第4話 鳥籠

 夜露の残る早朝。


 すでに純白の修道服に袖を通したカナリーは、自室の窓を開いて広大なカージュ湖を眼下に望む。

 魅入られるほどの美しい湖は、いつなんどき、何時間眺めようとも不思議と飽きはこなかった。


 託宣の乙女として見出され、住まいを王宮に移した頃は息苦しさに辟易することも多かった。

 けれどそんなとき、この湖を前にすれば心にゆとりが生まれるのだ。


 風に撫でられ、なびく金色の髪。

 まるで神に抱かれるような安堵を胸に、カナリーは今日も祈りを捧げる。


「――失礼いたします」


 扉の外から控えめな声が響き、カナリーは顔をほころばせて入室をうながした。


「今日も時間ぴったりですね、セリン」

「は。精勤なカナリー様を模範とさせて頂いております」


 自身の護衛を務める、必要以上に畏まった女騎士の姿を非難するかの如くカナリーは頬を膨らませる。

 しっかり扉が閉じたことを確認し、さらに数秒の間を置いて。


「……もう。堅苦しいのはやめてって、いつも言ってるのに」

「これは手厳しい。ぜひ私の立場もお考えください」


 憎まれ口を叩きつつ、セリンと呼ばれた女騎士も表情を和らげた。


 いくらカナリーが気さくな関係を望んでいても、おおやけに振る舞えばセリンの立場が危うくなるのも事実で、こうして二人きりの時分に軽口を言い合うのがせいぜいだった。


 聖女と対等以上に接することが可能な人間など、聖王と聖司教を除けば一部の由緒ある貴族くらいしか存在せず、カナリーが孤独感に苛まれる要因の一つとなっている。


「ちょうどお茶を淹れたところなの。飲むでしょ? お菓子もあるわ」

「お茶だけいただきます」


 言葉少なに椅子へ腰かけ、カップを口に運ぶセリンの仕草を、にこにこと眺めるカナリー。

 カナリーに負けず劣らずの長く美しい銀の髪は、そよ風に揺れて優しい音色を奏でているようだ。


 山間の村の孤児院で育ったカナリーは、多くの姉弟に囲まれていた当時を懐かしむ。


 妹や弟達の世話を焼くのが大好きだった。

 貧しくても、たとえ血の繋がりはなくても、紛れもない家族の温かみで溢れていた場所。

 今は気軽に会いに行くことも叶わないが、一日たりとて忘れたことはない。


 セリンと同じ空間にいるのは居心地がよく、カナリーも落ち着いて郷愁にふけることが出来るのだ。

 みんな元気でいるだろうか? と。


「ね。セリン」

「はい?」

「あなたもいつかは、結婚するのでしょうね」


 口に含んだばかりの紅茶を思わず吹き出しそうになってしまい、セリンはむせ込んだ。

 あらあら大変、とカナリーが差し出したハンカチを片手で制するセリン。


「な、なぜ急にそのような話を」

「でも事実でしょう? いつか良いお相手が出来たら結婚して、子供を産んで……護衛のお仕事も辞めてしまう」

「予定もありませんが、いつかはそうなるかもしれませんね。……婚姻に興味がおありで?」

「あはは。わたしは身も心も水神様に捧げましたから。けれどその、セリンが離れてしまうのは、寂しい」


 飾らない言葉で、カナリーは言葉通りに寂しそうな顔をする。

 セリンは目を伏せて、複雑に微笑んだ。


 友人と呼べるほどの間柄ではなく、まして家族でもない。

 いつかは別れの日が訪れて、また孤独へと追いやられるのだろう。

 カナリーもそれは理解している。


 ただ、それでも――。


「さて。それじゃあ、今日もわたしに付き合ってくれる?」

「……ふぅ。元よりそのつもりです。私はあなたの護衛ですからね、カナリー」


 身分の隔たりを越え、自分のわがままをこうしてある程度は聞き入れてくれるセリンを、カナリーは重用していた。




 頻度としては散発的ではあるが、つい先日も隣国とのいざこざがあったばかりである。

 戦争が起きれば旅客は遠のく。

 おかげで街にも陰りがみえるものの、カナリーが姿を見せれば明るい声が飛び交った。


 聖女としての役目、民衆に神託を授ける儀式は一般に午後より行われるが、朝早くから散歩を兼ねて街を巡るのはカナリーの日課だった。


「おはようございます、カナリー様!」

「おはようございます。わあ、立派なお野菜ですね!」

「カナリー様、先日生まれた娘を見てやってくださいな」

「かわいい! 目元がお母様にそっくり。美人さんになりますよ」


 こうした行為が、四人の聖女の中で一番の人気を得る大きな要因となっている。

 しかしカナリーに打算的な思惑は一切なく、王宮よりも外で羽根を伸ばしたいというのが本音なだけなのだが。


 生来の人懐っこさ故か、接する者を幸福な気分にさせる力がカナリーにはあった。


「……カナリー様は本当に精力的ですね」

「わたしはやりたいことを、やりたいようにしているだけですよ」


 南の区画を一通り回り、カナリーはセリンを引き連れ礼拝堂へと向かう。

 小規模な戦闘だったとはいえ、冒険者ギルドの周辺では傷ついた兵の姿が多くみられた。


 傭兵――真の意味で、国の骨幹を担う者達。

 カナリーはそう認識している。

 聖女はシンボルに過ぎず、彼らがいなければ国は成り立たない。


 普段は農業などに従事している者もいるが、もっとも数を占めているのは冒険者を兼任する者達だ。


 カージュの街の北には切り立った山脈が広がっており、未だ踏破されていない遺跡や、迷宮と化した洞窟が数多く眠っている。

 観光目当ての旅客とは別に、熟練の冒険者が滞在する主な理由となっていた。


 ゆえに傭兵といえども彼らは義勇兵の側面を持ち合わせ、東の隣国――獣人達の侵略行為から積極的に街を守ってくれるのだ。


「お、カナリー様。今日も見回りですかい?」

「カナリー様ぁ! 礼拝のときめずらしいお茶菓子持っていきますねー!」


 冒険者や傭兵相手にも、カナリーは一定以上の人気を博している。


 笑顔で手を振りながらカナリーが応えると、沸き立つ傭兵達。

 セリンが調子に乗るなと言わんばかりの冷めた視線を投げ、盛り上がる荒くれ共を黙らせる。


「どうにも……カナリー様は、彼らに甘い顔をし過ぎではないかと」

「いいじゃありませんか。気さくにお声をかけていただけた方が、わたしも嬉しいですし」

「節度というものがあります。聖女に対して畏敬の念をもって接するのは礼儀として当然。カナリー様がそうさせなければ、他の聖女の品格まで貶めることになりかねません」

「…………はい。ごめんなさい」


 実に素直に謝罪し、カナリーは肩を落とす。

 親に叱られた子供のようでもあり、セリンもそれ以上は何も言えないのだった。


 これまでの、どの聖女とも違う。

 だからこそ民衆のあの距離感も仕方ない、とセリンも思ってはいる。

 カナリーの愛らしくも感じる人間性を、好まない者などいるはずがないのだから。




 コの字型に開放されている礼拝堂が遠目に見えた。

 今の季節にはかなり寒々しい外観だ。

 昼になれば、まだ陽光の恩恵も多少は受けることが出来るだろうに、カナリーは必ず午前中には訪れ準備をはじめる。


「おや、降ってきましたね」


 セリンの言葉を受け、祭壇に生ける花を手にしたカナリーが空を見上げる。


「わたし、好きなんですよ。カージュ湖に降る雪。今年もきっと綺麗」


 吐く息が白く、雲に溶けるようだった。

 ふわふわと小さな雪が花びらに止まり、ふっと微笑むカナリー。

 気持ちも軽やかに、石段を登る。


 この時間には、他の聖女も礼拝する民もいない。

 そのはずだったが、礼拝堂の中央に人影があった。


 男のようだ。

 石床にひざまずいた男は、自身の隣に剣を置いている。

 格好から察するに傭兵だろうか。

 そんなカナリーの思考を、セリンの大声が掻き消す。


「誰の許可を得てここに入っている!」


 聞こえているのか、いないのか。

 男はこちらへ顔も向けることなく、取り出した短剣の刃を喉へとあてがった。


「――っ! だめ!!」

「カナリー様!?」


 セリンの制止を振り切って駆けたカナリーは、力いっぱい男の手を叩いて短剣を転がす。

 すぐに追いついたセリンが、抜き放った直剣を真っ直ぐに男の首へ伸ばした。


「はぁ、はぁ……なぜ、このようなことを」


 男はゆっくりとカナリーを見上げる。

 短く切り揃えられた黒髪の下、瞳は虚ろで唇はカサカサと乾燥していた。

 相当に憔悴した様子を見て、カナリーは剣をおさめるよう目でセリンに訴える。


「しかし……」


 男の左腕は、だらりと垂れ下がっている。

 視線で辿ると、肩の出血が生々しく布服に滲んでいた。


 置かれた剣と男の距離を目算し、何かあれば自分の剣がより速く男の首を刎ねる。

 そう確信してセリンはカナリーの要求を聞き入れた。


「俺は……俺には、何もないんだ……もう、何も」


 掠れた声で呟いた男に、カナリーは屈んで目を覗き込もうとする。


「何があったのですか? わたしに聞かせてくれませんか? ……あなたのお名前は?」


 ようやくカナリーの姿を認めた様子で、はじめて男と視線が交わった。


「……俺は――“レグルス”」


 男の瞳は、勢いを増してきた真っ白い粉雪をも、残さず吸い込んでしまいそうな深い闇色で。

 そこに映し出された自分もまた、黒く染められてしまうような――。


 唐突にそんな印象を植え付けられて、カナリーは知らず息を呑んだ。

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