第2話 ご褒美は、食べ放題
「いつ見ても良い食べっぷりだな、ハルナよ。見ている余にまで、小気味良い幸福感が押し寄せてくるぞ」
エルナタリア帝国を統べる女帝——カンヌマリアは、宮殿の中庭に設けられた
仕上げとばかりに、手にした林檎をしゃりりと音を立てて丸かじりするその笑顔も、惚れ惚れするほど健康的で幸せそうだった。
「さすがにもう食べられぬか」
赤い果実が芯だけとなった頃、カンヌマリアもまた笑みを浮かべて、好意的にからかったのである。
「はい……もう食べられません」
ハルナはしかし、表情を曇らせ俯いてしまったのだ。
「どうした?」
「わたしは、自分の世界では、もう食べることも飲むこともできません……」
カンヌマリアは、二度ばかり首肯した。
「そうであったな。そなたは、エルナーヤ神がおん自ら見出された逸材である。余の言葉に、そなたを悲しませる意図はなかった。許してもらえぬか?」
ハルナは、こくりと頷いた。
カンヌマリアは三十代半ば。帝国民の厚い信頼を得ている。
エルナタリアでは、皇帝が教皇を兼任するため、カンヌマリアは、エルナーヤ神との意思疎通もある程度可能なのだった。
ハルナはそもそも、帝国の人間ではない。異国どころか、異世界より招かれた存在なのである。
元の世界の彼女は、
転移した精神を宿す、戦巫女ハルナとしての肉体は、エルナーヤ神殿にて、魔法の粋を集めて生み出された人工物なのである。
あれは、十二才の誕生日のことだった。陽菜は、料理自慢の母が作ってくれたごちそうを、突然嘔吐してしまった。そして、そのことをきっかけに、重病が発覚したのである。
入院して、飲食を禁止され、点滴の栄養で命を繋ぐしかなくなった陽菜は、ある夜、髪を撫でられる感触で目を覚ました。母かと思った。
「乙女よ。そなたの魂は、魔法の才覚に満ち溢れている。神たるわらわが、その才の輝きに魅かれて、異世界よりここを訪れたほどじゃ」
枕元には、長く波打つ金髪の、二十才くらいの女性が立っていた。仄かに白金色の光を放つ、不思議な人影だった。どう見ても母ではなかった。
「わらわは月の女神にして、帝国の守護神でもあるエルナーヤじゃ。乙女よ、帝国へと転移し、神聖魔法の使い手として、わらわに力を貸してはもらえぬか?」
もしも母が特殊メイクで化けてるなら、すっごく嫌だ。ぼんやりとした頭でそう思った陽菜は、ついつい自称女神の顔に注目した。容貌は彫刻のように整っているが、
「わらわは月の神。月は痘痕面をしておろう。そして、痘痕面とは、病に打ち勝ち生き延びた強さの証でもあろう」
陽菜も知っている。月の表面は、クレーターなどが存在して、でこぼこしているのだ。また、治っても痘痕を残す病気にも心当たりがあった。
「病に打ち勝つなんて、うらやましい……」
本心が口を突いて出た。
「乙女よ、わらわが統治する世界に転移してくれるなら、そなたに健康な肉体を与えてやることもできるのじゃ。転移と言っても、この世界から存在がかき消えてしまうわけではない。こちらで眠っている間に、ゲームのアバターを操作するみたいに、パートタイムで魔法少女してくれれば、それで良いのじゃ!」
急にイメージしやすくなった。異世界の女神様は、この世界の文化についても、それなりにご存知らしい。
かくして陽菜は、異世界の戦巫女となる決心をしたのだった。元の世界ではそれを秘密にせねばならないと女神に約束させられたが、それさえもなんだか楽しくて、冒険の予感にときめいたのである。
「ハルナよ、こたびの働きも見事であった。褒美として望むのが、こうした食事であることも、また殊勝。いつか元の世界での人生を終えたなら、この世界に転生してくれることを、余は切に望んでおるぞ。それが百年以上先のことになろうと、一向に構わぬゆえ」
「百年もお待たせすることはないと思いますよ、カンヌマリア様」
数百年の寿命を誇るエルナタリア人は、悠長にして鷹揚なことを言う。
昼食を共にした女帝へと、戦巫女は、負の感情を明るさによって制圧した声と笑みで応じたのだった。
その容姿は、ハルナの肉体が人工物であり至って健康なことも相まって、陽菜のそれとはかけ離れていた。
退魔に特化した神聖魔法を扱える人間は、そもそも数少ない。
それを補うべく人工的に生み出される戦巫女もまた、高くつく最新鋭の兵器のようなものだ。その肉体を紡ぐには、最高の技術と、手間ひまと、大金を投入せねばならない。
肉体という器を誂えても、それを使いこなせる者を探して、時として異世界から招かねばならないのだ。
量産なぞ望むべくもない。
着実に実績を積み重ねるハルナに、女帝が目を掛けるのは、そうした背景もあってのことだった。
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