第14話 懐疑心

 カージュの街の外れ。

 川を上流へと辿った小高い場所に、一軒の家が建っている。


 この見た目に暖かな木造家屋は、一人の男が片手間に建てたものだ。

 本職ではないにも関わらず、こつこつと。


 一見すると簡素な家でも、下地はモルタルや石材でしっかり補強がなされている。

 さりげなく耐久性も気密性も確保しつつ、そう感じさせない丁寧な仕事ぶりは、男の堅実な内面が反映された結果だった。


 満足する家の完成後、男は想い人へ婚姻を申し出た。

 晴れて夫婦となった二人は以降、この家へ移り住み、間もなく十年目を迎えようとしていた。

 子宝にも恵まれ、息子は八つとなった。


 冒険者稼業から足を洗い、現在は王宮勤め。

 明日からは聖女の護衛という大役を控えた男は、今は息子と共に山で息を潜めている。




「……落ち着いてよく狙え、ベリド」


 獲物から目を離さずにジェイが囁きかけると、息子であるベリドは僅かに首肯した。


 鼻から静かに吐き出した息を止め、引き絞った矢をベリドが放つ。

 短弓から飛び立った矢は、見事に老木の枝で羽を休める鳥を射抜いた。


「――やった!」


 弾けたように振り向く息子の頭をポンと叩き、草陰から身を起こすジェイ。

 二人で狩った獲物のもとへ向かう。


 川へ移動したのち、ベリドは獲物の血抜きを行った。

 教えを忠実に守る、真剣な眼差しの息子をジェイは黙って見つめる。

 冒険者をやっていた頃には、得られなかった充足に浸りながら。


 ジェイは冒険者に満足していなかったわけではない。

 命の危機を感じる瞬間に幾度も遭遇しつつ、それを乗り越え手にした報酬や発見は魅力に溢れていた。

 毎日が刺激的で、“生きている”ことを強く実感できた。


 ただ、時の流れに沿って人の考えはゆるやかに移行する。

 ジェイにとって大切なものも変化していく。


「おかえりなさい、ジェイ。ベリドもいい顔してるわね。少しは理想の師弟になってきたんじゃない?」


 帰ればこうして最愛の妻に迎えられ。

 隣では、自慢の息子が誇らしげに獲物を掲げて笑っている。


「……いいや。まだまだ、だな」

「えー!?」

「あらあら、相変わらず厳しいわね。さ、早くお風呂で温まってきて。ベリドもお父さんと一緒にね」


 これ以上の幸福は存在しないと確信していた。

 もしこの生活を脅かすものがいたとしたら、それがたとえ“神”でもジェイは容赦しないだろう。




 入浴と食事を終え、ベリドは眠りについた。


 暖炉の炎のみが赤くちらちらと輝くリビングで、妻のピカとソファに腰かけ、ジェイは度数の低い酒が入ったカップを傾ける。


 好きな酒も嗜む程度に抑える癖があり、ジェイが酔うような場面は長年連れ添うピカでさえ一度も見たことがない。


「……危険なの? 明日からの仕事」

「そうだな……正直、わからないといったところだ」


 口をつけたカップに目を落とし、素直に心情を吐露するジェイ。

 彼と同じく、元は冒険者であったピカだ。

 危険な仕事だとして、最後まで隠し通せるとはジェイも思っていなかった。


「だが、預かる兵士の練度は高い。移動ルートもある程度融通を利かせてもらえるから、東の森林地帯を抜けていくつもりでいる」

「ふふ。“森林渡し”の本領発揮ね? ……あの森、今は“ファイア・サンド”という盗賊達が根城にしてるらしいわ。魔物は以前と変わりないけど、たまに“巨鬼オーガ”の目撃情報もあるみたいだから気をつけて」


 一息に現状を解説し、ピカはカップをあおる。

 片眉を吊り上げ、ジェイが問う。


「その話、ギルドで?」

「ええ。みんな親切よ。あなたのこと気にかけてたから、たまには顔を出したら?」


 カージュの街から岩山に眠る多くの遺跡へ向かう道中、広大な森がある。

 慣れた冒険者なら準備運動感覚で通り抜けるものだが、同じような光景が続き、頻繁に濃霧も発生するこの森は迷いやすい。


 特に冒険者登録を済ませたばかりの新人にとって例外なく難所であり、自然や森林に明るいジェイは幾度となく新米を導いた過去があった。

 結果、寡黙な男ながらいつしか“森林渡し”と慕われていたのである。


 現在は遺跡での採掘や魔物退治を専門とする、いわゆる中級以上の冒険者でも、駆け出しの頃ジェイの世話になった者はそれなりの数がいるのだ。


「……そうだな。この仕事がおわったら、そうするかな」

「ま、私もそれほど心配してないけれど。冒険者や傭兵に比べればずっと安全なはずよ。そうでしょ? あなたを王宮に誘ってくれた人、なんて名前だったかしら。ええと……」

「“レグルス”」


 ジェイが呟くと、ピカは両手をぽんと打った。


「そうそう。そのレグルスさんも今度家に招待したら? 食事くらいお礼しなくちゃ」

「ああ……考えておく。そろそろ休むよ、ピカ」

「そ。おやすみ、ジェイ。私はもう一杯やってから」


 ソファから立ち上がり、ピカと口づけを交わし、ジェイはリビングを離れる。

 寝室で寝具に身を横たえても、なかなか睡魔はやってこなかった。


 微量の不安が胸にあるせいだ。

 不安の種が何であるのかも、ジェイはわかっている。


 たしかに王宮勤めとなって生活は安定した。

 家族と過ごす時間も増やすことができた。

 さっそくの獣人との火種は予測出来なかったものの、もし戦争になれば冒険者をやっていても無関係ではいられない。


 その点において他人を責める気はなかった。


 だが――。


「……レグルス」


 あの男の目的が未だにわからない。

 そこが不明である以上、レグルスという人物自体にモヤがかかったような不気味さを払拭出来ない。


 まあいい、とジェイは寝返りを打つ。

 レグルスが何者であれ、王宮ではただの庭師に過ぎないのだ。

 大それた行動も、此度の遠征で顔を合わせることもないだろう。


 結論づける内に、いつしかジェイは眠りに落ちていた。



◇◇◇



 朝陽も登らない時分より、王宮の庭園に用意された三輌の馬車を点検する。

 一輌につき最大八名が乗車可能。

 事前に聞いていた通りだった。


 間もなくやってきたセリンと共に、あらためて遠征行程を擦り合わせる。


「……兵員は十四名。七名ずつを前後の馬車に乗せ、中央に二名の聖女とセリン様。そして私も同乗させていただきます」

「うん。それで構わない。しかし、こう……なんというか丸わかりだな」

「五輌は欲しかったですね。たしかに側面からど真ん中を強襲される可能性はありますが、私とセリン様で十分対処出来るかと」


 前後の車輌に要人を乗せるのは、たとえ虚をつく目的であろうともあり得ない。

 もし要望通りに五輌の馬車を用意してもらえれば、ジェイは中央三輌の乗員を、聖女含め定期的に入れ替えるつもりだった。


「皆、聞いた通りだ。今回の遠征、指揮はジェイに執ってもらう。密な連携を望む」


 整列する兵士へ手短に言い含め、セリンは立ち位置をジェイに譲った。

 十四名の兵士を真っ直ぐに見渡すジェイ。


「よし、全員乗車。モズ、セッカ、三十分毎に状況報告。走行中はハンドサインだ」


 整然と馬車に乗り込む兵士達を見守り、ジェイはセリンに対し頷いた。


 兵士の落ち着いた行動は、もちろん日頃の訓練の賜物ではあったが、セリンの存在も相応に大きい。

“騎士”に問われる資質は様々だが、もっともわかりやすく、誰もが認めるものとしてはその圧倒的な武力が挙げられる。


 実戦を経験していなくとも、兵士ならば一度は訓練等で騎士の剣技を目の当たりにする。

 そして、ある者は簡単には埋められない実力差を思い知り絶望する。

 ある者は、騎士の庇護下にある己の立場に絶大な安心感を抱く。


 ジェイも例外ではない。

 教導の試練、それがセリンとの手合わせだった。

 手も足も出なかった。

 そんな初めての経験を通じ、少なくとも実力に関してジェイがセリンを疑うことはない。


 ルート上の野盗も魔物も、脅威に思わなくなるほどには信頼しているのだ。


 ただ……と考え込み、ジェイは顔を伏せた。

 護衛対象は国の宝と言える聖女、それも二人。

 最初こそ過剰にも思えたが、果たして護衛の戦力として自分達は適正なのかと疑問が残る。


「……本来なら、魔術師の一人くらいは同行してもいい案件だと私も思う」


 心境を察したかのようなセリンの言葉に、ジェイも応じる。


「――“破軍”。本当に存在するんですか?」


 騎士以上に、魔術師の世界は才能がすべてだと言われている。

 希少な存在である魔術師は、冒険者の間でも重宝されてきた。


 日常生活に役立つ魔術や、冒険のサポートに適した魔術。

 多様な魔術はあれど、対象に直接損傷を与える“攻魔術”の使い手となればそうそうお目にかかることはない。


“群攻魔術”など一生に一度見る機会があるかという話で、さらに上には一軍にも比肩する戦略級の魔術もあると噂されている。


 その戦略級の魔術師こそ、通称“破軍”。

 ジェイに言わせれば、ほとんどおとぎ話と同じ部類だった。


「存在するよ。いや……私も会ったことはないが、実戦配置済みだと聞いている。早い話、そのせいでこちらには回せないということだ」

「……なるほど。実在するならある意味、聖女様と同じくらい貴重ですね」

「会ってみたいと思うか?」

「いえ、あまり。経験上、大き過ぎる力を持った人間なんて碌な奴がいなかった」


 セリンは笑い「苦労したんだな」とジェイの肩を叩いた。


 出発の時間が迫り、雑談を切り上げる。

 それと同時、王宮より駆けつける複数の人影を認めた。


「お急ぎください、ヨタ様! もうみなさんお待ちになってます!」

「はあっ、はあっ、まだ、時間、あんだろっ。……んでっ、聖女がっ、アタシが走んなきゃ……っ」


 今回の護衛対象であるカナリー、それにヨタという二名の聖女だろうとジェイも察した。

 時間には間に合っているのだが「申し訳ありません!」と頭を下げるカナリーに、頭の中の聖女像が崩れながらも好感を抱く。


「はぁ……はぁ……くそっ。これがアタシの護衛? こんなショボくせーので守れんのかよ。おい、早く休ませろハゲ!」


 悪態をつくヨタもまた、聖女のイメージとはかけ離れた態度で、開いた口が塞がらないほどジェイを驚かせた。

 しかしそれにも増してジェイが驚愕していたのは、二人の聖女の後ろに見知った男が立っていたからだ。


「……レグルス」

「久しぶりだな、ジェイ。今日からよろしく頼むよ」


 なぜ、この男がいるんだ?

 困惑したジェイは、にこやかな愛想を振りまくレグルスから視線を外し、セリンを見やる。


「ああ……つい先日のことだ。ヨタ様がご自身の護衛にレグルスを指名した。当然、遠征も同行する運びになった。お前にはまだ言っていなかったな」


 聖女の護衛。

 この男が庭師となって、何日目だ?


 レグルスの身体能力は、ジェイもすでに見定めているつもりだった。

 とてもセリンや自分と同じように、護衛を勤められる実力などあるはずがない。

 それがこの短期間でどうやって聖女に取り入ったのだと、驚きが徐々に恐怖へと移り変わる。


「……何をやろうとしている」

「ん? ジェイ、俺はどれに乗ればいい?」


 本当に聞こえなかったのか、あるいはあえて無視したのかジェイに判別は出来なかった。

 レグルスの笑みの奥底に薄ら暗いものを感じて、蛇に絡まれたかの如く足が動かなくなる。


「……聖女様お二人と共に、中央の車輌へ」


 それだけ答えるのが精一杯だった。

 全員が乗り込んだのを確認すると、ジェイは最後に乗車して前後の幌を少し開ける。


 ヨタの隣に座るレグルスは、聖女とずいぶん懇意にしているようだ。

 文句を言いながらヨタはまるで甘えているようにも見え、正面に座るカナリーともレグルスは親しげに話をしている。


 増大していく不安を必死に押さえつけて、ジェイは何度も胸中で繰り返した。


 こいつが何者で、目的が何なのか知る必要がある、と。


 ジェイとて元は冒険者。

 突き詰めれば利己を第一とする主義であり、聖女や騎士とは根本の理念が異なる。


 レグルスを見つめる眼差しからは、自身や家族に不利益をもたらすならば躊躇なく頭を射抜くであろう覚悟がうかがえた。

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