第5話 二大聖女と礼拝
「……レグルス」
呆然と繰り返すカナリーの瞳に、顔に似合わない暗い色が宿っている気がした。
けれど直後に表情は柔らかいモノに変化し、俺の手にそっと温かい手のひらを重ねてくる。
「良いお名前ですね」
先日、物乞いのジジイに向けていた笑顔と同種のものだった。
失敗――ではないはずだ。
少なくとも動揺している様子はあった。
怖いのは興味を持たれないことであり、気を惹けるのなら悪感情でもかまわない。
「それで、いったいどうしてあのような行為を――」
「あんたに話す必要はない」
カナリーの手をぞんざいに払いのける。
すると一度は引っ込められた剣が、再び首筋に冷やりと押し当てられた。
「貴様、聖女に対し不敬が過ぎるな」
「やめて。セリン」
俺を見下ろす女騎士はセリンという名らしい。
剣と同様、セリンの切れ長の瞳は冷気でも纏っているかのように背筋を震わせた。
だが、さすがにお優しい聖女様の御前でいきなり斬りつけたりはしないだろう。
今日のところは顔と名前を披露出来ただけで十分だ。
剣の腹をゆっくりと押し返し、立ち上がる。
背を向ければ読み通り、あの日と同じく食い下がってくるカナリー。
「あの……! 午後ならいつでもいます。また、必ず礼拝にお越しください。わたしでも何かのお役に立てるかもしれません。どうか早まった決断だけは」
足を止めて、逡巡するかのような間を置いた。
そのまま返答はせずに立ち去る。
護衛が邪魔だな、と率直に思う。
ああもカナリーのそばに張り付かれては、口説き文句一つ言うのも難しいだろう。
どうにかして排除、もしくは……。
雪の降る街をしばらくぶらぶらと歩き、寂れた路地でいつものローブに着替える。
「あ、おかえりなさい。今日のお仕事は終わりですか? 外は寒かったでしょう!」
宿屋の娘に相づちを打って、ローブにこびりついた雪を払う。
仕事といえば俺にとっては仕事なのだが、その
夕食の準備だろうか、娘はキッチンナイフを手に厨房へ入ったかと思えば、顔だけひょっこりと覗かせる。
「お風呂、沸いてますからどうぞ入っちゃってください」
「ああ、ありがとう」
今日も店主は不在のようだ。
宿では希望すれば夕食もいただけるらしいが、俺は利用したことがない。
ひとまず荷物を置いて、痛む肩の処置をし直そうと階段に足をかけたところ。
ふと娘を呼びつけた。
再度、厨房から頭を出した娘に問いかける。
「聖女を知ってるか?」
「え? え、えぇまぁ。街に住んでて聖女様を知らない人なんて、いないと思いますけど……」
そういう意味で聞いたわけじゃない。
少し説明が足りなかったか。
「カナリーという聖女のことは?」
「わりと最近聖女様になられた方ですよね。すごい人気みたいですけど、あたしは断然ツティス様派です!」
「ツティス……?」
「知らないんですか!? 四人の中で一番最初に聖女様になられた方ですよ! あたし、子供の頃からツティス様の礼拝にはよく行くんです」
今も子供のようなものだろう――なんて無粋なことは言わない。
興味も無いのであまり知らなかったが、礼拝に列を成す人の多さといい、街の住人にとって聖女は俺が考えるよりもずっと身近な存在なのだろう。
「……ところで、夕食の支度をしてるのか?」
「え、はい。パンが焼けたので、あとは干し肉のシチューを作ってるところですけど……」
「今からでも、俺の食事を頼めるかな」
「あ――も、もちろんです。それじゃ、準備が出来たらお部屋に呼びに行きますね!」
パッと身を弾ませて、娘は厨房へ引っ込んだ。
俺も、足をかけたままだった階段を上る。
聖女に関して俺なんかよりよほど詳しそうだし、もう少し情報を仕入れるのも悪くない。
翌日はゆったりと宿を出る。
適当な屋台で体の温まるものを食べ、礼拝堂へ向かう。
雪は降っていないものの、寒空の下、礼拝の列は本日も長蛇となっていた。
最後尾へ並び、他の礼拝堂へ視線を巡らせる。
やはり群を抜いて人が多いのはカナリー、そして宿屋の娘が言っていたツティスの礼拝堂のようだ。
娘によればツティスは十二の頃に聖女へ選ばれ、現在は三十そこそこの年齢らしい。
約二十年に渡り聖女であり続け、未だに民衆からの支持を得ている。
類稀なカリスマ性のなせる業か、加えてカナリーのように容姿に優れている可能性も高いだろう。
宿屋の娘は、ツティスが人気の理由について必死で神託の素晴らしさを語っていたわけだが。
それだけで、これほどたくさんの民衆を繋ぎ止められるとは考えにくい。
水神信仰が盛んとはいえ信心の度合いは様々なのだから、やはり必要なはずだ。
カナリーを例とする外見や気安さ。
民衆に対しての俗っぽい擦り寄りが。
ツティスが並外れた美貌でも持っているのなら、その方がよっぽど理に適っている。
そういう目線で聖女を捉えれば……。
純潔を求め、彼女らの恋愛や婚姻を禁止していることも納得できる話だった。
「――では、次の方」
気づけば順番が回ってきていた。
護衛であるセリンを一瞥し、俺は左肩を押さえながらカナリーが待つ祭壇の中央へ進んだ。
自然な所作を装いつつも、セリンは剣が届く間合いを常に保ち、俺から目を離そうとしない。
相当に警戒されていることがわかる。
「来てくださったんですね! レグルスさん」
ホッと胸を撫で下ろすカナリーの仕草からは、心底安堵している様子がうかがえた。
仮に、もし本当に打算の一切ないお人好しだったとしても。
ほんの少しは抱いただろう。
自らの行動が、今にも死にそうだった男を救ったのだという思い。
一人の憐れな男を正しい道へ導いた。
聖女としての、優越にも似た自負心を。
思い通りに事が運ぶのは気持ちがいいはずだ。
他人が常に、自分の理想に沿って動いてくれたらどんなに楽か。
予想外の行動ばかりとる人間といるのは苦痛で、普通は距離を起きたくなるものだ。
だが聖女の立場はそれを許してくれない。
礼拝に訪れる多種多様な人間の悩みを、業を、共有しなければならない。
俺には想像も及ばない負荷がのしかかっているに違いない。
精神は疲弊していく。
たとえ顔では笑っていても。
ばつが悪いというような態度でカナリーから目をそらし、俺はゆっくりと膝を落とした。
「……昨日は、すまなかった。無礼な振る舞いをしてしまった」
「そんな、気になさらないで。あなたが無事で安心しました。どうかお立ちになってください」
だから寄り添うよ、カナリー。
あんたの心に。
「……思い返せば初めてだったんだ。本気で俺のことを心配してくれる人間なんて、これまで誰もいなかった」
作り話じゃなく、ただの事実だというのが笑えてくるな。
昨日と同様にカナリーは膝を折り、包み込むような眼差しをこちらへ向ける。
話を聞く、という構えだろう。
「俺には親も兄弟もいない。顔も知らないし、どこで生まれたかもわからない。気がつけば山奥の貧しい村で、同じようなガキで集まって、そこらの草や木の実を適当に食って生きていた」
考えてみれば、嘘をつく必要が無いというのは楽でいいかもしれない。
全部が全部というわけじゃないし、今さら掘り起こしたい記憶でもないが、大体はそんな感じだった。
「盗みを働いてぼこぼこに殴られたこともあった。たまに川で魚が釣れたときだけは嬉しかった。……成長するにつれ、こんな生活を抜け出したいと思うようになった」
「……あなたのお気持ち、わかりますよ」
わかるはずないだろうが。
あんたと俺とじゃ何もかも違うんだ。
聖女なんて立派な肩書きを持つあんたと、何も持たない俺とでは――。
演技も忘れて反射的に睨みつけてしまったが、カナリーの表情にはどういうわけか説得力があった。
憐憫や同情といった悲痛な面持ちではなく、どこか懐かしむような……そんな微笑。
どういう感情で聞いている?
いや、怯むな。続けよう。
「あるとき剣を拾ったんだ。錆びついて刃も欠けてたが、俺にも目標が出来た。――騎士になりたい。そう思って、毎日毎日剣を振った。畑を手伝って小遣いを貰って、本当かは知らないが昔騎士だったというおっさんから剣を習った」
思い出したくもない過去だから、意識せずとも空虚な顔が作れているに違いない。
現実には無駄な時間だったわけだが、聖女様のお相手を務めるなら脚色して立派な姿を語らなきゃな。
「これしかないと剣に明け暮れて、夢を叶えるために街へ来たんだ。知り合いなんていなかったから、まず傭兵になって、でも……先日の戦で……」
左肩に触れた右手で、ぎゅっと服を握りしめる。
「……それは矢傷か?」
予想に反した人物から問われ、セリンを見上げて「ああ」と返答した。
「左腕はもう動かないらしい。十数年夢見た未来が、一瞬で終わったよ」
「そうか。しかし最初から叶わなかった夢だ。どこで聞いたか知らぬが、傭兵が騎士に取り立てられるなどそれこそ夢物語。あきらめろ」
「セリン!」
たしなめるカナリーのことも意に介さない、セリンの厳しい口調と冷たい視線。
本当に邪魔な女だ。
あんたに言われるまでもなく、とうにあきらめているんだこっちは。
内心の苛立ちをなんとか押し止める。
「それはお辛いでしょうね……。ですがレグルスさん。素敵なことは他にもたくさんありますよ」
「……たとえばなんだ? あんたが教えてくれるのか?」
「はい。わたしでよろしければ、それはもう。聞きたいこと、なんでもおっしゃってください」
眩しいほどの満面の笑み。
人形の如く精巧で美しい顔なのに、作られた笑顔だと感じないところが逆に恐ろしくもある。
少々、カナリーについても評価を改めなければならない。
あまり情に訴えかけるような話は、効果が薄いと感じられた。
何百何千と、こんな話は聞き飽きてるのかもしれない。
一筋縄ではいかないということか。
けれど流れ自体は悪くないはずだ。
夢破れた男の再起に付き合ってくれるというのなら、これをなんとか礼拝以外の逢瀬に繋げたい。
「時間だ。立て」
誘い文句を考えあぐねている間に、無情にも礼拝の終了が告げられた。
意外なことに、セリンが俺へ手を差し伸べる。
俺はその
「……おっと。これはすまなかったな」
悪びれた様子もなく、すぐに差し替えられたセリンの右手を掴んで立ち上がる。
「かまわないさ」
こいつ……わざとか?
真意は不明だが、やはり俺に対する信用は限りなくゼロに近いのだと思う。
手を離したあとも、セリンは自身の右手をじっと見下ろしていた。
「また、きっとお越しくださいね!」
「……そうだな。考えておくよ」
この日はじめて笑みを形作り、背を向ける。
帰り際、もう一つの人の列を眺めて思うところがあり、足を止める。
一度ツティスの礼拝も体験しておくべきか。
最優先はカナリーの攻略。
しかし話題の種にはなるかもしれないし、何か取っかかりが欲しいのも確かだ。
僅かな時間も無駄にすまいと、俺は再び長蛇の最後尾へ向かった。
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