第7話 揺らぐ水面

「来たか、レグルス。……ん。そちらは?」


 王宮へ繋がる橋の手前で待つセリンが、白い息を吐き出した。

 早朝はとくに寒いだろうに、騎士が自らわざわざ出迎えてくれるとは思わなかった。


「紹介するよ、彼はジェイだ。俺と冒険者のパーティを組んでいる」


 すでに調べはついているんだろう。

 セリンも驚きはしなかったが、連れてきた理由を問うように視線を投げてくる。


「傭兵達の教導の件だ。俺はまだ剣には向き合えないと言ったが、ジェイなら問題ない。それどころか技術も資質も俺よりずっとハイレベルな逸材だ」

「……そうか。王宮の者でもない君が、こちらの事情まで汲んでくれるとは」


 セリンの目が笑っていない。

 出過ぎた行為だと思われたか?

 せっかく信頼を得られそうだったのに、再び疑いを向けられるような事態は避けたい。


「その……王宮での働き口を世話してもらった恩返しができれば、と。俺も何かの役に立ちたかったんだ。勝手な真似をしてすまない」


 素直に頭を下げておく。

 深く息を吐いたセリンは、目もとをほんの少しだけ和らげる。


「いや、責めているわけじゃない。こういう仕事をしていると、どうにも詰問口調が染みついてしまってな。……ジェイ、だな? 優秀な冒険者だと聞いているよ」

「それはどうも」


 セリンに話を振られたジェイは、相変わらずの仏頂面だった。

 もうちょっと愛想よくしてもらいたいものだが、へたに媚びてはこちらの作為を勘繰られそうでもある。

 この場はただうまくいくよう願うしかなかった。


「教導への志願とのことだが、いくつか適正を試させてもらう。まあ、簡単なテストのようなものだ。さておき、今日の本題はまず君の仕事についてだレグルス。二人ともついてきてくれ」


 背を向けたセリンに続き、橋を渡る。

 薄明かりの中、湖面に浮かぶ王宮の丸いシルエットが迫り、まるで敵城へ侵入するかのごとき心境になる。


 まさか聖女を寝取りに来たなんて思惑が露呈しようものなら、どういう扱いを受けるのか。

 前例を知らないが、良くて牢獄行き。

 悪ければ――。


「……おい、話が違うぞ」

「……大丈夫だ。簡単なテストだと言ってただろう。あんたなら問題ないさ」


 ジェイに小声で返して、それきり口をつぐんだ。

 悪いが、今は自分のことで精いっぱいだ。


 極太い二つの柱が打ち立てられた正面口を迂回し、王宮の裏手へと向かう。

 早い時間とあって警護の兵以外ほとんど人に会わなかったが、裏手付近の回廊は使用人や給仕と思しき人間が忙しそうに走り回っていた。

 朝食の準備でもしているんだろう。


 足を止め、見上げる。


 王宮はわりと開放的な作りで、上階には広いバルコニーのようなものも確認できる。

 防備はカージュ湖由来の水堀でまかない、宮殿自体は格調高いステータスを意識した建物と言えそうだ。

 つまり一度王宮の内にさえ入ってしまえば、物理的な障害となりうるものは少ない。


 カナリーの部屋はどの辺りになるのだろうか。

 期限が差し迫り、成果も芳しくない状況になれば夜這いなども考慮しなければならない。

 よじ登れそうなところでも探しておくか。


「レグルス、何をしている。こっちだ」

「……ああ。いま行くよ」


 セリンに呼ばれてしまい、名残惜しさを引きずりながら後を追った。




 陽の光が地上を撫で、緑を鮮やかに浮かび上がらせる。

 奥には湖が控えているため敷地面積は想像ほどではなかったが、十分広大と言える。

 よく手入れされた庭だった。


「王宮の者達にとってここは憩いの場だ。暖かくなればたくさんの花が咲く。私も休息がてら、たまに訪れる」


 刈られた芝は左右対称の幾何学模様を庭園に描き、中心には大きな噴水と四体の彫像が設置されている。

 四体ともが女性像で、ヴェールやフードのような冠りものを身に着けていた。


「彫像のモデルは四人の聖女か?」

「ああ、そうだ。カナリー様は彫像に関してあまり良いお顔をされないがな。向かって左手が訓練場で、右手は果樹園になっている。――おーいモアさん!」


 ふいに大声を発したセリンは、果樹園からこちらへ歩いてくる男に大手を振って存在を知らせる。

 近づくにつれ、背格好や歩法で男が老齢であることがわかった。


「モアさん、昨日話した男だ。鍛えてやってくれ」


 男がセリンに頷きを返す。

 頭髪も、口を覆う髭も真っ白だ。

 深いしわの刻まれた顔は、開眼しているのかもよくわからない。


 セリンが目で促してきたので、歩み出て名乗る。


「……レグルスです。片腕が使えませんが、邪魔にならないよう頑張ります」

「なんだ、まともな言葉遣いも出来るじゃないか。少なくとも王宮内では、カナリー様や私にも一線を引いて接してもらいたい」


 まあ、妥当な戒めだろう。

 周囲の視線もあるだろうからな。


「わかりました。今日は本当にありがとうございます。世話をしてもらった恩は、仕事で返します」

「うん。頑張ってくれ。それと……明日から王宮へ来るときは、この記章を胸にでも装着しておくといい。王宮で働く者の証となる」


 ひし形の記章をセリンから受け取り、頷いた。

 カナリー攻略の道がようやく一歩進んだ気がして、記章を強く握りしめる。


「ではジェイ、君には訓練場を案内しよう」


 ジェイを連れて歩道を進み、セリンが庭園から遠ざかっていく。


 取り残された俺は、モアとかいうジイさんに目を向ける。

 しかし、ジェイよりも喋らないなこの男。

 無口な人間は嫌いじゃないが、とりあえず紹介された仕事はこなさなくては。


 カナリーとの接触は、おいおい隙をうかがいながら狙っていこう。


「モアさん……で、いいですか? それで、俺は何をすれば?」


 たずねるも、モアは何も語らず。

 それどころか背を向け、庭園内を気ままに歩きはじめる。


「あの――……」


 返事くらい出来ないのかこいつ。

 素人には教えることなど何も無いなんてほざく、職人気質なジジイなのだろうか。


 しかたないので黙って後ろをついていった。

 考えてみれば、風当たりの強さなんて気にすることもない。

 慣れてもいるし、目的は庭師に弟子入りすることではないのだ。


 ただ……やっぱり胸糞は悪いな。

 王宮で仕事を持つなんていう、自尊心にまみれた職人なんてこんなもんだろう。




 果樹園の近辺まで来てみると、幹の太い樹木が風よけとなって寒さもいくらかマシになる。

 樹林をさらに奥へ分け入って進む背中に不信感が募ったころ、ようやくモアが足を止めた。


 少し開けた場所だった。

 王宮からの視線が完全に遮断されたそこには、昇ったばかりの陽光が一点に降りそそぎ、簡素な白いテーブルと椅子を照らし出していた。


 木々のすぐ向こうはカージュ湖が広がる絶景で、風が揺らす湖面に思わず見惚れてしまう。

 冷気を纏った白い空気とアクアブルーのさざ波が織りなすコントラストは、飾り気のない寒々とした美しさを感じさせた。


「……いい景色だろう」

「え? ああ……そうですね」


 モアは、テーブルに置かれたティーポットを傾けるとカップに液体を注いだ。

 カップの一つを俺の前へ。


「俺に?」


 頷いて椅子へ腰かけるモアに倣い、ひとまずは俺も座ることにする。

 カップを持ち上げれば、微かに果実が香った。


 茶はひどくぬるくて、寒さを軽減する効果なんて望むべくもない。

 けれどはじめて口にする味に、不思議と気持ちが安らいでいく。


 静寂に包まれた果樹林を見渡し、飽きもせずまたカージュ湖を眺めた。

 湖面に降り立った水鳥が、魚でも捕っているのか必死に水面をついばんでいる。


 いったい何なんだ……この時間は。


 それきりモアは喋らなかったし、結局は茶をすすっているだけでこの日の仕事は終わってしまった。



◇◇◇



 宿の扉を開けると、どうにも中が騒々しい。


「離してくださいっ」

「古臭え宿なんだからサービスくらいしろっての! おら酌しろよ酌!」


 酒瓶を手にした冒険者らしき風情の男が二人、宿屋の娘の腕を掴んで詰め寄っていた。


 酔っているにしても、この街で狼藉を働こうとする輩はめずらしい。

 冒険者や傭兵として稼ごうと、街へ入ったばかりの新参なのかもしれない。


「なにも体で相手しろってんじゃねんだからよぉ! な? お嬢ちゃん、もっとこっち来なって!」

「い、痛いですってば!」


 他の客はいないようだし、そもそも店の親父は何をしてる。

 いつもどこをほっつき歩いてるんだ。


 無用なトラブルを避けるためにも酌くらいしてやれと思うが、かといって放っておくのは忍びない。

 店を出て近くの衛兵でも呼んでくるか。


 踵を返したものの、思いとどまる。


 いや……もっとわかりやすく恩を売るのが正解か。

 娘は聖女にも詳しいわけだ。

 今後何かと頼った際にも、積極的な姿勢で協力してくれれば大きなリターンになる可能性がある。


「……荒事は得意じゃないんだがな」


 あえて口に出し、状況を客観視することによって気を落ち着かせた。


 恐れることはない。

 今の俺はレグルス。

 出入り口の隅で、荷物の中から剣を引っ張り出して腰へ差す。


 震える足もとは見ないように、自分よりも一回り大きな男達の前へ進み出る。

 必要以上に背筋を伸ばし、見せつけるように胸を張った。


「あ――お客さん!」


 俺に気づいた宿屋の娘が、男の手を振り払って背中へと素早く回り込んでくる。


「……お客さんだぁ? なんだよ色男。用心棒か? それともお嬢ちゃんの恋人かぁ? うへへ、それにしちゃ汚えナリしてんなぁ!」

「ちが……っ!? こ、恋人なんかじゃ――」


 ややこしい問答に発展する前に、視線で娘を黙らせた。


「ただの宿の客だよ。騒がれるとゆっくり休めないだろう。こっちは仕事で疲れてるんだ」

「ハ。生意気に帯剣なんぞしやがって、同業か? お坊ちゃんはどんな依頼こなしてきたんでちゅかねぇ!? がはは!」


 冒険者がこんな奴ばかりなら、憧れるなんてこともなかったのにな。


 どうやら引いてくれる気はなさそうで、暴力沙汰になれば勝てる見込みはない。

 一人でも無理なのに相手は二人だ。


 ただ、無様にやられたとしても体を張って庇った事実は娘の胸に残る。

 怪我を負った場合は、カナリーの同情を引くのに使えるかもしれない。


 だから好きにしろ。

 敗北だろうと利用してやる。


 心情の漏れ出た顔が、不敵な笑みにでも映ったのか。

 男の一人が訝しげに俺の胸もとを注視する。


「おい……やめとけ。こいつ、王宮の人間だぞ」

「あ? なんの冗談だよそりゃあ……」


 わずかに顔色を変えて、酒乱の男も記章をまじまじ見つめた。


 こっちはずっとアピールしてたつもりなんだがな。

 多少は思慮の深い連れがいたようで助かる。


「もう出ようぜ。王宮と揉め事起こすのはマズいだろ」

「……ち。ホントはどうだっていいんだよこんなボロ宿。おい色男、せいぜいガキと乳繰り合ってろ」


 酒瓶を叩きつけるようにテーブルへ置くと、男達は乱雑に扉を開けて宿を出ていった。


 もらった記章がさっそく役に立ったか。

 セリン様々だ。


「あのっ。ありがとうございます!」


 おさげの髪を激しく揺らして、何度も頭を下げる娘。

 俺を見上げる眼差しは、虹彩の輝きが増しているようにも思える。


「怪我はしなかったか?」

「はい、おかげさまで大丈夫です。……今のお客さん達、傭兵の登録に街へ来たみたいで。他のお客さんも怖がってみんな帰っちゃって」


 気丈に笑ってはいるが、怖かったのは娘も同じだろう。

 自身の腕を掴む仕草からも、そう読み取れる。


「店主は――父親はどうしたんだ?」

「お店で使うものを色々と仕入れに行ってます。でもいつものルートが使えなくなったから、帰りが遅くなるそうなんです」


 店主自ら仕入れとは。

 どこへ向かったのか知らないが、何か不都合が起きたのだろうか。

 ルートというからには遠方まで出向いてるのかもしれない。


「お父さんのお友達の商人さんが、昼間来て教えてくれました。王宮の部隊が大規模に展開してるから、もしかすると大きな戦争になるかも……って」

「戦争? まさか。獣人と?」

「あたしは、よくわからないですけど……」


 ありえない。とも言い切れないな。

 小競り合い程度は幾度となく発生している。

 もし戦に備えて兵を集めているのだとしたら、さっきの街のルールも知らないような新顔が増えていることも納得はいく。


 一応、それとなくセリンに確認をとろう。


「えと……ところでお客さん、王宮でお仕事してるんですか?」

「あ、ああ。まあ……そうだな。雑用みたいなものだけど」


 雑用どころか、まだろくに作業もしていない。

 にも関わらず、娘は祈るような格好で両手を組むと、大げさに声をあげる。


「わぁ……! すごいですね! も、もしかしてツティス様ともお会いできたり!?」

「いや、まだ会ったことはないよ」

「そ、そうですよね、お忙しいでしょうし! でもお会いできるかもしれないですよね!?」

「それは、可能性はあるだろうが……」

「すごいです!」

「…………」


 娘を助けてやった活躍が、もはや遠い過去。

 ツティスによって上書きされてしまったかのように感じる。

 その瞳に、変わらず憧憬は見て取れるから別に構わないが。


 仕事で楽をした分、宿に帰ってからの方がなんだか疲れた。


「部屋に戻って、休むよ」


 娘に告げて、階段をあがる。

 途中、不思議そうに娘がたずねてくる。


「お客さん、肩……どうかしました?」

「え?」

「いえ、左肩。痛そうにしてらしたので」

「……何でもない。疲労が溜まってるせいかな」


 左肩を軽く揉んでみせ、残りの段差をのぼりきった。


 傷は完治してないのだから、実際まだ痛む。

 無意識に肩を庇うような仕草をしていたのだろう。

 まだ自覚が足りない、この傷は“俺のもの”ではないのだと。


 カナリーが立場を捨てて、恋愛に踏み切るための条件。

 未だ不明な彼女の理想を満たすべく“傭兵レグルス”を作り上げた。


 肩の傷はレグルスの信念、人生の証だ。

 場末の安宿で過ごす寂れた男と、仮にも紐づけられるようなことがあってはならない。

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