第13話 聖なる焔

 はっきりと、ツティスは声に出して「ふふ」と笑った。

 どこか満足気ですらあった。


「カナリーは気丈に振る舞っていますが、寂しがりな一面もあります。どうぞ支えになってあげてくださいませ」


 困惑する。

 嘘をつくことを本能が拒否したのは確かだ。

 しかしだからといって聖女との逢い引きとも捉えられる事実を馬鹿正直に話せば、やはり処分されるのが妥当に思えた。


 どうして笑っている?

 何を考えている?


 ツティスは眼前のカージュ湖へ向け、語りかけるように言葉を紡ぐ。


「聖女も神職である前に、人間。人であれば、他者に愛情を抱くことはごく自然なことでしょう。寛容な水神様がお怒りになるなどありえない。おかしいと思われませんか?」


 流し目がこちらに送られる。

 ナイフの切っ先を突きつけられたように感じ、身震いした。


「我々のみが、いつまでも古い慣習に囚われたまま。私は聖女の恋も、婚姻も推奨いたします」


 本気……なのか?

 本音だとして、ツティスにその慣習を変えるだけの力があるのか?

 何よりわからないのは。


「……なぜ、俺にそんな話を」

「みな孤独なのですよ。カナリーだけではありません。ヨタも、マヒワも。彼女達は元は孤児です。誰よりも幸福を欲していながら、聖女としてこれまでたくさんの方々を幸せへと導いてきました」


 孤児――そうか。

 だからカナリーは、俺の境遇に共感していたのだ。

 演技でも、同情でもなく。

 あのとき違和感を覚えた、カナリーの表情の意味がようやくわかった。


「幸せを手にする権利。もしそのようなものがあるならば、彼女達にこそ相応しい。そう思いませんか? 私は、聖女の現状を打破したいのです」


 頭ごなしには信じられないが、言いたいことは理解した。

 けれど――。


「答えになっていません。なぜ、俺に声をかけたんですか」


 後ろに控えた騎士の動向を気にしつつ、意を決してたずねたつもりだった。

 フルヘルムが騎士の表情を読ませない。

 しかし尋常でない殺気を放っているこの騎士は、ツティスに対する疑問を口にしただけで剣を抜きかねない。


 少し驚いたように目を白黒させて、直後にツティスは笑う。

 手で口もとを隠し、仕草は上品だが「あはは」とさも可笑しそうに声をあげていた。


「――失礼しました。意外と鈍いのですね、レグルス。彼女達と同じ境遇のあなたにこそ、心を解きほぐす難題をお任せしたいと思ったのですよ」


 俺のことを知っている。

 一度カナリーに聞かせた話だし、“レグルス”の詳細はセリンにだって調べられた。

 ツティスに知られていても不思議じゃない。


 だけど、やはり、おかしい。

 話が出来過ぎてやしないか。


 カナリーを寝取るという目的がある俺にとって、協力の姿勢を見せるツティスは実に都合が良い存在だ。


 俺のことをどこまで知っている?

 本当は“レグルス”という皮をかぶっているだけの男だと気づいている?


 ――……まさかこいつが依頼者か・・・・・・・・


 そうだとしても、理由までは不明だ。

 ただの取り越し苦労かもしれないが、頭の隅には置いておこう。


「礼拝にご熱心な方が王宮で働くことになったと耳にして、一度お話がしたかったのです。お邪魔しました。名残惜しいですが、あとはカナリーに譲りましょう」


 タイミングが良すぎる登場への言い訳じみた説明も、反論の余地は無い。

 散々に圧倒された挙げ句、最後まで余裕綽々に退場させるのは癪にさわった。


 蒼い髪を揺らして去る背中へ、問いかける。


「あなたも、ですか?」

「はい?」

「聖女の心を解きほぐせというのなら、その対象にはあなたも入っているのですか? 婚姻を考えるほど、俺に惚れさせればいいんでしょうか?」


 視界の端で護衛の重厚なメイルが歪み、そしてグリーブすね当てが土を蹴り上げる動きしか見えなかった。


「――が……っ!?」


 抜く姿・・・すら追えず、髪を掴み上げられると同時、俺の喉へ冷えた刃が触れていた。


 死――。

 否応なく意識させられる。


「レグルス……あなたは、あなたの成すべきことを。そんなことでは、とてもヨタを護衛するなど叶いませんよ」


 ツティスが目で促すと、護衛の騎士はあっさり俺を解放して引き下がる。

 恐怖から心臓が異常に脈打ち、情けなくも両手を地につけ四つん這いのまま、立ち去るツティスを見送った。


「はぁ……はぁ……はは」


 もう二度と呼び止めはしない。

 ツティスが依頼者であろうがそうじゃなかろうが、あれは関わるべきじゃない。


 だいたい、暴いてどうするというんだ。

 正義感か? 絶対に違う。

 好奇心で死ぬ気か?

 馬鹿げてる。


 一人残された憩いの森で、安堵の息を漏らしながら寝転がる。


 実際、ツティスの言う通りだった。

 俺の成すべきこと。

 依頼に応えてカナリーを寝取ること。


 一局に集中しなければ、とても達成できない目的だ。

 失敗すれば未来は閉ざされる。

 それ以外の事象に気を散らすなど、分不相応な寄り道に費やす余裕なんか無かった。


 どこか達観した気持ちで起き上がり、服の汚れを払い落とす。

 カージュ湖に向けイスを設置し直し、腰かける。

 ただ静かに座して、カナリーを待つ。


 ……でも割り切れない思いも、消えずに残ってはいた。


「……ヨタといい、聖女とはなんなんだ」


 いったいツティスのどこが魅力に映るのか、宿屋の娘を問い詰めたい気分だ。



◇◇◇



「レグルスさーん!」


 湖が赤く染まりきった頃、今度こそ待ち人の声が聞こえて立ち上がる。

 ローブの裾を持ち上げ、急ぎ足のカナリーを、こちらからも歩み寄って迎える。


「ごめんなさい、お待ちになられましたよね」

「いえ、来てくださっただけで十分です」


 念のため周囲を見渡して、あらためてカナリーへ笑いかける。


「嬉しいよ、ありがとう」


 俺の台詞がよほど琴線に触れたのか。

 カナリーは感極まった様子で、にっこりと微笑んだ。


「はい……!」




 カナリーが抱えてきた茶器と茶菓子をテーブルに並べ、隣同士に設置したイスへ二人して座った。


 風で穏やかに揺れる湖の波。

 直前まで得体の知れない女と会っていたせいか、こんななんでもない静寂が心地いいと感じる。


「話題、いろいろ考えてきたはずなのですが……いざこうしてみるとうまく出てきませんね」

「無理に話題を探さなくてもいい。俺はただ、こうしているだけでも楽しいよ」


 ごく自然に流れ出る言葉に、これも本心に近い感情だと気づいた。


 そう、話していると楽なのだ。

 ツティスなどより、ずっと。


 依頼が無ければ知り合うこともなかった。

 あくまで仕事のために近づいて、理解を深めていくにつれ、策略や計算はあまり効果がないと近頃は思い始めている。


 寝取りを生業とするには失格かもしれない。

 そしてそんな考えに至らせるカナリーは、“寝取り屋”にとっては怖い存在なのだろう。


 茶菓子に手をつけ、自慢なのだと言う茶を飲んでみる。

 ほんのりと果実が香る、モアの淹れる茶によく似ていた。


「庭師のおじいさんから教えていただいたのです。セリンにも好評なんですよ?」


 少しの違和感を覚えながら、相槌を打つ。

 けれど何に違和を感じるのかまでは、考えが至らない。


 ともかく、今のままでは無理だ。

 すべてを取り繕ったままカナリーを落とすのは。


「……少し、俺のことを話しても?」

「ええ、もちろん。聞かせていただけるなら、お聞きしたいです」


 もっと剥き出しの感情でぶつからなければ、きっと心には響かない。

 自分でも見たくない、俺の生々しい部分を曝さなければ、きっと。


「騎士を目指して傭兵になった話はしたよな? ……セリンに言われるまでもなく、俺には過ぎた夢だなんてこと、本当はわかってたんだ」


 掠れた声のまま、格好もつけない。

 頭の中は空に近く、何もはからないただの自分語り。


「俺に剣の才能なんか無い。ジェイのように、誰かを指揮する頭も。肩を怪我しなくたって、戦場に居場所は無いってわかってた。騎士になれるなんて俺自身が思っちゃいなかった」


 肩の力も抜けきって。

 有象無象の小石を拾い、手のひらの上で転がす。


「だから、本来の俺は……カナリー。あんたや、王宮で働く者達と肩を並べられるような人間じゃない」


 情けない話だ。

 どのツラ下げて、聖女様との痴情にもつれ込むつもりだ。

 格好悪すぎて、方針を誤ったかもなと自嘲するが、ここまで話したならどうでもいいかと開き直りの心境に落ち着く。


 鮮やかな夕焼けも、愛想を尽かしたように沈んでいく。

 頭上はすっかり暗く、無数の星々がちっぽけな存在を肴に嘲っているようだ。


 カナリーは長らく言葉を発さなかった。

 否定や慰めを簡単に置かないのは流石だな、と感心する。

 俺なんかよりよほど人心に敏感なんだろう。

 ある意味救われた気分だが、やはり“レグルス”の理想像と現実との乖離に落胆してるのかもしれない。


「……お気持ちは、わかります」


 静かな声音で、カナリーは夜空に白い息を溶け込ませた。


 以前は反発した台詞だが、今ならわかる。

 たしかにカナリーにも重なる部分があるのだろう。


「わたしは孤児院で育ちました。それこそ取り柄なんかなんにも無くて、姉妹や兄弟の話を聞くのだけが毎日の楽しみでした」


 ツティスから聞いていた過去だ。

 ただし、出生は似ていたとしても現状は大きく異なる。


「ツティス様が見出してくださらなければ、“神託の巫女”や“聖女”だなんて未来は思い描きもしませんでした」


 ツティスが、見出した?

 それは初耳だ。

 詳しく経緯を聞きたい気もするが、今日この夜はそんな時間じゃないなと思い直す。


「今では誰もが認める立派な聖女だ。なんの努力も無しに出来ることじゃない。誇っていいんじゃないか? 俺とは違うよ」

「同じです。レグルスさんも、努力を重ねてきたでしょう?」


 ああ、この手か。

 同年代の人間より何倍も剣を振った自覚はある。

 いくら修練しようが身につかないんだから、仕方なかった。


「……時間を無駄にしただけだ。あんたは努力を実らせ、成功を掴んだ。俺は失敗した。それだけの話さ」

「人は、必ず誰かの影響を受けて生きている。わたしもそうです。そして同時に、少なからず誰かに影響を与えていると……そう思っています」


 聖女なんて、その例の最たるものの一つだろう。

 カナリーが聖女として、民衆に光を与えてきたことは疑うべくもない。


「レグルスさん、“価値のある生”とは、なんでしょうか」


 いきなりだな。

 そんなの人それぞれとしか言いようがないが、答えの無い謎解きに付き合ってみるのも悪くない。

 普遍的なものなら、多くの人間にも当てはまるだろう。


「そうだな……まあ、誰だって豊かに過ごしたいだろう。金か? 名声や、権力。男ならその辺に価値を見出すかな」

「ええ。それらは、他者の評価によって成り立つものではないでしょうか。わたしは、誰かに影響を与える生き方こそ価値があると思っています」

「なるほど。つまり、さっきの話か」


 微笑み、頷いてカナリーは続ける。


「……セリンが前に、言っていました。長い時間を剣に捧げてきたこと。自分よりも剣に真摯でありながら、挫折や落命によって道を断たれた者。自分はそういった人達の想いを背負っているのだと」

「セリンが……?」

「はい。彼女は元傭兵です。貴族の生まれではありません。だからきっと、レグルスさんにあえて厳しい口調で接したのでしょう」


 そうか。

 傭兵が騎士に取り立てられる。

 そんな夢物語を叶えた人間が実在したのか。


 しかし話を聞けば、ますます気落ちするだけだ。

 光はより、輝く。

 影は色濃く、黒く。


「やっぱり俺とは何もかもが違う」

「いいえ、同じです。レグルスさんの積み重ねた思いは、誰かの道標になったはずです。その努力する姿に、感銘を受けて糧にした人が必ずいるのです」


 どうかな。

 自分のことで精一杯で、思い当たる節は無いが……。


「やけに自信満々に力説するんだな?」

「だって証明できますから。わたしが、そうですから。レグルスさんに会えて、こうして時間を割いてもらえて……本当に嬉しい」


 風に流れる金の髪が、夜闇に笑顔を際立たせる。

 瑞々しい大きな瞳には、言葉を詰まらせた男が映っていた。

 瞬間、確実に何かを奪われたと感じて――。


 とっさに顔をそむけた。


「……あの。わたし達、お友達になれませんか?」


 願ってもない申し出なのに、なぜか返答が滑らかに出てこない。

 原因は、考えたくもない。


「そうだな……一つ条件がある」

「条件?」

「あんたも、俺と二人のときにはその口調をやめてくれ」


“聖女”じゃなく“カナリー”としてなら。

 そう条件をつけた。


 カナリーはきょとんと呆けたのち、少し頬を染めて、咳払いをする。


「え……と。久しぶりで慣れないから、恥ずかしいのですが――……。わかった。こ、これからもよろしくね? レグルス」


 あまりに辿々しく顔色をうかがってくるものだから、思わず吹き出してしまった。


「な――ど、どうして笑うの? 変? 変だった?」

「……いや、悪い。あらためて、俺の方こそよろしくな、カナリー」

「う、うん。……王宮に来て、はじめてのお友達……」


 年相応の顔で含み笑いをするカナリーの姿なんて、もちろん見るのは初めてだ。

 依頼達成に大きく前進したはずなのに、心臓が握り潰されそうなほど苦しかった。


「さて、そろそろお開きの時間かな」

「あ……そ、そうだね。わたしも戻らないと。明日は、あなたも一緒に来る……よね?」

「ああ。ヨタ様の護衛として。……それはそうと、カナリー?」

「ん、なに?」

「さっきまでのあんた、俺には初めてちゃんとした聖女様に見えたよ」


 後ろ暗い男にも突き刺さる、まぎれもなく立派な説教だった。

「ひどい」と憤慨しつつも、笑うカナリー。


 まだ俺はちゃんと笑えているだろうか。

 顔を隠すように急いで茶器やイスを片付けて、先に向けた背へ声がかかる。


「レグルス。また、二人で話をしようね」

「……ああ、また。必ずな」


 足早に立ち去る。

 早く。

 早く離れたくて。


 こんなはずじゃなかった。

 だけど、そもそもその考えが甘かった。

 自分は何も失わずに、カナリーのすべてを奪おうだなんて虫が良すぎた。


 理解したのは、カナリーはやはり俺の未来に差した光に違いないということ。

 近づけば近づくほど心は焼かれ、焼失する覚悟も固めなければならなくなった……ということ。

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