第10話 神罰

 夜明け後、身支度を済ませ一階へ降りてくると、宿の娘がテーブルやイスを布巾で磨いていた。


「おはようございます。あれ? お客さん、今日はお仕事はお休みって言ってませんでした?」


 まだ暖炉に火も入っていない状態で、寒いだろうに指先も赤くなっている。


 率直に感心する。

 仕事の姿勢として、模範にするべきだと。

“仕事”で結果を残せなければ、“死”と同義の結末が待っている俺は特に。


「せっかく早起きしたからちょっと出かけてくる。たまには敬虔な祈りでも捧げてみようかと――」

「ツティス様の礼拝ですかっ!?」


 イスの背に手をかけ、身を乗り出して食いついてくる娘の執念というか盲信に、少し腰が引ける。


「い、いや誰の礼拝に参加するかは決めていない。……そういえば、ヨタという聖女は知ってるか?」

「それはもちろん! ヨタ様といえばちょっぴり気弱な感じですよね、か細いというか……。あ。でも男性ならやっぱり、放っておけない! みたいな気持ちになっちゃうんですかね?」

「ん……? ん、まあ……そう、なのかな」


 気弱で、か細い?

 誰の話だろうかそれは。

 足が悪いと言っていたあの聖女――マヒワと思い違いをしてるんじゃないか?


「あーあ。あたしも久しぶりに礼拝、行きたいなぁ」


 イスから膝を下ろすと、体を大きく伸ばしながら娘は呟いた。


 行けばいいだろう、などと無責任に言い放つほど愚かじゃない。

 宿の店主が戻らないのであれば、娘が店を仕切る他ないわけだ。


「休みは取れてるのか? 臨時で人を雇ってみるのもいいんじゃないか」

「正直へとへとですけど、仕事を教える手間とか考えると乗り気しないです。今日にもお父さん、帰ってくるかもしれないですし……」


 たしかに。

 明確に期限が決められない以上、募集したとて働く方も困るだろうな。

 いっそ臨時ではなく、恒常的に人手を増やすのも案だとは思うが。


 俺が決めることじゃない。

 売上との兼ね合いもあるだろう。

 出過ぎた意見はせず、宿を出ることにする。


「いってらっしゃい! ツティス様の礼拝に参加されたら、あたしの分もお祈りしてきてくださいね!」


 効果があるのかそれは。

 片手をあげて応じ、扉を閉めた。


 風は日に日に冷たくなっていると感じ、白い息を自身の手に吐きかける。

 指の腹の一部が、乾燥してわずかに裂けていた。


 水仕事なんて一切してなくてもこれだ。


「…………」


 帰還出来ず、どこぞに取り残された商隊……か。

 そんなものがあるのなら、セリン辺りの耳には入ってるかもしれないな。



◇◇◇



 礼拝に並ぶ人の列は、いつもに比べると少し短いように思えた。

 それでもカナリーやツティスの礼拝は盛況だが、ちょっとした違和感を覚える。


「おお。お前さん久しぶりじゃのう!」


 三列ほど前で振り向いたジジイが、後ろの人間にわざわざ順番を譲ってこちらへ近づいてくる。

 ぼろ切れを着た、物乞い風のジジイだ。


「その様子じゃあ、すっかりカナリー様の虜になったようじゃな」


 そういえば、最初にカナリーのことを教えてくれたのもこのジイさんだったな。


 俺の目前に身を割り込ませ、寒そうに肩をすぼめるジジイ。

 なんの気なしにたずねる。


「……なぁ。たとえば聖女に手を出したら、どうなるんだ?」


 小刻みに擦り合わせていた両手をぴたりと止め、ジジイがゆっくり振り返った。


「やめておけ。入れ込むのは結構じゃが、身の丈に合わん欲など抱くな。こうして毎日のように話が出来るだけでもありがたいことじゃろ?」


 老い先短いジジイにしてみればそれで満足なのだろうが、こっちはそうもいかない。

 今後の生活や、金や、命が懸かってる。


「具体的にどうなるか知りたいんだよ。前例くらいありそうなもんだが」

「知らんな。あったとしても公に求愛などする馬鹿はいまいて。噂程度なら聞いたこともあるがの。投獄されただの、追放されただの。他にも――。……ま、ろくな噂がないことは確かじゃ」


 聖女にこっそり恋慕や情欲をぶつけようとした者がいてもおかしくはない。

 しかしいたとしても、その後どう処理されるかは公表していないということか。


 要するに、公表するには利点が乏しいと。

 同じような輩に対する抑止は望めるだろうが、それ以上の不利益があると判断してるわけだ。


 もし重い罰則が科せられるとするならば。

 たしかに、礼拝にも影響が出てくるかもしれない。


 聖女は揃いも揃ってハイレベルな外見だ。

 実際に行動には移さないまでも、ほのかな恋心くらいは抱く男も多いだろう。

 そういった者達まで足を遠ざけてしまうと、礼拝のみならず、引いては国の骨幹である水神信仰が揺らいでしまう可能性すらある。


 そんなことで揺らぐ信仰心が本物なのかという疑問はさておき、繋ぎ止めておきたいはずだ。

 たとえ偶像に群がる有象無象だとしても。

 男の内、少なくない割合を占める冒険者や傭兵は国にとって欠かせない存在なのだから。


「聖女……神託の巫女様は、名が示す通り水神様へ操を立てておるんじゃ。ゆめゆめ忘れるでないぞ。――おお、カナリー様!」


 気づけば列の最前に立っていた。

 喜び勇んでカナリーへと歩み寄る、ジジイの背中を見送る。

 カナリーは、いつも通り裏表を感じさせない笑顔でジジイを迎え入れる。


 さっきの、俺の考察が正しいと仮定するなら。

 聖女へと不貞を企てた輩は、やはり重罪人として処理される。

 下手をすれば処刑――……も、あり得るか。


“神から奪え”とあの男は言った。

 神の所有物に手をつける愚かな人間には、相応の罰が下されるってわけだ。


 空に雲がかかったのか、ふいに足元へ広がる影が途方もない落とし穴のように思えた。

 近頃は安堵さえ覚えていたカナリーの微笑みに、足がすくんだ。


「…………っ」


 臆してどうする。

 依頼を受ける前は、命なんかに執着はしてなかっただろう。


 けれどやっと見つけた俺の居場所だ。

 俺は、俺にしか出来ない仕事で名を売っていくと決めたんだ。

 まだ生きていたい。

 成し遂げるまで執着したい。


 そのためには、依頼を成功に導くのは大前提で、加えて捕まらないように立ち回る必要がある。

 名を残して死ぬのは、まだ先だ。


「――……では、次の方。なんだレグルスか」


 セリンに呼ばれ、礼拝を終えて上機嫌なジジイとすれ違う。


 第一声に、なんと台詞を発するのかも決められないまま、カナリーと相対する。

 唾を飲み込み、伏せていた顔をあげる。


 カナリーは思いきり不機嫌をあらわにしていた。

 子供っぽく頬を丸くさせ、かと思えばフッと息を吐き出して柔らかく笑う。


「もう……そんなに怯えないでください。冗談ですから。お仕事、頑張ってらっしゃるんですね」


 昨日、庭園にいなかったことを咎める気はないようだった。


「そうか……。それなら、よかったよ」


 心底から出た言葉。

 俺が返した笑みは、引きつってなかっただろうか。


 大丈夫、大丈夫だ。

 きっとうまくやれる。

 何度も己へ言い聞かせ、カナリーと一緒に長椅子へ腰かけた。




 会話はしていた。

 だが内容はほとんど記憶にない。

 いつになく口も頭も回らず、空返事のような相槌を打つだけに終始してしまっていた。


 ふとカナリーが、自らの両肩を抱くような仕草を取る。


「今日は冷えますね」

「あ……ああ、たしかに。そうだな」


 俺は寒さも忘れていたらしい。

 わざわざ寒いと訴えてくれたのだから、何か気を利かせるべきだ。


 手を握るのは躊躇われたので、ひとまず外套でも肩にかけてやろうと考え、袖を抜くために腰を浮かせた。


「レグルスさんと、色々お話ししてみたかったんです。こちらを離れる前に」

「離れる……?」

「はい、実はわたしもお仕事がありまして。十日間ほど王宮を離れます。カージュ湖を眺めながら、一度ゆったりお喋りしてみたかったのですが……」


 仕事で、十日? 十日だって?

 依頼を受けてからすでに半月が経過している。

 ここで十日もカナリーと会えなくなれば、寝取りどころの話じゃない。


 発言も少々引っかかる。

 こちらの事情などカナリーが知るはずもなし、それならその仕事とやらが終わった後に、いくらでも話くらい出来るはずだ。

 つまり、意味するところは。


「もしかして、その……危険が伴うのか?」


 カナリーは肯定も否定もしなかった。

 ただ、曖昧に微笑んだ。

 内容が気になるところだが、無言をつらぬくということは、そういうことだ。


 俺はどうするべきか。

 いや、そもそも何が出来る?


 所詮“レグルス”だぞ。

 負傷した元傭兵で、最近王宮で働き口を得た男に過ぎない。

 命に関わるような聖女の任務に、同行する資格など持ち合わせていない。


 セリンを仰ぎ見るも、彼女はこちらに目もくれず礼拝堂の奥の何もない空間へ意識を投げていた。


「……いつ出発なんだ?」

「明後日、です」


 手詰まり。

 どうしようもない。


 かくなる上は、まともな手順・・・・・・をすっ飛ばすしかない。


「なら明日、俺の仕事終わりに会わないか。庭園で、カージュ湖を肴にお喋りをしよう」


 そこで強引に手籠めにする決意を固める。

 場合によっては、モアを黙らせる必要も出てくるだろう。


 見るからに表情を明るくさせたカナリーに対し、ふと胸に痛みが走った。


 ふざけるな。

 外道に良心なんかいらない。

 やるしかないんだ。


「でしたら、ちょうど良いお茶菓子があるのです! 明日はそれを持ってわたし――」

「礼拝の最中、失礼致します! こちらにレグルスという男はおられますか!」


 カナリーの言葉を遮る不躾に、セリンがいち早く反応する。

 唐突に名を呼ばれた俺も、騎士らしい出で立ちの男の動向に注目せざるを得なかった。


「君はたしか、ヨタ様の」

「はい。申し訳ありません、セリン様。ヨタ様から“レグルスという男を可及的速やかに連れてくるように”と仰せつかりまして」


 ヨタが? 俺を?

 先日の件でさっそく接触を図ってきたと考えるのが自然だろうか。

 しかし今は――。


 ちらりとカナリーを振り向くと、今しがたの笑みは消え失せ、視線も下へと落ちている。

 強引な流れに持っていけたかもしれないと、期待させる態度だった。


 それだけに、タイミングが悪すぎる。


「なんだ、ヨタ様ともお知り合いだったのか?」


 曖昧にセリンへ頷き、騎士の男へと頼んでみる。


「せめて礼拝が終わってからにしてもらえませんか? それほど時間は残っていませんから」

「それは……困る。今すぐに来てくれ」


 途端に狼狽する騎士の姿に、察する。


 あのヨタの性格だ。

 彼女が“速やかに”と言えば、それ以外に議論の余地も無いのだ。


「急ぎというのだから、よほど大事な用件なのだろう。行けレグルス。カナリー様も構いませんね?」

「ええ、もちろん」


 カナリーが許可してしまっては、俺に逆らう術は残されていない。

 あきらめて立ち上がり、衣服を整える。


「……明日、庭園で待ってるよ」


 小声だが聞こえたはずだ。

 けれどカナリーの表情は乏しく、というより“無”を思わせる冷たさで、彼女の変化の落差に戸惑ってしまった。


 これを嫉妬と捉えるのは早計だろう。

 聖女である前にカナリーも女であり、人間だ。

 決して、普段の明るい一面のみで構成された偶像じゃない。

 その現実をまざまざと見せつけられた形だ。


 裏を返せば、多様な心情を晒せるほど気を許してくれているのは喜ばしいことなのだが。

 実質、あと一日しかカナリーと会える時間が残されていない現状を踏まえると、やはりヨタの接触は時期が悪いと言う他なかった。

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