第9話 闇と影

 しょうがなくベッドまで寄っていって皮袋を差し出すと、ヨタはそれを乱雑に奪い取る。

 そしてわし掴みにした果実へ、さっそくとばかり齧りついた。

 果汁が、ヨタの太ももにポタポタと滴り落ちる。


 遮光されてどんよりと暗く、どことなく湿り気を帯びた部屋に充満する、柑橘の香り。


「はぐ……んぐっ……あに見てんだよ」

「いえ。聖女にも色々な方がおられるのだな、と」


 するとヨタは食いかけの果実を振りかぶり、思いきり俺へ向かって投げつける。

 胸で受けた果実が落下する前にキャッチしたものの、おかげで手のひらがべっとり濡れてしまった。


「誰と比べて? ツティス? カナリー? 顔だけでチヤホヤされるアイツらとはそりゃ違う。……てかオマエ、生意気な目してんな。そこ座れよ」


 この女も十分、男に好かれそうな顔をしていると思うが。

 カナリーやツティスのような例外と比べるのは酷というものだろう。


 そもそも行動を見ていれば、ヨタの問題が顔じゃないことくらい子供でもわかる。


「アタシは人形じゃない。誰の思い通りにもなんない。ムカつくんだよアイツらも、オマエも……! 死ねばいいのにね。ホントくだんない」


 些細な一言が逆鱗に触れてしまったのか、ヨタは支離滅裂に自身の感情をまくし立てているように見えた。

 よほど不満が募っているらしい。


「あ〜どいつもこいつも……くそっ、くそっ……!」


 今回の依頼について、考えていたことがある。

 話を持ってきたのはあの素性の知れない男だが、依頼者本人とは限らない。


“聖女”が男に堕ちて、得をする者。


 最初は敵国の主要人物だろうかなどと壮大な陰謀も妄想したが、ヨタのようにカナリー個人へ憎しみを抱く者である可能性も十分高い。


 まあ、依頼者の素性を探るなんてもちろん厳禁な行為だろう。

 想像するだけにとどめておく。


「……おい。アタシは“座れ”って言ったんだよ? 兵士呼んでオマエの人生終わらせてやろうか?」


 それにしても、こんなとんでもない聖女様がいたとはな。


 俺はなぜか込みあがる笑みを抑えきれなくなって、ヨタの目前で床に腰を落としてあぐらをかいた。

 持ったままだった食べかけの果実にかぶりつき、遠慮なく咀嚼する。


「アンタ何やってんの……? アタシを馬鹿にしてんだ……そうなんだ……」


 怒りに打ち震えた様子で、ヨタは片足を持ちあげた。

 足裏が、咀嚼を続ける俺の頬へ押し当てられる。


 ここまでされて嫌悪の感情は沸いてこない。

 理由は目だ。

 これほど横柄に振る舞いながら、ヨタの瞳に侮蔑や嘲笑の色は無かった。


 どころか、まるですべてを羨んで、嫉妬するかのような眼差し。

 もし俺に嫌いな鏡を眺める習慣でもあったなら、たぶん同じ目をしているんだろうと思わせた。


「舐めろ。卑しく、慈しみを込めて。出来ないならオマエを殺す」


 本当は知っているはずだ。

 世の中思い通りにいかないことばかりだって。

 俺みたいな人間一人、満足に従わせることも出来なくて、だから苛立ちを隠せない。


 手のひらに残る果汁へ舌を這わせ、ヨタの足首を掴んだ。

 そのまま柔らかなふくらはぎへと指を滑らせて、果汁と唾液のべたつく汚れをレースのタイツに擦りつける。


「く……ッ! 誰か!! 今すぐコイツを――」

「まあ落ち着けよ、騒ぐな」


 おまえのことは嫌いじゃないが、主導権を握らせてやるわけにはいかない。

 だが“この女は使える”と直感が告げていた。


「カナリーの部屋を教えてくれないか? たぶん、あんたにとっても悪い話じゃない」

「……な――……。なんなの……? オマエ、だれ?」


 不可解な人間を前にした怯えか、わずかに表情を強張らせるヨタ。

 自分の使命、そして行動がどんな結末をもたらすのか再度自覚する意味合いも込め、名乗る。


「俺はレグルス。協力すれば、カナリーが地べたに墜ちる様をきっと見せてやる」


 俺がやろうとしてることは、冗談ではなくそういうことなのだ。

 善人を気取ってなんになる。

 なりふり構わず突き進むしかない。


 眉間にしわを寄せ、吟味するような視線を長らく俺に向けたのち、ヨタは足を引っ込めた。

 ガーターベルトの留め具を外し、汚れたタイツに指をかけながら、消え入りそうな声で呟く。


「…………出てってよ」


 駄目か。

 けど迷いは見せていた。

 こちらに傾いてくれる希望はある。


「……気が変わったら、いつでも声をかけてくれ」


 強引さも時には必要だが、それ一辺倒でうまくいくなら苦労はしない。

 ともかくヨタに関しては焦らず、接触してくる機会を待つとしよう。




 長い時間を空けて仕事に戻ったというのに、モアは俺を咎めたりはしなかった。

 言い訳を色々考えていたのだが、謝罪をするだけにとどめた。


 思うに……新人である俺を、モアなりに気遣っているのかもしれない。

 表情が固定されすぎて心中はまるで読めないが、カナリーが言っていたように“弟子が欲しい”一心なのだとしたら。


 そうだとしても、どのみち謝ることしか出来ないな。

 残念だが弟子は他を当たってくれ。


 赤く陽が落ちる庭園で、仕事道具を片づけるモアの後ろ姿を見やる。

 丸い背中が、やけに小さく感じる。

 祖父と孫ほども歳は離れているだろうが、ふいに父親を連想した。


 馬鹿げた思考に、自己嫌悪の息をもらす。

 疲れてるのか? 本当、どうかしてる。


「……そういえば、さっきカナリー様がお前をたずねていらしたぞ」

「え――?」


 モアの不意打ち発言に、運んでいた剪定鋏を取り落としそうになった。


「い、いつ!?」

「お前が果実を持っていって、間もなくだったか。すぐ戻るはずだとお伝えしたら、しばらくそこでお茶を飲まれていたが」


 モアの視線を追って振り返ると、木々に囲まれた白いテーブルとイスがある。

 カージュ湖が見渡せる、休憩にも使う場所。


 あそこにカナリーが。

 俺の戻りがあまりに遅いものだから、痺れを切らして帰ってしまったのだ。

 気分を害してしまったんじゃないか?


 単純なミスに、歯を噛みしめる。

 このくらい想定して、せめて伝言でも残しておけば。

 昨日の今日どころか、まさか今朝の話をすぐ実行に移すとは思わなかった。


 聖女も決して暇ではないはずだ。

 単にカナリーの行動力が図抜けているのか、それとも。

 ……それとも、俺が思うよりもずっと、カナリーの心は揺れ動いているのだろうか。


 右手で頬を張り、乾いた音を響かせる。


 時は戻せないんだ、頭を切り替えろ。

 まずは謝罪、それしかない。

 カナリーが想像通りの人柄なら、おそらく許してはもらえると信じる。


「……明日、休んでもいいぞ」

「え? いえ、大丈夫です。仕事もまだ全然覚えてないですから」


 やはり気を遣われているんだな。

 厳しい職人気質のジジイなんかじゃなく、たとえば孫に甘い好好爺のような印象が強くなってきた。


 剪定鋏を抱え直そうとして、ふと動きを止める。


 違うだろう。

 時間が無いんだ。

 俺がやるべきことは庭師見習いとして仕事に励むことではなく、カナリーを口説き落とすこと。


 集めた情報は逐一整理して、問題を的確に処理しろ。

 そうでなければ、とても残日数で寝取りなんて間に合わない。


「あの。やっぱりお言葉に甘えて明日、休んでも?」


 たしかに、明日もカナリーはここへ来てくれるかもしれない。

 しかし結局は可能性の話だ。

 確実に会える方法があるのなら、選択するべきはそっちだ。


 無言で頷くモアへ礼を言い、それからは片づけに専念した。


 どうにも、息が上がるな。

 仕事自体はそうでもないと思っていたのだが、長らく労働から離れていた現実がある。

 王宮なんていう、慣れない環境に身を置いたことも関係してるだろう。


 さらには宮殿への侵入。

 四人の聖女それぞれの立場、置かれた状況の理解と見極め。

 誰を利用出来そうか。

 どのようにカナリーへ迫るのか。


 考えることも山ほどあった。


 すっかり暗くなった頃に宿へ戻った俺は、想像以上に疲弊していたらしかった。

 一階のテーブルでうなだれていると、宿の娘が心配そうに夕食を出してくれる。


「お疲れみたいですね。ゆっくり寝ないと、疲れ取れませんよ」

「……そうだな。食べたら休ませてもらうよ、ありがとう」


 ここ最近は日課と化していた、聖女の情報収集を兼ねた雑談もそこそこに、早々と部屋に戻って眠りについたのだった。

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