソファへ引き倒されると、ヨタは両腕でがっちりと俺の頭を抱き込んだ。

 やわらかく熱を持った太ももの間に顔が埋まり、もがくほどヨタが俺の中へ入り込んでくる。


「でも……そーだよね。オマエも疲れてる。アタシが枕になってやるから、遠慮なく休むといい」


 顔を上げてもすぐに押さえつけられ、今度は仰向けに転がされる。


 馬鹿なのかこの女は!?

 俺の邪魔をするなと散々言ってきたはずだ!


 これまでにないほどの怒りを込めて睨みつけるも、ヨタは動じず半ばやけくそ気味に八重歯を覗かせ俺を見下ろしていた。


「……本当に仲がよろしいのですね」

「そーだよ? 羨ましい?」


 何度も身を起こそうと試みるが、その都度力強く押さえられ、女の細腕すら跳ねのけられない無力さに絶望する。


「ヨタ様がよろしいのなら、いいじゃありませんか。少し眠られては? レグルスさん」

「そーそー。素直になんなよ。なぁ」


 なんなんだ、この状況は。

 ガシガシと乱雑に頭を撫で回していたヨタの手が、やがてなめらかに髪を梳くような挙動へ変化した。


 もうどうにでもなれと。

 情けなさと疲労から体は脱力し、途端に意識が遠くなっていく。

 はっきりと緊張が途切れた瞬間だった。


「お茶でもお淹れしましょうか?」

「へぇ……飲みたいなぁ、アンタが淹れてくれるなんて無かったもんね」

「言ってくだされば、いつでも。ではすぐにご用意しますね」


 せめぎ合う二人の声も聞こえなくなって、俺は静かに眠りへと誘われた。




 ――夜。

 客間の一階にあてがわれた一室で、セリンから今後の目標について説明を受ける。

 兵舎へはジェイが向かい、同じように兵達へ伝えているのだろう。


「出発は明朝。北に二日ほどの距離にある“ビダ”という小さな村だ。獣人の使者から、そこで隊商を引き渡すと申し出があったらしい」


 じゃあ、隊商を攫ったのは見立て通り本当に獣人だったということか?


 国境にほど近い村であり、現在は住む者もいないとのことだ。

 周囲を岩壁と谷に囲まれ、駐留するこちらの兵もいない。


 国境線なんて曖昧なもので、そんな打ち捨てられた村なら獣人に占拠されていてもおかしくないんじゃないか?

 また、死がぞわりと背を這い上がってくる感覚に襲われる。


「今日はよく休んでおけよ。……ん、昼より顔色はいいな。すでに眠ったか?」


 セリンは笑っていたが、顔を伏せる。

 あれは失態だった。

 思い出したくない。


 ともあれ久しぶりのベッドは心地よく、昼間眠ったにも関わらず夜は快適に寝ることが出来た。




 問題が起きたのは翌日。

 皆で協力して積み荷を馬車へ運び込み、いざカナリーが乗り込もうとしたところ。

 昨日と同様に、兵を引き連れミルバスが姿を現した。


「昨夜のことです。私としても信じられない話なのですが、兵からよからぬ噂を聞きましてね」


 やっぱりか。

 遠征に参加している兵士の数は十四名。

 善良な者が多数といえ、これだけ集まれば一人くらいはいるものだ。


 酒でも回って気が大きくなったか、むしろ善良だからこそ妙な義憤に駆られたのかもしれない。

 献身的な姿を知っていても、確信が無くとも、結果を考えず主観で噂をばら撒く。


 カナリーへと詰め寄るミルバスの前に、セリンが割り入って壁となる。


「聖女ともあろう方が、人を殺めたと。事実ですか? カナリー様」

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