第6話 侵蝕

 ツティスの礼拝は、カナリーのそれとはずいぶん趣が異なっていた。


 礼拝者一人ずつと対面するのではなく、一度にまず二十人ほどが礼拝堂への入室をうながされる。

 集った民衆へ向け、ツティスは神託を授ける。


 神託の内容は特に語るべきところもない。

 よくある教訓のようなものにも関わらず、ツティスの流暢な語り口に、人々は恍惚とした表情で聴き入っていた。


 高回転で人々を入れ替え、無駄なく信心を植えつけていく様は、単純だが非常に効率化がなされていると感じる。

 長年聖女をやっているだけあって、人心掌握も手慣れたものだ。


「耐え忍ぶ時だと、水神様はおっしゃっています。獣人達を束ねるメランポスは残忍な王ですが、多くの兵や傭兵、市民の皆様方が団結することを何より恐れているのです。たゆまぬ祈りを捧げれば必ずや水神様のご加護が――」


 そして、予想通りにツティスは外見も群を抜いて優れていた。


 目鼻立ちはくっきりと整い、二十歳そこそこだと言われても十分通用するだろう。


 カナリーの衣服と色味は異なるが、こちらもどんな糸を使えば再現できるのかという光沢に溢れ。

 深い湖のような蒼き髪と、きめ細やかな白肌を神秘的に引き立たせる効果を生んでいる。


 およそ住む世界が違う。

 だからこそ、夢中になる。


 指を咥えて見上げるだけの高嶺の花がこうして、手が届きそうな下界まで降りてきてくださるんだから、下々の者からすればたまらないわけだ。


 当然、届きそう・・・・というだけの話で、現実は触れることさえ叶わない。


 ツティスにも護衛の騎士は付いている。

 しかも五人。

 護衛はフルヘルムで顔を隠し、礼拝堂の隅で気配を殺しているが……聖女に危害を加えるような輩がどうなるか結果は見えていた。


「――さあ、共に祈りましょう」


 背筋が、どうにも強張る。


 ツティスは、カナリーと似たような微笑を常に浮かべている。

 いるのだが。


 なぜだろうか。

 本音を素直に吐露するなら、依頼の対象がツティスでなくてよかったと、心底安堵している自分がいた。



◇◇◇



“知り合い”から次の段階へ進むため、足しげく礼拝堂へ通った。


「こんにちは! 今日はいつもより暖かいですね、レグルスさん」


 カナリーはいつも通り、嫌味のない笑顔で迎えてくれる。

 ただ、この応対は常連の物乞いジジイも変わらない。

 関係が進展してるとは言い難い。


 護衛騎士であるセリンの目は気になるが、期限が迫ってくる以上、何かしら行動を起こしていかなければならなかった。


「――……新しいお仕事、ですか?」

「ああ。騎士になる夢が破れたからといって、いつまでも腐ってる訳にはいかないから」


 厳格さなんてものとは、かけ離れたカナリーの礼拝。

 俺も慣れたもので、今日も礼拝堂の内壁に沿って設置された長椅子にカナリーと腰かけ、祈りも捧げず雑談に興じている。


「とっても良いと思いますよ! 前向きな姿勢は、きっと水神様も祝福してくださいます」

「……俺がこんな風になれたのは、あんたのおかげだよ」


 神ではなく、礼はカナリーに。

 時が止まったかのように目を見開いたカナリーは、ふっといつもの微笑を取り戻してうつむく。


「……わたしは大したお話も出来ませんが、そう思っていただけるのは嬉しいです」


 達成感もひとしお、といったところか。

 なにせ、やさぐれた男が心を開いた瞬間だ。

 こちらとしてはその喜びにつけ込んで、手の一つでも握ってやりたいところだが。


 セリンの顔をちらりと見上げ、すぐに目線を戻す。


 やめておこう。

 冗談抜きで手首から先を失いかねない。


「……獣人との争いが頻発するようになってから、街に残留する騎士の数が少なくなってな」

「……え?」


 今しがたそらした目を、再びセリンへ向ける。


 普段はカナリーを見守るだけで、ほぼ発言などしないセリンだ。

 それだけに、どういう意図なのかと腹を探る。


「戦場での立ち回りを傭兵に指導する、というのも騎士の仕事だ。ただ、言ったように人手が足りてない」

「ああ。それで?」

「冒険者を兼任してる輩は問題ないが、とりわけ一般の、普段は戦闘行為に従事することのない職に就いている者達の……いわば教導役を探してるところなのだ」


 なるほど。戦場に駆り出される騎士の代わりに、傭兵を指導する人間が欲しいと。

 話は理解したが、なぜ俺にそんな話題を振るのかやはりわからない。


 大変だな、とでも労えばいいのだろうか?

 まるで目を合わそうとしないセリンに困惑していると。


「ふふ。セリンはですね、あなたにその教導役をしていただけないかと考えているんですよ」

「は――? 俺に?」


 降って湧いた提案に、心底から驚いて素の反応を見せてしまう。


 どう贔屓目に思い返しても、セリンが俺に抱く印象は良くなかったはずだ。

 それがどういった経緯でそんな話になったのか、疑問が尽きない。


「レグルスさんの手、だそうです」

「カナリー様! 言わないと約束したでしょう!」


 手……?

 右手のひらを、自然と見下ろした。


「手を握って、わかったと。“毎日毎日、何年間も剣を振り続けなければ、あんな手にはならない”って、そう言ってました」


 そうか、だからあのときセリンは。


 幾度となく豆が潰れて、硬くなった皮膚。

 無駄な努力の結晶・・・・・・・・

 周囲から揶揄されることにも納得していた手が、よもや膠着を打ち破る鍵になってくれるとは。


「触ってみても、よろしいですか?」


 頷いて差し出した右手を、カナリーの両手が包み込む。

 聖女との初めての接触行為も、セリンは咎めたりしなかった。


「剣に全てを捧げてきたのは私も同じだ。気持ちは痛いほどわかる。お前の夢は終わったのかもしれないが、しかしこれまでに費やした熱量は間違いなく血肉として生きている」

「わたしもそう思います。レグルスさんの想いはこの手の中に、あなた自身に返ったのです。これから歩む未来を、きっとやさしい道へと変えてくれます」


 触れ合った箇所から伝わるカナリーの体温が、すっと体内に溶けていくようだった。

 身も心も飲み込まれてしまいそうな翠色の瞳から顔をそむける。


 違う。違うんだよ。

 一緒にするな。わかった気になるな。


 努力した先に栄光が待っていたあんたらと違って、俺には何も無かったんだ。

 自分を空っぽの人間なんだと認める絶望が本当にわかるのなら、もっと歪んでいくはずだ。

 心も、顔も――俺のように。


 しかし、たしかにあんたは、そんな俺に差した一条の光にも思えた。

 人生を変える、降って湧いた希望。

 だからせめてカナリー。


 おまえだけは、絶対に俺の手で落としてやる。


「それで、どうだ。何も達人に育て上げろと要求しているわけではなく、教えるのは基本的な動作と対処で構わない。引き受けてくれるのならば、私が話を通しておくが」


 何年修行したところで素人にも劣る俺が、剣など教えられるはずもない。

 かといって、この好機を捨てるのは馬鹿だ。


「……ありがたい話だと思う。でも今はまだ、剣に向き合える自信がないんだ。……すまない」

「いや、こちらこそ配慮に欠けていたな。割り切ることが難しいのは理解しているつもりだ。忘れてくれていい」


 すんなり引き下がるか。

 どうしても欲しい人材というわけではなく、つまり腕前を見込んでの誘いじゃない。

 剣技なんてもの、披露もしてないのだから当然の話だが。


 これは、片腕を失ったにも等しい憐れな男に対する、セリンの情け。

 剣に生きる自分の姿でも、あるいは重ねて見たのかもしれない。


 いずれにしろ、遠慮なく利用させてもらう。


「俺も、このままじゃ駄目なことはわかってるんだ。何か王宮の仕事を手伝わせてくれないか? 雑用でもなんでもいい。そうして、間近で憧れの――騎士の存在というものに触れてみたい」


 顔を伏せて、膝の上で拳を握り込む。


「気持ちに折り合いがつけられたら、俺も前を向ける気がするんだ。だから、頼む……」


 声を震わせた。

 涙までは流さなかったが、やりすぎると軟弱なイメージが先行してしまう。

 ほどほどに感情を溢れさせた。


「ふむ……しかし、仕事といってもな」

「……レグルスさん、お花や植物に興味はおありですか? ほらセリン、庭師のおじいさんがいつも“弟子が欲しい”って」


 名案、とばかりに人差し指を立てるカナリー。

 庭師だってなんだっていい。

 王宮に入り込めるなら、食いつかない手はない。


「や、やらせてほしい。片手は使えないが迷惑はかけない。せめて試しに雇ってくれるだけでも」


 神へ助けを乞うように見上げ、二人の高い徳性に訴えかけた。

 考え込むセリンに、カナリーの切願する眼差しも後押しとなる。


「……わかった。話をしてみよう。レグルス、傭兵ということは冒険者ギルドに登録はしているな?」

「あ、ああ。もちろんだ。その……俺ではなく、登録は代表者が」

「代表の名は?」

「…………ジェイ」

「そうか。では明後日の朝、王宮へ来てくれ。そこで結果は伝えよう」


 やや厳粛な声音に戻ったセリンと、微笑むカナリーに深々と頭を下げる。


「ありがとう……!」


 セリンがなぜ、俺にギルドへの登録をたずねたのか。

 決まっている。

 素性を調べるためだ。


 とっさにジェイの名を借りたが、あの場面では仕方なかった。

 他に知り合いと呼べる冒険者もいない。


「今日のところは、これで。仕事が決まるかもしれないとなると、俺も色々と準備をしなきゃ」

「とても気持ちの安らぐ、わたしも大好きなお庭なんです。レグルスさんもきっと気に入られると思いますよ。お仕事、決まるといいですね!」


 笑って頷き、踵を返した。


 王宮内で働くことが出来れば、カナリーと接触する機会も増やせそうだ。

 けれどまずは、手を打たなくては。


 以前ギルドに仲介を頼んだ、寝取りの交渉依頼はすでに取り下げてある。

 今は偽名ということもあり、万が一にも辿られることはないはずだ。


 しかし“レグルス”という名で冒険者や傭兵の登録はしていない。

 慌てて今さら登録したとして、戦場で肩を射抜かれた“傭兵レグルス”と時間軸が食い違ってしまう。


 思案を巡らせたのち、冒険者ギルドへ向かった。



◇◇◇



 陽はすでに傾きかけていたが、ギルド内の先日と同じ場所にジェイがいてくれて助かった。

 冒険者への聞き込みや調査で思ったよりも時間を取ってしまった。


「久しぶりだな、俺を覚えているか?」

「……イカれ野郎か。なんの用だ」

「実は、あんたにまた頼みたいことがあってな」


 相変わらず他者を寄せつけない、凄みのある目つきだ。

 妙な意地もあり、決して目をそらすまいと睨み合っていたが、やがて興味が失せたかのようにジェイは顔を伏せる。


「お前の依頼はもう受けない。何を企んでるのか知らんが信用できん。消えろ」

「あんた、そんな孤高を装いながら家族がいるらしいな。子供もまだ小さいんだろ? いつまで冒険者なんか続けるつもりだ?」


 ジェイの素性を知る人間は少なかった。

 しかし腕が立つ冒険者として名だけは通っていたおかげで、金を使えばそれなりの噂は集められた。


「おい……次は眉間を撃ち抜くぞ」


 壁へ立てかけられた弓に手をかけ、顔に殺意を宿すジェイ。


 調べの通り、本気で家族を大事に思っているんだろう。

 そうでなくちゃ脅し文句も効果を発揮しない。

 眉唾ものの情報だったが、買った甲斐があった。


 俺はジェイの瞳を真っ直ぐ見据えながら、対面の椅子へ腰をおろす。


「王宮の仕事にツテがある。冒険者稼業で家族に心配をかけるより、安定した職と高い収入が欲しくないか?」

「信用できんと言っただろ。……そもそも何者だ、お前」

「俺は“レグルス”だ。冒険者で培った戦闘技術を王宮で活かせ、ジェイ。命の危険にさらされることもなく、子供の成長を見守ることが出来るんだぞ」

「…………」

「いいか、あんたは孤高の冒険者じゃなかった。遺跡なりダンジョンなりに挑む時は、常に俺という相棒がいた。そう認めて、ギルドに申し出てくれればいい」


 冒険者の登録は厳正じゃない。

 複数人でパーティを組んでいる場合、届け出ているのは代表者だけ、なんて例もめずらしくない。

 そのパーティで活動する分には、他の面子は登録していなくとも冒険者とみなされる。

 それは傭兵も同じだった。


 遺跡を探索する冒険者にとってこの街は欠かせない拠点であり、また獣人の侵略行為を防ぐために冒険者の様々な技能を街も必要としている。

 有事の際に柔軟な派兵が可能となるよう、冒険者や傭兵の登録における規定はだからこそ緩いものとなっているのだ。


「嘘はつかないさ。なあ、俺を信じろ。……相棒」


 ここ最近は慣れつつある笑顔なんか披露するも、ジェイはくすりとも笑わなかった。


 硬い表情のまま。

 ただジェイの黒い瞳だけが、俺を見極めようとしているのか、不安定にぐるぐる揺れ動いていた。

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