第15話 誘い
出発して間もなく、永遠に続くかと思われた麦畑を越えると、やがてぽつりぽつり点在していた民家も見えなくなった。
馬車は整備された道を進むが、目に映る景色は人の手が入っていない等身大の平原や森。
遠くでは、野生の動物が川に群れている光景も視認できる。
空は晴天の青。
寒さは厳しいものの、風は心地よく、陽に照らされた草木の匂いが自然を間近に感じさせる。
街から離れるにつれ、日々の鬱屈とした想いも開放されていくような――。
そんな久しく無かった感覚は新鮮で、まんざらでもない気分を味わっていた。
「レグルス」
「ああ……こっちは問題ないようだ」
後方の馬車に乗る兵士が“異常なし”とハンドサインをよこし、同じように返して幌を閉じる。
前の車輌はジェイがサインを確認し、平常運行を見届けたセリンが頷く。
街道を走ってそろそろ二時間ほどになるだろうか。
今のところトラブルも無く、旅は順調だった。
ふと目を向けると、カナリーは幌の隙間から飽きもせず、ずっと外を眺めている。
楽しげなようにも、それとは逆に寂しそうともとれる不思議な横顔に見入ってしまう。
風になびく髪を手で押さえる仕草にハッとなり、目を伏せた。
雰囲気に惹き込まれていた。
知りたくて知りたくて、たまらないのだ。
もちろん、依頼のために。
他人が何を考えてるのかなんて、簡単にわかればどれほど楽なことか。
さっきからこちらに何度も目線を向けるジェイも、もしかすると俺に対して同じことを思ってるのかもしれない。
どうも、なんらかの疑念を向けられている。
そんな気がしてならない。
声をかけたのはこっちだが、互いに利益のある取引だったはずだ。
王宮に入り込めた時点で俺の要望は叶っているし、これ以上ジェイに要求するものは無い。
俺の事情は探らずにいてくれると助かるのだが。
「おい、レグルス。オマエちょっと枕になってよ」
「……は?」
理解不能な言葉がいきなり耳に飛び込んできたので、隣に座るヨタへ目を移した。
「痛いんだよ、お尻。アタシ横になるから、オマエは枕な? って話」
本気で言っているのか? こいつ。
……本気なんだろうな、これまでだってそうだった。
この場で不必要に聖女とベタベタ接触したりすれば、不敬だなどと即刻セリンに断罪されてもおかしくない。
俺の身が危ういとまでは考えないのだろうか?
頭が痛い。
「ずいぶんと仲がよろしいのですね」
外を眺めていたはずのカナリーが、こっちを見て微笑んでいた。
いつものやわらかいだけの笑みとは異なる表情。
何か含みでもあると察したのか、ヨタは体を擦り寄せてくる。
「……まーね。そりゃ護衛に指名するくらいだし? コイツのことはよく知ってるからさぁ」
まるで挑発でもするかのように笑って、ヨタが人差し指を俺の胸に突きつけた。
胸板をなぞる指を掴み、見下ろしながら低く冷たく言い放つ。
「ご冗談はおやめください」
邪魔をするなと前に忠告した。
ヨタのくだらないプライドのために、あるかもわからないカナリーの嫉妬心を下手に刺激して欲しくない。
それが有効に働けばいいが、当然逆もある。
使い所を見極める必要がある、諸刃の剣だ。
そんなこともわからないのならば、俺の領域に踏み込むな。
歯を剥いて、憎々しげに俺を見上げるヨタ。
どうやら俺相手では、信者を前にしたときのような殊勝な態度は望めないらしい。
「ヨタ様、他の者の目もあります。間もなく休息の時間を取りますので、おくつろぎはその時分に」
セリンにたしなめられ、ヨタが俺の手を乱雑に振り払う。
「ハ……くそだるい……!」
人前で堂々と足を組み、腕まで組むとヨタは顔を伏せて静かになった。
この揺れで寝るのは厳しいように思うが、触らぬ神になんとやらだ。
放っておく。
セリンもヨタの性格は把握してるのだろう。
俺にもなんら追求することなく、姿勢を正して座っている。
正直助かった。
しかしセリンにしても、唐突に聖女の護衛となった俺をどう思っているのか。
ジェイのように不信感を持っていたとしてもおかしくない。
ここに、真に俺の味方と呼べる人間はいないのだと肝に銘じた。
二頭の馬に引かれ、馬車はひた走る。
静寂の車内から再び外を見るも、景色は変わり映えせず。
退屈を覚えて、俺もいつしか目を伏せた。
原っぱに降り立って、休息をとる。
腰を伸ばし、深呼吸をする。
体内に冷たい空気が浸透し、幾分か疲れも和らぐ気がした。
「お疲れ様です。これ、よろしければどうぞ」
カナリーは御者や兵士の元へ足を運び、わざわざ自分の手で茶菓子を配っている。
セリンも言っていたが、本当に精力的な女だ。
菓子を配り終えると、馬を撫で回していた。
馬にまで気を使って労っているのかと呆れかけたが、楽しそうな顔を見るに、単に動物が好きなのだろう。
セリンとジェイは地図を広げて、ルートの打ち合わせをしている。
進行先には、果ての知れない深い森がある。
平穏とは言い難い脅威が待つ。
盗賊や魔物と出くわす可能性があると軽い調子でセリンは語っていたが――。
いや、決して軽く言ったのではないかもしれないが俺にはそう聞こえた。
ともかく戦闘に自信の無い俺は、平常心を保つためにさっきから深呼吸を繰り返しているのだ。
ヨタは下車すらしていない。
邪魔さえしなければ、今はどうでもいい。
放っておく。
声をかけるべき相手は、決まっている。
「……疲れてないか? カナリー」
背後から呼びかけると、少し肩を跳ねさせて、カナリーは馬を撫でる手を止めた。
馬はぶるると鼻を鳴らし、もっと撫でろと催促してるようだ。
悪いが譲ってもらおう。
「え……と」
周囲を気にするカナリーに、頷いてみせる。
兵士も皆、思い思いに集って休息していて、馬車の陰にあたるこの場に人の目は無い。
「……わたしは全然。護衛してくれてるあなたや、みんなの方が気を張って疲れるでしょう?」
「仕事の範疇だろう。セリンやジェイに寄せられる信頼は大きい。おかげで俺も落ち着いて臨めるよ」
「うんうん。セリンは強いし、きっと大丈夫」
馬の頭をぽんと撫で、カナリーは馬車に背をあずけた。
晴れ渡る空を見上げ、目を細める。
「みんなには申し訳ないけど……わたしは、ちょっと楽しい」
「いいんじゃないか? せっかくの旅なんだ。少しくらい羽を伸ばしたって文句は言われない」
「そうかな? そうだといいな」
王宮での暮らしは、周りが考える以上に窮屈なのかもしれない。
毎日決まった時間に礼拝に赴き、他人の悩みに答える。
王宮に戻ってからも、俺が知らないだけで色々あるのだろう。
他の聖女を見るに様々な確執もありそうだ。
聖女としてあるべき姿を守りながら、期待に応え続けるのは相当の重圧に違いなかった。
ヨタなんていう例外もいるにはいるが、あれは聖女の地位を捨ててるも同然だ。
「そういえば……カナリーは聞かないんだな」
「ん? なにを?」
「どうして俺が、ヨタ様の護衛になったのか」
あらかじめ話は聞いていたにせよ、経緯は知らないはずだ。
ヨタのあの態度では、よからぬ誤解を招きかねない。
「聞かないよ。……でも、話したければどうぞ?」
後ろ手に組んで、小石を蹴り、いたずらっぽく笑うカナリー。
不覚にも、また目を奪われる。
「偶然だった、本当に。収穫した果実を運んだとき、ヨタ様に届けるよう頼まれた。そこで護衛に誘われたんだ。そのときの護衛とは、気が合わなかったらしくて」
後ろ暗い会話を除けば、だいたい事実だ。
「そっか。わたしはてっきり、レグルスが声をかけたのかと。女性を誘うのが上手なんだね、って言おうと思ってたのに」
「俺にどんなイメージを持ってるんだ。浮いた話はとことん縁がないな。それに……」
「それに?」
「……気を惹きたい女性は、一人しかいない」
真っ直ぐに瞳を覗き込んだ。
透き通るような虹彩が揺れ、左右にそれる。
やがて顔ごとそむけて、カナリーはローブを手で払いはじめる。
「あ、あはは。いいお相手がいるのですね。あなたの想い人、気になるな。うん、よかったら今度教えてね」
聖女の言葉と、くだけた言動とが入り混じっている。
反応としては悪くない。
今は、ここまで確認出来れば十分だ。
仕掛けるには、相応しい場所と時が必ず巡ってくる。
「そろそろ戻ろうか」
一緒に物陰から出るのはまずい。
一足先に馬車へ向かおうと、背を向けた。
「レグルス。その、ここからは危険があるかもしれないって。気をつけてね」
「ああ。カナリーのことは絶対に守るよ」
「あなたが守るのはヨタ様でしょ? それに……魔物はしょうがないかもしれないけど、人はなるべく殺さないで」
物騒な台詞に、思わず振り向く。
カナリーは困ったように、気まずそうな顔を隠しもしないで続ける。
「守ってもらう側なのに、ごめんね? でもセリンや兵の方々にもお願いしてる。聖女として、だけじゃなくて……これは、わたし自身のお願い」
相手は賊。斬り捨てられても当然の敵で、むしろ向こうも己の立場を理解しているだろう。
ただ平和を説く聖女として、大っぴらに殺人を認めるわけにはいかない。
理解できる。
何も矛盾はない。
カナリー個人の願いと、聖女の願いが一致していてわかりやすいくらいだ。
「……わかった。心に留めておく」
カナリーも“なるべく”と言ったように、たとえ殺してしまっても罪に問われることはない。
俺が動揺したのは、それはつまり殺されても文句は言えないからだ。
これからそんな世界に身を置くのだと実感した。
たかが盗賊。されど盗賊。
奴らも必死で応戦する。
俺には賊の一人でも殺傷する力は無い。
魔物なんて、もってのほかだ。
怖い。
一度は捨てた命が。
依頼が順調に進めば進むほど――カナリーとの距離が縮まるほど、惜しくなる。
カナリーを落とす絶好の場所や雰囲気を待って、俺にその機会が本当に訪れるのか?
「早いなレグルス、もう戻るのか?」
未だ休憩中の兵士達を尻目に、セリンに頷きを返して馬車へ乗り込む。
ジェイが訝しそうに見ていたことも気づいたが、ひとまず体の震えをどうにか隠したかった。
大木が日除けとなり、車内は薄暗い。
「オマエ、どこ行って――……ハハ、まーたそんな顔してんの? 鏡見ろよ、なっさけねー顔」
ふてぶてしく両手を背もたれに広げ、歪んだ笑みを作るヨタに迎えられた。
感情のままに睨みつけるが、憎まれ口を返す余裕もわかない。
「……大丈夫だよぉ、レグルス。ほら、こっちおいで」
胸へ飛び込んでこいとばかりに手を伸ばすヨタを無視して、隣に腰を下ろす。
こっちが弱ってるのを見越してか、ぞんざいに扱ってもヨタが機嫌を悪くすることはなかった。
それどころか、また身を寄せてくる始末だ。
「アタシはさ、実のところオマエになーんにも期待してない。だから大丈夫。……大丈夫」
何が大丈夫なんだ。
失礼極まりない侮辱をくれて、慰めになるとでも思っているならイかれてる。
肩に、頭一つ分の重みが加わる。
繰り返される“大丈夫”という言葉と、甘ったるい匂いが段々と感情を麻痺させてくる。
「死ぬときゃ死ぬ。それでいいだろ? あんな壁の中で息絶えるより、星が見えるとこで逝けるなら、それもいいよ」
膝の上に、ヨタの足が乗る。
肉付きがいい足は重みもあったが、跳ねのけなかった。
「それに――いざとなったら、レグルス。オマエはアタシが守ってやるよ」
ヨタの足に硬い物質を感じ、相手が聖女なことも意に介さずローブを捲り上げる。
薄っすら青白い血管が浮かぶ太ももの内側に、ガーターリングに留められた短刀があった。
「殺して。暴れて。それでも無理だったらさぁ……死のっか? 一緒に」
非殺を説いたカナリーと、赤い舌を出すヨタ。
どちらが道理か、救い足り得るのか。
答えは明白なのに、なぜか俺の震えは止まっていた。
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